タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

雨の日のむかし語り

2020年02月22日 | 山歩きから
雨になりました。2日間で3万4千歩歩いたタカ長には絶好の骨休めです。

    

月末になると、来月の山予定を確定して、メンバーに送信する必要があります。その山予定を作成するとき参考にさせて頂いているのが、広島を中心に活動をされている坂歩こう会の皆さまの活動記録です。

広い意味で言えば、広島の同じフィールドを歩かれているグループなので、皆さまの記録はタカ長たちにはとても役に立つのです。感謝、感謝ですね。

今朝もその記録を拝見しながら、ポロリと昔の山のことが頭に浮かびました。

と言うのは「坂歩こう会」の登山は参加者が多くて、今のタカ長には目がまわりそうな気がするのですが、、、、、

かつてはタカ長にも何十名もの登山の世話をしたことがありました。そのことがポロリと頭に浮かんできたのです。

またまた年寄りのむかし語りで恐縮ですが、おつき合い下さい。

    

1956年5月に槙有恒隊がマナスルに初登頂し、その記録映画「マナスルに立つ」が全国で公開されました。もちろんタカ長も見ました。

その映画を見て登山を始めた人が多くいます。タカ長もその一人です。第一次登山ブームの到来でした。

そのころ自分の登山とは別に、職場でもリクリエーションとして、日帰りの登山やスキーも行われていました。その世話をされるのが直属の上司で、タカ長に山を教えた人でした。日帰りバスや、時には1泊して伯耆大山や三瓶山にも行っていました。

その上司から「満席になったら無料で補助席に乗せてやる」と言われ、職場内で一生懸命営業したものです。

    

その時の登山バスやスキーバスに参加する人はいつも「何十名」でした。
いまでは信じられないことですが、それだけの人を連れて、伯耆大山を縦走したこともあります。いまは縦走禁止になっていますが、そのころは可能でした。しかし、難所には違いありません。

縦走に入る前、山頂の避難小屋で、緊張する参加者に向かってバカ話をしながら、少しでもリラックスさせるよう努力していたことを昨日のことのように記憶しています。

    

当たり前のことですが、その世話をタカ長一人が行っていたわけではありません。直属の上司をリーダーに、何名かのものが協力して行っていたのですが、タカ長はタカ長なりに苦労をし、勉強もさせてもらいました。

坂歩こう会の皆さまの活動をネットで拝見しながら、何故かしら今日になって、その頃のことが頭に浮かんできたのです。

    

それにしても、、、、、、今よりは状態が良かったとしても、、、、、
伯耆大山のあの尾根を団体でゾロゾロ歩いていたなんて、、、、、
今では信じられない話です。


    木の芽雨むかし語りの山の旅   鷹蝶

今のタカ長には、今日の画像で紹介した程度の人数んで歩くのが、身の丈に合っているような気がします。