コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

湯島天神~東京都文京区湯島

2016-08-09 05:50:48 | 神社・仏閣・教会

2015年10月25日 東京都

湯島天神

東京都文京区湯島

湯島天神は 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年(1478)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、翌十九年十一月豊島郡湯島郷に朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。その後、学者・文人の参拝もたえることなく続き、林道春・松永尺五・堀杏庵・僧堯恵・新井白石などの名が見える。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。平成七年十二月、後世に残る総檜造りで造営された。

     

    

 

・・・前略・・・ガス灯は、文明開化のシンボルで、明治の時代を象徴するものであった。今、ここに、東京ガス株式会社の協力を得て、ガス灯を設け点灯することになったが、これは都内で、屋外のものとしては、唯一つのものである。

 

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湯島聖堂~東京都文京区湯島

2016-08-07 06:18:41 | 建築物(洋館以外)

2015年10月25日 東京都

湯島聖堂

東京都文京区湯島

東京都文京区湯島にある孔子廟(こうしびょう)。聖堂は3度の江戸の大火、関東大震災、第2次世界大戦時の空襲によって焼失・改修を繰り返して現在にいたるが、もともとは、1632年(寛永9)、徳川幕府の政治顧問であった林羅山(はやしらざん)が上野忍岡(しのぶがおか)(現在の上野公園)に建てた孔子廟「先聖殿」を移築したもの。徳川綱吉は先聖殿を「大成殿」と改称し、それに付属する建物を含めて「聖堂」と総称し、建物全体を朱塗りにして青緑に彩色したと記録に残されており、1922年(大正11)に国の史跡に指定された。翌年の関東大震災で全焼したため、復興計画が立てられ、1935年(昭和10)に竣工、木造だった建物は鉄筋コンクリート造りに、大成殿は建物内外を黒色エナメルペイント塗りにし、屋根は入り母屋造りで両端に青銅製の鬼犹頭・鬼龍子を置いた。現在、構内に建てられている世界一大きい孔子像は、1975年(昭和50)に中華民国台北ライオンズクラブから贈られたものである。 

  

▲入徳門(にゅうとくもん)

  

▲杏壇門(きょうだんもん)

▼大成殿

       

 

 

▲世界一大きい孔子像(丈高4.57メートル 重量約1.5トン)

▲仰高門(ぎょうこうもん)

 

近代教育発祥の地

所在地 文京区湯島一丁目4と5

(湯島聖堂・東京医科歯科大学) 

江戸時代、このあたりは学問(儒学)の府であった聖堂(孔子廟)の一部、昌平坂学問所(昌平黌)があったところである。 寛政9年(1797)学問所の学寮、宿舎が建てられ、旗本は藩士の子弟を対象とした教育が施された。明治維新後、学問所は新政府に引き継がれ、昌平学校、大学校、東京大学と発展していった。
明治4年(1871)に文部省が設置され、我が国の近代教育の原点となる施策が展開されることになった。当地には明治5年師範学校(翌年、東京師範学校と改称)が開校し、その後、隣接地に東京女子師範学校が置かれた。東京高等師範学校は明治36年に大塚窪町に移転し、後に東京教育大学(現筑波大学)となり、東京女子高等師範学校は昭和7年大塚に移転し、後に新制大学としての発足の折、この場所の地名を校名に冠し、お茶の水女子大学と称し現在に至っている。  文京区教育委員会 平成19年3月

 

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渋川市(群馬県)2016の町並み

2016-08-06 05:41:54 | 町並み

2016年7月5・6日 群馬県 

渋川市(群馬県)2016の町並み

渋川駅 (群馬県渋川市渋川辰巳町)

特急草津

山の名前は分からず。
 

▲渋川駅

▲渋川駅前の様子

 

 ▲白井宿

▼伊香保温泉

▲ハワイ王国公使別邸

▲伊香保口留番所
 

▲伊香保神社

 ▲チンチン電車

▼水澤観世音
 

 ▲六角堂と本堂

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水澤観世音(群馬県渋川市伊香保町水沢)

2016-08-05 05:50:27 | 神社・仏閣・教会

2016年7月5日 群馬県 

 水澤観世音

群馬県渋川市伊香保町水沢

坂東三十三番札所中、第十六番水澤観世音は1300有余年の昔、推古天皇、持統天皇の勅願により、高麗の高僧恵灌僧上の開基にして、国司高光中将公の創建。境内の中心にある本堂は、本尊千手観世音菩薩を安置。また六角二重塔は地蔵堂、六角堂とも呼ばれ、六地蔵尊を安置し元禄時代に建立された。坂東十六番札所五徳山水澤観世音で有名 水澤観音ホームページ

▼六角堂

六角堂は、天明七年(1787年)に竣工された銅板瓦棒葺の造りで、我が国に於ける地蔵尊信仰の代表的建築物です。
内部にある回転する六地蔵尊は、全国的にみても非常に珍しいものです。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、天人界の六道を守る地蔵尊を祀り、六道輪廻の相を表しております。また、この二階には大日如来が安置されております。水澤観音ホームページ

 

▼本堂

境内の建物の中心で、本尊十一面千手観世音菩薩を安置しております。本尊十一面千手観世音菩薩は古来融通観世音として知られ、衆生の一切の願 を融通し、救いの手を差しのべて下さいます。建物は六角堂と同じく、天明七年の竣工で、すべての彫刻は掘り抜きとなっております。伊香保姫の御持仏であった本尊 十一面千手観世音菩薩は、当山の秘仏となっており、ご開帳はされておりません。水澤観音ホームページ

    

天井画

  

 

▲六角堂と本堂

 ▼仁王門

 参道より登っていくと、仁王門があり、仁王尊と風神・雷神が祀られています。また、極彩色の楼門の上には、釈迦三尊(釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩)が安置されております。建物は、天明七年(1787)に竣工されたもので、間口三間・奥行き二間の「平板銅板葺き重層入り母屋造り」となっています。

  

▲天井画

    

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伊香保口留番所~群馬県渋川市伊香保町伊香保

2016-08-04 05:49:25 | 建築物(洋館以外)

2016年7月4日 群馬県

伊香保口留番所

群馬県渋川市伊香保町伊香保

伊香保関所(伊香保口留番所)は、寛永8年(1631年)幕府の命によりこの地に設置された関所を復元したもので、当時の関所は間口五間、奥行三間の約15坪の藁葺屋根の建物で、周囲に木棚が巡らされ、東西に門扉が設けられていました。当時高崎より渋川、北牧、中山を経て越後に至る三国往還にあった杢ケ橋関所が、吾妻川の増水で通行できない事もあり、渋川から伊香保、中之条を経て中山宿へ至る三国街道の裏往還が利用され、また湯治に訪れる人たちの往来も多く、その要所として伊香保関所(伊香保口留番所)が設置され役割を果たしていました。関所は番役人として伊香保の大屋2名(年番)、下番2名の計4名が勤め、明治2年の新政府誕生と共に関所廃止令によって閉所となる間、約238年にわたって役割を果たしました。

 

▼「取調べ石」と「お辞儀石」

ここで並んだ石は、当時の関所で使用したもので、左右のやや高い石は「取調べ石」と言われ、関所役人が腰を掛けて取調べに当たったとされるもので、中央の平らな石は「お辞儀石」と言われ、旅人が役人の前で調べられるときに、平伏して手をついた石であると言われています。

▼門柱の礎石

三国街道の裏往還の要所として、寛永8年(1631)幕府の命により伊香保村口留番所(関所)が設置されました。当時の関所は約15坪の萱葺屋根の建物で、周囲に木柵があり、東西に門扉が設けられており、その当時の門柱の礎石です。

   

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ハワイ王国公使別邸(群馬県渋川市伊香保町伊香保)

2016-08-03 05:43:34 | 建築物(洋館以外)

2016年7月4日 群馬県

ハワイ王国公使別邸

群馬県渋川市伊香保町伊香保

アメリカ合衆国ハワイ州が独立国だった当時の駐日ハワイ王国弁理公使ロバート・W・アルウィン氏が夏に別荘として使用していた建物の一部で、日本に現存するハワイ王国の数少ない建物のひとつです。

明治時代、時の政府高官・井上馨(かおる)の紹介で、伊香保に別荘を持ちこの地をこよなく愛した駐日ハワイ王国弁理公使・ロバート・W・アルウィン。彼は日本人女性と結婚し81歳でなくなるまで日本で暮らしましたが、蒸し暑い日本の夏を快適に過ごすための保養地を探していて伊香保と出会います。ここで購入した別荘の一部が、現在の市指定史跡「ハワイ王国公使別邸」となっています。

ハワイ王国

19世紀にハワイ諸島を統一したカメハメハ王朝のこと。ポリネシア人は何千kmもの海を渡ってハワイに移住したが,その第1波は750年ごろマルキーズ(マルケサス)諸島から,第2波はタヒチ島からの大移動で13世紀ごろであった。タヒチ同様ハワイにも階層社会が形成されて貴族と平民に分かれ,平民が神の子孫とされる貴族と結婚することはできなかった。ハワイはいくつかの首長国に分かれ,それぞれにアリイ・アイモクと呼ばれる大首長が君臨していた。

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伊香保温泉街~群馬県渋川市

2016-08-02 05:47:13 | 温泉街

2016年7月4日 群馬県

伊香保温泉街

群馬県渋川市

伊香保の温泉は昔から名湯として知られていますが、その起源は、第11代垂仁天皇の時代に発見されたという説と、草津温泉と同じように行基によって見つけられたという説があります。どちらにしても、南北朝時代の書物にすでに温泉が湧き出ていると書かれているのですから、本当に古くからある温泉なのです。

▼伊香保の階段(石段)

400年以上前から湯の町を眺めてきた石段は、長篠の戦いで敗れた武田勝頼が真田氏に命じて作らせたものです。一番下から上の伊香保神社まで365段つづく石段の両側には、旅館やホテル、食事処やみやげ物店が並び、伊香保温泉のシンボルとなっています。

▼ハワイ王国公使別邸

アメリカ合衆国ハワイ州が独立国だった当時の駐日ハワイ王国弁理公使ロバート・W・アルウィン氏が夏に別荘として使用していた建物の一部で、日本に現存するハワイ王国の数少ない建物のひとつです。

 

▼伊香保口留番所

寛永8年、三国街道の裏往還の要所として、幕府の命によりこの地に設けられました。当時の関所は、間口5間奥行3間の約15坪の萱葺屋根の建物で周囲に木柵があり、東西に門扉がありました。

  

▲石段の湯 日帰り温泉
     

▲射的!!これは昭和だ!

▲石段は365段 上りきったところには伊香保神社がある

  

▼チンチン電車

伊香保への電車は、明治43年に、伊香保の有力者によって設立された「伊香保電気軌道」が「渋川新町−伊香保」間で同年10月に開業し、既に開通していた高崎・前橋線と併せて利用されました。その後、東京電灯(のちの東京電力)、東武鉄道に譲渡され、東武鉄道伊香保軌道線として営業されていましたが、大型バスに利用者が移ったことから、昭和31年(1956年)12月28日限りで廃止されました。
     

2016-08-02 05:47:13

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白井宿(群馬県渋川市白井)

2016-08-01 05:45:47 | 町並み

2016年7月4日 群馬県

白井宿

 群馬県渋川市白井

町並み中央を流れる820m白井堰、その両側に道路が走り8ケ所のつるべ井戸、石造物も点在し、土蔵づくりの家並みも残る

 

      

 ▲今先の城址があるのだろうか?
 

▼白井宿歴史資料館(和泉屋)
 

  

  

     

 

     

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