街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目
日坂宿高札場
幕府や藩の定めた法令や禁令を板札に墨書したものを高札、しの掲げられた場所を高札場といいます。高札場は人々の注目をひきやすい所に設置され、日坂宿では相伝寺観音堂敷地内にあり、下木戸の高札場ともいわれていました。 高札の内容は日坂宿が幕領であったため公儀御法度(幕府法)が中心で年代によって若干の書き換えがありました。ここに掲げられている八枚は「東海道宿村大概帳」の記録に基づき天保年間のものを復原いたしました。高札場の大きさ「高さ二間、長二間、横七尺」は日坂宿の「御尋二付申上候」書付(天保十四年)によりました。
高札小史
◎正徳元年(1711)日坂宿の高札場設けられる。このときの高札五枚(親子・切支丹・火付・伝馬・毒薬)は幕末まで続いた。
◎慶応四年(明治元年・1868)大政官布告により従来の高札を撤去し新たに五枚(五傍の掲示)を掲げた。
◎明治六年(1873)高札が法令公布の方式として適さないとの見地から撤去された。
☆cosmophantom
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