🌸幕藩体制における「天皇の権威」
⛳江戸時代の後期に高まった「天皇の権威」
☆江戸時代の政治体制は、「幕藩体制」と呼ばれる
☆江戸時代の政治体制は、「幕藩体制」と呼ばれる
*日本の中心には幕府が置かれ、頂点には将軍が座す
*将軍の下には、全国各地に約三百の大名が治める藩がある
*藩が家来を持ち、武士による国家体制であり、武士によるタテ社会
*それこそが幕藩体制
☆幕藩体制を論じる中で、「天皇はどこに位置するのか」
*幕府の頂点にいる将軍の地位を与えるのは天皇
☆幕藩体制を論じる中で、「天皇はどこに位置するのか」
*幕府の頂点にいる将軍の地位を与えるのは天皇
☆近年台頭している考え方
*「幕藩体制は天皇が将軍の上にいるから成立した」
*「幕藩体制は天皇が最上部に位置することで成り立っている」
⛳江戸時代、天皇の存在感は非常に薄かった
⛳江戸時代、天皇の存在感は非常に薄かった
☆いるのかいないのかすらわからない状態だった
☆幕末の動乱期に、突然天皇は存在感を高め
☆幕末の動乱期に、突然天皇は存在感を高め
*権威であるのみならず、政治的パワーも発揮する
☆国の一大事で、天皇が活躍しその姿が見えるようになった
*あの時期に天皇が活躍するのは不思議ではないとする考え方
*近年強まっている
☆江戸時代の後期、尊王論を主張する学者が登場する
☆江戸時代の後期、尊王論を主張する学者が登場する
*山県大弐、竹内式部など
* 「大政奉還」の認識にも変化が起きている
☆「幕藩体制のトップとして天皇がいた」との考え、間違っている
⛳江戸時代にいた二人の女性天皇
☆根拠のひとつは徳川家康が作った「禁中並公家諸法度」
*朝廷はどう考えても将軍の行動に文句を言える立場にない
*天皇が上で将軍が下という上下関係があるとは思えない
☆江戸時代の天皇は、重要な存在ではなかった
☆江戸時代にいた二人の女帝の即位経緯
☆明正天皇女性天皇
☆明正天皇女性天皇
*女性を天皇に即位させるのはやってはいけないこと
*彼女の父である後水尾天皇
*幕府のやり方に憤り、自分の娘である明正天皇を即位させた
*幕府に対する面当て以外の何物でもない
☆女帝・後桜町天皇
*しかるべき年齢の男性がいなかったため
*上級貴族が話し合った結果
*即位するのに適した年齢だった後桜町天皇を即位させた
☆女性天皇について議論が活発化している現代
*こんなことが起こればとんでもない話になる
*当時は、すんなり事が運び、誰も文句を言いませんでした
☆当時の人々は天皇が誰であつてもあまり気にしていなかった
☆「江戸時代にも天皇は大きな力を持っていた」考え方間違いである
(敬称略)
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☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『日本史の論点』
幕藩体制における「天皇の権威」(1)
(ネットより画像引用)
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