愚民政策とは、人々の知性を意図的に失わせる政策である。
教育、娯楽、報道が政策の手段[疑問点 – ノート]として用いられる。
愚民化した人々は権力者にあまり逆らわなくなるので、権力者は国を統治しやすくなる。
ただし国家には非常に複雑な教育、学問により育てられた科学者、技術者、専門家は必須であり、独裁・民主政問わず政府は教育・学問への投資はほぼ必ず行われる。むしろ民間企業である、マスコミにおいて愚民政策は賛美され、煽動される傾向にある。
概要[編集]
知性は、必ずしも人を幸せにするとは限らない。知らない方がいいことはあり得る。
また、教育にはコストがかかる。過剰な知識を得ることは、限りある時間とお金を浪費することになるため、人を不幸にしてしまう。
江戸時代
『水戸藩史料』に徳川斉昭が、「百姓に学問など全く不要だ」「ただひたすら農耕に励んでさえいればよい」と公言した上で、農民を「愚民」「頑民」と呼んでいたことが記述されており、常陸国の9割は農民だが、政治的発言を許さないよう、学問(読み書き)を禁じ、身分制を厳格にすることで愚民策が取られていた(この場合、娯楽提供ではなく、社会思想から身分的本分を外れるなという主張がなされた)。
現代
詰め込み教育、受験一辺倒教育、偏差値制度 - 日本人が天下国家を論じない「考えない国民」になるように、1970年代に偏差値制度が導入されたと言われている。きっかけは安保闘争。
「メディアが安全保障に関わるニュースを放送しないのは一種の愚民化政策ではないか」という指摘がある。
中国を支える共産党の伝統的「愚民思想」
共産党の本質はどこの国でも変わらない
2014.8.11(月)
筆坂 秀世
中国共産党も日本共産党も同様だが、世界の共産党は「革命の前衛」と規定されてきた。「前衛」たる共産党の役割とは何か。社会主義革命の意義や必然性を理解していない思想的に遅れた人民大衆を覚醒させることである。
『文芸春秋』8月号にジャーナリストで拓殖大学教授の富坂聰氏が中国問題に詳しい識者の4人と対談する連続対談「習近平 見えてきた独裁者の正体」が掲載されている。この1つが高原明生東大教授との対談だが、この中で高原氏が次のように指摘している。
「依然として、『アヘン戦争以来、列強にいじめ抜かれた近代史を決して忘れず、その屈辱の歴史を覆してくれた共産党の下、国を発展させていこう』という語りが続いていますね」
「なぜ中国は現実とかけ離れた被害者意識を持ち続けて情報操作をするのか。(中略)共産党のある種の愚民政策だと思います。真実を伝えず、被害者意識を再生産して、共産党の支配と政策の正当化を行っている」
この一節を読んだ時、「確かにその通り」と思わずうなずいてしまった。というのは、いまさらなのだが、中国であれ、日本であれ、共産党という組織そのものが本来的に持っているのがこの愚民思想だからである。
このことは、あとで触れるとして、中国共産党がまさしく愚民政策をとっていることは歴史的に見ても疑いない。
中国共産党の愚民政策
例えば日中戦争だ。中国は日本に戦闘で勝利したかのように、中国の人々に信じ込ませている。だが日本軍が八路軍(現在の人民解放軍)に戦闘で負けたわけではない。八路軍は、せいぜいゲリラ的な攻撃をするだけで、逃げ回っていたというのが実情であった。中国共産党の英雄的叙事詩として描かれている長征も同様だ。実態は、蒋介石率いる国民党軍の包囲と攻撃を逃れるため江西省瑞金から陝西省延安まで1万2500キロメートルの逃避行であった。
江沢民時代に行われた反日教育も、中国共産党一党独裁の正当化にその目的があった。