歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

慶州・鶏林路14号墳、玉虫装飾矢筒初公開

2010年09月29日 | Weblog
 国立中央博物館は27日、先史古代館新羅室でテーマ展「鶏林路14号墓-黄金宝剣を解剖する」を9月28日から11月21日まで開催すると発表した。
 新羅時代典型的な積石木槨墳の慶州鶏林路(계림로)14号墳から出土した新羅時代の玉虫(비단(緋緞)벌레(虫))装飾(장식)矢筒(화살통)(初公開)をはじめとして、黄金宝剣(황금보검)と金銀で龍文を入絲した馬鞍橋装飾(말안장꾸미개)、ガラスで装飾した金銅杏葉(말띠드리개)など120点余りを展示する。
■「黄金宝剣」は保存処理過程で内部構造が明らかになり、装飾品の中で瑪瑙とされた宝石は、石榴石(ざくろいし)で、剣は鉄剣であることが確認された。製作地は正確に分からないが、黒海沿岸から中央アジアにかけるある地域と推定される。
■三国時代の遺物に、主に装飾された玉虫は色々な美しい翼光で数多くの昆虫中、昆虫の王と呼ばれる。 玉虫は1921年慶州金冠塚出土の馬鞍橋装飾(말안장꾸미개)と鐙(발걸이、등자)に初めて装飾品として使われたことが分かった。
[参考:聨合ニュース]
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唐津市・唐津城 本丸西側から築城期の石垣を発見

2010年09月29日 | Weblog
 唐津市教委は28日、同市東城内の唐津城跡本丸の西側で約400年前の築城期のものと見られる石垣が見つかったと発表した。唐津城は初代唐津藩主の寺沢志摩守が慶長7年(1602)~13年(1608)に築城したと古文書に記載されているが、当時の石垣が見つかったのは初めて。
 築城期のものと見られる石垣は、現在の石垣(高さ4m、幅約40m)の約3m内側に沿って、地下約50cmのところに高さ50cm延長約3mにわたって7個並んでいるのが見つかった。花崗岩の自然石を使っており、周辺から江戸初期に朝鮮半島から伝わった陶磁器や瓦の破片など数十点の遺物が出土したことから時代を特定した。周辺の石垣は割り石を使っているほか、土層が違っており、築城後、数回にわたって石垣を積み直す補修や改修が行われていたことがわかったという。
 本丸南側では、高さ約3mの天守台石垣の土に埋もれていた部分には自然石が混じっているのに対して、地上部分は割り石になっており、ここも改修された可能性があるとみている。
 これまでの調査で存在がわかっていた本丸西側の櫓台の石垣13個も新たに見つかった。江戸中期から後期にかけてのもので、石垣で囲まれた櫓台の立っていた敷地は南北9・5m、東西7・5mの長方形とわかった。瓦などの出土品などから江戸中期から幕末にかけ、平屋建てのやぐらが建っていたとみられる。
天守台東側の地中からは通常の割り石とは色や形状が異なる石が見つかり、天守閣の石垣も積み直した可能性も出てきた。
 説明会が10月3日(日)午前11時と午後2時の2回、唐津城の中段広場で開かれる。
[参考:佐賀新聞、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2009.6.24 唐津市・唐津城 名護屋城と同じ文様の瓦が大量に出土
 2008.11.7 唐津市・浜玉で石切り場確認 大坂城再建時に搬出か
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鳥取県大山町・大山寺 寂静山地区僧坊跡から天目茶碗、茶臼、茶壺などの茶器が多数出土.2010

2010年09月29日 | Weblog
 大山町教委は28日、現在の大山寺から1kmほど北、大山中腹(標高900m)の大山町寂静山地区にある室町時代(14~15世紀中頃)の僧坊跡から、大型の鉄鍋や鎧の破片、青磁(香炉、人形の姿をした蝋燭台、花瓶など)、天目茶碗や茶臼、茶壺などの茶器が多数出土したと発表した。 豊かな暮らしぶりがうがえるとしている。
 小石大の炭化した米の塊が約10個見つかり、建物が火災に遭ったことも判明した。
 この僧坊は寂静山地区に残る40の僧坊跡で約1100㎡あったとみられる。昨年度から始まった調査では、室町時代(15世紀)の中国・明銭や李朝時代の青磁、備前焼のすり鉢などが出土していた。
 現地説明会が10月2日(土)に開かれる。午後2時までに大山寺近くの旅館「山楽荘」の駐車場に集合。
[参考:読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2009.10.14 大山寺 15世紀の僧坊跡を初確認、東アジア交易の一角を示す遺物が出土

追記
2010.10.2
 出土した小石大の炭化した米の塊は国立歴史民俗博物館に分析を依頼中。
 押しずしの可能性もあるとの途中経過。
[参考:毎日新聞] 
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大阪市・難波宮跡 5世紀前半の須恵器の窯跡2基が見つかる

2010年09月29日 | Weblog
 大阪市教委と市博物館協会大阪文化財研究所が28日、難波宮跡(同市中央区上町台地)で古墳時代中期(5世紀前半)とみられる最古級の須恵器の窯跡2基や初期須恵器の破片105点が見つかったと発表した。
 窯跡は地下にトンネルを掘る構造で谷の斜面に東西に並んでおり、西側の窯は幅約1.3m、長さ3.7m、東側は幅約1.5、長さ3.8mが残っていた(ともに推定全長は5m)。 出土した須恵器の破片は、5世紀前半の特徴を備えている。
 畿内では大阪府南部の陶邑古窯址群(すえむらこようしぐん)が初期段階から須恵器の一大生産地だったとされており、今回見つかった窯が使われたころには陶邑で既に生産が始まっている。須恵器を使うような重要な施設が付近にあり、近くに窯を作ったのではないかと推定している。
 上町台地では大和王権直轄とみられる「法円坂倉庫群」(5世紀後半)が見つかっているが、その際出土した須恵器は今回のものより新しく、それ以前に別の王権施設があったのではないかとみている。
 発掘現場はすでに埋め戻されている。29日から大阪歴史博物館(同市中央区)で窯跡の写真や出土遺物を展示する。
[参考:共同通信、産経新聞、読売新聞、毎日新聞]

古墳期最古級の須恵器窯 難波宮跡、近くに王権施設か(共同通信) - goo ニュース
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