今回の元記事は去る5月4日にメインブログに上げたものです
GWに因んだ日付の語呂合わせネタから
今日が5月4日という事でED54のはなしをば。
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ED54はスイスから輸入の高性能、大馬力電機としてデビューしたのですがいかにもスイスらしい精密極まりない機構のために整備が難しく、もともと2両のみという小所帯もあって早々と姿を消した形式です。
「精密な機構」というのは大出力=大型(というのが当時の常識)のモーターを床上に配置しているため(一般的な電気機関車は台車内にモータを搭載する釣り掛け式)その出力を確実に駆動輪に伝達しつつ路面の追従性をも高める目的で採用された「ブッフリ機構」という特殊な伝達形式にあります。
この機構を言葉で説明するのは非常に難しいのですが各々の車体に設置されたモータの歯車と動輪の間に各々2本の連結棒と歯車の付いた梃を介して間接的につなげる事によって車輪の上下動に動力の伝達機構が追従できるようになっていると言う物です。
まあ、外見上は「時計の内部機構みたいなのが一輪一輪の車輪の中に組み込まれたようなもの」とでも言えばいいのでしょうか。
この方式は性能面でのメリットは大きくスイス国鉄ではかなりの機関車がこれを採用していたのですが、日本の場合出力こそ当時最強で運転士たちの評判も良かった(「デゴヨン」という愛称で呼ばれていたらしいです)ものの、狭軌で線路の幅が狭いため同じ機構でもより狭いスペースにメカを押し込めなければならなかったのがこのロコの悲劇でした。
複雑すぎる機構ゆえに結局は整備がしきれなくなり、ED54は比較的早い段階で引退を余儀なくされました。
同様に3シリンダという先進機構を持っていたC52がC53という国産の後継機を得たのとは違ってと違ってED54の先進性が国産機の設計に反映されることもなく、一代限りだったのも悲劇的です。
で、このED54ですが原鉄道模型博物館の原信太郎氏がブッフリに惹かれたらしく実機同様の機構を持つブッフリ電機を何両も製作していたのだそうです。中でもED54はそれだけでも3両作ったのだそうで(但し1番ゲージのモデルですが)
鉄道模型の世界でもED54のモデル化というのは極端に少なくHOゲージでもムサシノモデルや鉄道模型社などから出ていた程度だそうで、ましてやNゲージでED54が製品化されているなどとはわたし自身知りませんでした。
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ブッフリ機構そのものの再現はともかくとしても、蒸気機関車並みのサイズの大径動輪を装備し外見も両サイドで異なる外見の足回りを持っている(おまけに碍子は横に付いている)のに加えて実機がこの通りのマイナー機でしたからメーカーが量産品のモデルで製品化するのは極めて困難なモデルであったと思われますし。
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わたしの手持ちのED54はムサシノモデルの高級モデル(と言って良いでしょう)で手にとって見るだけでも圧倒される細密な足回り&屋根上の造形には圧倒されます。
何しろNの電機で台車に砂撒き菅を付けているのは少ないでしょうし、実感重視でカプラーもZゲージ用の物をあつらえているくらいですから。
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カトーカプラーならどうにか連結できるのでダブルルーフの客車などをごくたまに牽かせる事がありますが、その存在感は今でも圧倒的です。
GWに因んだ日付の語呂合わせネタから
今日が5月4日という事でED54のはなしをば。
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ED54はスイスから輸入の高性能、大馬力電機としてデビューしたのですがいかにもスイスらしい精密極まりない機構のために整備が難しく、もともと2両のみという小所帯もあって早々と姿を消した形式です。
「精密な機構」というのは大出力=大型(というのが当時の常識)のモーターを床上に配置しているため(一般的な電気機関車は台車内にモータを搭載する釣り掛け式)その出力を確実に駆動輪に伝達しつつ路面の追従性をも高める目的で採用された「ブッフリ機構」という特殊な伝達形式にあります。
この機構を言葉で説明するのは非常に難しいのですが各々の車体に設置されたモータの歯車と動輪の間に各々2本の連結棒と歯車の付いた梃を介して間接的につなげる事によって車輪の上下動に動力の伝達機構が追従できるようになっていると言う物です。
まあ、外見上は「時計の内部機構みたいなのが一輪一輪の車輪の中に組み込まれたようなもの」とでも言えばいいのでしょうか。
この方式は性能面でのメリットは大きくスイス国鉄ではかなりの機関車がこれを採用していたのですが、日本の場合出力こそ当時最強で運転士たちの評判も良かった(「デゴヨン」という愛称で呼ばれていたらしいです)ものの、狭軌で線路の幅が狭いため同じ機構でもより狭いスペースにメカを押し込めなければならなかったのがこのロコの悲劇でした。
複雑すぎる機構ゆえに結局は整備がしきれなくなり、ED54は比較的早い段階で引退を余儀なくされました。
同様に3シリンダという先進機構を持っていたC52がC53という国産の後継機を得たのとは違ってと違ってED54の先進性が国産機の設計に反映されることもなく、一代限りだったのも悲劇的です。
で、このED54ですが原鉄道模型博物館の原信太郎氏がブッフリに惹かれたらしく実機同様の機構を持つブッフリ電機を何両も製作していたのだそうです。中でもED54はそれだけでも3両作ったのだそうで(但し1番ゲージのモデルですが)
鉄道模型の世界でもED54のモデル化というのは極端に少なくHOゲージでもムサシノモデルや鉄道模型社などから出ていた程度だそうで、ましてやNゲージでED54が製品化されているなどとはわたし自身知りませんでした。
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ブッフリ機構そのものの再現はともかくとしても、蒸気機関車並みのサイズの大径動輪を装備し外見も両サイドで異なる外見の足回りを持っている(おまけに碍子は横に付いている)のに加えて実機がこの通りのマイナー機でしたからメーカーが量産品のモデルで製品化するのは極めて困難なモデルであったと思われますし。
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わたしの手持ちのED54はムサシノモデルの高級モデル(と言って良いでしょう)で手にとって見るだけでも圧倒される細密な足回り&屋根上の造形には圧倒されます。
何しろNの電機で台車に砂撒き菅を付けているのは少ないでしょうし、実感重視でカプラーもZゲージ用の物をあつらえているくらいですから。
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カトーカプラーならどうにか連結できるのでダブルルーフの客車などをごくたまに牽かせる事がありますが、その存在感は今でも圧倒的です。