広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

元・焼肉南山

2024-09-07 21:00:22 | 昔のこと
秋田市中央地域・保戸野(ほどの)地区の北寄り、千秋トンネルと新国道を結ぶ「保戸野学園通り」と、新国道の東を並行する「保戸野みその通り」~「泉いちょう通り」が交わる信号機付き交差点。住居表示では、保戸野千代田町、保戸野原の町、保戸野すわ町、保戸野鉄砲町の4町の境界。
秋田では多い無名交差点であるが、そこそこ主要な交差点かもしれない。他県なら「附属中学校西」とか「聖園短大北」とか命名されそうな。会話でこの交差点を伝えたい時、どう言えば通じるか。

この一帯は、お店がそこそこ多い。どの道路も、1980年代に整備されたもので、その後、住宅に混ざって店ができた感じ。
そんな経緯を見てきた者としては、数年前の秋田朝日放送の情報番組「サタナビっ!」で、(たしか)みその通りを指して「保戸野のメインストリート」と称していたのは、ショックだった。保戸野のメインストリートといえば、江戸時代から続く通町(と大工町)じゃないの? いや、実情として、そしてこの40年で生まれたり引っ越して来たりした人にとっては、そのほうが適切なのか…などと。
2023年7月には千代田町のガソリンスタンド跡に、秋田県再進出(2022年に11年ぶり)した「シャトレーゼ保戸野店」がオープン。だから、「シャトレーゼの交差点」で通じるかもしれないが、厳密には、この交差点から2件隣の小さい交差点の角に面しているので、不正確。
永年営業しているところでは、クリニック2件(1件はすわ町側角。もう1件は原の町側の交差点に面していない元・靴量販店)があるが、地元住民以外には通じにくそう。
それと、原の町側角の「ローソン秋田保戸野原の町店」。1997年秋田県初進出したローソン1号店の1つなのだが、ここはローソン密集地帯なので、「ローソンの交差点」では少々まぎらわしい。
ちなみに、鉄砲町側角は駐車場。

そして、千代田町側角が本命かも。
「中国料理 甜甜酒楼(てんてんしゅろう)」がある。のだけど…【15日追記・店舗の看板の一部は「中国東北料理 甜甜」表記。】
仮囲いが設置されていた
2024年7月20日で閉店したとのこと。
最近は、週に1度はここを通っていたのに、気付かないでしまっていた。状況からして、建物ごと解体されるのだろう。

甜甜酒楼に行ったことはなかったが、評判や人気は悪くなかったようだ。秋田では珍しい「刀削麺」も出していたらしい。
刀削麺は、昔「なるほど!ザ・ワールド」で、中国のものを見て知ったような記憶がある(「空飛ぶ空芯菜炒め」も見たけど、それはタイらしい)。日本上陸は1995年と、歴史は浅いそうだ。
そんなわけで、閉店前の秋田市では、「甜甜(酒楼)の交差点」で通じることがあったかもしれない。
ただ、上記の通り、我々、近場なのに行ったことがない者にとっては「千代田町にある、原の町のローソンの向かいの中華料理屋」程度の認識。
むしろ「南山(なんざん)の交差点」のほうが通じるかも。

甜甜酒楼の建物は、かつて「南山」という焼肉店だった。多くはないが、行ったことがある。
1980年代中頃~後半辺りに、新築でオープン。けっこう永く営業していたが、いつの間にか閉店して、中華料理店になっていたという感じ。
南山時代の建物の外観は、白っぽいグレー一色(のタイル張り?)。時期的に、秋田市立中央図書館明徳館(1983年開館)と、どことなく通ずるものがあったような。「南山」は朱色もしくは赤のカキッとした手書き文字のロゴだった。
南山閉店後に改装されて、一部外観が変わった。
また、交差点角には、おそらく南山時代からシュロの木が植えられていた。2012年10月のGoogleマップストリートビューでは2本あって、平屋の建物=車両用信号機程度の高さ。2022年10月でも変わりないが、2023年8月には2本とも姿を消していた。

ネットの断片的な情報。
・甜甜酒楼は2008年11月15日オープン?
・南山から甜甜酒楼に直接替わったのではなく、その間に他の店が(複数?)入っていた?
・南山は2004年10月25日~2004年12月2日の間頃に閉店?

・往時は「焼肉レストラン 南山グループ」というフレーズを使っていた。
言われてみればそうだった。他に南山という店はなさそうなのに、どうして「グループ」なのかと疑問だったのを思い出した。
ウェイバックマシンで当時のホームページを見ると、秋田の南山があった当時は、京都市左京区に「南山グループ本部」があった。2004年始時点では、秋田、名古屋、滋賀、京都、福岡、大分、長崎に店舗があることになっている。2004年の春以降、大分や長崎、そして秋田の店がなくなった。
南山グループは「南山レストラン事業協同組合」を指すらしく、「南山グループは、飲食業を天職として愛し、この仕事を生業として日々精進する、 小規模飲食店主らによる事業協同組合です。 」などとあった。
1965年に大分県中津市で飲食店(洋食店?)を創業。後に焼肉レストランに転向して、飲食店経営を目指す人を指導して、のれん分けを進めた。「そののれんわけ店舗が集まって結成されたのが「南山レストラン事業協同組合」です。南山グループは、1981年4月、農林水産省からの認可を受けて「事業協同組合」として再編成」。
創業者は、2001年に病気で引退、2011年に84歳で亡くなった。2000年代は牛海綿状脳症(BSE)などもあって、経営が苦しかったらしい。

各地の南山グループの店舗名は、「○○店」が多かったが、秋田の店は「秋田南山」というのが正式だったらしい。地域ごとに運営会社が存在することもあり、秋田南山は「(有)レストラン南山」が運営していたらしい。詳細は不明だが、秋田県には「(有)サンユー企画 」というのも存在。

2004年当時のURIは、実は現在も有効で、運営者の所在地も同じ。ただ、南山グループや協同組合の名はなくなっている。
2024年時点の運営者は「株式会社きたやま南山」で、店舗は京都の1店のみ。昔とは、店の雰囲気もだいぶ違ったようだ。
現在掲載される「沿革」では、1971年から全国展開し、そこに「大分県、福岡県、鹿児島県、長崎県、山口県、滋賀県、愛知県、山形県、岩手県、秋田県、福島県」とある。秋田の保戸野でない場所に「1971年時点」で店があったのかもしれないが、そうではなく、「最終的に」記載された県に店舗があったという意味ではないだろうか。また、「運営会社として㈱きたやま南山(当社)設立」は1979年としている。

ともかく、秋田市にあった焼肉南山の面影がなくなろうとしている。そして、交差点の場所がさらに説明しづらくなりそう。

【8日画像追加】
北・泉いちょう通り側から、交差点方向
タイルは南山時代から変わっていないはず。上の写真右後方・建物の北側に駐車場があった。
囲いのすき間から、店舗玄関
玄関は東辺中ほど。建物地際の御影石や、床面のタイルも南山時代のままだろうか。
コメント (4)
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