能率技師のメモ帳 経済産業大臣登録中小企業診断士・特定社会保険労務士の備忘録

マネジメント理論、経営理論を世のため人のために役立てるために

渋谷センター街 バスケットボールストリート・・・SHIBUYAの魅力を引き出すために・・・

2015年06月16日 | まち歩き

仕事で、渋谷へ・・・。

コヂャゴチャ感、一体感のなさは、昔のまんま・・・変わりません。

 

渋谷センター街・・・青春時代を過ごした街です。

学生時代は、サーファーの街・・・正確には、丘サーファーの街でしょうか?

(丘サーファーとは、海に行かないサーフィンをする人を真似た男性を指します・笑)

 

センター街の入口で、「バスケットボールストリート」の横断幕が・・・。

えっ、いつからバスケの街になったのでしょうか?(笑)

マイケル・ジョーダンが来て路上バスケをしたとか・・・???

この横断幕・・・よ~く見ると、

パスケットボールなのに、なぜかヤクルトスワローズの文字が・・・???

このあたりの一体感のなさが、実は、渋谷の魅力でもあります(笑)。

日本のバスケットボール協会の分裂で、国際バスケットボール連盟から国際試合の参加を拒否されたりしています。

「黒子のバスケ」事件の発生・・・。

ちょっとイメージの悪いバスケットボールです。

1980年代のバブル経済時は、渋谷はサーファーの街。

カフェバーでは、ソルティドッグやマイタイといった南洋風のカクテル、サーファーディスコのキャンディキャンディなども夜な夜な盛り上がっていました(赤面)。

学生時代、サーファーカット、ファラのパンツにデッキシューズ、鍵型のキーホルダに鍵をジャラジャラさせながら歩いていました。

今にしてみれば、大笑い!です。

 

http://blog.goo.ne.jp/tomitomi111/e/dd78c79ede452b4d1574c05738e0f475

 

1980年代後半、広告代理店に勤務していた頃は、渋谷最大の映画館「パンテオン」に週末たびたび行っていました。

現在のヒカリエの場所に「東京文化会館」があり、そこに映画館「パンテオン」「渋谷東急」が入っていました。

プラネタリュームもあり、どこか山の手の「文化」を感じさせる独特のカルチャーがあったような気がします・・・。

その、渋谷。

新人のアドマン・・・下積み、仕事の基本を叩きこまれました。

外資系映画会社(略称WBです)を担当、開幕初日に向け1か月前からテレビスポットを流し、2週間前から女子大生のアルバイトを10名雇って、缶バッチと前売券を映画館(映画業界では「小屋」と言います)の前でキャンペーンするというもの。

テレビスポットの扱いをいただくために、現場でのプロモーションも全力仕事!

封切初日には、各小屋での立会い・・・有楽町のピカ1、ピカ2から始まり、新宿ミラノ座を経て、渋谷パンテオンへ・・・まさに、体力勝負です(苦笑)。

当時の映画(映画業界では「写真」と言います)は、「ターミネイター」「グーニーズ」「グレムリン」・・・。

シュワちゃん主演の「ターミネイター」は、日本では売れないと言う前評判を覆し、大ヒット作になったことを覚えています。

パルコの増床や、公園通りや道玄坂への大手ファストフード店の出店により、若者の街として、渋谷は発展していきます・・・。

平和な渋谷・・・楽しい思い出です。

しかしながら、

平和だった渋谷の街も、チーマーやおやじ狩り軍団の出没により、次第に治安が悪化していきます。

お金持ちではない若者たちが集まる街になってしまいました。

治安は悪い、お金は落ちないということで、地元商店街が立ち上がる・・・

その結果、

「スポーツをやる人に悪人はいない」的な発想で、バスケットボールで町おこし、街再生といったアイデアが出てきたのだと思います。

マーケター的に言うと、100点満点で30点です(笑)。

 

「バスケットボールで町おこし」と言った以上、渋谷の商店街ならではのコンセプトを打ち出さなければなりません。

そこが、どうも中途半端。

ヒカリエやセルリアンタワー、マークシティの誕生で、再び「大人の街」を目指す渋谷・・・。

今から、さらに、四棟の高層ビルが建つ渋谷・・・。

収拾のつかない雑多さ、複雑さ、カオスというのが、渋谷の魅力だと思うのですが、

その「ブレードランナー」的な魅力が打ち出されないのは、とても残念です。

ワクワク感、ドキドキ感のあるSHIBUYA・・・その街づくりが始まろうとしています。

 


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