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善意の贈り物です。新型コロナウイルス対策に使ってほしいと5日、長野市に1000万円の寄付がありました。1000万円はダンボールで届き、匿名だったということです。 長野市によりますと5日午前、長野市長あてに宅配便でダンボールが届いたということです。
市の職員が開けるとそこには、現金1000万円と手紙が…。 「新型コロナウイルス感染症のために役立ててほしい」などと書かれていたということです。 ただ、手紙や段ボールには住所・名前は書かれていませんでした。
市は匿名の寄付として市の収入に充てる予定で、市長は「厚く感謝し有効に使わせていただきたい」とコメントしています。 長野市庶務課・北島克彦課長: 「大金をちょうだいし驚いている。新型コロナ対策に役立つよう使わせていただきたい」
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昭和52年11月に北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父で、拉致被害者家族会の前代表、横田滋(よこた・しげる)さんが5日午後、老衰のため川崎市内の病院で死去した。87歳。
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横田滋さん(87)死去 妻・早紀江さん「主人はめぐみに会えることなく力尽き、今は気持ちの整理がつかない状態です」
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拉致被害者・横田めぐみさんの父・滋さんが亡くなったことが分かりました。87歳でした。 家族によりますと亡くなったのは5日午後2時57分で、老衰だったということです。滋さんは体調を崩し、川崎市内の病院に入院していました。滋さんは、拉致被害者家族会の前の代表を務め、拉致問題の解決に力を尽くしてきました。 めぐみさんの母・早紀江さんは「北朝鮮に拉致されためぐみを取り戻すために、主人と二人で頑張ってきましたが、主人はめぐみに会えることなく力尽き、今は気持ちの整理がつかない状態です」とコメントしました。
BSN
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6/5(金) 12:00配信
幻冬舎ゴールドオンライン
看護師の注射器の取り違えにより、58歳の慢性関節リウマチ患者が死亡した「東京都立広尾病院事件」。本連載では、同事件について、地裁、高裁、最高裁の判決を追っていく。※本記事は、2018年12月18日に幻冬舎MCより発行された小田原良治著『未来の医師を救う 医療事故調査制度は何か』より一部を抜粋・編集したものです。
医療ミスにより患者が死亡した東京都立広尾病院事件
看護師による誤薬投与の可能性
本事件については、刑事が、地裁・高裁・最高裁、民事が、地裁・高裁と合わせて5つの判決がある。本事件の事実経過について、客観的な経過の記載ということで、刑事裁判の東京地裁判決文に東京高裁判決文を加味し要約したい。
【事件番号】
東京地方裁判所判決/平成12年(合わ)第199号
医師法違反、虚偽有印公文書作成、同行使被告事件
【判決日付】 平成13年8月30日
(被告人は東京都立広尾病院の院長であるが、当事者は、同病院の看護師である。)
【東京都立広尾病院事件の事実経過(東京地裁判決文に一部東京高裁判決文を加味・修正)】
(1) 58歳の慢性関節リウマチ患者D子が、平成11年2月8日、左中指の滑膜切除手術を受けるために東京都立広尾病院に入院。2月10日、主治医である整形外科C医師の執刀で左中指滑膜切除手術を受け、手術は無事終了、術後経過良好であった。
翌日(平成11年2月11日)午前8時30分頃、患者の留置針の血液凝固防止目的のヘパロック用ヘパリン生食(ヘパ生)10ml注射器を、処置室においてE看護師が準備し、注射器にマジックで「ヘパ生」と書いて処置台の上に置いた。この際、他患者に使用予定の消毒液ヒビテングルコネート液(ヒビグル)10ml注射器を同時に準備し、処置台の上に並べて置いた。
E看護師は、このヒビグル注射器につけるべき「F子様洗浄用ヒビグル」というメモをヒビグル入り注射器にセロハンテープで貼り付けたつもりであったが、誤って、ヘパ生の注射器に貼り付けてしまった。E看護師は、取り違えた(ヘパ生と誤信した)ヒビグル注射器(ヘパ生との記載はない)を患者D子の床頭台の上に置き、その場を離れた。
同日9時頃、抗生剤の点滴が終了し、患者D子が押したナースコールに応じて赴いたG看護師が、床頭台の上にある注射液をヘパ生と誤信し(ヘパ生との記載はなく、実はヒビグルであった。)、留置針のヘパロックを行い病室を出た。このため、ヒビグル約1mlが患者D子の体内に注入されることとなった。残り約9mlは点滴ルート内に残存していた。
その後、E看護師が点滴の確認のために患者D子の病室に戻ったところ、既に抗生剤の点滴は終わっており、G看護師によりヘパロックされていた。
まもなく、患者D子はE看護師に「胸が苦しい」と苦痛を訴え始めた。E看護師は抗生剤の影響かと思ったが、前夜の点滴時は異状がなかったため、当直のH医師に連絡。H医師の指示で、血管確保のための維持液の点滴が開始されたが、維持液に先立ち、点滴ルート内のヒビテングルコネート液約9ml全量を体内に注入する結果となった。その直後から、容体は一層悪くなり、原因不明で応急措置が続けられた。
この間、処置室に立ち寄ったE看護師は、処置台の上に「ヘパ生」とマジックで書かれた注射器があるのを見つけ、それに自らが書いた「F子様洗浄用ヒビグル」というメモが貼ってあるのを発見した。ここで、ヘパ生ではなく、消毒液ヒビグルが誤って注入されたのではないかと気づいたE看護師は、病室に戻り、H医師を呼び出して、「ヘパ生とヒビグルを間違えたかも知れません」と告げた。その直後、患者D子は意識を失い、同日午前9時30分頃、心肺停止状態になった。H医師と他の当直医M医師が心臓マッサージ、人工呼吸を行った。
同日10時25分頃、連絡を受けて駆け付けた主治医C医師が心臓マッサージを行ったが、その際に、当直のH医師から状況の説明を受けるとともに、「看護師がヘパロックする際にヘパ生とヒビグルを間違えて注入したかもしれないと言っている」と聞かされた。また、主治医C医師は心臓マッサージの最中、患者D子の右腕に色素沈着のような状態があることに気づいていた。
蘇生の気配がなかったため、主治医C医師は、親族に現在の状態を説明するとともに患者D子のもとに伴い、親族の意向も聞いて、蘇生措置を中止し、平成11年2月11日午前10時44分に死亡を確認した。
主治医C医師は、死亡原因は不明として、解明のために病理解剖の了承を求めた。親族から、患者D子の急変の原因として誤薬投与の可能性の質問があったが、C医師はわからないと答え、看護師による誤薬投与の可能性を伝えないまま、病理解剖の了承を得た。
職員が来るまで警察への届け出は保留となった
(2) 患者D子の死亡した2月11日は祝日であり、院長である被告人は外出していたが、午後7時頃、外出先から自宅に電話を入れると、N庶務課長から電話が欲しいとの伝言があった旨を聞き、直ちに、N庶務課長に電話をし、説明を受けた。驚いた院長(被告人)は、午後8時頃帰宅、P看護部長に電話をし、説明を受けた。
院長(被告人)は「これが事実とすれば大変なことで、事実関係の調査と今後の対応が必要なので、明日の朝、対策会議を開きましょう。」とP看護部長に伝えた。
(3) 翌日2月12日午前8時頃、主治医C医師が院長室に赴き報告。8時30分頃から対策会議が開かれた。出席者は9名(院長、K副院長、Q副院長、J事務局長、P看護部長、L医事課長、N庶務課長、R看護課長、O看護副課長)で、E看護師から説明を受けた後、主治医C医師が呼ばれた。
C医師は、E看護師がヘパ生とヒビグルを間違えたかもしれないとH医師に伝えたこと、心筋梗塞の疑いもあること、病理解剖の承認を貰ったことなどを説明した。協議の結果、警察に届けると決まった。
(4) 東京都立広尾病院としては、警察に届け出ることに決定したので、院長(被告人)はそのことを監督官庁である東京都衛生局病院事業部(以下「病院事業部」という)に連絡するよう指示、L医事課長が12日午前9時頃、病院事業部に電話した。
病院事業部で電話を受けたS主事、A副参事、T病院事業部長は協議し、病院事業部の「医療事故・医事紛争予防マニュアル」を調べると、「過失が極めて明白な場合は、最終的な判断は別として、事故の事実が業務上過失致死罪に該当することになります。従って、事故の当時者である病院が病理解剖を行うと証拠隠滅と解されるおそれがあるので、病理解剖は行いません。解剖が必要と思われる場合、病院は警察に連絡しますが、司法解剖を行うか否かは警察が判断します」との部分を読み、過失が明白な場合については警察に届けなければいけないと理解した。
その後、病院事業部から、A副参事が午前9時半頃N庶務課長に電話。「これまで都立病院から警察に事故の届け出を出したことがないし、詳しい事情もわからないから、今から職員を病院に行かせる」と連絡。
同日9時40分頃、再開された対策会議で、病院事業部のA副参事の電話の内容が伝えられたため、病院事業部から職員が来るのを待つことにし、それまで警察への届け出は保留とすることに決定した。病院事業部のA副参事が東京都立広尾病院に到着したのは、午前11時過ぎであった。(この時点で、死亡時刻の2月11日午前10時44分から24時間となる2月12日午前10時44分が経過してしまった。)
90%以上の確率で事故死であると思う旨報告
(5) D子の病理解剖は、2月12日午前9時半頃から東京都立広尾病院のW子医師が中心となって行われることとなった。W子医師は、大学の病理の助教授であるY医師の応援を受けることにした。
この時、遺体の外表所見で右腕の静脈に沿って赤い色素沈着があるのを発見、C医師にポラロイドカメラで写真を撮ってもらった。この時、皮膚斑を見たC医師は少し驚いた感じで、わあ、すごいなと思った様子であり、皮膚斑に、それまであまり確実な自覚を持っていたようには見えなかった。
Y医師は遺体の右腕の状況を見て、警察に検案してもらいましょうと提案、監察医務院に連絡を取った方がいい旨言ったが、電話が直接外線につながらないため、X技師長が内線で、対策会議中の院長室に電話をかけ、電話に出たL医事課長に、病理解剖の医師が警察に届け出た方がいいと言っている旨伝えた。
L医事課長は、院長(被告人)に今までの方針でよいか尋ねると、院長は「それでやってください」と言った。X技師長は、許可が出たから始めるようにとW子医師らに言い、W子医師らは監察医務院に問い合わせたと誤解し、解剖を始めた。
解剖所見としては、右手前腕静脈血栓症及び急性肺血栓塞栓症のほか、遺体の血液がさらさらしていること(これは溶血状態であることを意味し、薬物が体内に入った可能性を示唆する。)が判明し、心筋梗塞や動脈解離症などをうかがわせる所見は特に得られず、「右前腕皮静脈内に、おそらく点滴と関係した何らかの原因で生じた急性赤色凝固血栓が両肺に急性肺血栓塞栓症を起こし、呼吸不全から心不全に至ったと考えたい」と結論された。
解剖終了後、Z医長とC医師、W子医師が、院長にポラロイド写真を見せて、肉眼的な所見として心筋梗塞等、病死を思わせる所見がなかったこと、血管が浮き上がっており、血液がさらさらしており90%以上の確率で事故死であると思う旨報告した。
死因の種類を「不詳の死」と記載していた
(6) 2月20日、院長(被告人)はK副院長とともに、D子の夫であるIの自宅を訪れ、それまでの経過について中間報告を行った。その席で、Iから事故であることを認めるよう詰め寄られ、病院が警察に届け出ないのであれば、自分で届け出る旨言われた。
院長(被告人)は、病院関係者らと話し合い、警察に届け出ることを決め、2月22日、東京都衛生局長らと面談し、その旨を報告したところ、警察に相談する形で届け出るようにとの指示を受けて、同日、渋谷警察署に届出をした。
(7) 3月10日、D子の夫であるIが保険金請求のため、D子の死亡診断書、死亡証明書の作成を東京都立広尾病院に依頼。用紙を受け取ったJ事務局長は、翌3月11日、主治医C医師にその作成を頼んだ。
C医師は、保険金請求用に必要な診断書だと理解した。D子が死亡した直後の2月12日付死亡診断書で、死因の種類を「不詳の死」と記載していたが、この診断書では保険の方がうまくいかないのだろうと考え、この時点で死因を不詳の死または外因死と記載するか病死と記載するか迷い、院長に相談した。院長も判断に迷い、K副院長、Q副院長、J事務局長と協議。解剖の報告書に急性肺血栓塞栓症との記載があったことから、死因を急性肺血栓塞栓症とすることにした。
保険請求のための診断書であり、現時点での証明であることを説明することとして、3月12日、C医師作成の死亡診断書、死亡証明書をJ事務局長がI方に持参し、同人に手渡した。
【東京地裁の判決は】
小田原 良治
医療法人尚愛会
理事長
小田原 良治
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2020年5月の「パチンコホール」倒産は、2件(前年同月比100.0%増)だった。2020年1月~5月の累計は12件(同100.0%増)に達し、前年同期(6件)の2倍増に急増している。
新型コロナウイルス関連では5月までに3件が倒産し、件数を押し上げた。2020年は2014年以来、6年ぶりに年間30件を突破する可能性も出てきた。
出玉規制や受動喫煙の防止などで経営環境が厳しさを増すパチンコホールだが、 4月の緊急事態宣言の発令で、休業要請はパチンコホールの体力を奪った一方、通常営業が社会的な関心を集めた。要請に応じなかったパチンコホールは店名を公表され、業界全体が混乱に陥った。
5月25日、緊急事態宣言の解除を受け、各自治体はパチンコホールへの休業要請を徐々に解除した。東京都はパチンコホールを「ステップ3」に分類し、まだ解除の見通しは立っていない。
東京都の業界団体は、休業継続の判断を各店舗に委ねる方針に転換した。休業が長期化した場合、事業継続が難しくなるパチンコホールが出てくることを危惧したためだ。
政府は、5月から政府系金融機関や信用保証協会の融資や保証の対象を、パチンコホールにも広げた。また、警察庁は5月14日、2021年1月まで有効だった旧規則の遊技台入れ替えの期限を1年延長した。これでパチンコホールの廃業や倒産を、一時的には抑制する効果も期待される。
だが、2カ月に及ぶ休業や、感染予防対策での稼働率低下など、経営環境は依然として厳しい。資金力の乏しい中小・零細のパチンコホールの淘汰は、これから本番を迎えそうだ。
【主な倒産事例】
2020年5月「パチンコホール」の倒産状況
4月15日に破産申請の(株)赤玉(TSR企業コード:400217414、法人番号:5180001056721、愛知県)は、事業承継の可能性を評価し、管財人が民事再生法の適用を申請した。休業要請で先が見えなかったが、営業再開の店舗も増え、大手は事業譲受を検討しているようだ。
(有)有楽商事(TSR企業コード:270161660、法人番号:8070002035237、群馬県)は、休業中に営業再開の見込みが立たず4月30日、破産を申請した。昨年からスポンサー交渉を進めていたが、新型コロナの影響で交渉が破断、事業継続が困難となった。
(株)愛染観光(TSR企業コード:840102160、法人番号:8480001007848、徳島県)は、店舗改修などの投資負担が重く、金融機関に返済リスケで資金繰りを維持していた。しかし、新型コロナ感染拡大で客数が減少。5月20日、破産開始決定を受けた。
6/5(金) 12:02配信
新R25
「1勝9敗」でもポジティブでいられる理由とは…?
「気持ちをポジティブに切り替えられないとき」って、ありますよね。
ネガティブな出来事が立て続けに起きると、「どうして自分ばっかり…」と心が負のループに入ってしまうこともあると思います。
そんなとき、たくましくポジティブに変換する方法はないものか…
ということで今回お話を伺ったのが、Twitterにつづった “切ない出来事”が反響を呼び、5月に書籍『実家が全焼したらインフルエンサーになりました』(KADOKAWA)を上梓した、実家が全焼したサノさん。
【実家が全焼したサノ】新橋で働くサラリーマン。Twitterで「実家が全焼したサノ」というアカウントで日々切なかった出来事を投稿し話題を集め、2020年5月に書籍『実家が全焼したらインフルエンサーになりました』を発表
お通夜の日、祖母は泣きながら僕の父が1番好きだったもので天国に送ってあげたいと言いました。
そして自前で用意したロウソクに火を灯しました。
その時のロウソクがこちらです。
おばあちゃんヤベェなと思いました。
実家の全焼、母親の蒸発、父親の自殺など…壮絶な経験をされつつも「僕は人生をわりと気に入っています」と語るサノさんに、“ネガティブな出来事をポジティブに乗り越える方法”を聞きました。
〈聞き手=サノトモキ〉
「なんでもポジティブに考えよう!」って、いいことばっかじゃない
(C)新R25 編集部
サノ:
名前が完全にかぶってて申し訳ないんですけど…
今日はよろしくお願いします!
実家が全焼したサノさん:
今日のテーマは「ネガティブな出来事をポジティブに乗り越える方法」だと思うんですけど…
最初にひとつ、お断りしておきたいことがあって。
サノ:
なんでしょう?
実家が全焼したサノさん:
僕、「“現在進行形で起きているネガティブな出来事”をポジティブに乗り越える方法」については、正直わからないんですよね…
「ネガティブな出来事が起きたときは、ネガティブなまま受け入れることが大切」だと思ってるので…
イヤなことがあったのに無理に明るく振舞うのは心が疲れてしまいますし、根拠なく前向きに考えると対処法を間違ってより泥沼化してしまうことも多いと思うんです。
ネガティブな事実をポジティブに変換するのって、意外といいことばかりではない気がするんですよね。
サノ:
…たしかに、「なんでもポジティブに考えよう!」ってちょっと理想論っぽい気はしちゃうかも。
取材しに来ておいてなんですけど…
実家が全焼したサノさん:
でも一方で、「過去」の話はいくらでもポジティブに解釈できると思っています。
僕が“切ない経験”をポジティブに変換できたのも、あくまでも「過去の話」だからで。
実家が全焼した男が語る“ネガティブな過去をポジティブに変換する方法”
(C)新R25 編集部
サノ:
ネガティブな経験っていつまで経っても思い出したくないものですが…
どうやってポジティブに解釈するんですか?
実家が全焼したサノさん:
ネガティブな出来事の延長線上に、「自分が幸せだと思える結果」をひとつでも作る。
僕はずっとこの考え方で、“解釈の上塗り”を繰り返してきた感じなんですよね。
たとえば僕は、大学卒業後経営しはじめたバーが開業して半年間ずっと赤字だったんですけど…
そのとき、赤字解消のためにとにかくなんでも試して失敗しまくったんですね。
ひたすら労働時間を増やしたときは、人間は17時間労働を数カ月続けると血尿や血便が出て、体にぶつぶつができるということがわかりました。
典型的な失敗例ですね。
サノ:
淡々とした語り口が逆に切ない。
実家が全焼したサノさん:
そんな失敗の連続の中で、試してみて成功したのが、「ボトムアップ型経営」でした。簡単に言えば「従業員の声を聞こう」ということです。
従業員の声に耳を傾け、言われるままにお店の経営を改善していった結果、落ち着いた雰囲気だった僕のお店はレゲエの音楽が爆音で流れ、ダーツが設置され、ギャルとギャル男が集まるバーへと進化を遂げ、僕は毎日震えながら自分のお店に通うことになったのですが…
結果的に離職率は大きく改善し、お店も黒字化しました。
ネガティブな出来事のまま物語が終わってしまっていたら、当然いつまでも辛い過去として振り返るしかないんですけど…
ポジティブに昇華できる「結末」を自分なりに作ることができれば、「過去」はいくらでもポジティブに解釈できるんです。
サノ:
なるほど…「終わりよければすべてよし」を、自分で用意するってことか。
実家が全焼したサノさん:
それこそ、実家が全焼したのは「切ない」の一言では片付けられない出来事でした。全焼した後、さらに父から10万円を騙し取られた時は、三日三晩泣きました。
でも、そんな話をTwitterに投稿して、多くの方が笑ってくださり、それが本にまでなったことで、僕が一人で抱え込んでいた切ない思い出も、愉快な思い出へと昇華されていく感覚があって。
だから、辛い状況にいるときは、「まだ結末じゃない」と考えることが大切だと思います。
ハッピーエンドを迎えるまで、物語を終わらせない。
「打率で自分の価値を測る人ほど、失敗したとき大ダメージを受ける」
(C)新R25 編集部
実家が全焼したサノさん:
だから僕は、ネガティブなことが起きたら、とりあえずたくさん種をまきます。
もちろんたくさん失敗もします。
でもどれかひとつの種から芽が出て成功したとき、他の失敗はすべて、ひとつの成功の養分になる。
1勝9敗でもいいからとにかく最後に“1勝”あげることができれば、物語はポジティブに塗り替えられるようになると思うんですよね。
サノ:
でも正直…ネガティブな気持ちになってるときに、1勝を取りに行くために9敗もするメンタルになれなくないですか?
実家が全焼したサノさん:
たくさん種を蒔くのを躊躇する人も多いと思いますが…
「打率じゃなくてヒット数」で勝負しようとすると、少し気持ちが楽になるかもしれません。
世の中、1勝9敗を納得できない人のほうが多いと思うんですよ。
できるだけ「負け」の数を減らして、「勝ち」だけで自分の実績を積もうとしてしまうというか。
それは、打率で自分の価値を測ってしまってるからだと思うんですよね。「ここで失敗すると自分の打率が下がっちゃうから…」と考えて、打席に立つ数が圧倒的に減ってしまってるというか。
サノ:
うわ、僕完全にそうかも…
「毎回成功してる人」でいたいと思いすぎて、身動き取れなくなっちゃうやつ…
実家が全焼したサノさん:
そうなると、「次の打席」に自分でもめちゃくちゃプレッシャーをかけちゃうじゃないですか。
打率で考える人や、1つの打席にすべて賭けてしまう人ほど、失敗したとき大ダメージを負ってしまう気がします。
でも、10個種を蒔いて打席数を増やしておけば、ひとつ失敗しても気持ち的には「10分の1ダメージ」しか食らわないで済むんですよね。
他9個の種がまだ生きてるから。
サノ:
たしかに。
実家が全焼したサノさん:
だから僕は、打率よりも「ヒット数」で自分をプレゼンするし、そこを指標にして生きています。
僕、打率でいったら相当低いと思います(笑)。
でもヒット数だけで勝負していると考えられたら、種を蒔くのが少し怖くなくなって、失敗の数に比例してヒット数も少し多い人生になるかもしれません。
サノ:
その結果、ネガティブな出来事をポジティブに解釈できるチャンスも増えると。
「打率じゃなくてヒット数」で勝負する。これはメモしとこう…!
最後の一枚の葉
原作:オー・ヘンリー 翻訳:結城浩
ワシントン・スクエア西にある小地区は、 道路が狂ったように入り組んでおり、 「プレース」と呼ばれる区域に小さく分かれておりました。 この「プレース」は不可思議な角度と曲線を描いており、 一、二回自分自身と交差している通りがあるほどでした。 かつて、ある画家は、この通りが貴重な可能性を持っていることを発見しました。 例えば絵や紙やキャンバスの請求書を手にした取り立て屋を考えてみてください。 取り立て屋は、この道を歩き回ったあげく、 ぐるりと元のところまで戻ってくるに違いありません。 一セントも取り立てることができずにね。
それで、芸術家たちはまもなく、奇妙で古いグリニッチ・ヴィレッジへとやってきました。 そして、北向きの窓と十八世紀の切り妻とオランダ風の屋根裏部屋と安い賃貸料を探してうろついたのです。 やがて、彼らは しろめ製のマグやこんろ付き卓上なべを一、二個、六番街から持ち込み、 「コロニー」を形成することになりました。
ずんぐりした三階建ての煉瓦造りの最上階では、スーとジョンジーがアトリエを持っていました。 「ジョンジー」はジョアンナの愛称です。 スーはメイン州の、ジョンジーはカリフォルニア州の出身でした。 二人は八番街の「デルモニコの店」の定食で出会い、 芸術と、チコリーのサラダと、ビショップ・スリーブの趣味がぴったりだとわかって、 共同のアトリエを持つことになったのでした。
それが五月のことでした。 十一月に入ると、冷たく、目に見えないよそ者がそのコロニーを巡り歩きはじめました。 そのよそ者は医者から肺炎氏と呼ばれ、 氷のような指でそこかしこにいる人に触れていくのでした。 この侵略者は東の端から大胆に歩きまわり、何十人もの犠牲者に襲いかかりました。 しかし、狭くて苔むした「プレース」の迷宮を通るときにはさすがの彼の足取りも鈍りました。
肺炎氏は騎士道精神に満ちた老紳士とは呼べませんでした。 息が荒く、血にまみれた手を持った年寄りのエセ者が、 カリフォルニアのそよ風で血の気の薄くなっている小柄な婦人を相手に取るなどというのは フェアプレイとは言えますまい。 しかし肺炎氏はジョンジーを襲いました。 その結果ジョンジーは倒れ、 自分の絵が描いてある鉄のベッドに横になったまま少しも動けなくなりました。 そして小さなオランダ風の窓ガラスごしに、 隣にある煉瓦造りの家の何もない壁を見つめつづけることになったのです。
ある朝、灰色の濃い眉をした多忙な医者がスーを廊下に呼びました。
「助かる見込みは ―― そう、十に一つですな」 医者は、体温計の水銀を振り下げながら言いました。 「で、その見込みはあの子が『生きたい』と思うかどうかにかかっている。 こんな風に葬儀屋の側につこうとしてたら、どんな薬でもばかばかしいものになってしまう。 あのお嬢さんは、自分はよくならない、と決めている。 あの子が何か心にかけていることはあるかな?」
「あの子は ―― いつかナポリ湾を描きたいって言ってたんです」とスーは言いました。
「絵を描きたいって? ―― ふむ。 もっと倍くらい実のあることは考えていないのかな ―― 例えば男のこととか」
「男?」スーは びあぼんの弦の音みたいな鼻声で言いました。 「男なんて ―― いえ、ないです。先生。そういう話はありません」
「ふむ。じゃあそこがネックだな」医者は言いました。 「わたしは、自分の力のおよぶ限りのこと、科学ができることはすべてやるつもりだ。 でもな、患者が自分の葬式に来る車の数を数え始めたら、 薬の効き目も半減なんだよ。 もしもあなたがジョンジーに、冬にはどんな外套の袖が流行るのか、 なんて質問をさせることができるなら、 望みは十に一つから五に一つになるって請け合うんだがね」
医者が帰ると、スーは仕事部屋に入って日本製のナフキンがぐしゃぐしゃになるまで泣きました。 やがてスーはスケッチブックを持ち、 口笛でラグタイムを吹きつつ、胸を張ってジョンジーの部屋に入っていきました。
ジョンジーはシーツをかけて横になっていました。 しわ一つもシーツに寄せることなく、顔は窓に向けたままでした。 ジョンジーが眠っていると思い、スーは口笛をやめました。
スーはスケッチブックをセットすると、 雑誌小説の挿絵をペンとインクで描きはじめました。 若い作家は文学の道を切り開くために雑誌小説を書きます。 若き画家は芸術の道を切り開くためにその挿絵を描かなければならないのです。
スーが、優美な馬のショー用のズボンと片眼鏡を主人公のアイダホ州カウボーイのために描いているとき、 低い声が数回繰り返して聞こえました。 スーは急いでベッドのそばに行きました。
ジョンジーは目を大きく開いていました。 そして窓の外を見ながら数を数えて ―― 逆順に数を数えているのでした。
「じゅうに」とジョンジーは言い、少し後に「じゅういち」と言いました。 それから「じゅう」「く」と言い、それから「はち」と「なな」をほとんど同時に言いました。
スーはいぶかしげに窓の外を見ました。 何を数えているのだろう? そこには草もなく わびしい庭が見えるだけで、 煉瓦の家の何もない壁は二十フィートも向こうなのです。 根元が節だらけで腐りかかっている、 とても、とても古いつたがその煉瓦の壁の中ほどまで這っていました。 冷たい秋の風は つたの葉に吹き付けて、 もう裸同然となった枝は崩れかかった煉瓦にしがみついているのでした。
「なあに?」スーは尋ねました。
「ろく」とジョンジーはささやくような声で言いました。 「早く落ちてくるようになったわ。三日前は百枚くらいあったのよ。 数えていると頭が痛くなるほどだったわ。 でもいまは簡単。 ほらまた一枚。もう残っているのは五枚だけね」
「何が五枚なの? スーちゃんに教えてちょうだい」
「葉っぱよ。つたの葉っぱ。 最後の一枚が散るとき、わたしも一緒に行くのよ。 三日前からわかっていたの。 お医者さんは教えてくれなかったの?」
「まあ、そんな馬鹿な話は聞いたことがないわよ」スーはとんでもないと文句を言いました。 「古いつたの葉っぱと、あなたが元気になるのと、 どんな関係があるっていうの? あなたは、あのつたをとても大好きだったじゃない、おばかさん。 そんなしょうもないこと言わないでちょうだい。 あのね、お医者さんは今朝、あなたがすぐによくなる見込みは ―― えっと、 お医者さんが言ったとおりの言葉で言えば ―― 「一に十だ」って言うのよ。 それって、ニューヨークで電車に乗るとか、 建設中のビルのそばを通るぐらいしか危なくないってことよ。 ほらほら、スープを少し飲んで。 そしてこのスーちゃんをスケッチに戻らせてね。 そしたらスーちゃんは編集者にスケッチを売ってね、 病気のベビーにはポートワインを買ってね、 はらぺこの自分にはポークチョップを買えるでしょ」
「もう、ワインは買わなくていいわ」目は窓の外に向けたまま、ジョンジーは言いました。 「ほらまた一枚。ええ、もう、スープもいらないの。残りの葉は たったの四枚。 暗くなる前に最後の一枚が散るのを見たいな。そして私もさよならね」
「ジョンジー、ねえ」スーはジョンジーの上にかがみ込んで言いました。 「お願いだから目を閉じて、私の仕事が終わるまで窓の外を見ないって約束してくれない? この絵は、 明日までに出さなきゃいけないのよ。 描くのに明かりがいるの。 でなきゃ日よけを降ろしてしまうんだけど」
「他の部屋では描けないの?」とジョンジーは冷たく尋ねました。
「あなたのそばにいたいのよ」とスーは答えました。 「それに、あんなつたの葉っぱなんか見てほしくないの」
「終わったらすぐに教えてね」とジョンジーは言い、目を閉じ、 倒れた像のように白い顔をしてじっと横になりました。 「最後の一枚が散るのを見たいの。もう待つのは疲れたし。 考えるのにも疲れたし。 自分がぎゅっと握り締めていたものすべてを放したいの。 そしてひらひらひらっと行きたいのよ。 あの哀れで、疲れた木の葉みたいに」
「もうおやすみなさい」とスーは言いました。 「ベーアマンさんのところまで行って、 年老いた穴倉の隠遁者のモデルをしてもらわなくっちゃいけないの。 すぐに戻ってくるわ。戻ってくるまで動いちゃだめよ」
ベーアマン老人はスーたちの下の一階に住んでいる画家でした。 六十は越していて、 ミケランジェロのモーセのあごひげが、 カールしつつ森の神サチュロスの頭から小鬼の体へ垂れ下がっているという風情です。 ベーアマンは芸術的には失敗者でした。 四十年間、絵筆をふるってきましたが、 芸術の女神の衣のすそに触れることすらできませんでした。 傑作をものするんだといつも言っていましたが、 いまだかつて手をつけたことすらありません。 ここ数年間は、ときおり商売や広告に使うへたな絵以外には まったく何も描いていませんでした。 ときどき、 プロのモデルを雇うことのできないコロニーの若い画家のためにモデルになり、 わずかばかりの稼ぎを得ていたのです。 ジンをがぶがぶのみ、これから描く傑作について今でも語るのでした。 ジンを飲んでいないときは、ベーアマンは気むずかしい小柄な老人で、 誰であれ、軟弱な奴に対してはひどくあざ笑い、 自分のことを、 階上に住む若き二人の画家を守る特別なマスチフ種の番犬だと思っておりました。
ベーアマンはジンのジュニパーベリーの香りをぷんぷんさせて、階下の薄暗い部屋におりました。 片隅には何も描かれていないキャンバスが画架に乗っており、 二十五年もの間、傑作の最初の一筆が下ろされるのを待っていました。 スーはジョンジーの幻想をベーアマンに話しました。 この世に対するジョンジーの関心がさらに弱くなったら、 彼女自身が一枚の木の葉のように弱くもろく、 はらはらと散ってしまうのではないか…。 スーはそんな恐れもベーアマンに話しました。
ベーアマン老人は、赤い目をうるませつつ、 そんなばかばかしい想像に、軽蔑と嘲笑の大声を上げたのです。
「なんだら!」とベーアマンは叫びました。 「いったいぜんたい、 葉っぱが、けしからん つたから散るから死ぬなんたら、ばかなこと考えている人がいるのか。 そんなのは聞いたこともないぞ。 あほ隠居ののろまのモデールなんかやらんぞ。 何でらそんなんたらつまらんことをあの子のあたまに考えさせるんだら。 あのかわいそうなかわいいヨーンジーに」
「病気がひどくて、体も弱っているのよ」とスーは言いました。 「高熱のせいで、気持ちが落ち込んでて、おかしな考えで頭がいっぱいなのよ。 えーえ、いいわよベーアマンさん。もしも私のためにモデルになってくれないなら、しなくて結構よ。 でも、あなたはいやな老いぼれの ―― 老いぼれのコンコンチキだわ」
「あんたも女ってわけだ」とベーアマンは叫びました。 「モデールにならんと誰が言ったらんか。いいかね。 あんたと一緒に行くったらさ。 モーデルの準備はできてると、三十分もの間、言おうとしたったらさ。 ゴット! ここは、 ヨーンジーさんみたいな素敵なお嬢さんが病気で寝込むところじゃないったら。 いつか、わしが傑作を描いたらって、 わしらはみんなここを出ていくんだら。 ゴット! そうなんだら」
上の階に着いたとき、ジョンジーは眠っていました。 スーは日よけを窓のしきいまで引っ張りおろし、ベーアマンを別の部屋へ呼びました。 そこで二人はびくびくしながら窓の外のつたを見つめました。 そして一言も声を出さず、しばし二人して顔を見合わせました。 ひっきりなしに冷たい雨が降り続き、みぞれまじりになっていました。 ベーアマンは青い古シャツを着て、 ひっくり返したなべを大岩に見たて、 穴倉の隠遁者として座りました。
次の朝、一時間ねむったスーが目を覚ますと、 ジョンジーはどろんとした目を大きく開いて、降ろされた緑の日よけを見つめていました。
「日よけをあげて。見たいの」ジョンジーはささやくように命じました。
スーはしぶしぶ従いました。
けれども、ああ、打ち付ける雨と激しい風が長い夜の間荒れ狂ったというのに、 つたの葉が一枚、煉瓦の壁に残っておりました。 それは、最後の一枚の葉でした。 茎のつけねは深い緑で、 ぎざぎざのへりは黄色がかっておりました。 その葉は勇敢にも地上二十フィートほどの高さの枝に残っているのでした。
「これが最後の一枚ね」ジョンジーが言いました。 「昨晩のうちに散ると思っていたんだけど。 風の音が聞こえていたのにね。 でも今日、あの葉は散る。一緒に、私も死ぬ」
「ねえ、お願いだから」スーは疲れた顔を枕の方に近づけて言いました。 「自分のことを考えないっていうなら、せめて私のことを考えて。 私はどうしたらいいの?」
でも、ジョンジーは答えませんでした。 神秘に満ちた遠い旅立ちへの準備をしている魂こそ、 この世で最も孤独なものなのです。 死という幻想がジョンジーを強くとらえるにつれ、 友人や地上とのきずなは弱くなっていくようでした。
昼が過ぎ、たそがれどきになっても、 たった一枚残った つたの葉は、壁をはう枝にしがみついておりました。 やがて、夜が来るとともに北風が再び解き放たれる一方、 雨は窓を打ち続け、 低いオランダ風のひさしからは雨粒がぼたぼたと落ちていきました。
朝が来て明るくなると、ジョンジーは無慈悲にも、日よけを上げるようにと命じました。
つたの葉は、まだそこにありました。
ジョンジーは横になったまま、 長いことその葉を見ていました。 やがて、スーを呼びました。 スーはチキンスープをガスストーブにかけてかき混ぜているところでした。
「わたしは、とても悪い子だったわ、スーちゃん」とジョンジーは言いました。 「何かが、あの最後の葉を散らないようにして、 わたしが何て悪いことを思っていたか教えてくれたのね。 死にたいと願うのは、罪なんだわ。 ねえ、スープを少し持ってきて、それから中にワインを少し入れたミルクも、それから ―― ちがうわ、 まず鏡を持ってきて。それから枕を何個か私の後ろに押し込んで。 そしたら体を起こして、あなたが料理するのが見られるから」
それから一時間たって、ジョンジーはこう言いました。
「スーちゃん。わたし、いつか、ナポリ湾を描きたいのよ」
午後にあの医者がやってきました。 帰り際、スーも廊下に出ました。
「五分五分だ」と医者はスーの細く震えている手をとって言いました。 「よく看病すればあなたの勝ちになる。 これからわたしは下の階にいる別の患者を診なければならん。 ベーアマンと言ったな ―― 画家、なんだろうな。 この患者も肺炎なんだ。 もう高齢だし、体も弱っているし、急性だし。 彼の方は、助からんだろう。 だが今日、病院に行って、もう少し楽になるだろう」
次の日、医者はスーに言いました。 「もう危険はない。あなたの勝ちだ。あと必要なのは栄養と看病 ―― それだけだよ」
その午後、スーはベッドのところに来ました。ジョンジーはそこで横になっており、 とても青くて全く実用的じゃないウールのショルダースカーフを満足げに編んでおりました。 スーは、枕も何もかも全部まとめて抱きかかえるように手を回しました。
「ちょっと話したいことがあるのよ、白ねずみちゃん」とスーは言いました。 「今日、ベーアマンさんが病院で肺炎のためお亡くなりになったの。 病気はたった二日だけだったわ。 一日目の朝、 下の自分の部屋で痛みのためどうしようもない状態になっているのを 管理人さんが見つけたんですって。 靴も服もぐっしょり濡れていて、氷みたいに冷たくなっていたそうよ。 あんなひどい晩にいったいどこに行ってたのか、 はじめは想像もできなかったみたいだけど、 まだ明かりのついたランタンが見つかって、 それから、元の場所から引きずり出されたはしごが見つかったのよ。 それから、散らばっていた筆と、緑と黄色が混ぜられたパレットも。 それから、 ―― ねえ、窓の外を見てごらんなさい。あの壁のところ、最後の一枚のつたの葉を見て。 どうして、あの葉、風が吹いてもひらひら動かないのか、 不思議に思わない? ああ、ジョンジー、 あれがベーアマンさんの傑作なのよ ―― あの葉は、ベーアマンさんが描いたものなのよ。 最後の一枚の葉が散った夜に」
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名古屋市緑区の路上で軽乗用車に石で傷を付けたとして6月3日、35歳の男が逮捕されましたが、防犯カメラが犯行の様子を捉えていました。 犬を散歩させる一人の男。歩道で石を拾うとあたりを気にしながら散歩を続けます。
そして、路上に停まっていた車に傷を付けました。 これは5月3日の夜、緑区内の住宅に設置された防犯カメラの映像です。男は器物損壊の疑いで逮捕されました。
逮捕された近くに住む会社員・横井伸哉容疑者(35)は、調べに対し、「ストレスが溜まっていたからやった」と容疑を認めています。
周辺では今年2月以降、同様の被害が21件相次いでいて、横井容疑者はいずれも認めています。 ※画像と動画の一部は視聴者撮影
東海テレビ
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藤井がついにタイトル挑戦権を手にした。将棋の第91期棋聖戦決勝トーナメント決勝が4日、東京都渋谷区の将棋会館で行われ、藤井聡太七段(17)が永瀬拓矢2冠=叡王(えいおう)、王座=(27)を下し、8日開幕の5番勝負出場を決めた。
タイトル戦初出場となる藤井は8日で17歳10カ月20日。屋敷伸之・現九段(48)が持つタイトル戦出場最年少記録(17歳10カ月24日)を4日更新することになる。
▼加藤一二三・九段 16年10月に藤井のデビュー戦の相手を務めた加藤一二三・九段(80)は自身のツイッターで「もはや、孫の成長を見守り続ける祖父の心境か」と初タイトルへの挑戦が決まったことを祝福。「ひふみんとしては、藤井七段が名人戦の檜(ひのき)舞台に登場するのは何年後か、そのときを今から心待ちにしています」と、自身が20歳3カ月13日で挑んだ名人戦への挑戦時期にも期待感を示した。
▼佐藤康光・日本将棋連盟会長 史上最年少の挑戦ということで大変な快挙だと思います。渡辺明棋聖との5番勝負、大変な話題を集めることとなりますが、藤井聡太七段の番勝負の中での日々成長、進化の過程に注目していきたい。
▼杉本昌隆八段 社会や日々の生活が大きく変化していく中、集中力を持続させて見事に新記録を達成してくれました。将棋が指せる幸せや感謝の気持ちを忘れず、5番勝負も全力で戦ってください。師匠として楽しみにしています。 ▼つるの剛士(アマ三段、将棋親善大使)藤井聡太七段の快挙!!!!!!
▼渡辺徹(アマ二段、将棋親善大使)史上最年少タイトル挑戦者となりました!トリハダ立った。将棋知らない人には、興奮しすぎててごめんなさい。
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◇藤井聡太七段 最年少タイトル戦挑戦者に 将棋の渡辺明棋聖(36)=王将・棋王との3冠=が4日、藤井聡太七段(17)との棋聖戦5番勝負(8日開幕)への意気込みを語った。
藤井は渡辺に次いで中学生で四段に昇段した中学生棋士。藤井以前の4人はいずれも一時代を築いてきた歴史があった。5番勝負では全8冠中最多の3冠が、次世代エースの壁になる決意だ。
【写真】絵馬を手に笑顔を見せる藤井聡太七段と加藤綾子アナウンサー 選んだ言葉に思いが表れた。「藤井七段の初めてのタイトル戦という、間違いなく将棋史に残る戦いに出場することに大きなやりがいを感じています」
足跡をたどれば分かりやすい。渡辺の初タイトルは2004年、当時の森内俊之竜王から20歳で奪ったもの。ただ、タイトル初挑戦はその前年、羽生善治王座に挑んでいた。5番勝負は第3局まで2勝1敗と先に王手をかけながらそこから連敗。その第5局、勝利を確信し緊張の糸が切れた羽生の駒を持つ右手が震えた。
中学生棋士は、藤井の前が渡辺でさらにその前が羽生。すでに1996年、当時の全7冠制覇を達成した第一人者にも重圧がかかっていた。加藤一二三九段、谷川浩司九段。代々の中学生棋士が歴史を築いてきた事実。指を震えさせたのは、将来自らを脅かすだろう存在をひとまず退けられた手応えだったろう。
以来渡辺は、19歳のタイトル初挑戦こそ実らなかったものの「羽生を震えさせた男」として知られるようになる。08年竜王戦では羽生相手に3連敗後4連勝の離れ業を演じる。
そして今回。17年が経過し、当時羽生が味わった重圧を認めるからこそ「大きなやりがい」との言葉。それはデビュー以来一貫して抱く「勝ちっぷりが凄い。明確な弱点がないと大変です」との藤井評に通ずる。
「藤井七段はいつタイトルを獲ってもおかしくない実力がある。自分にとっても新しい棋士人生が始まる。わくわく感がある」。8日の棋聖戦第1局に続き、9日は三重県鳥羽市へ移動して10、11日、初挑戦する名人戦第1局に備える。ダブルタイトル戦の過密日程も歓迎するかのように「(03年王座戦が)後々語り継がれる5番勝負だったなら、今回もそうできれば」と意気込みを語った。
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新型コロナウイルス感染症や特別定額給付金に関する不審な電話、メールやショートメッセージ(SMS)、ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)、ウェブサイト等が確認されています。
こうした新型コロナウイルス感染症に乗じた犯罪等の被害にあわないように、心当たりのない電話やメール、ウェブサイトには十分にご注意ください。
【新型コロナウイルスに乗じた犯罪等の事例】
振り込め詐欺や、「個人情報」「通帳・キャッシュカード」「暗証番号」の詐取にご注意ください!
特別定額給付金に関して、国や市区町村の職員などが、
- 現金自動預払機(ATM)の操作をお願いすることは、絶対にありません。
- 「特別定額給付金」の給付のために、手数料の振込みを求めることは、絶対にありません。
- メールを送り、URLをクリックして申請手続きを求めることは絶対にありません。
・SNS等において、「個人間融資」や「給与の買取り」をうたって、違法な貸付けが行われる事例
(参考リンク)
・新型コロナウイルス感染症への対応について(警察庁ウェブサイト)
https://www.npa.go.jp/bureau/soumu/corona/index_corona_special.html
・給付金のサギに注意!!(警察庁ウェブサイト)
https://www.npa.go.jp/bureau/soumu/corona/sagihigaibousi.pdf
・新型コロナウイルスに乗じた犯罪等にご注意ください(全国銀行協会ウェブサイト)
https://www.zenginkyo.or.jp/topic/covid19-fraud/
お問い合わせ先
金融庁 Tel:03-3506-6000(代表)
監督局総務課(内線3402、3311)
銀行第1課(内線3323、3324)
銀行第2課(内線3759、3393)
協同組織金融室(内線3381、3385)
金融会社室(内線3310、2996)
郵便貯金・保険監督参事官室(内線2614、3264)
給与の買取りをうたった違法なヤミ金融にご注意ください!
「借金ではありません」「ブラックOK」などの誘い文句に要注意!
いわゆる「給与ファクタリング」などと称して、業として、個人(労働者)が使用者に対して有する賃金債権を買い取って金銭を交付し、当該個人を通じて当該債権に係る資金の回収を行うことは、貸金業に該当します(注)。
(注)貸金業法の解釈の詳細な内容については、以下の「一般的な法令解釈に係る書面照会手続」に掲載している文書をご参照願います。
【一般的な法令解釈に係る書面照会手続 照会文書】
https://www.fsa.go.jp/common/noact/ippankaitou/kashikin/02a.pdf
【一般的な法令解釈に係る書面照会手続 回答文書】
https://www.fsa.go.jp/common/noact/ippankaitou/kashikin/02b.pdf
貸金業登録を受けていないヤミ金融業者により、年利に換算すると数百~千数百%になるような法外な利息を支払わされたり、大声での恫喝や勤務先への連絡といった違法な取立ての被害を受けたりする危険性があります。
また、いわゆる「給与ファクタリング」の利用により、本来受け取る賃金よりも少ない金額しか受け取れなくなるため、経済的生活がかえって悪化し、生活が破綻するおそれがあります。
違法なヤミ金融業者を絶対に利用しないでください。
(参考)
給与の買取りを伴わない「給与前払いサービス」については、以下の「グレーゾーン解消制度に基づく回答」に掲載している文書をご参照願います。
https://www.fsa.go.jp/policy/kyousouryokukyouka/grayzone/02.pdf
相談窓口
○金融庁 金融サービス利用者相談室(平日10時00分~17時00分)
電話:0570ー016811(IP電話からは03-5251-6811 )
FAX:03-3506-6699
インターネットによる情報の受付は、こちら
○多重債務相談窓口連絡先
https://www.fsa.go.jp/soudan/index.html
2020年6月4日 公明新聞
【主張】給料前借りサービス 合法装う新手のヤミ金に注意を
「給料ファクタリング」と呼ばれる新手のヤミ金融による被害が急増している。狙われているのは、新型コロナウイルスの影響で収入が減り困窮するサラリーマンらだ。人の弱みに付け込んだ違法行為を許してはならない。
給料ファクタリングとは、例えば月給20万円の人が、給料日前に現金が必要になって業者に申し込むと、20万円から一定の手数料を引いた額が口座に振り込まれるというもの。後日、受け取った給料20万円を業者に渡す。
インターネット上の広告では「給料の前借りサービス」と称し、借金ではなく利息の心配もないなどと宣伝しているが、手数料は利用者が受け取る現金の2割を超える場合が大半で、年利換算すると法定金利の10倍以上の利息に相当する。暴利は明らかだ。
今年に入って多重債務者の支援団体などに被害相談が急増し、日本弁護士連合会は先月、取り締まりの徹底を求める会長声明を出した。金融庁も注意を呼び掛けている。
ファクタリングは本来、中小企業などが取引先から代金を受け取る権利を第三者に売却し、当面の資金を調達する合法的な手法だ。給料ファクタリング業者はこれを装い、「貸金業ではなく、規制対象にならない」と主張している。
しかし、公明党の平木大作参院議員が3月に国会で指摘したように、実態は給料を担保にした貸し付けに他ならない。金融庁も「違法なヤミ金融」との見解を示している。貸金業の不登録による貸金業法違反、上限金利オーバーによる出資法違反に問われる可能性が高い。
スマートフォンで簡単に申し込めるため、安易に手を出してしまうと本来より少ない収入で生活することになり、繰り返し利用することになりかねない。
やがて返済が滞ると、携帯電話や職場に連絡が来て督促されるなど、脅迫まがいの取り立てに悩む人も多い。相手はヤミ金融であることを忘れてはならない。
新型コロナ対策の特別定額給付金などを狙って業者が「前借りできる」などと誘ってくる可能性もある。金融庁や警察庁は取り締まりを強化するとともに、国民への注意喚起を徹底すべきである。
ファクタリング被害110番® 給与前借
給与前払いシステムは、
出資法・利息制限法・貸金業法に
抵触します。
元本以外の金銭は、礼金、割引金、手数料、調査料、その他
いかなる名義をもってするかを問わず、利息とみなされます。
給料立替払い・前払い等について・・当協会の表明
日本ファクタリング業協会は、令和2年3月5日付「金融庁における一般的な法令解釈に係る書面照会手続(回答書)」に関し、株式会社Payme(フィンテック協会会員)が見解を発表した件について、次のとおり表明する。https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000041.000028212.html
前提条件
1.従業員が、労働債権を先払い(立替)の申請をする。
2.立替払い業者は、会員企業から労働時間の情報提供を受け、その賃金を対象として立替える。
3.立替払い業者は、会員企業に代わって、従業員に立替えて支払う。
4.立替払い業者は、給料日に会員企業から、立替金を回収する。(前借金相殺)
5.立替払い業者は、日払い週払いの事務作業を企業から受託しており、委託企業は、立替原資を出金しなければならない。
6.しかし、従業員に支払う原資は、立替払い業者が会員企業に代わり立替えて出金している。
7.立替払い業者は、企業に対して立替金債権を回収する。
8.手数料は、従業員の給料から差し引く。
矛盾点
福利厚生と謳ってて、自ら労働した賃金の前払いを申請して、なぜ、手数料(5~7%)を負担するのか?
給料前払いと言っても、給料支給日に立替金(前借金)の相殺を行っている。
結 論
ここでいう立替金とは、立替払い業者が企業を通じて従業員に対して返還を要求できる債権である。ということは、立替払い業者は、従業員の確定した労働債権を担保とした、企業に対する立替金返還請求債権(貸金)であり、企業は、立替金を給料と相殺しているから、労働基準法第17条「前借金相殺の禁止」に抵触する。
立替払い業者は、いわゆる給与ファクタリングとは異なり、給料債権を担保として、企業から立替金を回収しており、企業に対する貸金となるから、貸金業法第3条に抵触し無登録業者となる。利息制限法第3条には「支払った手数料は、いかなる名義をもってするかを問わず、利息とみなされます。」と定義されています。
グレーゾンの回答に関する・・ただし書き
1.導入企業は、従業員に対する賃金の支払い期日に、本サービスを利用した従業員に対して、前払い合計額、銀行振込手数料及び業務委任手数料を賃金から控除した金額を支払う。
・ただし、照会者の行為が、従業員又は導入企業に対して、導入企業の支払い能力を補完するための資金の立替えとなっている、又は手数料については導入企業の信用力によらず一定ではないなど、上記前提と相違し、実質的には貸付けを行っていると認められる場合には、導入企業又は従業員に対する金銭の貸付けに該当し、貸金業法第2条第1項に規定する貸金業に該当する可能性が高いと考えられる。
2.ただし、照会者の行為が、従業員又は導入企業に対して、導入企業の支払い能力を補完するための資金の立替えとなっている、又は手数料については導入企業の信用力によらず一定ではないなど、上記前提と相違し、実質的には貸付けを行っていると認められる場合には、導入企業又は従業員に対する金銭の貸付けに該当し、貸金業法第2条第1項に規定する貸金業に該当する可能性が高いと考えられる。
相談事例
ここではよくあるご相談をご紹介します。
私が勤務して会社では、会社が導入している給与の前借りサービスというのが利用できます。
給料の前借りとは言っていますが、実際には給料日に給与から、振込手数料、利用手数料6%を引かれた金額で振り込まれす。
給料日から次の給料日までは1ヶ月です。常に利用期間は1ヶ月未満で、6%の手数料(利息)を差し引かれると、年利換算で72%になります。業者は利用手数料と言っていますが、これは利息制限法には違反しないのでしょうか?
出資法・利息制限法・貸金業法違反です。実質は年利84%以上になります。
- 出資法及び利息制限法は、年利20%を超えた利息を徴収すると、刑罰になります。
第二条 利息の天引きをした場合において、天引額が債務者の受領額を元本として前条に規定する利
率により計算した金額を超えるときは、その超過部分は、元本の支払に充てたものとみなす。第三条 (みなし利息)前二条の規定の適用については、金銭を目的とする消費貸借に関し債権者の受ける元本以外の金銭は、礼金、割引金、手数料、調査料その他いかなる名義をもってするか
を問わず、利息とみなす。ただし、契約の締結及び債務の弁済の費用は、この限りでない。 -
また、労働基準法にも抵触します。
賃金支払いの五原則 労働基準法第24条
民法第466条では、「債権は、譲り渡すことができる。ただし、その性質がこれを許さないときは、この限りでない。」と明記されていますが、このただし書きは、「賃金は、(1)通貨で、(2)直接労働者に、(3)その全額を(4)毎月一回以上、(5)一定の期日を決めて支払わなければならない。」と労働基準法第24条に規定されていますので、債権譲渡は違法となります。
相殺禁止の原則 労働基準法第17条
(前借金相殺の禁止)
第十七条 使用者は、前借金その他労働することを条件とする前貸の債権と賃金を相殺してはならない。
[一方的相殺] ・・・賃金全額払いの原則は、相殺禁止の趣旨を包含する。
[合意の相殺]・・・「使用者が労働者の同意を得て行う相殺」を認めないのが労基法24 条1項の趣旨であると
する見解があり、有力です。
出資法の上限金利年20%に変更
出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律(略称、出資法という。)により、登録業者・無登録業者を問わず年20%を超える利息での貸付契約を行った場合には、当該契約は無効であり、利息については一切支払う必要がありません。(ただし、2010年6月に上限金利が引き下げられました。上限金利は、借入金額に応じて年15%~20%となっています。 ヤミ金対策法)
- 元本の金額が10万円未満のときの上限金利 → 年20%
- 元本の金額が10万円以上から100万円未満のとき上限金利 → 年18%
- 元本の金額が100万円以上のときの上限金利 → 年15%