慶喜

心意気
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PROLOGUE、新宗教は日本の社会の縮図(1)

2018年10月21日 | 宗教
新宗教を襲う構造不況

新宗教の明確な定義はない
 ☆その理由は、教団の多くが、仏教・神道・キリスト教等から枝分かれしたりしているいるので
 *ダイアモンド誌では、新宗教の定義を『新宗教教団、人物事典』を参考にしている
 ☆即ち、18世紀初頭以降に一派を興した教団を新宗教と定義した
 ☆各教団の公称信者数ほど信ぴょう性に欠けるデータも珍しい
 *全宗教法人の合計信者数は、日本の人口をはるかに上回る
 *原因は、信者数は、各教団の発表数値に基づいている為
各教団の公称信者数からでも、新宗教界を読み解くことはできる
 ☆信者数の推移のうちで、特徴的なパターンを持つ教団
 *創価学会は2005年に827万世帯と公称して以降は更新されず横ばい
 *立正佼成会は右肩下がり
 *真如苑は、右肩上がり
教団の機関紙等で把握できる教団の政治的な立ち位置
 ☆創価学会は、自公連立で、リベラルな立ち位置にブレが生じ右傾化した
 ☆反創価学会の旗手、立正佼成会の立ち位置も変えた
 *「敵の敵は味方」と右からリベラルに傾斜していった
 ☆政治的転換は、両教団共に信者の離反を少なからず招いた
 ☆政治に距離を置くのが真如苑
 ☆地元にゆかりのある政治家を主に応援する天理教
平成の30年間で4割も減った主要新宗教界の信者数
 ☆毎年の公称信者数を捕捉できる上位新宗教界37教団の信者数より判断する
 *新宗教信者、約2600万人→約1600万人へと約4割減少
 *4割の落ち込みは、宗教界全体の落ち込みをはるかに上回る
 ☆新宗教界に共通する構造問題は、日本社会全体の環境変化に起因するもの
 *少子高齢化(少産多死による人口減少)
 *核家族化
 *世代間の価値観の断絶
 ☆創価学会の末端信者の引き締めは、生き残るための戦略転換の表れでもある
 *新宗教界の盛衰は、その時々の世相を映す日本社会の縮図でもある
 ☆新宗教界のサバイバル戦略に、ビジネスパーソンにとっても学ぶところがある
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『週刊ダイヤモンド』














新宗教(創価学会等)を襲う構造不況
(『週刊ダイヤモンド』記事より画像引用)




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裏鬼門石清水八幡宮(最終回)

2018年10月21日 | 観光
比叡山延暦寺と石清水八幡宮の役割(3)

伊勢神宮と並ぶニ所宗廟石清水八幡宮
 ☆京都の裏鬼門に位置する石清水八幡宮
 ☆宮の縁起によれば、「大御神は、 応神天皇の御霊なり」とある
 ☆応神天皇が実在したという明確な証拠があるわけではない
 *重要なことはそれが、平安時代の人間たちのあいだで信じられていた
 *即ち、石清水八幡宮の価値を高めた
人々の信仰が厚かった石清水八幡宮
 ☆応神天皇は、天照大神に次ぐ第二の皇祖神
 ☆継体天皇が、関わっている可能性が考えられる
 *継体天皇の先代の武烈天皇は、跡継ぎを決めないまま亡くなる
 *後継ぎとして、越前にいた応神天皇の五世の孫を迎えて即位させた
 *武烈天皇の死にり、皇統は途絶え、継体天皇から新たな王朝がはじまった?
 ☆新たな皇祖神として、八幡神が信仰されるようになったのでは
 ☆天皇は、伊勢神宮よりも石清水八幡宮、上賀茂・下鴨神社を厚く信仰していた
 ☆石清水八幡宮は、京都を守る裏鬼門の位置を占めている
 ☆天皇や上皇(法皇)は頻繁に石清水八幡宮に行幸した
 ☆八幡神は、武家の神とされ足利氏や徳川氏の崇敬も厚かった
神仏分離により風景が一変
 ☆石清水八幡宮には、神宮寺として護国寺が存在した
 ☆鳥羽伏見の戦いで、石清水八幡宮の山下は戦場となる
 *高良社、疫神堂、乗神宮寺、大乗院、神馬舎などが焼失した
 ☆神仏分離令により、社僧たちは大塔をはじめ寺関係の物を売却してしまう
 *鐘は異国に売却され、船に乗せられたが、船は海に沈んでしまった
 ☆還俗した社僧達が、生きていくために金が必要と判断したのでは
 ☆石清水八幡宮の神宮寺、護国寺の堂舎は失われその風景は一変した
近代以前の京都と近代以後の京都
 ☆石清水八幡宮の変貌は、平等院の場合と似ている
 *平等院は、密教関係の堂舎が失われ、純粋な浄土教信仰の空間となった
 ☆石清水八幡宮は、神仏分離によって仏教色が失われ、純粋な神道の空間となった
 ☆近代以前の京都と近代以降の京都は、その風景は根本的に異なっている
 *近代以後、豊臣秀吉を祀る豊国神社が再建された
 *平安遷都1100年を記念して平安神宮が創建されている
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『京都はなぜいちばんなのか』


比叡山延暦寺と石清水八幡宮の役割(3)
(『京都はなぜいちばんなのか』記事より画像引用)

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朝日新聞、戦争の旗振りをしたくせに

2018年10月21日 | メディアへの疑問
戦争を煽動した「報道犯罪者」が戦後も活動を続けている

 ☆慰安婦問題の本質とは、慰安婦の名誉と尊厳の問題ではない
 ☆日本民族の名誉と尊厳が、無茶苦茶に踏みにじられている問題である
 ☆日本人は、冤罪をでっち上げられて途方もない差別・迫害を被っている
 ☆その差別・迫害の根源を生み出した朝日新聞
 ☆最も罪深い机上犯罪者であり、この犯罪者には大罪を償う責務がある

朝日は「机上犯罪者」を自覚
 ☆25年前の朝日新聞に、新聞の戦争責任についての文章が掲載されていた
 *タイトルは「自問すること」筆者は「見」とある
 ☆記載内容は、戦後50年である95年を見据えとしている
 *報道機関の戦争責任が問題になることを予想している
 *筆者「見」即ち朝日新聞は、自身の戦争責任を明確に自覚していた
 *文章では、ドイツの例を引いて「机上犯罪者」だと明言している
社史では責任放棄の言い訳
 ☆「机上犯罪者」とは、机で文章を書き、戦争に協力した人間を表現している
 *「言論犯罪者」報道関係者ならば「報道犯罪者」である
 ☆戦争を煽動して国民を死に追いやったのであるので立派な戦争犯罪人だ
 ☆戦後、アメリカ占領軍により、様々な変革が行われた
 *最も無傷であったのは、マスコミ・メディア
 *同盟通信が、共同通信と時事通信に分割されたくらい
 ☆同じ敗戦国でも、ドイツ・イタリアとまったく異なる
 *ドイツもイタリアも旧来の新聞は廃止された
 *現在存在する新聞は、すべて戦後新しく発足したもの
 ☆日本の新聞が戦争責任を免れた事実を、朝日新間が知らないわけがない
 ☆内心で認識しているので「自問すること」のコラムが書かれたのでは?
 ☆朝日新聞は「新聞と戦争」と題する長期連載を行った
 *内容は、戦争中は検間が厳しかったために本当の報道が行えなかった
 *自身を被害者の立場に置くことにより、責任放棄の言い訳を展開したもの
 ☆朝日新聞は、歴史の反省において日本はドイツに学ぶべきだと主張する
 *自分自身はちっとも学んでいない
戦後の「日本罪悪史観」の根源
 ☆朝日新聞は、戦後においても、机上犯罪者であり続けている
 *占領で、日本のメディア、新聞・放送は豹変して占領軍の手先となる
 *だからこそ、日本のメディアは、基本的に無傷で生き延びたのである
 ☆占領が終わっても、日本罪悪史観は一時を除き、完全に復活した
 *教科書事件、靖国参拝問題、慰安婦問題と連続的に発生する
 ☆そこには、朝日を中心とする日本のメディアが騒ぎ出す
 *中韓両国が抗議し、日本政府が屈服する基本的なメカニズムが働いていた
 *それは現在に至っても解決せず、韓国は慰安婦記念日を制定
 *慰安婦像は、親日国の台湾にまで飛び火している
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『THEMIS10月号』


戦争を煽動した「報道犯罪者」が戦後も活動を続けている
(『THEMIS10月号』記事より画像引用)



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