

☆平安時代の終わり頃から、武士が神社支配の開始する
☆農民自治の広まり
*平安時代荘園を治めていた武士
*武士は、神社の祀りを農民と共存共栄関係で運営し農民自治高まる

☆山林修行が生み出した呪術
*平安時代の末期に熊野、吉野などで山林修行がさかんになる
*熊野三社を中心に、修験道を身につけた修験者は、さまざまな呪術を用いた
*皇室も貴族も、修験者の呪力に頼ろうとして、熊野詣でを行なった
*修験者たちは、皇室との結びつきを強め各地の農村の布教に力を入れた
☆農民に必要とされた山伏
*農民にとって定期的にめぐってくる山伏は、外部の情報をもたらす語り手
*悩み事の相談相手で、医術や読み書きを教える師匠でした
*山伏は、農民の生活に欠かせないものになっていった
*中世に、山伏の手でひらかれた熊野神社も多い

☆神社の扱いに悩んだ戦国大名
*戦国大名は、自分の領国の有力な神社の扱いに悩む
☆古代からの豪族が神職に
*戦国の動乱で多くの武士が没落した
*戦国大名は領国支配し、有力な武士に代わり、神社を支配すると宣言した
*大名は、浪人になっていた旧家の武士などを神職にして生活させた
*専門の神職が、有力な神社をまつるかたちが江戸時代に確立した

☆江戸幕府は、修験者が信仰を通じて各地の武士を組織するのを嫌う
☆幕府が厚遇した「吉田神道」
*京都の吉田神社に仕える吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)をおこした
*仏教を神道の下位におく宗派で、吉田神道は朝廷や大名たちに広まっていく
*全国の神職に、吉田家を自分たちの指導者としたいとの考えが広まる
*江戸幕府は、全国の神職を吉田家の監督下におく政策をとった
*吉国家の支配を嫌い、朝廷と直接つながりをもった神社もあった
☆朱子学の盛行ど儒教系神道
*江戸幕府や諸藩は、社領や禄米を与えて有力な神社を保護した
*社や寺院に政治には、政治に介入させない方針をとった
*幕府は、武家支配をささえる学問・道徳として朱子学を保護した
☆林羅山による神道の解釈
*徳川家康に仕えて幕府の未子学者の元締をつとめた林羅山
*日本中世の儒教の影響を強く受けた古田神道を学んだ
*日本の神は、朱子学で説く「理」にあたると主張した


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神道が果たした役割&日本史への影響(『神道』記事、ネットより画像引用)