タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

歳をとるということは

2019年01月26日 | 日々雑感
雪になりました。

拙宅の庭も白くなり、まだまだ雪は降り続いています。

この週末は山には行かないで、自宅にこもって「団地の編集長」をするつもりですから、積雪による実害はありません。

次の山予定は来週火曜日の裏山歩き、そのとき雪の上を歩くのも悪くないかも、、、、。

しかし、このあたりの雪は、積もってもすぐに溶けてしまいます。

    

篠田桃紅の「百五歳、死ねないのも困るのよ」を読むと、同感する言葉がいろいろ出てきます。

そのことばの紹介です。

   歳を重ねることを

   醜いものとして

   捨てるのではなく、

   自負を持つこと、

   自分を高く評価すること。


    

歳をとって重ねたものは、非常に得難いものです。

それをいいものにするか、しないか、という選択はつねにその人にあります。老いぼれて私はもうダメです、と言うのか、歳は歳だけど、若い人に真似のできないものがある、と言うのか。

老いは、老醜と言って醜いものとされています。あるいは、老いぼれて生き長らえることを、老残の身をさらすと言います。老いにつく言葉で、いい言葉は見当たりません。それだけ、人はこれまで老いのよさを認めずにきてしまいました。

重ねた歳月を醜いものとして捨ててしまうのではなく、自負を持つこと、自分を高く評価すること。それが一番大事だと思います。


    

いかが思われますか?

この言葉に勇気をもらうのはタカ長だけではないはずです。

偉そうなことは言えませんが、老醜という言葉が今でも市民権を得ているとしたら、これっておかしい気がします。

人生百年時代の今では、この言葉は完全な差別用語のように思われるのですが、、、、、、、。

    

加齢とともに、人に声をかけることに抵抗が少なくなったタカ長、、、

たとえば、子どもたちへの挨拶など笑顔でして、、、、少なくと老醜といわれるような高齢者にはならないようにしたいと考えています。

著者の篠田さんが書かれているように、人間誰でも、後期高齢者といわれる歳まで生きてきたら、若い人には真似ができない何かを持っているはずです。

そのことに密かな自負を持ち、、、

少なくとも自分のほうから、老残の身をさらしているなどと考えないよう心がけたいと思います。

老醜とか、老残とかいう言葉は死語にしたいですね。