かつて、有楽町読売ホールで司馬遼太郎さんの講演があった。 夏の終わりであったと記憶するが、司馬さんと同じ空間でお話を聞かせて頂く栄誉に浴した。
そのお話の中で、司馬さんは 「昔は、侍の時代には、友情という概念がなかったんですよ、そういう概念が出来始めたのは、割と新しいんですね」 と、軽妙な語り口で話しされたのは少しばかり驚いた。
それまでの男同士の関係は、縦系列か、同輩という制度の仕組みに組み込まれていて、個の観点からの行動規範というより、家あるいは共同体の価値基準が行動の動機付けになっており個性が欠落していた。 それが士農工商という階級社会を形成し社会の秩序を保っていた。たかだか150年前まで士農工商という身分社会があったなどと言うと、今の若い人達は、シノウコウショウってパンク系? それともラップ?
なんて聞いてくるかもしれない。そういう社会規範とか伝統的秩序が、やがては太平洋戦争へと統帥権の下に日本が突き進んでいった礎になったのではないかと御自身の戦争体験を交えてお話をされた。
友情は個の確立から生まれる。
共同体幻想を基にする階級社会である今の共産主義社会は支配する者と従属する者の二元構造になるから本当の友情は存在しない。 そこにあるのは統制であり、それが進行すれば圧政になる。能力が高ければ支配層に入れるが、それは0.1%の狭き門である。普通の人々、あるいは鍬を持って畑を耕す人々は、共産主義の搾取構造に組み入れられていく。その権力構造を守るために官僚統制ヒエラルキーを固守し、密告奨励社会になり、秘密警察による締め付けになっていく。 特に戦後共産主義を標榜した世界史を見ると、中国、ソビエト、東ドイツは同じ色模様で編まれていった。北朝鮮は共産帝国金王朝と定義する方が正しいかも知れない。旧東欧共産圏は、西側社会の自由主義、そして豊富な物質社会の前にあえなく瓦解した。
中国は1998年に、政治体制は共産官僚主義のまま、経済は官僚統制資本主義に突入した。朝鮮は生きた古代ザウルスを見ているようで歴史の博物館として面白い。
司馬さんは最後の締めくくりにこう言われた。 「江戸時代の士農工商という身分社会は、ある意味バランスが取れていたんですね。侍は治世家、行政官、道徳家として町民から尊敬されていたが金は無かった、商人は金はあっても尊敬は受けなかった、町民農民はその狭間で独特の町民文化を育みながら生計を立てていた、日本の歴史というのは、江戸時代から始まったように思えるんですがね」
それから間もなくして司馬遼太郎氏は、銀髪を揺らせた笑顔を残されて逝ってしまった。
そのお話の中で、司馬さんは 「昔は、侍の時代には、友情という概念がなかったんですよ、そういう概念が出来始めたのは、割と新しいんですね」 と、軽妙な語り口で話しされたのは少しばかり驚いた。
それまでの男同士の関係は、縦系列か、同輩という制度の仕組みに組み込まれていて、個の観点からの行動規範というより、家あるいは共同体の価値基準が行動の動機付けになっており個性が欠落していた。 それが士農工商という階級社会を形成し社会の秩序を保っていた。たかだか150年前まで士農工商という身分社会があったなどと言うと、今の若い人達は、シノウコウショウってパンク系? それともラップ?
なんて聞いてくるかもしれない。そういう社会規範とか伝統的秩序が、やがては太平洋戦争へと統帥権の下に日本が突き進んでいった礎になったのではないかと御自身の戦争体験を交えてお話をされた。
友情は個の確立から生まれる。
共同体幻想を基にする階級社会である今の共産主義社会は支配する者と従属する者の二元構造になるから本当の友情は存在しない。 そこにあるのは統制であり、それが進行すれば圧政になる。能力が高ければ支配層に入れるが、それは0.1%の狭き門である。普通の人々、あるいは鍬を持って畑を耕す人々は、共産主義の搾取構造に組み入れられていく。その権力構造を守るために官僚統制ヒエラルキーを固守し、密告奨励社会になり、秘密警察による締め付けになっていく。 特に戦後共産主義を標榜した世界史を見ると、中国、ソビエト、東ドイツは同じ色模様で編まれていった。北朝鮮は共産帝国金王朝と定義する方が正しいかも知れない。旧東欧共産圏は、西側社会の自由主義、そして豊富な物質社会の前にあえなく瓦解した。
中国は1998年に、政治体制は共産官僚主義のまま、経済は官僚統制資本主義に突入した。朝鮮は生きた古代ザウルスを見ているようで歴史の博物館として面白い。
司馬さんは最後の締めくくりにこう言われた。 「江戸時代の士農工商という身分社会は、ある意味バランスが取れていたんですね。侍は治世家、行政官、道徳家として町民から尊敬されていたが金は無かった、商人は金はあっても尊敬は受けなかった、町民農民はその狭間で独特の町民文化を育みながら生計を立てていた、日本の歴史というのは、江戸時代から始まったように思えるんですがね」
それから間もなくして司馬遼太郎氏は、銀髪を揺らせた笑顔を残されて逝ってしまった。