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岡崎城下27曲り~旧東海道を歩く(11回目)

2011-07-23 07:26:28 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<御油宿(御油駅)~池鯉鮒宿(知立駅)
2011年7月16日 11回目 

岡崎城下27曲り

徳川家康公が関八州の太守として駿府城から江戸に入ったのが天正18年(1590)8月。同年10月には、豊臣側の田中吉政が岡崎城に入城して城下の整備にとりかかりました。吉政は、矢作川に初めて橋をかけ、菅生川の南にあった東海道を城下へ引き入れました。
 城下の道は、外敵には城までの距離を伸ばし、間道を利用して防衛することができる屈折の多い道が常で、岡崎はその典型。これが二十七曲りです。吉政は10年かかって二十七曲りの城下町を造ったといわれていますが、徳川の安定政権が続くと防衛の意味もなくなり、城下町・宿場町として栄えていきました。二十七曲りは、欠町、両町、伝馬通から籠田町を抜け、連尺通、材木町、田町、板屋町、八帖町、矢作橋とつながっており、現在のまちなかに、二十七曲りを示す碑を見つけることができます。岡崎観光協会ホームページより

▲岡崎城下27曲りはここから始まるらしい

 

江戸時代の岡崎の町は東海道の宿駅として栄えましたが、市民病院跡地である若宮町の当所は岡崎宿ないの東端位置する投町(なぐりちょう)と呼ばれた場所でした。東海道の往還は、当所の南で西側へと大きく曲がり、宿ないの中心地へと進みます。その曲折点は岡崎城下二十七曲りの一つに数えられます。以下省略

 

  ▲案内の標識は整備されていましたが、クリヤーすることはできませんでした。掛川に続きここでも轟沈

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