前回に続いて、秋田駅西口のバス乗り場のお話。
西口バス乗り場は4列あり、1番から13番まで13個の乗り場が配置されている。
前回記したとおり、基本的には1982年度からの電照式のポールが設置されているのだが…
●14番目の乗り場
かつて(1982年よりかなり以前から)は、「0番」乗り場もあり、男鹿半島などへの定期観光バス、市の施設見学、一部貸切バス等の発着に使われていた。
少なくとも1982年以後は、屋根のない、バス待機場の外れ(タクシー待機場側)に電照式でないポールが立っていた。
1番乗り場と0番乗り場の位置関係。2001年1月、駅前交番付近の階段から撮影
雪に埋もれる0番乗り場。“ようこそ男鹿半島へ”と表示がある
0番乗り場はいつの間にかなくなったのだが、撮影した画像を確認する限りでは、2001年1月には存在していたが、同年9月にはなくなっているようだ。
現在、貸切バス等は東口バスの乗り場を使用している。
【2017年4月15日追記】上記の通り、0番乗り場だった跡とその周辺は、バスの待機スペースとして使われているわけだが、2016年に耳にした社内(車両の運転士と営業所間)の無線では、待機場所のことを「ゼロ番」と呼んでいた。ポールがなくなり乗客の乗り降りはできなくなっても、社内の呼び名としては0番乗り場が健在のようだ。
●2種類のポール
さて、1番から13番乗り場に話を戻す。
今まで意識していなかったが、13本の電照式バス停のポールは同じものではなく、2タイプがある。
(再掲)5番乗り場 13番乗り場
背の高さはほぼ同じだが、区切り方が異なり、縦方向のマス目の数が3つのものと4つのものがある。
駅舎側3列の1番から9番までが4マス、西側1列の10番から13番が3マスのようだ。前回紹介した10番乗り場も3マスのタイプ。
なぜ異なるポールが存在するのか。ヒントは9番までと10番以降で違うということ。
それは、かつての運行会社ごとの乗り場に対応しているから。旧秋田市交通局(秋田市営バス)の段階的民間移管が始まる前までは、市営バスが1番から9番乗り場、中央交通が10番から13番乗り場だった(一部共同運行路線を除く)。
かつて市営バスが使っていたポールが4マス、以前から中央交通が使っていたポールが3マスタイプということになる。
じゃあ、なんで市営と民間で形が違うのか。
それは、「バスロケーションシステム(バスロケ、バス接近表示)」の有無。
秋田市交通局は、無線を使ったものとしては世界初というバスロケを1981年に導入している。
当初はこの秋田駅の乗り場にも接近表示が設けられ、1番から9番乗り場までの4マスタイプの、上から2段目(と3番目?)がそのスペースに充てられていた。
その後、老朽化に伴い1994年にシステムが更新された際、バスロケを設置するバス停の絞り込みが行われ、秋田駅前には接近表示を設置しないことになった(始発停留所なんだから接近を知らせる意味があまりなく、妥当だと思う)。
その際、ポールの交換は行われず、接近表示部分が塞がれて単なる電照式バス停となり、機能的には10番以降のポールと同じになった。
バスロケ撤去後の5番乗り場。市営バス当時は上のマスは黄緑色だった
上の写真のとおり、市営バス当時は上のマスが黄緑色(若草色?)だった。これは、市中の路上にある旧バスロケ対応のバス停と同じデザイン。
民間移管後も、路上のバス停は事業者名を修正しただけで黄緑色のままの箇所が多いが、駅前だけは移管と同時に白いものに代えられた。誤乗を防ぐためだろう。
2000年以降、段階的に市営バス路線が民間移管されることになり、毎年徐々に市営バスの乗り場が中央交通の乗り場に替わっていった。
●交換されたポールも
13本のポールすべてが今も現役ではなく、確認できるだけで2本が別のものに代えられた。
設置されて30年近く経つだけに、腐食などで老朽化してしまったのだろう。
まずは1番乗り場。かつては市営バス型のものだった。
2002年5月撮影
【4日追記】今、写真を見て気づいたが、5番乗り場のものより1番乗り場↑の方が脚が長い。市営バスタイプの中でも違いがあるみたいだ。
しかし、いつの間にか、
3マスの茶色い枠のものに代わっている(写真が傾いてスミマセン)
話がそれるが、上の写真矢印の側面の部分は、秋田杉で装飾されておらず、以前からある屋根が見えているらしく、ちょっと汚い。
他の列も同様なのだが、せっかくなんだからここもなんとかすればいいのに…
もう1つは3番のりば。
2009年撮影
上のポール部分は市営バスタイプだが、根本に注目。
地面に直接埋めこまれているのではなく、土台があってそこに脚が埋めこまれている。(土台が動くわけではなく、地面に固定されている)
最初からこうだったのか、あるいはいつからこうなったのかは定かではないが、このような設置方法なのは3番乗り場だけ。(2004年1月の段階でもこうなっていた)
その3番乗り場が、今年の3月か4月頃には、
ポールがなくなっている
土台は残っており、コーンが被せられていた。
もしかして地震で倒れたのだろうか?
代用として、普通の(ダルマ型)バス停が置かれていた。
なんというか…
ポール自体はピカピカの新品のようだが、「3」を示す表示は、
貸切バスの「3号車」を示すシールをセロハンテープでべたべた貼っていた
しばらく経ってもこの状態だったので、ひょっとしてずっとこのままなのかと思っていた矢先、(頻繁に見ていたわけではありません)
5月29日撮影
ピカピカの電照式が設置されていた! 4マスタイプで、鈍い銀色の枠。(土台は以前のものを使っているようだ)
これはこれで場違いな雰囲気。
位置は違うが黄緑色のマスが復活し、会社名が書かれている
せっかくならポールも秋田杉にしたら… おカネがかかるでしょうけど。
ところで、現在3番乗り場は神田線や添川線などが使用しているが、市営バス時代当時は5番乗り場(移管の途中の最末期では2番乗り場だった時期も)だった。
そこには、こんな表示があった。
毛筆の路線案内
他の乗り場と同じ活字の案内もあったのだが、なぜか下のマスにこの手書きの表示があった。2000年代の段階では、他の乗り場にはなく、ここだけだった。
2005年に移管される直前まであったと記憶しているが、今はない。
西口バス乗り場は4列あり、1番から13番まで13個の乗り場が配置されている。
前回記したとおり、基本的には1982年度からの電照式のポールが設置されているのだが…
●14番目の乗り場
かつて(1982年よりかなり以前から)は、「0番」乗り場もあり、男鹿半島などへの定期観光バス、市の施設見学、一部貸切バス等の発着に使われていた。
少なくとも1982年以後は、屋根のない、バス待機場の外れ(タクシー待機場側)に電照式でないポールが立っていた。
1番乗り場と0番乗り場の位置関係。2001年1月、駅前交番付近の階段から撮影
雪に埋もれる0番乗り場。“ようこそ男鹿半島へ”と表示がある
0番乗り場はいつの間にかなくなったのだが、撮影した画像を確認する限りでは、2001年1月には存在していたが、同年9月にはなくなっているようだ。
現在、貸切バス等は東口バスの乗り場を使用している。
【2017年4月15日追記】上記の通り、0番乗り場だった跡とその周辺は、バスの待機スペースとして使われているわけだが、2016年に耳にした社内(車両の運転士と営業所間)の無線では、待機場所のことを「ゼロ番」と呼んでいた。ポールがなくなり乗客の乗り降りはできなくなっても、社内の呼び名としては0番乗り場が健在のようだ。
●2種類のポール
さて、1番から13番乗り場に話を戻す。
今まで意識していなかったが、13本の電照式バス停のポールは同じものではなく、2タイプがある。
(再掲)5番乗り場 13番乗り場
背の高さはほぼ同じだが、区切り方が異なり、縦方向のマス目の数が3つのものと4つのものがある。
駅舎側3列の1番から9番までが4マス、西側1列の10番から13番が3マスのようだ。前回紹介した10番乗り場も3マスのタイプ。
なぜ異なるポールが存在するのか。ヒントは9番までと10番以降で違うということ。
それは、かつての運行会社ごとの乗り場に対応しているから。旧秋田市交通局(秋田市営バス)の段階的民間移管が始まる前までは、市営バスが1番から9番乗り場、中央交通が10番から13番乗り場だった(一部共同運行路線を除く)。
かつて市営バスが使っていたポールが4マス、以前から中央交通が使っていたポールが3マスタイプということになる。
じゃあ、なんで市営と民間で形が違うのか。
それは、「バスロケーションシステム(バスロケ、バス接近表示)」の有無。
秋田市交通局は、無線を使ったものとしては世界初というバスロケを1981年に導入している。
当初はこの秋田駅の乗り場にも接近表示が設けられ、1番から9番乗り場までの4マスタイプの、上から2段目(と3番目?)がそのスペースに充てられていた。
その後、老朽化に伴い1994年にシステムが更新された際、バスロケを設置するバス停の絞り込みが行われ、秋田駅前には接近表示を設置しないことになった(始発停留所なんだから接近を知らせる意味があまりなく、妥当だと思う)。
その際、ポールの交換は行われず、接近表示部分が塞がれて単なる電照式バス停となり、機能的には10番以降のポールと同じになった。
バスロケ撤去後の5番乗り場。市営バス当時は上のマスは黄緑色だった
上の写真のとおり、市営バス当時は上のマスが黄緑色(若草色?)だった。これは、市中の路上にある旧バスロケ対応のバス停と同じデザイン。
民間移管後も、路上のバス停は事業者名を修正しただけで黄緑色のままの箇所が多いが、駅前だけは移管と同時に白いものに代えられた。誤乗を防ぐためだろう。
2000年以降、段階的に市営バス路線が民間移管されることになり、毎年徐々に市営バスの乗り場が中央交通の乗り場に替わっていった。
●交換されたポールも
13本のポールすべてが今も現役ではなく、確認できるだけで2本が別のものに代えられた。
設置されて30年近く経つだけに、腐食などで老朽化してしまったのだろう。
まずは1番乗り場。かつては市営バス型のものだった。
2002年5月撮影
【4日追記】今、写真を見て気づいたが、5番乗り場のものより1番乗り場↑の方が脚が長い。市営バスタイプの中でも違いがあるみたいだ。
しかし、いつの間にか、
3マスの茶色い枠のものに代わっている(写真が傾いてスミマセン)
話がそれるが、上の写真矢印の側面の部分は、秋田杉で装飾されておらず、以前からある屋根が見えているらしく、ちょっと汚い。
他の列も同様なのだが、せっかくなんだからここもなんとかすればいいのに…
もう1つは3番のりば。
2009年撮影
上のポール部分は市営バスタイプだが、根本に注目。
地面に直接埋めこまれているのではなく、土台があってそこに脚が埋めこまれている。(土台が動くわけではなく、地面に固定されている)
最初からこうだったのか、あるいはいつからこうなったのかは定かではないが、このような設置方法なのは3番乗り場だけ。(2004年1月の段階でもこうなっていた)
その3番乗り場が、今年の3月か4月頃には、
ポールがなくなっている
土台は残っており、コーンが被せられていた。
もしかして地震で倒れたのだろうか?
代用として、普通の(ダルマ型)バス停が置かれていた。
なんというか…
ポール自体はピカピカの新品のようだが、「3」を示す表示は、
貸切バスの「3号車」を示すシールをセロハンテープでべたべた貼っていた
しばらく経ってもこの状態だったので、ひょっとしてずっとこのままなのかと思っていた矢先、(頻繁に見ていたわけではありません)
5月29日撮影
ピカピカの電照式が設置されていた! 4マスタイプで、鈍い銀色の枠。(土台は以前のものを使っているようだ)
これはこれで場違いな雰囲気。
位置は違うが黄緑色のマスが復活し、会社名が書かれている
せっかくならポールも秋田杉にしたら… おカネがかかるでしょうけど。
ところで、現在3番乗り場は神田線や添川線などが使用しているが、市営バス時代当時は5番乗り場(移管の途中の最末期では2番乗り場だった時期も)だった。
そこには、こんな表示があった。
毛筆の路線案内
他の乗り場と同じ活字の案内もあったのだが、なぜか下のマスにこの手書きの表示があった。2000年代の段階では、他の乗り場にはなく、ここだけだった。
2005年に移管される直前まであったと記憶しているが、今はない。