散髪に行きました。
タカ長だってカットしてもらうほどの髪があるのですよ。まぁ、その髪がある場所が問題ですが、、、、、。
その散髪屋さんは登山が趣味で、散髪に行ったときはいつも山の話をしています。
今日も山の話をしたのですが、タイトルの「散髪しながら、、、」というのは間違いで、正確には「散髪してもらいながら、、、」ですね。
そのようなことは言うまでもないことですが、その散髪してもらいながらの話題は、ひと言でいえば山の情報交換です。
○○山はどのような山ですか、とか、、、、
△△山に登るのはどのルートが面白いですか、、、、というようなことを聞かれたり、、、、
若い散髪屋さんにはスマホのアプリのことを教えてもらったり、、、、
そのような情報交換をしながら散髪しているのです。
しかし、今日は何かのはずみでマイカー時代以前の登山のことが話題になりました。
タカ長が登山を始めたころは広島県の最高峰、恐羅漢山に連れて行ってもらうためには近郊の山で登山の経験を積むことが必要でした。
登山を始めたばかりのものには声がかかりませんでしたし、連れて行ってくれと言えないような雰囲気がありました。
今では子どもでも登れるようになった恐羅漢山ですが、そのころはふもとの戸河内までバスで行き、そこから徒歩で標高1000メートルの内黒峠を越えて古屋敷に下り、それから登山活動を始める山でした。
そのような山ですから日帰りは無理でした。そのため古屋敷の民宿に泊まるとしても、日帰りの山よりは荷物も重くなり、その荷物を担いで峠越えをするのでそれなりの脚力は必須でした。
全国的にみれば低山ばかりの広島の山ですが、それでも県北の山に登るためにはそれなりの力が必要でした。
日帰りの山でも、近郊で人気の大峰山に登るためには、、、、
玖島別れでバスを下りて、玖島、川上と歩いて大峰山に登り、下山は北麓の雲出に下りてそこから湯来温泉まで歩く、というのが定番で、普通の登山女子もそのようにして登っていました。
チョッと健脚の人は廿日市駅から歩き始めて、泉水峠を越えて玖島に行き、そこから上記のコースを歩いていた、、、、、、と話すと、その散髪屋さんは、、、、
話を聞いただけで気が遠くなる、と言っていました。そこでタカ長、、、
マイカー時代以前に登山をした人は誰でもその程度のことはしていたのだよ、と
チョットだけ自分の登山を自慢した、と言う訳です。
今は何もかもが便利になり、そのうえ登山用品も軽くなって、定年した次の日に百名山、という人もいるようですが、、、、
登山とは本来低いところからステップアップして行くものであるはずです。
というようなことは今どきの登山者には理解されないようで、若い散髪屋さんも話を聞いただけで「気が遠くなりそう」と言ったのでしょう。
人さまに誇る山歴など何も持たないタカ長ですが、今の状況を見ているとそのころ登山をしていたこと自体が立派な山歴のようにも思えます。
もののはずみでそのような自慢話みたいなことを散髪屋でしましたが、、、、
これってタカ長が歳をとった証なのかなぁ???