タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

旧河内峠を歩く

2013年11月04日 | 山歩きから
昨日からの雨が上がればさっそく裏山歩き。

いつもいつも○○茸を探して歩いたのでは芸がないので、今日はチョッとアカデミックに(?)旧河内峠を歩きました。

河内峠と言ってもマイナーな峠ですから、このブログを読んで下さる人もほとんどの人がご存じないはずです。しかし、タカ長の地元の、少なくとも郷土史に関心を持っている人は一度は歩かれているはずです。

この峠道は中国自然歩道にもはいっており、タカ長も過去何度か歩いています。しかし、このところしばらくご無沙汰しているので、今月中に仲間を案内するのを前に下見に行ったわけです。
このあたりは99年の豪雨で荒れたり、その後の災害復旧工事で思い通り歩けなかった経験があるので、念のため下見に出かけたと言うわけです。

私たちが旧河内峠を耳にするのは、広島藩の絵師「岡 岷山」(おか みんざん)が1797年に湯ノ山温泉や豊平町都志見の駒ヶ滝を見に行ったときに描いた「都志見往来日記」に描かれているからです。それによると

(前略)保井田を過、下河内へ移る所川端に茶店三軒あり、川にちさき梁あり此所より山に登る。道次第に嶮にして左右切り岸高きこと、三、四間はかり其間を過る。此辺所々家あり、半道程登りて左山高く右の方谷深し、過し夏の頃水内へ入治の人、夜中あやまりて此所より落る事凡十四五間はかり、されとも幸ひに死に不及、水内へ行入治せしと所の者いへり。猶登りて左の方森の内に社あり、此所を宮の風呂と云。
それより漸く登りて河内峠に至る暫く芝居して詠るに、北に大山峨々として、半腹に細き樵路あり、下に谷川帯の如くにめぐれり、上より見れば此川所々渕ありて藍のことくに分る。此峠より西北の方へ斜に下りて谷に入、左山高く右に流を見て行程に樹木茂り隠々として冷かなり。道のあたりくハとら蘭雪もよう美しくそれより葛原に移る。(後略)



このように書かれています。河内峠でしばらく芝居して、と言うのは「休んで、、、」と言うような意味で、北に大山峨々としてと言う山は、私たちがタカの観察地で「左窓とか右窓」とか言っている窓ヶ山のことではないかとタカ長は考えました。

              画像はネットより借用

岡 岷山が描いた「河内峠」ですが、この絵がどこからどのように描かれたのかはタカ長には分かりません。今の河内峠は人工林にかこまれていて展望はまったく無いのです。

     

今日の旧河内峠越えは都志見往来日記とは逆に北側から。登り口まで相棒の車で行き、そこから歩きました。車は彼の奥様に持って帰ってもらい、いつもの駐車場へ下りたときに迎えに来て頂くという、タカ長としてはチョッとわがままな裏山歩きです。

     

     

     

峠への道は荒れていませんでした。この道が昔の人に使われていた「歴史の道」だと思えば、何かしら風情も感じられて、いつもの裏山歩きとはひと味違っているようにも思えました。ここらあたりも、言ってみれば私たちの「準裏山」なので、たまにはこのあたりまで足を伸ばすのも良さそうです。

     

峠にはこのような案内とベンチがあるだけで、特別なものは何もありません。

この峠からいつも歩く荒谷林道までの道もきれいに整備されていました。歩く人が少なくて落ち葉などがたまっているところもありますが、私たちには問題なく歩けます。

岡 岷山が旅をしたころは自然林の中の道だったはずですが、今は人工林の中を歩くことが多いのが残念と言えば残念です。

     

その人工林の森から出ると、秋の陽がとてもまぶしく感じました。

今日の下見は成功、今月中には仲間たちと歩くことにします。