秋田市中央地域・保戸野(ほどの)地区の北寄り、千秋トンネルと新国道を結ぶ「保戸野学園通り」と、新国道の東を並行する「保戸野みその通り」~「泉いちょう通り」が交わる信号機付き交差点。住居表示では、保戸野千代田町、保戸野原の町、保戸野すわ町、保戸野鉄砲町の4町の境界。
秋田では多い無名交差点であるが、そこそこ主要な交差点かもしれない。他県なら「附属中学校西」とか「聖園短大北」とか命名されそうな。会話でこの交差点を伝えたい時、どう言えば通じるか。
この一帯は、お店がそこそこ多い。どの道路も、1980年代に整備されたもので、その後、住宅に混ざって店ができた感じ。
永年営業しているところでは、クリニック2件(1件はすわ町側角。もう1件は原の町側の交差点に面していない元・靴量販店)があるが、地元住民以外には通じにくそう。
それと、原の町側角の「ローソン秋田保戸野原の町店」。1997年秋田県初進出したローソン1号店の1つなのだが、ここはローソン密集地帯なので、「ローソンの交差点」では少々まぎらわしい。
ちなみに、鉄砲町側角は駐車場。
そして、千代田町側角が本命かも。
「中国料理 甜甜酒楼(てんてんしゅろう)」がある。のだけど…【15日追記・店舗の看板の一部は「中国東北料理 甜甜」表記。】
仮囲いが設置されていた
2024年7月20日で閉店したとのこと。
最近は、週に1度はここを通っていたのに、気付かないでしまっていた。状況からして、建物ごと解体されるのだろう。【23日追記・コメント欄の通り、解体ではなく、改装など別の工事が行われていそうな感じもする。要観察。】
甜甜酒楼に行ったことはなかったが、評判や人気は悪くなかったようだ。秋田では珍しい「刀削麺」も出していたらしい。
ただ、上記の通り、我々、近場なのに行ったことがない者にとっては「千代田町にある、原の町のローソンの向かいの中華料理屋」程度の認識。
むしろ「南山(なんざん)の交差点」のほうが通じるかも。
甜甜酒楼の建物は、かつて「南山」という焼肉店だった。多くはないが、行ったことがある。
1980年代中頃~後半辺りに、新築でオープン。けっこう永く営業していたが、いつの間にか閉店して、中華料理店になっていたという感じ。
南山時代の建物の外観は、白っぽいグレー一色(のタイル張り?)。時期的に、秋田市立中央図書館明徳館(1983年開館)と、どことなく通ずるものがあったような。「南山」は朱色もしくは赤のカキッとした手書き文字のロゴだった。
南山閉店後に改装されて、一部外観が変わった。
また、交差点角には、おそらく南山時代からシュロの木が植えられていた。2012年10月のGoogleマップストリートビューでは2本あって、平屋の建物=車両用信号機程度の高さ。2022年10月でも変わりないが、2023年8月には2本とも姿を消していた。
ネットの断片的な情報。
・甜甜酒楼は2008年11月15日オープン?
・南山から甜甜酒楼に直接替わったのではなく、その間に他の店が(複数?)入っていた?【22日追記・いただいたコメントによれば、他の焼肉店や洋食系の店が短期間入っていたらしい。】
・南山は2004年10月25日~2004年12月2日の間頃に閉店?
・往時は「焼肉レストラン 南山グループ」というフレーズを使っていた。
言われてみればそうだった。他に南山という店はなさそうなのに、どうして「グループ」なのかと疑問だったのを思い出した。
ウェイバックマシンで当時のホームページを見ると、秋田の南山があった当時は、京都市左京区に「南山グループ本部」があった。2004年始時点では、秋田、名古屋、滋賀、京都、福岡、大分、長崎に店舗があることになっている。2004年の春以降、大分や長崎、そして秋田の店がなくなった。
南山グループは「南山レストラン事業協同組合」を指すらしく、「南山グループは、飲食業を天職として愛し、この仕事を生業として日々精進する、 小規模飲食店主らによる事業協同組合です。 」などとあった。
1965年に大分県中津市で飲食店(洋食店?)を創業。後に焼肉レストランに転向して、飲食店経営を目指す人を指導して、のれん分けを進めた。「そののれんわけ店舗が集まって結成されたのが「南山レストラン事業協同組合」です。南山グループは、1981年4月、農林水産省からの認可を受けて「事業協同組合」として再編成」。
創業者は、2001年に病気で引退、2011年に84歳で亡くなった。2000年代は牛海綿状脳症(BSE)などもあって、経営が苦しかったらしい。
各地の南山グループの店舗名は、「○○店」が多かったが、秋田の店は「秋田南山」というのが正式だったらしい。地域ごとに運営会社が存在することもあり、秋田南山は「(有)レストラン南山」が運営していたらしい。詳細は不明だが、秋田県には「(有)サンユー企画 」というのも存在。
2004年当時のURIは、実は現在も有効で、運営者の所在地も同じ。ただ、南山グループや協同組合の名はなくなっている。
2024年時点の運営者は「株式会社きたやま南山」で、店舗は京都の1店のみ。昔とは、店の雰囲気もだいぶ違ったようだ。
現在掲載される「沿革」では、1971年から全国展開し、そこに「大分県、福岡県、鹿児島県、長崎県、山口県、滋賀県、愛知県、山形県、岩手県、秋田県、福島県」とある。秋田の保戸野でない場所に「1971年時点」で店があったのかもしれないが、そうではなく、「最終的に」記載された県に店舗があったという意味ではないだろうか。また、「運営会社として㈱きたやま南山(当社)設立」は1979年としている。
ともかく、秋田市にあった焼肉南山の面影がなくなろうとしている。そして、交差点の場所がさらに説明しづらくなりそう。
【8日画像追加】
北・泉いちょう通り側から、交差点方向
タイルは南山時代から変わっていないはず。上の写真右後方・建物の北側に駐車場があった。
囲いのすき間から、店舗玄関
玄関は東辺中ほど。建物地際の御影石や、床面のタイルも南山時代のままだろうか。
【10月10日追記】10月9日時点では、上部の外壁が取り払われて、鉄骨がむき出しになっていた。
秋田では多い無名交差点であるが、そこそこ主要な交差点かもしれない。他県なら「附属中学校西」とか「聖園短大北」とか命名されそうな。会話でこの交差点を伝えたい時、どう言えば通じるか。
この一帯は、お店がそこそこ多い。どの道路も、1980年代に整備されたもので、その後、住宅に混ざって店ができた感じ。
そんな経緯を見てきた者としては、数年前の秋田朝日放送の情報番組「サタナビっ!」で、(たしか)みその通りを指して「保戸野のメインストリート」と称していたのは、ショックだった。保戸野のメインストリートといえば、江戸時代から続く通町(と大工町)じゃないの? いや、実情として、そしてこの40年で生まれたり引っ越して来たりした人にとっては、そのほうが適切なのか…などと。
2023年7月には千代田町のガソリンスタンド跡に、秋田県再進出(2022年に11年ぶり)した「シャトレーゼ保戸野店」がオープン。だから、「シャトレーゼの交差点」で通じるかもしれないが、厳密には、この交差点から2件隣の小さい交差点の角に面しているので、不正確。永年営業しているところでは、クリニック2件(1件はすわ町側角。もう1件は原の町側の交差点に面していない元・靴量販店)があるが、地元住民以外には通じにくそう。
それと、原の町側角の「ローソン秋田保戸野原の町店」。1997年秋田県初進出したローソン1号店の1つなのだが、ここはローソン密集地帯なので、「ローソンの交差点」では少々まぎらわしい。
ちなみに、鉄砲町側角は駐車場。
そして、千代田町側角が本命かも。
「中国料理 甜甜酒楼(てんてんしゅろう)」がある。のだけど…【15日追記・店舗の看板の一部は「中国東北料理 甜甜」表記。】
仮囲いが設置されていた
2024年7月20日で閉店したとのこと。
最近は、週に1度はここを通っていたのに、気付かないでしまっていた。状況からして、
甜甜酒楼に行ったことはなかったが、評判や人気は悪くなかったようだ。秋田では珍しい「刀削麺」も出していたらしい。
刀削麺は、昔「なるほど!ザ・ワールド」で、中国のものを見て知ったような記憶がある(「空飛ぶ空芯菜炒め」も見たけど、それはタイらしい)。日本上陸は1995年と、歴史は浅いそうだ。
そんなわけで、閉店前の秋田市では、「甜甜(酒楼)の交差点」で通じることがあったかもしれない。ただ、上記の通り、我々、近場なのに行ったことがない者にとっては「千代田町にある、原の町のローソンの向かいの中華料理屋」程度の認識。
むしろ「南山(なんざん)の交差点」のほうが通じるかも。
甜甜酒楼の建物は、かつて「南山」という焼肉店だった。多くはないが、行ったことがある。
1980年代中頃~後半辺りに、新築でオープン。けっこう永く営業していたが、いつの間にか閉店して、中華料理店になっていたという感じ。
南山時代の建物の外観は、白っぽいグレー一色(のタイル張り?)。時期的に、秋田市立中央図書館明徳館(1983年開館)と、どことなく通ずるものがあったような。「南山」は朱色もしくは赤のカキッとした手書き文字のロゴだった。
南山閉店後に改装されて、一部外観が変わった。
また、交差点角には、おそらく南山時代からシュロの木が植えられていた。2012年10月のGoogleマップストリートビューでは2本あって、平屋の建物=車両用信号機程度の高さ。2022年10月でも変わりないが、2023年8月には2本とも姿を消していた。
ネットの断片的な情報。
・甜甜酒楼は2008年11月15日オープン?
・南山から甜甜酒楼に直接替わったのではなく、その間に他の店が(複数?)入っていた?【22日追記・いただいたコメントによれば、他の焼肉店や洋食系の店が短期間入っていたらしい。】
・南山は2004年10月25日~2004年12月2日の間頃に閉店?
・往時は「焼肉レストラン 南山グループ」というフレーズを使っていた。
言われてみればそうだった。他に南山という店はなさそうなのに、どうして「グループ」なのかと疑問だったのを思い出した。
ウェイバックマシンで当時のホームページを見ると、秋田の南山があった当時は、京都市左京区に「南山グループ本部」があった。2004年始時点では、秋田、名古屋、滋賀、京都、福岡、大分、長崎に店舗があることになっている。2004年の春以降、大分や長崎、そして秋田の店がなくなった。
南山グループは「南山レストラン事業協同組合」を指すらしく、「南山グループは、飲食業を天職として愛し、この仕事を生業として日々精進する、 小規模飲食店主らによる事業協同組合です。 」などとあった。
1965年に大分県中津市で飲食店(洋食店?)を創業。後に焼肉レストランに転向して、飲食店経営を目指す人を指導して、のれん分けを進めた。「そののれんわけ店舗が集まって結成されたのが「南山レストラン事業協同組合」です。南山グループは、1981年4月、農林水産省からの認可を受けて「事業協同組合」として再編成」。
創業者は、2001年に病気で引退、2011年に84歳で亡くなった。2000年代は牛海綿状脳症(BSE)などもあって、経営が苦しかったらしい。
各地の南山グループの店舗名は、「○○店」が多かったが、秋田の店は「秋田南山」というのが正式だったらしい。地域ごとに運営会社が存在することもあり、秋田南山は「(有)レストラン南山」が運営していたらしい。詳細は不明だが、秋田県には「(有)サンユー企画 」というのも存在。
2004年当時のURIは、実は現在も有効で、運営者の所在地も同じ。ただ、南山グループや協同組合の名はなくなっている。
2024年時点の運営者は「株式会社きたやま南山」で、店舗は京都の1店のみ。昔とは、店の雰囲気もだいぶ違ったようだ。
現在掲載される「沿革」では、1971年から全国展開し、そこに「大分県、福岡県、鹿児島県、長崎県、山口県、滋賀県、愛知県、山形県、岩手県、秋田県、福島県」とある。秋田の保戸野でない場所に「1971年時点」で店があったのかもしれないが、そうではなく、「最終的に」記載された県に店舗があったという意味ではないだろうか。また、「運営会社として㈱きたやま南山(当社)設立」は1979年としている。
ともかく、秋田市にあった焼肉南山の面影がなくなろうとしている。そして、交差点の場所がさらに説明しづらくなりそう。
【8日画像追加】
北・泉いちょう通り側から、交差点方向
タイルは南山時代から変わっていないはず。上の写真右後方・建物の北側に駐車場があった。
囲いのすき間から、店舗玄関
玄関は東辺中ほど。建物地際の御影石や、床面のタイルも南山時代のままだろうか。
【10月10日追記】10月9日時点では、上部の外壁が取り払われて、鉄骨がむき出しになっていた。
南山には何度か行ったことがありました。
よく玉子クッパを食べていた記憶があります。
閉店が約20年前ですか…とすると私が25歳の頃…
もっと前になくなっていたように思っていたけど、そんなに前でもなかったんですね。
甜甜となった今でもあの店は南山の体を残していたので良かったんですが…解体されたら悲しいです。
ところで、近くのスタバは元ビッグボーイで、さらにその前はミルキーウェイだったかと思うのですが、もっともっと以前はエルザというファミレスだったんですよね。ご記憶ありますか?
その頃の写真とかがあればぜひ見たいなあと思ってます。
ではまた。
僕も、もっと前になくなったと思っていました。20歳代だと、いろいろと生活の変化があって、関心が薄れていたのでしょうか。南山自体が、末期は衰退傾向だったのかもしれませんが。
南山を物語る建物がなくなると、さらに一層、遠い昔の思い出になってしまうでしょうね。
ファミレスは、ミルキーウェイ時代しか知りません。2010年に、一斉にビッグボーイに転換したようですが、エルザは名前程度しか記憶になくて。
ちなみに「二〇世紀ひみつ基地(https://20century.blog.fc2.com/blog-entry-1178.html)」によれば、エルザは地元資本で、山王の旧秋田市文化会館と旧秋田放送の間のガストのところにも、かつては系列店舗があったそうです。
残念ながら詳しくなくて、この程度です。今後ともよろしくお願いします。
そのあと本荘の焼肉シンゴがきたりして今に至ります。
南山、90年代のタウンページの広告では焼肉ステーキ韓国料理とありました。
南山セット2000円とな。
昔あったウッチャンナンチャンのウリナリでブラックビスケッツが南南見と天山とかいうキャラでしたからなぜか天山と混同したり。
ちなみに天山は明田の中華料理のイメージです。
エルザはそれなりに店舗数があったのでしょうか。
南山は、食べ放題が広まる前の時期だったでしょうからね。
「南山」は韓国にも日本(=吉野山や高野山)にもあるそうですが、店名は「南山之寿」が由来だと、ホームページのどこかにあったはずなので、中国の南山を指すようです。
その後入院したので状況はこのブログで知りました。
囲いを見る限り解体ではなさそうな感じだなーって思ってましたが連休明けに退院してここを通ったら内側に足場がかかっているように見えました。
サッシなどのアルミなどの分別のために先に撤去してから壊すのか、それともリフォームするのか分かりませんが…
通常は重機で壊しながらでも分別できるのでわざわざ足場を組むのは外観リフォーム(もちろん内部もやると思うけど)ではないかと思います。
なお、私のかすかな記憶では焼肉南山の次も焼肉屋さんが一瞬入ったような気がします。
そのあとパスタか何かの洋食屋さん、どちらも短期間で撤退してしばらく空いていたあとに中華屋さんが入ったんではないかと記憶してます。
21日時点では、記事アップ時点と変わらない、未着手っぽい雰囲気でした。もう少し観察しないといけないですね。
南山→別の焼肉店→パスタ? 洋食?→空き→甜甜、ですか。
これも言われてみれば、なんとなく覚えがあるような… 南山と甜甜は永続きでしたね。
急いでいたのでそれ以上確認できなかったのですが、やはり解体ではない、何らかの工事が行われているのかもしれません。
中身を出してからバタバタと解体するのかもしれませんね。
大町のキプロスビルの解体では、まずはすっぽり囲われましたから、手順としては違うものですね。