民主化で突如脚光を浴びているミャンマー。
私はこの国が大好きで、最近頻繁に新聞やテレビで取り上げられるのを嬉しく感じている。
日本企業の相次ぐ本格的進出やミャンマーによる対中国貿易の制限や日緬友好に関する数々の話題。
話題の大多数がポジティブな内容であふれているが、例えば西部の諸州で展開されている仏教徒とイスラム教徒の衝突や北部で展開されている少数う民族との衝突には民主化の副作用とはいえ痛ましい限りだ。
とはいえ、このミャンマーに共通するのは敬虔な仏教徒であることと、日本人にきわめてよく似たメンタリティー。
これらが親近感を感じる大きな原因だが、最も大きな理由はとても親日的な国だということだろう。
軍政の時代から日本語を勉強している若者は少なくないし、手本にしているんは日本なので、乏しくとも識字率は高くてほとんどの国民が読み書きできる90数%。
日本人とわかると話しかけてくる、あのフレンドリーさは他のアジアの国でも体験するが、ミャンマーが最も大きいかもわからない。
こんな親日になった大きな理由が日本がミャンマーの独立に大いく影響しているから。
日本人の多くは忘れてしまっているが、ミャンマーの独立義勇軍を編成したのは日本で、最初の一時的な独立は日本の支援で成し遂げた。
終戦直後に連合国側についたが、戦後の日本が国際社会復帰できるように最も奔走してくれた国の1つもミャンマーだった。
この戦前戦中戦後のミャンマーの重要な政治を担ったのがアウン・サン・スー・チー女子の父であるアウン・サン将軍。
当時、リーダーだったアウン・サン将軍は同志30人と日本に密航し、面田紋次という日本名を名乗って軍事訓練、政治教育などを受け、やがてタイへ潜入。
バンコクでビルマ独立義勇軍を編成し、日本軍の支援のもとに英国軍を駆逐。
ラングーン、のちのヤンゴンに凱旋した。
アウン・サン将軍の日本での教育や政治活動、海南島での軍事訓練については後の独裁者ネ・ウィンなどの著作に多く記されているが、厳しい訓練の中でも充実したものがあったという。
国家の独立に命をかけた彼らの志は、きつい訓練をも凌駕して、たくましく尊敬すべきものに違いない。
このたくましく、現在でもミャンマーの人々の尊敬やまないアウン・サン将軍はじめ30名の志士がたったひとつだけ、日本人を許せないものがあるという。
それは、軍事訓練中に頻繁に行われた「ビンタ」による体罰だ。
日本軍、とりわけ陸軍はこのビンタを始めとする体罰で兵隊教育を実施していたことは、例えば司馬遼太郎の著作の中でも時々読むことが出来る。
体罰のひどさに、司馬遼太郎は「日本の破滅の原因は陸軍にある」という意味合いのことまで語っているくらいだ。
この体罰はアウン・サンやネ・ウィンたちも許すことができなかったらしく、昭和50年代に書かれた書物にも、志士の生き残りたちの証言として残っている。
その体罰で高校生が自害した。
大阪府立桜宮高校の運動部の学生が、顧問による度重なる体罰と、精神的脅迫で遺書を残し自害してしまったのだ。
ニュースの経緯は大きく報道されているが、このニュースを聞いて驚くような発言をする人が少なくない。
「生徒の精神が弱かったのではないか」
「体罰ぐらいなんだ」
「これでは先生が指導しにくくなる」
といったトンデモ意見なのだ。
体罰を擁護する意見は日本陸軍が繰り返した「ビンタ」の洗礼と何ら変わらず、そのために国は戦に敗れ、陸軍は解体。
多くの人に苦しみを与えた。
ちなみに海軍は存続して今そのまま海上自衛隊と名乗っている。
以前にも教育現場での体罰に賛成するような意見をしていた橋下徹大阪市長も遺族を訪問し、2時間も対談。
「自分の考えが間違っていたことがわかった。あの年代の少年が家族に宛てて遺書を認めるということを考えると、張り裂けんばかりの気持ちになる」
という意味合いのことを涙をにじませて語ったという。
教育には体当たりの部分も必要だろう。
我が子をパシッと叩くこともある。
でも、意味のない「体罰」は何も生まない。
体罰という文化。
アウン・サンのみならず、誰からも感謝されない教育は、教育ではない。
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