🌸『存在と時間』「森の哲学者」はこの世界に何を見たのか
☆私自身、すぐ忘れますが書いている時
*間違かも知れませんが、それなりに少し理解出来てます?
☆「世界はなぜあるのか?」
*”退屈したくない偏屈な男”が書いた時間論
☆著者、ハイデツガー
⛳哲学をわかりやすく解説する池田晶子の解説
⛳哲学をわかりやすく解説する池田晶子の解説
☆ニーチェは、「AはBである」と考えるのはウソであると言った
☆ハイデツガーは、「AはBである」と考える前に
*Aが『存る』とはどういうことかを考えよと言った
☆ハイデツガーは、「AはBである」と考える前に
*Aが『存る』とはどういうことかを考えよと言った
☆ウィトゲンシユタインは、「AはBである」と言いながら
*別のことを考えることはできないかと言った
⛳『存在と時間』巻頭の一文
☆ハイデッガー自身の言葉でなく、プラトンの言葉の引用
*「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」
*古代ギリシャですでに問われていながら
*今日では答えられるどころか忘れられてしまった
*この「とんでもない」大問題にハイデツガーは答えようとした
☆ハイデッガーは言う
☆ハイデッガーは言う
*世界の在り方を根本から反省するならば
*人間は例外なく死を宿命づけられる
*有限の時間を生きているという事実を、直視せざるをえない
*「だから」過去・現在・未来の三者は等価ではない
*それが「時間の本質だと考えるべきである」
⛳死を宿命づけられた人間
⛳死を宿命づけられた人間
☆単に死の宿命を忘れれば、退廃した生き方をすることになる
*「一旦括弧に入れつつも」現実の社会(歴史)に要求された役割
*「自分が選び取ったものと思い直して」演じることが肝要である
☆ナチスに加担した彼の過去を思い出すだろうか?
☆ナチスに加担した彼の過去を思い出すだろうか?
☆禅僧が言いそうなセリフに通じるところがある
⛳存在と存在者
☆「存在とは何か」という問いは
☆人が思考する上で最終的にたどりつく有史以来の難問
☆この探求を「存在論」いう
☆どんなものでも「何であるか(本質)」を問われた時
☆どんなものでも「何であるか(本質)」を問われた時
☆それの上位のカテゴリーによって説明できる
☆例えば「リンゴ」なら
☆例えば「リンゴ」なら
*果実⇒植物⇒生物⇒物⇒存在の一種⇒存在となる
☆人間には、存在の何であるかを答えるための上位概念がない
☆人間には、存在の何であるかを答えるための上位概念がない
*ここで頓挫してしまう、だから「存在」が何か答えられない
☆しかし、存在は、その成り立ちや生成の過程は記述できる
☆それが、ハイデガーの『存在と時間』の意図
⛳「世界ー内ー存在」
☆私たちは有形無形問わず、様々な存在者に囲まれて生活している
☆それら存在者の総体としての「世界」の内に私は存在している
☆切ることのできないハイフンでつながる環境と私の在り方
☆それら存在者の総体としての「世界」の内に私は存在している
☆切ることのできないハイフンでつながる環境と私の在り方
*「世界ー内ー存在」といい、その中心にいる、私が「現存在」
☆私のまわりに在る世界の存在者の意味
*「何であるか」はどうやって決まるのか
*それは私の目的「何のためか」によってです
(生活が目的の主婦にとって食パンは「食べるもの」)
*それは私の目的「何のためか」によってです
(生活が目的の主婦にとって食パンは「食べるもの」)
(絵を描くのが目的の洋画家にとって食パンは「線を消すもの」)
☆私はすべての存在者を気遣いつつ、見えない目的を基準にする
*現在ある周囲の存在者を意味付け、総体が私の「世界」観になる
⛳存在と時間
☆私たちは、基本的に時間の概念でものを見ている
☆それは直線的で
☆それは直線的で
*未だ来ない「未来」は「現在」になる
*「現在」は過ぎ去り「過去」になる
*未来・現在・過去が均質な関係として成り立つ
☆別の文化圏に生きる人たちは
*未来・現在・過去が均質な関係として成り立つ
☆別の文化圏に生きる人たちは
*それとは違う時間概念の中で生きている
*それにより、私たちとは別のライフスタイルの中で生きている
☆直線時間ではなく、
☆直線時間ではなく、
*円環的な時間、点的な今だけの時間、反復的な時間、等々
☆ハイデガーの場合、未来・現在・過去の代わりに
*「将来」「現成化」「既在」を立てる
*自分は今まで「何者であったか」という「既在」の認識で
*自分は今まで「何者であったか」という「既在」の認識で
*「将来」の「何者でありうるか」が決断できる
☆ハイデガーの言葉を借りれば
*時間性とは「既在しつつー現成化させる将来」
*「存在」が人間独自のこの時間的なあり方に依拠する
*生じ出づることが明らかにされる
⛳本来的と非本来的
☆将来へのプロジェクトが中心となる
*目的の網目を決定し、網目が世界を生み出す
☆究極的に最も全体的な将来とは何?
*「世界ー内ー存在」の私が消滅してしまう「死」
*全体的で究極的な将来(死)を覚悟し生きること
*「世界ー内ー存在」の私が消滅してしまう「死」
*全体的で究極的な将来(死)を覚悟し生きること
☆ハイデガーの言う本来的在り方であり、本来的自己です
☆誰と交換もできない、私の一度きりの人生を生きるということ
⛳良心の呼び声
☆非本来的在り方では「死」は意識してはならない
*不安の種として、周到に隠蔽され遠ざけられる
☆私たちが普段の生活の中でふと抱く不安や虚無感
☆私たちが普段の生活の中でふと抱く不安や虚無感
*決してネガティブなものではない
☆非本来的な在り方から本来的な在り方へと導く、良心の呼び声
*その死や不安や虚無や絶望を転回点として
*本来的に、生きはじめることを、ハイデガーは呼びかける
(敬称略)
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⛳出典、『古典TO名著』『世界の古典』
『存在と時間』3(生きていることを考える)
(ネットより画像引用)