広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

NHK山形の間違い

2022-04-26 17:56:42 | その他もろもろ
恒例のNHKのローカル報道についての苦言。今回は山形放送局。
先週末の仙台からの東北ブロックニュースで見たニュース。その内容・動画が「山形 NEWS WEB」に23日19時07分付でアップされ、26日17時時点でもそのまま。

ニュースタイトルは「JR左沢線 全線開通から100年 記念イベント開く」。
山形県内を走るJR東日本・左沢(あてらざわ)線が、23日に開業100周年を迎え、記念列車運行や催しが行われたというもの。
山形 NEWS WEBより
その記念列車の説明。
「特別運行された開通当時のディーゼル機関車と旧型の客車を再現した記念列車」とアナウンスされ、映像にも「開通当時再現」の字幕。
鉄道の知識(というより一定の常識?)がある人なら、説明と映像が一致しない、するはずがないのは、お分かりだろう。

上の映像の赤い鉄道車両は、列車の先頭に付き、後ろの客車を引っ張る「機関車」。客は乗れない車。
「DE10 1649」の表示の通り、DE10形と呼ばれる形式。2022年時点では、多くはないが全国各地に類似形式も含めて一定数存在し、見かける機会はある。
DE10の動力源は、ディーゼルエンジン。だから、蒸気機関車でも電気機関車でもなく、「ディーゼル機関車」に分類される。
鉄道への興味が薄くても、ディーゼル機関車は知らなくても、少なくとも「蒸気機関車か蒸気機関車でないか」は、ぱっと見でなんとなくでも理解している人は多いと思う。


NHK山形によれば、100年前にこれが左沢線を走っていたことになる。「当時再現」だから赤い塗装で。
100年前の1922年、すなわち大正11年。
余談だが、水木しげる、三浦綾子、瀬戸内寂聴、丹波哲郎、フグ田サザエ(原作での設定)、が生まれた年(敬称略、誕生日順)。

大正の、東北の短距離のローカル鉄道に、赤いディーゼル機関車が走っていたことになるのだが。
Wikipedia「日本のディーゼル機関車史」によれば、日本で最初のディーゼル機関車は、1923年に静岡の鉄道会社(現存せず)がドイツ製を輸入したのが最初(1914年頃に夕張炭鉱が使っていたとも)。
JRの前身、鉄道省では1929(昭和4)年に輸入したのが最初。国産化され、運用が本格化したのは戦後。
そんな歴史を紐解くよりも何よりも、DE10形ディーゼル機関車は、1966(昭和41)年に1号機が製造されている。今回担当した1649号機は1973年製造。
そんなわけで、NHK山形の報道は誤りである。大した話ではないが、間違いとしては大きな間違いだと思う。


同じ話題を地元民間放送局・山形放送では、
山形放送サイト「山形・愛称「ザワ線」JR左沢線開通100周年記念イベント」より
「1970年代から活躍したディーゼル機関車と1950年代に製造された客車で編成した記念列車」
上記の通り、DE10は1966年製造開始=活躍開始なので、そこだけ間違い。

後ろの客車3両は、通常は蒸気機関車といっしょに走ることが多い、高崎(ぐんま車両センター)所属の「旧型客車」と総称されるもの。秋田総合車両センター(旧・土崎工場)でもメンテナンスを担当しており、時折見かけることがあるが、美しく整備されている。
高崎には7両在籍していて、どの3両が来たのかは不明。そして7両の製造年はまちまちなので、山形放送の「1950年代に製造された客車」というぼやかした表現は適切とするべきだろう。
山形新聞「JR左沢線、全線開業100周年で記念列車 左沢駅前でイベントも」では、「記念車両は73年製造のDE10形ディーゼル機関車1両と、53年製の旧型客車3両の編成」としている。しかし、7両中、1953年製造の客車は1両しかないようなので、これも間違い。NHK山形の大間違いと比べると、どうってことないが。



では、100年前の左沢線で、実際にはどんな列車が走っていたのか。調べても分からなかった。
しかし、開業時の左沢線は「軽便鉄道(けいべんてつどう)」という規格の鉄道、「左沢軽便線」だったそうだ。
軽便鉄道は、レール幅が狭いなど、通常の鉄道より簡易な規格の鉄道。北上線、田沢湖線、男鹿線なども、最初の最初は軽便鉄道だったようだ。※今も軽便鉄道の面影を残す三重県四日市市の鉄道
おそらく、幅の狭い小さな蒸気機関車と客車、あるいは蒸気機関車と客車が一体化した「蒸気動車」なんかが使われていたのではないかと考える(根拠はありません)。※秋田県の男鹿線では、おそらく戦前に蒸気動車が運行されていて、乗った人の話を聞いたことがある。
線路幅が違うことからしても、現在のJRの車両が100年前の左沢軽便線を走ることができたわけがない。



それにしても、何を根拠に、今回の特別列車が「100年前を再現した」ことになったのか。
JR東日本では、2022年3月2日にプレスリリース「おかげさまで「左沢線」は全線開通 100 周年を迎えます」を出し、「記念列車の運転」も記載されている。
「趣ある旧型客車の車窓から 100 年の歴史あるローカル線の旅をお楽しみください。」「DE10 形ディーゼル機関車 1 両+旧型客車 3 両」
など書かれているが、100年前と同じという文言は見当たらない。他のマスコミがほぼ正しく報道しているのだし、そもそもJR東日本が間違うことはあるまい。

取材やチェックした記者・デスクは、鉄道の知識がとても少ない人たちだった可能性はある。
そうだとしても、NHKの職員ならばそれなりの知識や常識はお持ちだろう。それに記者という職業柄、ここ100年来の日本の産業や文化の大まかな変遷みたいなのは、ご存知だと思っていた。【27日補足・「大昔(戦後しばらく辺りまで)の鉄道では蒸気機関車が主力だった」という、現在の日本においては基礎的知識・常識に分類されるであろう事項を、記者は知らなかった可能性がある。】
あるいは、小さなことでも疑問に感じて気に留め、すぐ調べて確認してから、原稿にする癖が付いていると思っていた。

実際に記念列車を見て、それが100年前の列車だと思っていたにしても、
「あれ? 昔の鉄道といえば、黒くて煙を上げる蒸気機関車だけど、これは違いそう。何だろう?」
「100年前の大正時代に、こんな赤い列車が走っていたのか? その頃、左沢線以外の鉄道ってどんなのだったろう?」
などイメージを広げ、それを調べていけば、どこかで、こんな列車が100年前には走っていなかったと、気付けたのではないだろうか。【27日追記・ただ、その前提となる、上記の基礎的知識・常識がない人であれば、それも無理な話になる。本件はそれに該当してしまいそうな気もする。】
また、山形放送では、機関車側面の運転席付近で記念撮影する子どもを映しており、そこの車体に「川崎 昭和47年」といった製造銘板が映りこんでいる。NHKでも、そういうものに注意を払っていれば、間違いは防げた。


以前から繰り返しているが、NHKの地方放送局(特に県域放送局)の記者など職員は、採用されて間もない、経験が浅い人が多いと思われる。人員総数も多くはなく、多少の詰めの甘さや間違いが起きてしまいやすいとは思う。ただし、それは職員個人の責任ではなく、指導やチェックができなかった、上司やNHK全体の責任である。
ただ、失礼ながら今回のことは、基礎となる知識に欠け、根拠がない思いこみで書かれているように感じられ、加えてそそっかしさ、いい加減さを感じないでもない。
それでもやはり、山形局の上司や仙台局の職員らが誰も疑問を感じず、そのまま放送されてしまったのも、おかしいし情けない。

ちなみに、NHK秋田放送局でも、2019年に、秋田港のフェリー20周年のニュースで、似たような事実でない報道をしてしまっていた(指摘したのだが、訂正もされず、サイトに期限いっぱいまでアップされていた)。


NHK秋田放送局は1931(昭和6)、NHK山形放送局は1936(昭和11年)にそれぞれ開局。当然、当時はラジオ放送のみ。
こんな調子では、90年前の昭和初期から、両放送局でカラーテレビ放送をしていた、なんて思いこんでいるNHK職員がいても、おかしくはないかも?!
コメント (9)
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