歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

京丹後市・大内北3号墳 6基の埋葬施設が出土

2010年09月02日 | Weblog
 京都府埋蔵文化財調査研究センターは2日、古墳時代前期(4世紀後半〜5世紀初め)の大内北3号墳(京丹後市大宮町森本)で竪穴式石室やくり抜き式木棺跡、4基の組み合わせ式石棺など計6基の埋葬施設が出土したと発表した。
 古墳時代に入ると一墳墓に一埋葬施設が普通であるのに対し、丹後は弥生の伝統を受け継いでいたことを示し特異な例。
 複数の埋葬施設の出土例は、権現山古墳(久美浜町)に次いで市内で二例目。
 竪穴式石室から副葬品の短剣と鉄製やりがんなが出土している。
 現地説明会は5日(日)午前11時に開かれる。大宮町三重の旧三重小学校グラウンド集合。
[参考:京都新聞、京都府埋蔵文化財調査研究センターHP]




キーワード: 槍鉋、やりがんな、ヤリガンナ


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太田市・間之原遺跡 平安時代の年号(830年)と日奉部が刻まれた紡錘車が出土

2010年09月02日 | Weblog
 群馬県埋蔵文化財調査事業団などは1日、太田市龍舞町の間之原(あいのはら)遺跡で、先月18日、地中に埋まっていた竪穴住居の上部から平安時代の年号などが刻まれた蛇紋岩製の紡錘車が出土したと発表した。年号が刻まれた物は、今回が全国で4例目、県内では初めて。
出土した紡錘車は、中央に直径約1cmの穴が開いており、直径は上面が約4cm、下面が約3cm、厚さは約1cm、重さは約34g。
上面には「日奉部(ひまつりべ)」(注1)、下面には、「天長七年(830)正月三日」の文字が、反時計回りに刻まれていた。
 間之原遺跡は、同事業団が4月から発掘調査を開始。古墳時代後期から平安時代の竪穴住居・掘立柱建物跡や土坑、土器、鉄器などが見つかっている。
 現地説明会が5日(日)午前10時~午後3時に開かれる。
[参考:東京新聞、産経新聞、群馬県埋蔵文化財調査事業団HP]

備考:
日本書紀 敏達天皇六年(577)に日祀(奉)部のことがが記されている。
 春2月甲辰朔、詔置日祀部(注2)・私部。
 (注2)日奉部とも書く。太陽崇拝の行事に関係する品部との説が有力であるが、なお確かではない。(略)
[「日本書紀」(岩波文庫 1995)より]



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仙台市・六反田遺跡 木棺墓から管玉、ガラス玉が出土

2010年09月02日 | Weblog
9月4日、六反田遺跡、大野田官衙遺跡、薬師堂東遺跡で現地説明会
 仙台市教委は1日、太白区の「六反田遺跡」から古墳時代の木棺墓や平安時代の集落跡が出土したと発表した。
 9月4日(土)午前に現地説明会が開催される。
 また、東側に隣接する奈良時代前半の役所跡「大野田官衙遺跡」では、区画溝東辺の様子が明らかになり、六反田遺跡と合わせて現地説明会が行われる。
 さらに、六反田遺跡から北東5kmにある「薬師堂東遺跡」では、古代の住居跡や中世の掘立柱建物跡が見つかり、同日午後に遺跡見学会が開催される。

①六反田遺跡
 六反田遺跡とその周辺ではこれまでに、前方後円墳1基と44基の円墳からなる古墳群や古墳時代から平安時代の集落跡が発見されている。
 古墳時代6世紀前後とみられる木棺墓(長さ約4m、幅約1.6m)が出土し、中から副葬品の管玉(碧玉)10点とガラス小玉8点が見つかった。
 平安時代の集落跡からは、竪穴住居跡や掘っ立て柱建物跡、墨書土器、漆紙や円面硯が発見された。中でも「取」という字が書かれた墨書土器の破片は、この周辺が「名取」と呼ばれていたことを裏付けるものとみている。

②大野田官衙遺跡
 六反田遺跡の東側に隣接する奈良時代前半の役所跡「大野田官衙遺跡」は、これまでの調査で南北約259m,東西約196mの範囲であることが判明している。今年度は、南部では区画溝が南北方向に延びており、中央部では区画溝が途切れていることを確認した。官衙の入り口だった可能性があるとしている。また、官衙よりも新しい時期の道路跡も発見された。

③薬師堂東遺跡
 古代の住居跡10軒が見つかった。住居跡からは、国分寺で使用された瓦が見つかっており、国分寺に近接していることから、寺に関わる人々の住まいと考えられる。土坑が約30基見つかっており、そのうちの一つからは、平安時代の土器や瓦の他に、多量の炭と鉄滓、羽口などが見つかっている。
 中世の掘立柱建物跡1棟が見つかった。他の柱穴の埋土から、14世紀中頃に瀬戸(愛知県)で焼かれた焼き物が完全な形で見つかっている。

 4日(土)午前10時から、六反田、大野田官衙の両遺跡の見学会が開かれる。
 また、同日午後2時からは薬師堂東遺跡の見学会も実施する。
[参考:河北新報、仙台市HP]

過去の関連ニュース・情報
 2008.8.1 仙台市太白区・六反田遺跡・大野田古墳群 古代「名取郡役所」発見か


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大阪市・上本町遺跡  奈良期・難波京の条坊跡を初確認

2010年09月02日 | Weblog
 大阪市天王寺区の上本町遺跡で、奈良時代に聖武天皇が築いた副都・難波京の条坊制に伴うと見られる橋跡が、市博物館協会・大阪文化財研究所の調査で見つかっていたことが1日分かった。難波京で条坊跡とみられる遺構が確認されたのは初めて。
 今回見つかった橋跡は、難波宮から約2km南、朱雀大路から西に約265mのところにあたる。
[参考:共同通信、産経新聞]
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茨城県美浦村・陸平貝塚 縄文時代後期(3~4千年前)の貝層が見つかる

2010年09月02日 | Weblog
 美浦村教委は1日、今年8月22日から実施している陸平貝塚(おかだいらかいづか)D貝塚西部(同村土浦)での調査結果を発表した。
 今回の調査では、3~4千年前の縄文時代後期の貝層が見つかった。アカニシ、ハマグリ、バカガイ、サルボウなど。
 現地説明会が4日(土)午前10時半、午後1時半の2回に開かれる。
 美浦村のホームページでは調査日誌が公開されている。
[参考:産経新聞、美浦村HP]


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