昨年11月14日に紹介した、地元紙のコラム記事です。
筆者はタカ長の母校の先生で、この記事で「父」と書かれているのは登山家の加藤武三。
今のことは知りませんが、タカ長世代の登山者では知らない人はいない、広島の登山界の大先輩です。タカ長にとっては雲の人です。
タカ長が歩いた広島県北西部の、芸北山群と呼ばれた山は、全国的にみたらマイナーな山で、その山を紹介するガイドブックなど無かったように記憶しています。
だから、加藤武三の本はタカ長たちのバイブル的な存在でした。その本をもって県北の山を歩いたものです。
先日、呉の山を歩いたとき、筆者の友だちだというタナタカを紹介されました。丘の上歌姫さんの配慮です。
そのタナタカさんから「加藤武三回顧展」の案内を頂きました。もちろん、タカ長は行くつもりですが、それを機に「加藤武三詩画集続焚火」に目を通しています。
山で死んではならぬ
その死がいかに美しく
孤独がいかに楽しくとも
石は永遠に冷たい
だが怖れてはならぬ
白い山脈にも道はある
その道の傍に
花が咲き
霧の流れる
季節もある
ゆっくりゆっくり
ケルンの
重さを計りながら
思い出の残るような
そんな山登りをしたい
山で死んではならぬ。
それは山を志すものの、当たり前の感覚です。若いころ、多少は怖い思いをする登山を経験したタカ長もその感覚は持っています。
最初の一節は体のどこかにしみついているのですが、それはこの作品をどこかで読んだからなのか、それとも誰か他の人の作品を通して読んだからなのか、そのあたりのことは記憶にありません。
この歳になって、多少は感謝することを覚えたようだと自覚しているタカ長
加藤武三の居る雲の下に近づいているのかなぁ、と思うのは買いかぶりでしょうか?
叶わぬ夢ですが、加藤武三の居る雲の下に行って、八十路登山者の厚かましさ丸出しで、加藤武三本人と、最近の登山界の状況など話しあってみたいと思います。
スキー場が出来て、山毛欅が伐られ、裸同然になった恐羅漢山の状況をどのように見ているのか、本人の口から直接聞いてみたいのですが、、、、、、、。
これだけは絶対に「叶わぬ夢」です。