<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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兵庫県立美術館で開催されている「鉄斎」展を鑑賞してきた。
電車の吊り広告で目撃してから行こう行こうと思いながらなかなか見に行くことができなかった展示会だ。
ここのところ仕事が忙しくて毎週出張ばかり出かけていて美術展どころではない状態が続いていた。
もしかすると見ないうちに終了してしまうのではないかと危惧していたところ、偶然に空き時間ができたので車を飛ばして行って来たのだ。

実のところ、これまで富岡鉄斎の画をじっくりと見たことがなかった。
名前だけは知っていて、どのような絵かきだったのかは十分な知識がないまま過ごしてきたのだ。
鉄斎の伝記小説も一度購入したものの正直言ってかなり退屈な内容だった。そのくらい退屈だったのかというと、ほとんど覚えていないというぐらい退屈な小説なのであった。
よくよく考えてみると富岡鉄斎その人にどうして興味があるのか自分自身でもさっぱりわからない状態なのであった。

会場の兵庫県立美術館へは土曜日の午後に到着した。
人気のある展覧会。
例えば印象派に属する有名画家の展覧会なんかがあると超混雑して駐車場待ちの列が入り口から長々と続いていることがある。
ところが今回は富岡鉄斎という日本画のビッグネームであるにも関わらず駐車場はガラガラ。
エントランスに一番近いところへらくらく駐車することができたのであった。
もしかする富岡鉄斎という画家その人がテーマとしてはかなり硬派だと感じさせるのが人での少なさかもわからないと思った。

鉄斎の日本画は中国の影響を強く受けたテーマや構成が特徴だ。
私は日本画が西洋画よりも好みなのだが、中国形式の山水画みたいなものは少々苦手て多少の抵抗感がある。
従って日本の山河を中国風の構図で描き出した鉄斎の作風は微妙な抵抗感を私に与えつつ、それでもそのダイナミックな筆使いは鉄斎の世界に魅了されるに十分なパワーで迫ってきたのであった。
鉄斎のように江戸期から明治期にかけてを生き抜いた芸術家の特徴はやかり大量に流入してくる海外の文化、とりわけ西洋の影響とどのように向き合うのかという数々の試みをしているところだろう。
絵画。
文学。
音楽。
あらゆる分野でそれこそ無数の人たちが新鮮な空気として西洋文明に触れていたわけだが、鉄斎にしても同様であった。

展覧会で1枚だけ展示されていた日本画ではない鉄斎の作品があった。
木炭画。
フランスから輸入された紙に木炭で描かれた絵画は、それまでの鉄斎の日本画としてのエッセンスを踏襲しながらも新しい素材として、また新しい技法として晩年の鉄斎が自身にとっての試みをしていることがよく分かる作品だった。
もしかすると晩年に京都市立の高等学校でティーンエイジャーを相手に教鞭をとっていたことも、そのエネルギーの重要な要素だったのではと想像された。
生涯で1万点以上の作品を残したと言われる鉄斎だが、87年の長寿を全うしたわけだが、最後まで若々しさを失うことのなかったそのダイナミックなエネルギーを感じ取ることができる。
そんな展覧会なのであった。


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