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デューク金子さん@八丈島を彩る人々(8)

2009年10月19日 07時10分11秒 | インタビュー
本日のインタビューは、10月6日(火)の記事でご紹介した
「OCEAN LEGEND _ オーシャンレジェンド」のデューク金子さんです。

10月4日(月)、「癒香」さんから携帯にメールをいただきました。
カヌーで八丈島から江ノ島まで、手漕ぎ横断を計画している
デュークさんという人を紹介したい。彼の話には熱い言霊があるから、
本人に会ってほしいと。そんな内容で、その日の夜に初めてお会いして、
翌日の5日(火)に行ったインタビューです。

その後、八丈島への直撃は免れたものの予想外に被害の大きかった
台風18号が到着予定地の江の島へも被害を与えたために、
デューク金子さんは一時離島されて、現在は茅ヶ崎のご自宅で、
天気図と波の予報を分析しながら、再度八丈島へ戻って
この壮大なプロジェクトの第2ステージをスタートする日を待たれています。

彼がまたこの島へ戻ってくるまでの間に、このインタビューを読んでいただき、
ひとりでも多くの方が彼のスピリットに触れ、応援してくださる方が増えるよう、
彼の熱い言霊を(かなり長文ですが)なるべくそのままお届けしたいと思います。

※インタビューのすべては掲載できませんので、
デュークさんがなぜこのプロジェクトをはじめたか?そのきっかけとなった
ハワイの「ホクレア号」の話に焦点を当てて編集しました。


デューク金子さん 昭和38(1963)年4月9日生まれ(46歳)

●デュークさんは茅ケ崎にお住まいだそうですが、
あの…お仕事はなさってるんですか?

 仕事はしてます!してますよ。(笑)
「BEACH HAYAMA」というスポーツクラブでアウトリガーカヌーを教えています。
それ以外に、自営業でアクセサリー販売の営業もしています。

●プロジェクト名の「OCEAN LEGEND」とは、どんな意味ですか?
 直訳すると「海の伝説」という意味ですが、僕は「海洋民族の伝説」という意味で
使っています。このプロジェクトでは、日本人の海洋民族のスピリットを甦らせる
とともに、島と島を繋ぐということも目的としています。

●最終的に、6人乗りのカヌーで、小笠原まで行くのが目標ですか?
 いや、それが最終目標じゃないです。
今回のこのプロジェクトのファイナルではありますが。

●企画書に、いろんな人たちを乗せていくと書かれてありますね?
 何人かすごく漕げる若い人たちはいます。それ以外に、プロのサーファーとか、
プロのウィンドサーファーとか、プロのカヤッカーとか、一般の人たちとか、
そういう人たちも乗せていきたい。でも、どちらにしても日程が決まらないと、
みんな仕事がありますから、行けるかどうかの予定が決まらない。
行きたいという人たちはいますね。

●いろんな人たちを乗せていくということに意味があるんですね?
 そうですね。海に携わってる人達ってたくさんいるんですけど、
意外と敵対していたり、すごく垣根があるんですね。
たとえば、サーファーの中ではロングボーダーとショートボーダー、
サーファーとウィンドサーファーとか、ヨットマンと漁師とか、
お互いを認めなかったり、すごく垣根があるんです。
同じ海を使わせてもらっている者たちが海に感謝をこめて、
気持ちを一つにして漕ぐということに意味があると思っています。
一人乗りのカヌーなら、僕ひとりが漕げばいいけど、
6人乗りのカヌーは6人の気持ちが一つにならないと絶対進まないんですね。
カヌーってそういう乗り物なんです。

●練習しなくて大丈夫なんですか?
 練習しなくても気持ちが一つになって、邪念がなくてエゴがなければ大丈夫です。
いままで僕はずっとカヌーを教えてて、練習すれば速く進みますけど、
一番大切なのは、お互いを信頼しあって、気持を一つにするということなんですよ。
純粋に島を目指そうという気持ちのある人なら、漕いでるうちに必ず合うように
なってくる。そういう乗り物なんです。
ただ、はじめて漕ぐ人がほとんどなので、もちろん練習はします。
もうすぐハワイから練習用に6人乗りのアウトリガーカヌーが届くので。
そしたら定期的に練習のアナウンスをして、漕ぐ練習はします。


デュークさんのアウトリガーカヌー ダイビングショップ「ビエントス」にて

●わたしが知識がなくて申し訳ないんですが、どういうのがアウトリガカヌー?
 アウトリガーというのは、この横の補助輪みたいなでっぱりの部分のことなんです。
出てる部分がアウトリガーで、アウトリガーの付いてるカヌーがアウトリガーカヌー。
この島にもあるじゃないですか?カヌーと呼ばれてるけど、あれもエンジン付きの
アウトリガーカヌーです。

●ちなみに、このアウトリガーカヌーはいくらぐらいなんですか?
 この一人乗りので50万弱ぐらいです。6人乗りで100万位。輸送費入れて150万位です。
3人で買おうと思えば、そんなに高いものでもないですよ。
ただ、6人乗りだと12mあるので、置いておく場所が日本では一番問題なんですよね。
6人乗りは、重さも200キロありますからね。

●この一人乗りはどの位の重さですか?
 これは軽いですよ。20キロ位ですから。簡単に担げますよ。


デュークさんと一人乗りのアウトリガカヌー(黄色の部分がアウトリガー)

●これで、八丈島から江ノ島までどのくらいで行く予定ですか?
 三宅まで11時間の予定で、その後、江ノ島までが14時間位の予定です。

●このプロジェクトをはじめたきっかけは、どんなことなんですか? 
 ハワイの「ホクレア号」という船がきっかけです。
ホクレアとは「幸せの星」の意味で、実際に星の名前なんですけど、古代、
6千年とか7千年とか前に、タヒチとハワイの人々が船で行き来していた時代に、
タヒチの人がハワイを目指して漕いで行くときに、その星を目指していけば、
必ずその下にハワイが現れるというホクレアという目印の星があるんです。

●その時代に、タヒチとハワイが船で行き来をしていたという
文献かなにか残ってるんですか?

 そう、そうなんですよ!それが残ってないんですよ。残ってないから…
ちょっと話が長くなってもいいですか?

●大丈夫ですよ。お聞きしたいです。
 その「ホクレア号」が造られたのは1975年なんです。
最初の航海は1976年(ハワイ→タヒチ)なんですけど、
それを作ったきっかけというのは、もともとハワイにはハワイ王国があって、
言葉はハワイ語があったんですけど、文章というのがなくて、
フラの歌とか、フラの踊りの中にいろんな意味があるんですね。
それと「チャント」といって、唱える言葉がたくさんあるんですけど、
その中で、どうやら自分達の祖先は、南の島からハワイを目がけてきた民だという
歌が残ってるんです。星を目印に渡って来たんだよ、という歌があるんです。
でも、なんの証拠もない。同時に白人達は、ハワイアンはとても野蛮で、
彼らは遭難してどこからか流れ着いた人達だという考えを持っていた。
それはハワイの人達にとったらとても侮辱的なことです。
違う、自分達の歌の中では、自分達にはとても航海能力があって、
ある場所からここへ移ってきたのだという歌が残っているのだから、
それを証明したいということで、昔からハワイの石に描かれてある絵を基にした
船を作ったんですよ。彼らはそれをカヌーと呼ぶんですが、
カヌーを2つ連ねて間に板を渡して帆を張ったイカダのような船です。

●木製ですか?
 木製を作ろうとしたんですね。でも、1975年のその時代には、
もうそれだけ大きな船体を作るだけの大きな木がハワイには残ってなかったんですよ。
昔はあったんですよ。コアウッドといって、樫の木のような木です。
それで仕方なく、船体の部分だけはFRPという強化プラスチックで作ったんです。
あとは全部木とコットンで、ネジや釘は一切使わず、昔のやり方で作ったんです。

●それでタヒチまで航海をしたんですか?
 行こうとしたんですよ。ところが、その時代、1976年の時代で、
すでにハワイはアメリカの文明に侵されていて、星を見て航海できる人は
ハワイにはもう誰もいなかったんですよ。
それで、いろんな人に聞いてみたら、ミクロネシアのサタワル島という小さな島に、
昔の航海術で海に出てる人がいるという話を聞きつけたんです。
その人の名は、マウ・ピアイグという人で、いまでも生存してますが、
ハワイの人たちはマウ・ピアイグに会いに、サタワル島まで行ったんです。
マウピアイグの家は代々ナビゲーター、航海士の家でした。
星の歌を覚えていて、星を見ながらその歌のとおりに行けば、
どこに行くというのを身体の中に全部覚えている人なんです。
「ウェイファウンダー」といいますが、夜は星を、昼間は太陽の位置と
鳥や波のうねりを見て、自然からのサインだけを頼りに航海する能力がある人です。
それで、マウ・ピアイグを連れて来て、「ホクレア号」に乗ってもらって、
タヒチまでの約6000キロの航海を予定通り31日でぴったり行ったんですよ。



●それはすごいですね!
 GPSも海図も六分儀も何も持たないで、ただその人の能力だけで行ったんです。
それは、ハワイの人達にとったらすごいことなんです。
「ハワイアンルネッサンス」というんですが、ハワイの人達はこのことによって
自分達の誇りとアイデンティティを取り戻して、それまでアメリカの文化や宗教に
よって妨げられていた自分達の文化も取り戻していったんです。
ところが、マウ・ピアイグは、航海中のハワイアンと白人との確執に嫌気がさして、
タヒチに着くと身を隠してしまった。マウ・ピアイグがいないとハワイへ帰れなくて、
帰りは普通の航海術で帰ってきたことに、ハワイの人々はショックを受けた。
それで、そのときに船に乗っていたナイノワ・トンプソンという人が、
現在54歳ぐらいの人ですが、ハワイのヒーローみたいな人です。
ハワイのビショップミュージアムにあるプラネタリウムに毎日通って、
そこですべての時間のすべての星を記憶したんです。

●その人は、それまでなにをしていた人なんですか?
 タクシードライバーをしたり、カヌーを漕いだり、普通の人ですよ。
それから、マウ・ピアイグを招いてマウ・ピアイグにトレーニングしてもらって、
どうやってタヒチまで行くかを勉強して、すべて記憶したんです。
何年か後に、今度はナイノワ・トンプソンがナビゲーターをしてタヒチまで行き、
タヒチからハワイまで帰ってきました。その後はニュージーランドへ行ったり、
ポリネシアトライアングルを世界を7周するぐらい「ホクレア号」は航海してるんです。
すべて星を頼りにそのナビゲーションのやり方でです。

●素晴らしいですね。
 ナイノワ・トンプソンは、日系人に育てられたんです。
それで、日本人に尊敬の念を持っています。
昔、ハワイに移民した日本人とハワイアンは共につらい時代を過ごしたらしいです。
だから、ナイノワ・トンプソンは、「ホクレア号」でいつか日本に行きたいと
ずっと思っていたんですね。それをやっと3年前に果たしたんですよ。

●日本へ来たんですね。
 ハワイから、ヤップ島とかミクロネシアの島を経由して、沖縄の糸満に着いて、
沖縄→熊本→長崎→福岡→広島→宇和島→横浜まで行ったんですよ。
それは、アロハスピリットを日本人に伝えたいという想いで、
移民がたくさん出た港を訪ねて行ったんですね。
その日本での航海に僕は参加したんです。

●え!?そうなんですね?
 僕は長崎出身なので、長崎にホクレアを呼ぼうと思って一生懸命動いていて、
沖縄まで迎えに行ったときに、ナビゲーターから一緒に船に乗るようにいわれて、
そこからクルーになったんです。それで横浜までの旅を彼らと過ごしたんです。

●何人ぐらい乗ってたんですか?
 それはハワイからずっと同じ人が乗ってきたわけではなくて、
いろんな島でいろんな人が交代交代で乗ってきたんです。
一度に乗れるのは12人位です。

●手漕ぎ?
 セーリングです。帆で動くんです。風を頼りに帆を上げて。



 それで、僕は3ヶ月ハワイアンと過ごして、その中で、僕は僕なりにずっと
ホクレアがなぜ日本に来たのかを考えていたんです。
それは、単にアロハスピリットを伝えるためとか、移民の港に挨拶をするため
だけじゃないだろうと。もっともっといろんな意味があるだろうと考えていたんです。
彼らはしきりに「デューク、これははじまりだよ」というんです。
彼らと話をする中で、日本は海に囲まれているのに、だれも海の方を見てない、
森と海はコンクリートで遮断されている、いたるところで海に鳥居があったり、
神社がったあったりするのに、海を大切にしてないのはおかしいといわれたりした。
そして、クルーの中には、自分達の祖先は日本のこの近海から来たんじゃないか、
といった人もいたんですよ。ハワイアンの祖先は日本人じゃないかと。
日本はたしかに歴史を遡ってみると鎖国以来、海に出なくなってしまったけど、
もっともっと遡れば、いろんな文献から、日本人はどんどん海に出て行った
素晴らしい海洋民族であったことがわかる。
「海を渡った縄文人」という本があるんですが、あれは仮説だけれども、
日本人は南アメリカとか、いたるところへ星を頼りに旅をしていたと書かれてある。
ホクレアが示したハワイとタヒチよりももっと遠い距離をもっと昔に、
ヨーロッパの大航海時代よりも前に、日本人は危険をかえりみずに航海した
民族だというその仮説を僕は信じたというか、すごいなと思ったんです。
これは、現代の子ども達とか、現代の日本人にもっともっと知ってもらうべきだと、
伝えるべきだと思ったんです。
そして、沖縄へ行きサバニという船に乗ったりしているうちに、
この「OCEAN LEGEND」をやるべきだというのが僕の中ででてきたんです。

●なるほど、よくわかりました。
 最初は、一人で漕ぐとか、大島から立って漕ぐとかいうのはなかったんですね。
僕は、小笠原へみんなで漕いで行ったらいいんじゃないかと思ったんですね。
小笠原は身近であって遠い。東京都でもあるし、みんなに知ってもらうためには、
いいんじゃないかと。1.200キロ位ですが、漕いで行くことはできるだろうと。
昔の人は、きっと行っただろうと思ったんです。
でも、それをやるには仲間が必要だし、お金も船も必要だし、
芸能人でも有名人でもないただのデュークがこれをやるには、
本気でやろうと思ってるということをみんなに知ってもらう必要がある。
それで、ファーストステージとセカンドステージを考えたんです。

●とてもよくわかりました。
多くの協力者が得られるといいですね。
八丈島からのセカンドステージをいい条件で出港されて、
無事にプロジェクトが成功することを心からお祈りしております。

 インタビューしていただき、ありがとうございます。
ブログを通して多くの方々にこのプロジェクトを知っていただけることを
心から願っています。八丈島では多くの協力者を得られて本当に感謝しています。

__
ホクレア号のお話は、まるで冒険小説を聞いてるように面白かったです。
本当はもっと他にもお聞きしたのですが、全部掲載できずごめんなさい。
でも、このプロジェクトの意味はよくお分かりになったのではと思います。
さらにこのプロジェクトをお知りになりたい方は、どうぞHPをご覧くださいね。

◎「OCEAN LEGEND」HP
◎「Ocean Legend. net」blog デューク金子さんの近況はこちらから

尚、編集に時間かかりました。
本当は昨日の夜に掲載の予定でしたが、遅れましたことをお詫びいたします。
コメント (2)
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