

☆神道は、一柱の神をまつる人間の集団が、自主的に作り上げた信仰の集合体
*伊勢神宮・出雲大社には、そこ独特の祭事習俗がある
*日本では、支配層が多様な神道の信仰を一つのかたちに規制することはなかった
*神道の一部を自己政権に都合のいいように利用した者がいただけである
☆「神道」の六つの用法
*「神道」という語自体がきわめてあいまいである
*津田歴史学者は、神道の語には六つ用法があるとした
*これをみても神道とはなにかが正確にはつかめない
*「神道」とは、漢語で「神秘的な教え」の意味

☆聖徳太子以前までは、朝廷が地方を直接支配しなかった
*王家は自らの守り神天照大神をまつり、地方豪族の祭祀には干渉しなかった
☆国家的祭祀が起こったきっかけ
*聖徳太子は「全国支配には、地方豪族の祭りも王家の管理すべき」と考えた
*王家が「大王の命令のもとで神の祭りを行なうべきだ」とすると主張した

☆神頼みの生活を送っていた日本人
*古代人は、豊作を祈る祭りが、かれらの最大の関心事でした
*江戸時代はじめ迄、農民は農業への神頼みの生活をおくっていた
☆朝廷の祭りが全国化するための政策
*一つは、日本神話の整備
(天照大神の正統の後継者天皇が、大国主命の神を支配する立場にあるとした)
*二つめは、天皇家の祭祀を地方の祭りと結びつけた
(天皇家の祭祀が、皇室だけの行事ではなく全国的祭祀とした)
*地方豪族の束縛するのでなく、地方豪族に利益をもたらすかたちをとった

☆律令制と神道思想の危機
*朝廷の全国支配の完成は、各地で自由な神の祭りを変えるものではなかった
*朝廷の宗教統制をありがたがる者も、そうでない者もいたから
*平安時代、密教系の僧侶が、仏教と神道の問題を考えはじめた
☆密教系僧侶のあいだに、仏を神の上におく本地垂述説が広がる
*神は仏になるための道筋のなかで苦しむ者の一つとされた
*仏の仮の姿にすぎない神は「権神(仮の神)」とよばれた
☆密教系神道がつくられ、神道の実態から程遠いものになってしまった


☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します





神道が果たした役割&日本史への影響(『神道』記事より画像引用)