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2013年4月20日 19回目
照手姫水汲み井戸
岐阜県大垣市青墓町
昔、武蔵・相模・の郡代の娘で照手姫という絶世の美人がいました。この姫と相思相愛の小栗判官正清は、郡代の家来に毒酒を飲まされ殺されてしまいました。照手姫は深く悲しみ家を出て放浪して、青墓の大炊長者の所まで売られてきました。長者は、その美貌で客を取らせようとしますが、姫は拒み通しました。怒った長者は一度に百頭の馬に餌をやれとか、竹篭で水を汲めなどと無理な仕事を言いつけました。一方、毒酒に倒れた正清は、霊泉につかりよみがえり、照手姫が忘れられず、姫を探して妻に迎えました。この井戸の跡は、照手姫が籠で水を汲んだと伝えられる所です。 大垣市教育委員会
昔、武蔵・相模の郡代(郡の代官)横山将監に女の子が生まれ、照手姫と名付けられて成長し、目の覚めるような美人ということで評判になりました。その話を聞いた常陸国の国司小栗判官正清は、使者も立てず強引に婿入りしてしまいました。そのため、父親の将監が大変怒り、小栗判官に毒の入った酒を飲ませ殺してしまいました。照手姫は深く悲しみ、あてのない旅に出てあちこちさまよい、最後に美濃国青墓の長者「よろづ屋」に買われることになりました。長者はその美貌で客を取らせようとしますが、照手姫は拒み通します。怒った長者は「一度に百頭の馬にかいばをやれ」「籠で水を汲め」「十六人分の炊事を毎日一人でやれ」などと、無理な仕事を言いつけました。照手姫は泣き泣き仕事を続けましたが、日頃信仰していた千手観音菩薩の助けで、普通の人間にはできそうもない仕事を成し遂げることができたのです。一方、毒酒に倒れた小栗判官正清は、熊野の湯につかって蘇り、二条大納言兼家の許しを得て都に戻り、朝廷から美濃国を治める役人に任命されました。その後、照手姫が青墓にいることを知り、妻として迎え、二人は末永く幸せに暮らしたということです。この井戸は、照手姫が籠で水を汲んだと伝えられています。
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