宮城県大崎市教委は、古代の官衙的施設とみられる権現山遺跡(同市古川荒谷)の発掘調査で、材木塀跡410mが新たに見つかり、兵士の「勤務表」を記した可能性のある木簡が出土したと発表した。
出土した木簡(長さ13・6cm、幅3・6cm)には、赤外線撮影などで表に「従六年 十二月十一日」、裏に「矢田マ黒□」「(汗)知マ忍山」「若田マ」」ら男4人の名前が書かれていた。 「従六年」は「六年より」の意味で、8世紀前半で年号が6年以上続いたのは和銅6(713)年、養老6(722)年、天平6(734)年しかなく、このいずれかという。「(汗)知マ」は同県白河郡方面の「宇智(治)部」の当て字とみられる。
権現山遺跡に近接する三輪田遺跡(同市古川長岡三輪田)では1998年、相模国の軍団の駐屯を示す木簡が出土している。今回の木簡も兵士の勤務表、出勤簿の可能性もあるとみている。
[参考:2012.11.8読売新聞、2012.10.26河北新報、毎日新聞]
出土した木簡(長さ13・6cm、幅3・6cm)には、赤外線撮影などで表に「従六年 十二月十一日」、裏に「矢田マ黒□」「(汗)知マ忍山」「若田マ」」ら男4人の名前が書かれていた。 「従六年」は「六年より」の意味で、8世紀前半で年号が6年以上続いたのは和銅6(713)年、養老6(722)年、天平6(734)年しかなく、このいずれかという。「(汗)知マ」は同県白河郡方面の「宇智(治)部」の当て字とみられる。
権現山遺跡に近接する三輪田遺跡(同市古川長岡三輪田)では1998年、相模国の軍団の駐屯を示す木簡が出土している。今回の木簡も兵士の勤務表、出勤簿の可能性もあるとみている。
[参考:2012.11.8読売新聞、2012.10.26河北新報、毎日新聞]