広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

受賞した道

2024-07-14 20:44:36 | 秋田の地理
40年以上、秋田市中央地域に住んでいても、まだまだ知らないことも、知らない道もあると、常々思っている。その1つ。
中央地域の南東に位置する、楢山地区の中でも南東、楢山愛宕下(ならやまあたごした)。もともと行く機会が少ない場所だけど、おそらく生まれて初めての道を通った。住宅街の道という趣。

東西方向に200メートルの道。その中間地点に、北方向の道が交わる丁字路。
丁字路東方向。奥が羽越本線、金照寺山
写真右、丁字路突き当たりの所に、電信柱とカーブミラーが立つ。そして、その外側に、見覚えがあるけれど、ここにあるのが理解できないものが立っていた。
反対側から
独特の形状の太めのパイプで囲まれた、青というか紺色地の表示板。設置時期により、色合い(まったく別の色のものも少数あり)、英語(ローマ字)表記、フォントが微妙に異なる。
秋田市都市整備部 都市計画課が、道路管理者に関わらず、市内の道路に対して公募で命名した、「市民に親しまれる道路愛称」を記したサインポール。※この記事参照

「竿燈大通り」など存在も愛称もメジャーなものから、そうでないものまであるけれど、ここは…言っては何だけど、何の変哲もない住宅地の生活道路では。しかもその名が、
「愛宕下町内の通り」
語呂が悪い。「愛宕下通り」などならともかく。

さらに、ポールが立っている場所が、公道上ではないように見える。
ひょっとしたら、地元の人などが市に関係なく、独自に命名し(からみでんぎんざ通りなんてのもあった)、市のサインポールに似せたものを立てたのか? いや、それはないだろう。市章が入っているし、ローマ字やフォントが同一の表示板がほかにもあるので。
(再掲)2010年前後に更新されたと思われる「保戸野みその通り」と同仕様。愛称命名は1983年

さらにさらに、表示の向きがヘン。
道路に対して直角向きに立っている。「愛宕下町内の通り」が東西方向の道路を指すのか、突き当たる北方向の道路を指すのか、分からない。町名としては、どちらも楢山愛宕下だし。
なお、この1本以外には、ポールはなさそうだった。
南側から。突き当たりにポールがある
帰ってから調べた。
「愛宕下町内の通り」という愛称の道路は存在しなかった。だが、秋田市が関わったものではあった。
それは、「市民が選ぶ都市景観賞」。同じく都市整備課所管で、道路愛称より1年早い、1982年度から始まっている。毎年ではなく不定期。
都市景観賞は、官民問わず、建造物(建物やその外構)が選ばれるのだと思っていた。外壁などに「都市景観賞」の金属製の銘板が設置されているのを見ることがある。解体や改修などで、過去のものになってしまったものもあるけれど。
実際には、「街なみ」なども対象で、道路(通り)が受賞することもあり、1983年の第2回受賞の1つに「愛宕下町内の通り」があった。明確にどの区間が受賞対象なのかは不明だが、市のサイトにアップされた、1993年頃のパンフレットの小さな写真を見ると、東西方向の道が写っているようだ。そして、今とはだいぶ雰囲気が異なり、緑が多いお屋敷町といった印象がした。
また、2012年のGoogleマップストリートビューを見ると、その面影がいくらか残っていた。今は、新しい家に建て替わったり、手入れが行き届かず荒れてしまったりしたことになる。


では、サインポールのほう。
1983年の景観賞では、ほかにも道路が複数受賞している。
その1つは「土手長町通り」。ここにもポールが立っている(護岸崩落復旧工事のため撤去中)ので、てっきり道路愛称のほうで命名されたのだと思っていたが、そうではなかった。そして、道路愛称を付けられた道、都市景観賞を受賞した道で、同じ表示が設置されたことになる。
道路愛称では、どこからどこまでと、明確に範囲を示して命名されるのに対し、上記の通り、都市景観賞はあいまいにされている。土手長町は、五丁目橋~二丁目橋は、たぶんそうなのは確実だが、その北、通町辺りまで含めていいのか。旧町名に従えば、千秋矢留町まで土手長町に含まれるのだが。

1983年は「保戸野中町の通り」も受賞。道路愛称命名はされていない。
古くからの高級住宅地として知られるお屋敷町であり、その中に教会(日本聖公会 秋田聖救主教会)があるのが特徴的。
教会と聖使幼稚園(せいし~。聖園=みその とは別)
住宅地のメインの南北方向の道路は、途中で桝形に折れているのだが、その北側・幼稚園の前に、サインポールが立つ。
道路際ギリギリに立つが、裏面も同じ内容
40年ものにしてはきれいに見え、これでもどこかで更新されたのか。土手長町通りもそうなのだが、左下に「1983 都市景観賞」と小さく書いてあった。後年、板面を更新した時に落とされたのかもしれないが、愛宕下町内の通りにはその旨がない。
そして、受賞は「保戸野中町の通り」なのに、サインポールでは「の」が抜けた「保戸野中町通り」としている。だったら、愛宕下も「愛宕下通り」でいいのでは?

同じく「寺町の通り」も。

旭北寺町の寺院が並ぶ通りを指すのだと思っていた。ドン・キホーテの裏手に当たるお寺の塀際に、サインポールがあるのだが。
こんなもの
また「の」を抜いて「寺町通り」になっていて、サインポールはまったく別デザインで、背が低い木製。だいぶ年季が入っているが、判読はできる。当時にしても今にしても、板に、活字をきれいに、耐久性ある方法で刻印できる技術があるのか。「都市景観賞」が独特の手書き毛筆文字だが、これが公式なロゴらしく、1993年頃のパンフレットにも使われており、長沼雅鵬という人の揮毫。

「都市景観賞」の下には、小さい文字で驚くべき記載。
「保戸野鉄砲町 声体寺(※)から 旭北寺町 大悲寺まで」※旧字で「聲体寺」が正式。
受賞したた範囲・区間が明記されていた。だったらほかの道でもそうしてほしい。
その範囲は、思っていた以上に長い。南北方向に、複数の折れ曲がりを繰り返して、1.2キロ。たしかに、本来の「寺町」としてのくくり、街並みとして連続的にとらえて、そうなのだろう。でも、今の市民の感覚では、竿燈大通り北側も「寺町通り」とするのは、違和感がある。【14日追記・その1.2kmの中に、表示はここ1か所しかないはず。】

1983年には「市役所・県庁横の通り」や「川尻広面線」も受賞。これらは、1985年に道路愛称命名の対象となって、今は広く認知される「けやき通り」と「御休通り」。
一方、保戸野中町通りの1本東側が「旭川沿いの通り」として受賞しているが、何の表示もない。

同じ賞を、同じ年に受けたのに、対応がまちまちなのは、ある種の不公平。
また、同じ部署が所管するとはいえ、違う事業の対象となったものを、同じように周知するのは、まぎらわしくもある。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする