文化庁は2日、明日香村の高松塚古墳(7世紀末~8世紀初め)で先月14日から進めていた2階部分の保存施設の撤去作業を終了したと発表した。
保存施設が外された墳丘は、長さ約5.5m、幅約2.7m、高さ約3mの空間が現われ、石室の入り口(南壁)につながる墓道東壁が露出した。墓道が姿を現したのは、保存施設の建設が始まった昭和49年以来34年ぶり。
保存施設を撤去すると、施設と墓道のすき間を埋めていた裏込めの土流出した様子や、南海地震による亀裂で墳丘の一部が崩落した状況が明らかになった。また、同様の目的で置かれた凝灰岩の切石には、取り合い部の側に黒いカビが集中していた。
墓道は墳丘築造後に遺体の埋葬や壁画を描くために掘られ、終了後に再び埋め戻されたと推定している。
同庁は、こうした保存施設と取り合い部の状態が壁画の劣化を招いた一因と見て、さらに調査を進める。
[参考:奈良新聞、毎日新聞]
保存施設が外された墳丘は、長さ約5.5m、幅約2.7m、高さ約3mの空間が現われ、石室の入り口(南壁)につながる墓道東壁が露出した。墓道が姿を現したのは、保存施設の建設が始まった昭和49年以来34年ぶり。
保存施設を撤去すると、施設と墓道のすき間を埋めていた裏込めの土流出した様子や、南海地震による亀裂で墳丘の一部が崩落した状況が明らかになった。また、同様の目的で置かれた凝灰岩の切石には、取り合い部の側に黒いカビが集中していた。
墓道は墳丘築造後に遺体の埋葬や壁画を描くために掘られ、終了後に再び埋め戻されたと推定している。
同庁は、こうした保存施設と取り合い部の状態が壁画の劣化を招いた一因と見て、さらに調査を進める。
[参考:奈良新聞、毎日新聞]