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蒲郡市・竹谷城跡 白銅の雁首が出土

2008年12月27日 | Weblog
 蒲郡市教委によると、今年2月に発掘調査した竹谷城跡から、青銅の中でもスズ成分が多い白銅の雁首(キセルの先端部)が出土していたことがわかった。キセルは鉄砲の伝来(1543年)と同様に16世紀にポルトガルから伝来されたとされ、また、竹谷城は天正18年(1590)に廃城となっていることから、わずかの期間にいち早く、ヨーロッパのたばこ文化を取り入れていたのが興味深いとする。ちなみに、愛知県での出土例は清洲城跡のみであるという。
 竹谷城跡は、真下から6世紀前半の円墳の横穴石室が出土したことでも知られる。
[参考:東日新聞、読売新聞]

[2008.4.8]
蒲郡市・竹谷(たけのや)城古墳 「ガラス小玉」81点出土
去る1~2月に中世の竹谷城跡を発掘中に発見されたから、現代のビーズによく似た「ガラス小玉」81点が出土していたことが、その後の調べで分かった。
 石室床面から祭祀用の土器とともに耳環や管玉を発見したため、持ち帰った周辺の土砂の中に含まれていた。ネックレスなどの装身具に使用する小玉の大きさは、1.5mmから5mm。出土した81点のうち、70点は欠けた部分がなかった。
 吹きガラスという、紀元前に古代ペルシャで開発された製法は、中央アジアや中国、朝鮮半島を経て古代日本に伝えられた。糸を通すため小さな穴が開けられていたり、さまざまな金属を加えて鮮やかな青や緑、黄、茶などに発色させるなど、当時の技術の高さをしのばせる。
 古墳は、古墳時代後期(6世紀前半)初めごろの円墳で、戦国時代初めに「竹谷城」(竹谷松平氏)を築く際に石室上部を切り取り、付近を整地して出城とした痕跡がある。
 調査中の石室から耳環や管玉が見つかるケースはよくあるが、小さなガラス小玉は見つけにくく、このようにまとまって出土するのは、全国的にも珍しいという。
[参考:2008.4.8東日新聞]

<備考>
今年2月に、発見された石室からは金銅製耳飾り、碧玉製管玉、高坏、壷が各1点ずつ見つかった。
墳丘: 円墳 直径8m前後、  石室: 長さ2.9m、幅0.9m、高さ約30cm
竹谷城は、松平宗家3代信光の長男守家が竹谷へ移り住み竹谷松平家の祖となり、4代清善のとき1548年頃に築城されたと云われる。

[2008.2.13] 
蒲郡市・竹谷(たけのや)城古墳 城の直下に古墳石室、東海地方2例目
 発掘調査中の竹谷城跡から、古墳の石室を発掘。6世紀前半に造られた横穴式石室と見られている。床面に石が敷き詰められ、側面は石積みになっている。中から金銅製耳飾り、碧玉製管玉、高坏、壷が各1点ずつ見つかった。
墳丘: 円墳 直径8m前後、  石室: 長さ2.9m、幅0.9m、高さ約30cm 
[参考:中日新聞]
 蒲郡市のホームページでは、「守家は三河18松平のうちの竹谷松平の始祖として、天文16年(1547)に竹谷城を築いた人物である。」と書いている。守家は1503年に亡くなっているので年代が合わない。 今回の中日新聞の記事では、1467年前後に建てたとしており、そうであれば守家が築城したことになるが、どちらが正しいのであろう。ちなみに、インターネット検索での結果、「豪族牧山喜三郎から、700貫の土地を譲り受けて、天文16年(1547)に 城を構えた」とする内容のものが多く見られる。

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