

☆大平の世の訪れ
*中世までの庶民の神の祭りは、村落・商工民の集団単位に行なわれていた
*農業生産の為に、村落で農民はまとまって行動しなければ生存できなかった
*商工民も「座」の同業者の組合に所属しなければ営業できなかった
☆福の神あらわれる
*中世には誰もが横ならびであった村の住民でした
*その中から、都市部で商家を起こして富豪になる家や集団が現れた
*金儲けなどの個人的なねがい叶えてもらおう人々が現れた
*福の神として、稲荷などのさまざまな流行神がまつられるようになった
*日本人が、複数の神社を信仰すかたちはこの時代にできた

☆本居宣長の「国学」での主張
*江戸幕府の支配の道具となった朱子学に反発するかたちで国学が起きた
*儒教は「忠」や「孝」といった形式的な道徳で人間を縛る
*私たちは生まれながらにもっているまっすぐな心の命ずるままに自然に生きるべきだ
*古事記を通じて「本来の神道の心」を身につけよと人々に説いた
☆平田篤胤の復古神道の広まり
*儒教を外来のものとして、排斥する考えをおしすすめる
*復古神道を起こしたのが平田篤胤である
☆平田篤胤等が主張した攘夷主義の限界
*篤胤の著作が、明治維新をもたらした要因の一つとなった
*天皇支配を正当一化するために書かれた「古事記」などから導き出されたもの
*かれの主張、外国人を排除して天皇親政を行なうことだけでは、空虚であることがわかる
☆明治政府は、その点を理解したうえで、神道とかかわりつつ国政を整備していった

☆明治新政権による神道の利用
*国学に根拠をおく単純な尊王接夷論の高まりが、江戸幕府の崩壊と明治維新をもたらした
☆明治政府の樹立にあたってごまかしがなされた
*「明治維新によって天皇親政が実現された」と発表した
*実際には、薩摩藩、長州藩などの外国通、経済通の能吏が政治を仕切る体制がつくられたのだ
☆「神仏分離令」の背景
*明治政府の目的は、富国強兵でした
*新政府は、庶民に国学の説くような、古代の天皇支配の神の祭りを復興する姿勢をみせなければならなかった
*明治元年に仏教の悪い影響を受けた神道を本来のかたちにもどすための神仏分離令が出された
☆全国の寺院の約半数がこのとき廃寺になった?
*庶民の仏教への攻撃が起こり、廃仏毀釈運動へ発展した
*原因は、神仏分離令が起こしたものだといいきることはできない
*寺院は、江戸幕府の保護により、墓地の経営や葬礼で多くの利益を上げる
*修行をおろそかにして遊び暮らす僧侶が目立っていた
☆明治政府の神社統制の中身
*政府は「神社を国家の祭祀とする」宣言を出した
*官幣社(皇室から祭りの寄付胎が出される神社)
*国幣社(国庫から祭りの寄付金が出される神社)
*時の地方官が管理する県社、郷社、村社に序列づけられた。
*神職は祭祀を行なうものとされ、独自の布教活動を禁じられた
*すべての神社が国家のための祭りを行なう
*神社は、国民に天皇を尊敬して正しい生活をおくるように指導する場とされた


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神道が果たした役割&日本史への影響(『神道』記事より画像引用)