

☆日清戦争後のドイツ、ロシア、フランスの三国
*遼東半島の割譲に反対して三国干渉を行う
*日本はこれを呑まざるを得ませんでした
*ロシアは仲介の見返りに遼東半島先端部の関東州を租借する
☆結果、日英同盟が締結され、ロシアとの対決色を強めた
☆伊藤博文が暗殺され日韓併合が行われた
*アメリカなど欧米諸国、韓国が世界平和の攪乱要因になるのをおそれ大歓迎
*日本としては、国際的合意を取るために筋の通った賢い対応をした
*1910年の状況としては、国際的にも支持された
*このころ、アメリカはハワイを併合した
☆ルーズベルト大統領の日本贔贋は有名
*アメリカの国益のためのものでした
*勇気や団結力、勤勉、進取の精神を良しとする日本人
*ルーズベルトにとり、日本人が好ましく思えたのは当然
*中国については、アメリカは各国にオープンであることを要求しました
*国際的にも、アジアの憲兵としての日本の価値は高く評価されていた
☆アメリカは、日本に好意的に動いてくれた
*第1の便宜はニューヨークでの外債募集への協力
*ルーズベルトは、ポーツマスでの講和会議にロシアを引っ張り出してくれた
*日本の国内世論は、賠償金が取れず満足しませんでした
*日露で争っていたのに、南樺太までとれたのは、日本の勝利でした

☆辛亥革命は、満州人が支配する満漢蒙の連合国家たる大清帝国
*漢民族が支配する中華民国に引き継がせました
*孫文らは満州人の支配から脱したいと日本人から援助を請うた
*満州人は満州に帰り、モンゴルやチベットなどは独立する
☆第一次世界大戦で、日本は日英同盟を結んでいるイギリスの側で参戦
*ドイツの租借地だった青島など山東省やミクロネシアを占領した
☆軍人で政友会総裁に迎えられた田中義一が首相になる
*張作森爆殺事件が起きた(張作森というのは漢人)
*日露戦争のときにロシアのスパイをして日本軍に捕まった
*張作霧森は、自立し北京の支配者にまでなった
☆蒋介石は、共産党の協力も得て「北伐」を開始
*張作森は奉天に退いて態勢を立て直そうとした
*関東軍はこれを歓迎せず、列車を爆破して殺した
*田中首相が、正直に犯行を認めたので混乱が拡大するばかり
*昭和天皇から、田中首相叱責され、辞職し死んでしまう(自殺?)
*昭和天皇は後悔されて積極的な政治介入を控えるようになった

☆ロンドン軍縮会議での補助艦削減受け入れ
*政友会の鳩山一郎らが「統帥権千犯」だとして煽り立てた
*軍人の政治介入を政党人が積極的に後押しした
☆第2次若槻内閣のときに起きた満州事変
*石原らが、朝鮮軍を命令なしに越境させて満州国を建国した事件
*ハト派のはずの若槻首相も、「やってしまったものは仕方ない」と追認した
*国際連盟のリットン調査団は、広汎な自治という玉虫色の報告をした
☆国際連盟を脱退したことで日本が決定的に孤立したと思っている人が多い
*脱退したのは、加盟していると制裁されてしまうという事情もあった
☆満州国の国づくりは皮肉にもめざましく成功した
*経済建設のシナリオを書いたのが商工官僚の岸信介でした
*満州国の成功は、日本を誤らせてしまった
☆命令違反をした石原らが英雄になった
*後輩たちは同じことを夢見ました
*日本は「軍部の独走」でなく「軍の内部の独走」で泥沼にはまる
☆陸軍の統制がつかなくなった背景には、山県有朋の失脚と死があります

☆日本軍は華北へ進出し、南京を陥落させました。
☆ここで起きたのが南京事件
*入城の際の混乱の中で、不適切な中国兵や一般市民への殺害があったようです
*規模を現在の中国政府は30万人としている
*一般的に中国人は数字を誇張する傾向があり2桁くらい割り引いたほうがよいのでは?
☆日本は、南京陥落で和平に傾くと思ったが、蒋介石は重慶に移って抵抗を続けた

☆英仏が、ポーランドヘのドイツ軍侵入は許せずドイツに宣戦布告をしたのが始まり
☆ドイツ軍は、フランスを降伏させ、同じころイタリアが参戦した
☆中国と対立して国際的な非難を浴びた日本は、ドイツ、イタリアと三国同盟を組む
*日本は、アメリカから厳しい制裁を受けてじり貧になる
*日本は、アメリカやイギリスに宣戦布告しアメリカは日独伊に宣戦布告した
☆フランスでは降伏後、ペタン政権は中立国となり、ドゴール将軍の亡命政権が連合国側に参加
☆ソ連は、ドイツと日本とそれぞれ不可侵条約を結ぶ
*ソ連は、ドイツからの攻撃を受けて英米と連合を組む
*ソ連は、原爆投下後の日本に条約を侵犯して攻撃をして戦勝国としての分け前にあずかった


☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します




大東亜共栄圏(アメリカ・英国・中国)(ネットより画像引用)