武田じゅうめい 愛と誠と正義

色即是空とは、すべての存在は虚無であると知る。
旗印は日本愛、 日本人には日の丸が足りない

バンコック旅情

2006年12月27日 | 世界の旅
タイは微笑の国と言われる。 
ある種の人間にとって、国籍に関係なく、はまってしまうところがある。 はまった人間は何年も住むことになり、やがては転がるようにして自分の国へ帰る。
なぜそうなるかは、分かるようで分からない。 説明、理由付けはいくらでもできるが最後は自らタイを訪れタイの匂いを嗅ぎ、食べて、アルーン(お寺)に行き、熱い陽射しを逃れ、木々の葉っぱから川を眺めることによって、生きる弱さと強さを感じることができるかも知れない。

タイの人々にとって、川は生活そのものである。いつもひどく濁った川は透き通ることはない。
毎日のシャワーが赤い土を川に溶かす。 川は水洗トイレであり、洗濯場であり、子供達の最高の遊び場である。夕陽が沈む頃には、路地に野菜炒めの匂いが立ち込める。屋台のお店には手際よく料理を作る、人なつこい真っ黒に日焼けしたおばちゃん達が腕を競う。味はどれも絶品といってよい。食事ができる幸せとはこのようなことだろうか。 一品の野菜炒めとタイ米のご飯が合う。スプーンを使う。粗末な屋台テーブルに座りながら、行き交う人たちを眺める。自分が風景に溶け込んでいく。水も無い、スープも付いてない。だけど食べ物がおいしく喉を過ぎていく。やがて涼しい風がそよぎ始め、闇が帳をおろす。

ワットアルーン(暁の寺)から王宮を見つめる。 
濃厚な空気。 三島由紀夫が<豊穣の海>四部作の舞台にしたところである。 
急な階段を昇る。少し油断をすると転げ落ち大怪我をするような階段が四方についている。色ガラスのモザイクで装飾した石の列塔から下界を見下ろすと時間は悠久に伸びているように思えてくる。 三島が信じた輪廻転生はここに開花する。
そして聞こえてくるのは長く余韻を放つタイの風鈴に違いない。


コメント
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