岐阜市教委が16日、金華山の麓、岐阜公園で発掘中の織田信長公居館跡で、戦国時代の日本庭園の池跡が見つかったと発表した。
池跡はロープウエー乗り場の南側、明治大帝像の移設跡地付近、地中50cmから掘り出された。南北7.5m、東西6.1m、深さ35cmの楕円形で、長良川の河原で採れる拳大の丸い石が池の底に敷き詰められていた。館の礎石とみられる直径30mの石二つが、池の隣に埋まっていた。
ポルトガル人宣教師ルイス・フロイス(1532-97)は著作「日本史」で、永禄十二年(1569)に信長の館に招かれ、「きわめて新鮮な四つ五つの庭園があり、(略)、幾つかには1パルモ(約20cm)の深さの池があり、その底には入念に選ばれた清らかな小石や目にも眩しい白砂があり、その中には泳いでいる各種の美しい魚が多数いた。」と記しており、この記述と一致する。
発掘現場の一般公開と説明会が24日午前10時~正午に開かれる。
[参考:岐阜新聞、共同通信、読売新聞、毎日新聞]
過去の関連ニュース・情報
織田信長公居館跡
池跡はロープウエー乗り場の南側、明治大帝像の移設跡地付近、地中50cmから掘り出された。南北7.5m、東西6.1m、深さ35cmの楕円形で、長良川の河原で採れる拳大の丸い石が池の底に敷き詰められていた。館の礎石とみられる直径30mの石二つが、池の隣に埋まっていた。
ポルトガル人宣教師ルイス・フロイス(1532-97)は著作「日本史」で、永禄十二年(1569)に信長の館に招かれ、「きわめて新鮮な四つ五つの庭園があり、(略)、幾つかには1パルモ(約20cm)の深さの池があり、その底には入念に選ばれた清らかな小石や目にも眩しい白砂があり、その中には泳いでいる各種の美しい魚が多数いた。」と記しており、この記述と一致する。
発掘現場の一般公開と説明会が24日午前10時~正午に開かれる。
[参考:岐阜新聞、共同通信、読売新聞、毎日新聞]
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