グロービス経営大学院 (著), 村尾 佳子
▼10年後に後悔しないために
社会やビジネスの変化が早く激しい昨今、、「自分は将来この環境で生き残っていけるのか?」「自分はいったいどう生きればいいのか」・・・そんな不安を感じている20代、30代前半のビジネスパーソンは多い。
5年後、10年後に自分自身の道を歩むためになにをすればいいのだろうか。どのようにキャリアを積めばよいのか。
▼戦略的かつ現実的に行動し手に入れる
意欲があるがどうすればよいかのがわからず、手探り状態のビジネスパーソンに贈るのが本書だ。
「○○力向上」といったスキル本や自己啓発本は多いが、キャリアの方向性を考え、行動していくための示唆を説いた本は少ない。
本書では経営を考えるときのフレームワーク(3C分析、針鼠など)を使いながら、キャリア戦略の考え方を解説。
自らの立ち位置を確認し、タイミングを逃さず、ポジションやキャリアを自ら戦略的に手に入れるために、ワークシートを交えながら各ステップとその方法論を解き明かす。
10年後に後悔しないために絶対読んでおくべき1冊である。
著者について
グロービス経営大学院 (グロービスケイエダイガクイン)
MBA(経営学修士)に特化した専門職大学院社会の創造と変革をもたらすビジネスリーダーを育成するとともにグロービス・グループの各事業を通じて蓄積した知見にも続いた、実践的な経営のノウハウの研究・開発・発信を行っている。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
村尾/佳子
グロービス経営大学院経営研究科副研究科長。関西学院大学社会学部卒業。大阪市立大学大学院創造都市研究科都市政策修士。グロービス・オリジナル・MBAプログラム(GDBA)修了。大手旅行会社などを経て株式会社グロービスに参画。戦略立案、実行に携わる傍ら、講師として「マーケティング・経営戦略基礎」、「経営道場」などのコースに登壇。また複数のNPOに理事として関与しながら、NPOの育成にも携わる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
キャリアを考える時に、一般的に考慮すべき点について、一通り書かれていると思います。その中でも、自分の描くキャリアに対し、それに必要な能力開発、という観点を絡めて議論しているところが特徴かと思います。
特にワークシートが随所に設けられていて、一方的に情報をインプットするだけでなく、自分について棚卸ししながら読み進められる点が、特徴的かと思います。ワークシートの直後には、記入例も示されているため、どのようにワークシートを書けばよいかのイメージも湧きやすいかと思います。
ただ、一つ欲を言うのであれば、せっかくワークシートが充実しているのにもかかわらず、そこで記入した内容をどうとらえるかに対する考察が不十分なように思います。つまりは、ワークシートに記入しっぱなしになってしまうようにも思えるのです。
とはいえ、一人一人ワークシートに記入する内容は違うため、そのための考察を本に記すのは難しいのでしょうけれど…
この本を読んだだけで「自分にどういった仕事が向いているのか」を明らかにするのは難しいとは思います。ただ、ワークシートに記入した内容をもとに、他人に相談するなど、次のアクションには繋げられると感じました。
著者はビジネススクールで有名なグロービスの研究科長と副研究科長。著者らがグロービスで10年以上で数千人のビジネスマンに出会ってきた経験をもとに書かれており、キャリア=人生そのもの、と捉え、まずは自分で、自分にとって良い人生を定義することからキャリアを考えることは始まると著者らは言う。自分自身について考える方法(ワークシートがついており、それを書き込んでいくと自ずとやるべき方向性がおぼろげながらにも浮かび上がってくるところが本書の最大の魅力だ)が書き込み事例つきで解説されている。その上でやりたい事に向けて具体的にどのような行動をしていけばよいのか、同時にどのような落とし穴があるのかも、触れられている。いろんなキャリア本が出ているが、まさに今の変化する時代のキャリアを考えるバイブルとなる一冊と言える。特に20代、30代のビジネスマンは一度は読んでおいた方がよい。また無料のスマホアプリがあるのも嬉しい。悩んでいる人はまずはアプリをダウンロードしてはいかがだろうか。
キャリアを見直すいいキッカケになる本です。
自分がどうなりたいのか、何ができるのか、なりたい自分になるには何が必要なのか自分自身に問われます。
紳士に自分と向き合う良いキッカケになります。
グロービス流と銘うつだけあって、ビジネススクールに通う社会人であれば参考になるでしょう。
書中の理論や考え方は、最近のトレンドを活用し巧くまとめています。
経営戦略やマーケティングに準えるあたりは、さすがビジネススクールです。
逆をいえば、キャリア論の世界では決して目新しい内容でもなく、同類他書と差があるわけではありません。
価値があるとすれば、自分で書き込む行為を促すようにワークが挟まれているところです。
自分自身をみつめる上では、実際に手を動かして言語化することは重要ですので、その点を評価をします。
内容は充実した内容であるが、
時代が変われば、キャリア形成の方法も変わる。
最終的には本人のセンスと言うことになります。
本を読んでも自分の能力が伴わなければ、
本から得たものは生かせないし。
そして、生きていく中で同状況を判断するかが大事です。
タイミングもあるでしょう。
最終的にはセンスが必要です。
キャリアを考える女性(もちろん男性にも)にとって、とても読みやすく抵抗なく文面が頭に入ってきます。
ワークシートも多く記載されているので、自らの考えをまとめながら読み進めることが出来ます。
会社のデスクに常に置いておきたい、またはチームで共有したい1冊です。
「仕事」とは何かを深掘りしながら、自分自身の理解が進む本です。呼んだあとすぐに部下や同僚に進めました。この本の特徴は、中に多くのワークシートが盛り込まれていることです。実際に手を動かしながら、自身にとっての「仕事とは何か」という問いに正面から向き合うことができます。多くの示唆に富んだ「問い」が詰まってるので、読み終えた後も傍において、ちょくちょく見返すことで、自分を内省するときの頼れる助っ人になっています。自分の生き方、働き方をしかっりと見つめ、考えたい方に特にお勧めです^^
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10年後、後悔しないために。人生の5つの役割から考えるキャリア形成
みなさんは「キャリア」という言葉にを聞いて、どのようなことを思い浮かべますか?
職歴など、仕事に関するものをイメージする方が多いと思います。
しかし本来、キャリアは「馬車の車輪の跡(わだち)」を意味することからもわかるように、「人生そのもの」を指します。
したがってキャリアを考える際には、仕事に限らずに、多角的に検討していく必要があります。
人生を考える上での5つの役割
キャリアを考える際には、人生における「5つの役割」を意識して考える必要があります。
- ①職業人としての役割
- ②パートナーとしての役割
- ③子供としての役割
- ④親としての役割
- ⑤社会人としての役割
職業人としての役割
これが1番イメージがしやすいかと思います。
キャリアを考えるもっとも典型的な機会は、学生時代の就職活動時に訪れます。
その後就職してしばらくすると、改めて「この会社でいいのか」「この仕事でいいのか」と、職業人としての自分をより深く考えるようになります。
これは、多くの方が現在進行形でされていることかもしれませんね。
パートナーとしての役割
結婚するかしないかは別にして、誰かのパートナーであることを意識する機会も多くあるでしょう。
パートナーの仕事観や将来プランによって、自身の仕事が影響を受けることもあります。
たとえばパートナーが海外へ転勤になった場合には、自身のキャリアについて考え直さざるを得ません。
パートナーの人生と自分の人生、それぞれに折り合いをつけ、ベストな道を見つけていく必要があります。
子供としての役割
ある程度年齢を重ね、両親が高齢化すると、改めて自分が両親の子供なんだと気付くタイミングが出てきます。
「親の介護をどうするか?」「一緒に住むのか?」など、自身のキャリアにも影響が及んでくることを想定しなければなりません。
親としての役割
親になれば、子供のことについても考える必要があります。
自分の人生だけでなく「子供の人生を豊かにするためにどうすればよいのか?」と、住まい、ワークライフバランス、マネープランなどを真剣に考え始めるのもこのタイミングかもしれません。
社会人としての役割
ここでの「社会人」は、仕事以外の領域で、社会に関わる者を指します。
地域コミュニティーやボランティア、プロボノなど、会社を越えてどのように社会に貢献していきたいか。
より人生を豊かなものにするには、そのような問いも必要かもしれません。
多角的にキャリアを考える習慣をつけよう
女性の場合は、妊娠・出産などのライフイベントがあるため、複数の役割を意識する機会が多くあります。
しかし、男性の場合は、そうした意識を持たないまま、自身の仕事のことだけを考えがちです。
そうして、実際に問題に直面した時に「そんなこと考えてもなかった」と思い悩んでしまいます。
そのような事態を防ぐためにも、先々のことを想定し多角的にキャリアを考えていきましょう。
まとめ
自分のキャリアを考える際には、人生における5つの役割を意識する必要があります。
どのような生き方をしたいのか。
自分はどういう存在でありたいのか。
正解がない問いのため、考えること自体が苦しいものになるかもしれません。
しかし、一度しかない自分の人生を思い悩むことができるのは自分だけですので、こうした姿勢を貫いていただきたいと思います。
田久保善彦(グロービス経営大学院 経営研究科 研究科長)
慶應義塾大学理工学部卒業、修士(工学)、博士(学術)、スイスIMD PEDコース修了。株式会社三菱総合研究所にて、エネルギー産業・中央省庁・自治体などを中心に、調査、研究、コンサルティング業務に従事。現在グロービス経営大学院にてマネジメント業務・研究等を行なう傍ら、リーダーシップ開発系・思考科目の教鞭を執る。著書に『ビジネス数字力を鍛える』『社内を動かす力』、共著に『キャリアをつくる技術と戦略』、27歳からのMBAシリーズ『ビジネス基礎力10』『ビジネス勉強力』『リーダー基礎力10』等がある。
大学で学ぶ意義とは、結論から言えば、将来、自分の夢を実現するための力を養うことだと言えます。
大学での4年間の学びを通して、学生は専門知識や技術を身につけ、自分の夢を実現するために就職という形で社会へと巣立っていくわけです。
ただ、夢を実現するには、単に学問を修めて知識や技術を身につけただけでは、十分ではありません。
では他に何が必要かというと、人間的な成長です。
もっと具体的に言えば、社会で生きていくための社会人としての基礎力を養うことが欠かせないのです。
3つの教育目標を掲げています。
ひとつは、国際的な教養を身につけること。
2つめが“critical thinking”(批判的思考)ができるようになること。
そして3つめが、創造力を身につけることです。
この3つの能力を養うことが、“実学主義教育”であり、学ぶ意義だと言えます。
そして、それらを身につける過程において、自然と人間的な成長が促され、社会に出て必要となる基礎力を養うことができるようになっているのです。
例えば、 例えばグループワークを通じて、学生自らが問題を発見し、解決していくという教育手法です。
簡単な課題から取り組み始め、少しずつハードルを上げていくわけです。
仲間と一緒にプロジェクトないしプロブレムに挑みながら、実践の中でコミュニケーション力や論理的思考を身につけ、プレゼンテーション能力や質疑応答に応えられる力を養い、次なる課題にチャレンジするということを繰り返して人間的成長を遂げていきます。
このように、知識や技術だけでなく、問題を発見し、解決できるようになって初めて、社会人としての基礎力が身につけます。
また、人間的な成長の中には、柔軟な思考を持つことも含まれています。
夢を実現することは、そう簡単ではありません。
人生では思うようにいかないことの方が圧倒的に多いのです。
将来、自分はこうなりたいと強く思い描いていても、残念ながらそれが叶わないこともあります。
逆に言えば、柔軟な考え方ができなれば、壁にぶつかったまま立ち往生しかねないのです。
ですから大学時代には、学問やさまざまな経験を通して、柔軟な発想をする習慣を身につけてほしいと思います。
グローバル化が進む現代では、多くの企業が国際的に通用する人材の育成を、大学に強く求めています。
それに伴い、今後、日本の大学は、今まで以上に卒業要件が厳しくなる見通しです。
ですから大学入学後も気を緩めることなく、自分の専門分野をしっかりと学び、社会人基礎力を存分に養って、いずれ社会で大いに活躍する人となれるように頑張ってください。
知識・技能、思考力・判断力・表現力、協働など生きる力を身につけていることです。
「過去の歴史を学ぶことで,その知恵を現在・未来に活かすことができる」「偉人の生き様を理解することで,自分自身の成長に結びつけることができる」「歴史を学ぶことで教養の幅が広がり,判断力・決断力を培うことができる」。いずれも違う話のようですが,実は全て同じです。社会システムについて理解を深めれば,それが自分の判断・決断のベースになる。
我々が目にする世の中の出来事(一番上の第一層)の背景には,因果関係(第二層)が潜んでいます。
しかし,実際の社会は様々な因果関係が複雑に絡み合った構造(第三層)です。そのイメージの上に立ち,我々は社会に対して意識的・無意識的に行動(第四層)しているのです。
大げさなようですが,民主主義社会の命運は,社会システムの認識の深さに拠ります。
そして,それこそがまさに歴史を学ぶ真の意義なのです。
過去の歴史を学ぶことは,過去の知識を知ること自体が重要ではありません
。過去の社会システムの習熟を通して,現代の社会システムを自力で解明する力を培うことが本当の目的なのです。
だからこそ,歴史を学ぶことで,現代社会に歴史を知恵として還元できる
独学ではできず、集団活動を通じて出来ることがあります。
それが
(1)個人対個人の交わりの力の育成
(2)個人対集団の関係改善能力の育成
(3)集団対集団の関係改善能力の育成
の3つだと思います。
また、学校教育だけではありませんが、教育には、
(1)個人がよりよく生きる力を得るための「権利としての教育」
(2)集団が人材を得るための「集団強化としての教育」
があります。
個人の権利としての教育が次第に軽視されてきています。
「教育」 社会生活や人生を豊かにする教養をつけるもの。
「学校教育」 集団で習うことにより、平等に「教育」を受けることが出来る。
かなぁ?
文部科学省は、指導要領で定義みたいなことを決めてはいますけれど、ちょっと難しい文章なので。
・この世の真実(自然・宇宙、社会の仕組み)を知ること
・善悪、良否、合理性、損得などを判断する力をつけること
・国力(国際競争力)を高めること
・生きていくため、暮らしていくため、目的を達成するため、問題を解決するためなどの手段を知ること
・新たに手段を編み出すための思考力を高めること
・この世で起こっていること、起こったことの理由を知ること、および、それを将来のために生かすこと
・健全な心身を持つこと
・文化を継承すること
・感性を豊かにすること
・(副次的に)規則正しい生活をすること
・(副次的に)友人関係やコネクションを形成すること
なお、同年代が一緒に教育を受けることで、ライバル心・競争心によって、学業あるいは文化・スポーツ活動で、一層の向上が期待できるということもあると思います。
教育の意義と福祉の意義
教育的取り組みも、福祉的取り組みも、その具体的な事柄は時代や生活様式、文化レベルなどによって変化しますが、そうした変化が人を変え、人がまたその福祉や教育を変えていくともいえます。
しかし教育的取り組みであるにしろ福祉的取り組みであるにしろ、それは人の生き方や生きがいの実現に関係するものであるという点では変わるものではないと思います。
人間は、単に習性的にその一生を終える動物とは違います。人の生き方とか生きがいというものは、生まれながらに身についているものというよりも、それは人として生まれてからの、その後の生きる過程で培われるものといえます。そこに教育的意義があり、福祉的意義があるはずです。
人が人としてよりよく生きるという意味の教育であり、福祉であると考えれば、教育的意義も福祉的意義も別々のものではなく、またそれは特定の人だけを対象にするものでもありません。福祉の事業も教育の事業も人の暮らしぶりにかかわるということでは同じであると思います。
教育と福祉が別々のものではないということを考える一例として、幼稚園と保育所の一体化問題があります。
幼稚園と保育所の一体化問題はこれまでも議論されてきたことですが、保育と幼児教育は就学前の人間的成長発達にかかわる一番大切な基礎の部分であり、本来的には一体的なものでなければならないわけで、所管が分かれていること自体に問題があると考えたほうが自然ではないでしょうか。
したがって幼稚園と保育所の一体化問題は、現在のように所管が分かれている限り、その所管同士がよほど連携を密に取り組む仕組みにしない限りうまくいかないであろうと思います。
保育所であるにしろ幼稚園であるにしろ、その取り組む目標は、次代を担う子どもの健やかな成長発達を願うという点では同じはずです。
⇒ 内閣府 : 認定こども園概要
⇒ 幼稚園と保育所の機能を併せ持つ「認定こども園」と「子ども・子育て支援新制度」を考える
≪参考≫
⇒ 文部科学省:児童福祉法等の改正による教育と福祉の連携の一層の推進について 事務連絡 平成24年4月18日
権利としての教育・福祉
人は生まれてからしばらくの時期は、自らはほとんど何もできない未熟な状態です。それが環境からの刺激や周囲の人々からの働きかけにより、やがて人としての生活の知恵や生活行動(態度)を身につけていきます。
そこに人間的発達の特質があり、教育の意義があり、日本国憲法第26条の「教育を受ける権利」「教育を受けさせる義務」の根拠があると思います。
人間の成長・発達期においては、 いつごろから、どんな学習体験をもたせるのが効果的かということに配慮した教育的働きかけと、そのための適切な環境を用意するという意味での福祉的対応が大切です。そこに教育と福祉の連携の意味と重要性があるわけです。
福祉の事業は、人間が幸福な状態でいられるような条件(よく生きられるような条件)を整えることです。
教育の事業は、人間が幸福な生き方や生きがいを見出す力(よく生きられるような力)を育む努力です。
人々にとって「福祉」とは目標で、「教育」とはそこに到達する手段であると考えるとよいと思います。
ノーマライゼーションと教育・福祉
ノーマライゼーションとは、デンマークの知的障害の子どもをもつ親の会の活動理念として、1953年に始めて提唱されました。その理念のそもそもの趣旨は、入所施設の非人間的な処遇状況の改善を意味するものでした。
親の会の活動の趣旨がデンマークの1959年の法律となり、その中で、「可能な限りノーマルな生活に近づける」という意味のことがノーマライゼーション normalization という用語で示されたのです。
その後、ノーマライゼーションの理念は障害者福祉の基本的な考え方として北欧諸国に広まり、それがアメリカに導入され、いわゆる「脱施設」の運動や政策へと変容し、現在に至っています。
教育の分野では、障害のある子もない子も「共に学ぶ」という考え方が広がっています。 それは障害のある子どもとない子どもを単に一緒にすることではないのですが、そこに考え方の混乱が生じているようです。
障害があっても、障害のない子どもと同等に教育を受けることができるよう適切な環境条件を整えるというのがノーマライゼーションの理念です。それは障害のことを理解し、その障害があるがための特別なニーズに可能な限り応えることを「普通」に行うことを意味します。それは教育の内容や方法、教育の場をすべて一緒にすればよいという意味ではないはずです。
福祉の分野では、日本の障害者施策は施設中心に進められてきました。ノーマライゼーション理念の広がりに伴い、福祉先進国といわれる国々が、施設の縮小や解体へと向かうころの日本はむしろそれとは逆に、施設の整備に向けた施策が勢いを増す時期でした。しかしそれは日本の実情に応えるものでした。
今、日本も「脱施設」への方向が示されていますが、いわゆる「施設」の意義を考えた場合、それは全面的に否定されるようなものではなく、施設も重要な社会資源として考えられてよいわけです。
現在の教育や福祉をめぐる問題、課題を考えるには、もう一度、原点に立ち返って考えてみることが大切だと思います。
誰のため、何のための教育か! 福祉とは何か!
「意味」は言語や行為によって示される内容、または物事が持つ価値を表します。
「意義」はある言葉が表す内容、また物事が他の物との関係において持つ固有の重要な価値を表します。
意味とは、言葉が持っている概念のこと。
人生の意味(目的、目標)とは?
人間とは何か、人間はなぜこの世に生を受け、様々の煩悩を経験し、やがて死んでゆくのかと。
そして、様々の解答を用意してきた。
意義とは、物事の存在・実行などにおける価値や重要性のこと。
人生の意義とは、成し遂げようと目指す事柄。 行為の目指す方向。
教育の意義とは・・・教育をすることによってもたらされる価値や大切さ。
意味と意義の違いは?
1.どうせ働くなら、単純作業よりも意義のある仕事がしたい。
2.参加すること自体に意義があるんだ。
3.社会人3年目にして、ようやくこの仕事に意義を感じ始めた。
4.勉強することに目的を求めるより、意義を感じるべきだ。
「苦しい時には人生の意義とは何かを考えることが多くなる。」
「毎日が取り留めのないことの繰り返しのような気がする。もっと意義のある生活をしたいと思う。」
「文化という語には極めて広い意義がある。」
「講演会で論じていた話の意義を理解する。」
「3年目になってやっと意義ある仕事ができるようになったと感じている。」
「その事件には歴史的な意義がある。」
「毎日、勉強することに意義がある。」
「今回のイベントには参加する意義がある。」
「このボランティアには参加することに意義がある。」
「人間は体の筋肉を鍛えることは、日頃の体力を維持するのに意義がある。」
「今回の大会は勝てる確率は少ないが、そこから得られるものは大変意義のあることだと思う。」
「あなたの存在自体に意義があります。」
「新しいことにチャレンジする時は、その一歩に意義がある。」
「考えてばかりいても何も進まない。行動することにこそ意義がある。」
「読書をすることは、知識や教養を高めることに意義がある。」
「私はしばしば人生の意義について深く考えることがある。」
・意味を調べるのに辞書を引く。
・短い句だが意味が深い。
・言外の意味を汲(く)む。
更に広く、言語以外の表現にも使われることがあります。
・名曲の意味を探る。
・この時間は何を意味するのか。
行為・表現・物事の、それが行われ、また、存在するにふさわしい、価値。
・意味のある人生を送る。
・あなたの言ったことを別の意味と勘違いをした。
「意義」と「意味」はそれぞれ同じような意味を持つ語となりますが、上述した点以外で厳密にどのように使い分けることができるのか、両者の主な違いを挙げると以下のようになります。
「意味」:意味として用いる場合、文脈によって理解される具体的内容を表す傾向がある。また「意味する」といった動詞的な使い方が可能であるなど「意義」と比べて用法が広い。
うつ状態にある患者さんから、時折、「いったい生きている意味って何なのでしょうか?
自分は生きている意味がないように感じてしまうんです。」という質問を受けることがあります。
難しい質問だと思います。
答えはそうそう簡単に見つかるものではないでしょう。
こんな時、患者さんに対しては、「生きている意味は、きっと見つかります。」
「今は、病気がそう思わせているのであって、うつの状態から脱してくれば、必ず気持は変わってきます。」と、誠意をこめてお話をしています。
齋藤 孝 (著)
潜在能力を引き出すには
どうすれば、なりたい自分になれるのか、潜在能力を引き出すことができるのか――。教育学、身体論、コミュニケーション論を専門とする著者が、心理学者マズローが提唱した「ピーク体験」とチクセントミハイが述べた「フロー」について説明しながら、披露する。具体的には、時間がゆっくり流れる、「自分」がなくなる、集中力が増す。そんな「一瞬」をつかむことができれば、自分が思っていた以上のことを成し遂げられるという。他にも、アイデアの出し方、チャレンジの方法、自己肯定感の高め方などを紹介する。自分らしい人生を送るための指南書!
(以下、目次)
第1章 「一瞬」をつかむ
第2章 自己実現のための「ピーク体験」
第3章 「フロー状態」に入る方法
第4章 クリエイティビティを身につける
第5章 潜在能力が動き出す時
内容(「BOOK」データベースより)
著者について
明治大学文学部教授。1960年、静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程等を経て、現職。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。著書に『声に出して読みたい日本語』(草思社 毎日出版文化賞特別賞受賞)、『身体感覚を取り戻す』(NHKブックス 新潮学芸賞受賞)、『読書する人だけがたどり着ける場所』(SB新書)、『最強の人生指南書』『最強の人生時間術』『なぜ受験勉強は人生に役立つのか』『最強の家訓』(以上祥伝社新書)など多数。
そう書くと、何だかたまたま感がありますが、この『潜在能力』発揮の一瞬がいつでも思うままに再現可能なら、仕事も人生もなんだかうまくいきそうな気がして、是非とも手に入れたくなります。
「ピーク体験」「フロー状態の入り方」「クリエイティビティの身につけ方」を学び、ようやく『潜在能力が動き』出すという流れで進んでいきます。そして天職や自分の可能性を見つけ出すきっかけのヒントも。
私自身、細切れ時間ばかりの上、いつもごちゃごちゃ考えていて、フロー状態になることは最近ない気がします。でも、なんかピークもフローも充実感があって良い!
若い頃のあの感覚をもう一度という時には是非手にとってみてください。
書面構成も、1課題を数頁に纏めて連続的に提示してあり、奇しくも活字アレルギーで「読み切る集中力が持続出来ないよ!」と言う方にも、比較的安心な内容です。
具体的な内容としては、本書において「ピーク」とか「フロー」と言う単語を多用されていますが、大局的に読み分けてみると、実質『仕事用』と『創作用』の2つに大別出来る提案となっています。
先に紹介されている『仕事用』に関しては、生活必須行動である「日常作業&金策活動」は元より「スポーツ」も含まれ、根底にあるのは「欲求に引かれる」か「危機感に押される」と言えそうです。
つまり、腹が減った状態で眼前に人参をぶら下げるか、背水の陣な状態を意図して作るか、どちらかを明確にセッティングする事で、集中力を得る事を目指している印象です。
一方で後に紹介されている『創作用』は「芸人のネタ造り」や「科学者の新発想」等から、こちらにも「スポーツ」が含まれますが、それは実際の「運動」では無く「戦略」を指します。
その提案は、前者よりは控えめで、概ね如何にアイデア出しのレパートリーを増やすかが追求されている印象で、基本的には「脳へのインプット量を増せば、アウトプットも増え」そして「情報鮮度を維持する為の即時実効性」も加味されている感じでした。
総じて、全体的な作風としては事例紹介が中心で、残念ながら質量が180頁程しか無く、万人に役立つとまでは言い切れない内容でした。
反面、目新しさは乏しい代わりに、実践性が高い提案を選りすぐっている印象は受け、単純な脳内転換で仕事効率が1割ぐらいは上昇しそうな提案集と感じ、モヤモヤしている方を中心に役立つと感じましたので、☆×4とします。
まぁ誰でも、鳥肌が立つような気持ちいい感覚は遊びでも仕事でも味わいたいところですが、いろんな角度からそれを掘り下げていくので、にぎやかでゴッタ煮感覚の本になっているのが齋藤教授らしくて楽しい。
ニーチェやゲーテや万葉集やランボーの詩や“燃えよドラゴン”の台詞からの引用で人生において大切な一瞬を解説したり、有名な絵画を見に行ったら確認作業ではなく体験するべきとか、写真で切りとれる本当に大切な瞬間を見逃さないとか、音楽ライブでは情報ではなく空気を感じろといった、感性を磨くための分かりやすい例があったりします。(自身のベストな能力を発揮するのには、正しい呼吸法で感覚を研ぎ澄ますなんて余談から、やる気をブラック企業に利用されるなというやさしいお節介までが180ページの中にぎっしり詰まっている)
また、無理だと思っても何でも経験してみるとか、(イチロー語録から)熱中したり夢中になれるもの見つけろなんて啓発本みたいな記述が、”自己実現の欲求は、日常の他の欲求の土台の上に成り立つものであり、安全と成長は相反するものであるがチャレンジは欠かせなく、そしてそれはスキルとのバランスで結果も変わってくる”といった心理学者の説く法則の図解等での説明に繋がっていったりします。
仕事は金が大事かやりがいが大事か、仕事に満足いけば私生活もうまくいきまた仕事にいい影響がある、それよりいっそ仕事を遊びにする等々、いろんな側面から理想の毎日のために必死に応援してくれる本です。
個人的にはいろいろ考えさせられる本でした。私のピーク体験とフロー状態は、20年以上勤めた会社に嫌気がさして、たった一度の残りの人生嫌々働いていくのだろうかと思っていた時に、B・スティラーの“LIFE!”という映画を観て、衝動的に辞表出して転職活動して、次の仕事に就くまでの1か月の間に退職金全て使ってローリングストーンズのコンサートをヨーロッパ中追いかけて夫婦で回って、ライブと美術館と観光で鳥肌立ちっぱなしの毎日で最高の日々でしたが、結局転職じたいは大失敗だったと断言できる結果になってしまいました。でももうすでに、あの時でしか経験できなかった素晴らしい1カ月がなかった自分の人生も考えられない訳で、あの時のピーク体験とフロー状態を思い返しては、あんな経験が出来たのだからとそれを励みに、後悔なしにどん底から這い上がろうとしている身としては、かなり染みる本でした。
ちなみに、ボブ・ディランがライブで同じ歌を何千回歌っても新鮮に聞こえるのがすごいという話が載っていますが、毎回あれだけ原型をとどめないアレンジと歌いっぷりだとそりゃ新鮮に聞こえるよーと突っ込みは入れときたいと思います。
②「一瞬」のピーク体験は、体内から漲る内なるパワーを感じる体験である。ベートーベンのピアノソナタ第29番作品106「ハンマークラヴィーア」は、ベートーベンのピアノソナタ全32曲中最長・最大規模のソナタであり、高度なテクニックが求められる難曲である。
③なぜ、このような大曲が生まれたのであろうか?
当時のベートーベンは病に苦しみ、長いスランプに陥っていた。絶望に陥り、先が見えない状態が続く中で、「一瞬」(瞬間)見えた希望の光、突如として甦る創作力、体内から溢れるパワー。そして神への感謝の念と祈り。こうした「一瞬」で生まれた大作が「ハンマークラヴィーア」である。
嘘だと思う人は実際にこの曲を聴いてみてほしい。最終楽章のフーガは、この溢れんばかりの創作力の奔流であり、止まることを知らない。
④「一瞬」のフロー体験はこの曲の演奏に求められる類い稀なる集中力によって表現されるであろう。思考を停止し、ひたすら演奏に集中する体験は、哲学者西田幾多郎が論じた主客未分の〈純粋経験〉に等しいものである。
⑤そしてこの演奏にひたすら集中することによって、「クリエイティビティー」(創造性)が生まれるのである。「一瞬」のピーク体験→フロー体験→クリエイティビティーへと進むことが出来れば、人生や仕事を単調なルーティンからクリエイティブな内容へと変えることが出来る。
⑥「一瞬」がいかに大切か、本書が教えてくれる。思想家バタイユは『マネ論』を著し、マネの有名な歴史画「皇帝マクシミリアンの銃殺」が、銃殺される「一瞬(瞬間)」のメキシコ皇帝マクシミリアンの最期を、時間が停止し、それまで経験した人生のあらゆる出来事を「一瞬(瞬間)」で想起する経験として捉えている。まさにこの作品は「時間の静止」を表現している。これもまた「一瞬」のピーク体験である。
お勧めの一冊だ。
自分の大きな目標のために仕事をしていて結果が出ないと自分は成功しなかったことになってしまうけれど、その時その時の仕事を努力していたら、自己実現、成功できる、ということでしょうか。
本書の展開は以下でよいでしょうか。
一瞬でも何かに感動できれば、その感動を得るまでの時間(人生)は肯定できる
ピーク体験に至る一瞬は、感情から自分が抜けていく
自分のためにではない、別の動機から物事を行うことが自分の喜びと一体である そうした人が自己実現をしている人だ
自己実現をしている人は、自分に欠けているものがなくても、何かを目指して努力し続ける
フローを感じる人は、どのような環境でも最善を尽くし、自分の利益の追求ではなく、内発的な動機付けで行動する
仕事は何をしているかよりも、仕事を通してどのような価値を生み出そうとしているかが本質
自己実現とは自分のためではなく、もっと大きな価値のために仕事をすること
瞬間的なものについてだけ言っているわけではないようで、そのせいもあって、内容がややぶれている印象もあります。
結局のところ何が言いたいのか、についても、まとまりに欠ける印象がありました。
テーマとしては、仕事を通しての自己実現について、かな。
この本で紹介されていた、ワークライフハーモニーという考え方はいいなと思いました。
働く人にとっての幸福に繋がり、また企業にとってもメリットがあると思います。
いまの企業は人を活用する術を知らないから、低賃金や長時間労働で搾取することしか考えてない、なんて言われることもありますし。
別のところでは、能力を発揮するには、マズローの言う基本的欲求が満たされている必要があるというような話もありました。
10年以前から思ってはいましたが、いい加減、日本人は働き方を考えたほうがいいと思います。
一瞬をつかむことで人生の局面を大きくかえることができます。そのためには時間がゆっくりと流れる感覚に入り、自己のピークを感じる一瞬を活かさなければなりません。フローを感じることで立ちはだかる困難に立ち向かい一瞬をつかむことが得きるかもしれません。フローを感じるためにはトータルフットボール感覚やプリコラージュ感覚をもつことでクリエイティビティーを高めることも必要です。という流れの話を詳しく語ってくれている本ということなのでしょうか?
今回は自己啓発系という中身で、書名にも表してあるように自分の潜在能力を引き出す方法が書いてあります。
「ピーク体験」「フロー状態」、そして「クリエイティビティ」と章が進んでいきますが、各内容の説明にはマズローやチクセントミハイの理論をベースに、どうしたらいいのかが説明されています。
自己啓発系の本を数多く(100冊以上とか)読んでいる人と、そうでない人では受け止め方も違ってくるように思います。
一つひとつ個別の内容については、同意できることばかり。
しかし、全体を読み終えた後では、なぜか机上論のように思えてしまいました。
実践論を教えるのではなく、正しい理論を教える感じ。
読み手によって当然のごとく、良し悪しは変わってくると思います。
内容が悪いわけではないので、一読する価値は十分にあります。
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昨年7月の参院選広島選挙区をめぐり、地元議員らに多額の現金を配ったとして前法相で衆院議員、河井克行容疑者(57)=広島3区=と、妻で参院議員、案里容疑者(46)=広島選挙区=が東京地検特捜部に逮捕された公選法違反事件で、検察当局が押収した「買収リスト」の作成に克行容疑者が関与していた疑いのあることが22日、関係者への取材で分かった。克行容疑者が広範な現金買収を計画、調整し、手渡しを実行していたとみて、特捜部などは捜査を進めているもようだ。 【写真】河井前法相がLINEで指示していた画面
また、関係者によると、克行容疑者が特捜部の調べに対し、現金配布を一部認める供述をしていることも判明。一方で買収の意図はなかったとして、容疑を否認しているという。案里容疑者との共謀についても否定している。
検察は今年1月、夫妻の自宅や事務所などの家宅捜索で、現金の配布先や金額を記した複数のリストを押収した。リストが入った広島市内の事務所のパソコンは、専門業者にデータを削除させていた疑いがあることもすでに判明している。検察は消去されたデータの一部をデジタルフォレンジック(電子鑑識)の技術で復元している。
関係者によると、金額が記載された複数のリストは夫妻の自宅からも見つかっており、克行容疑者自身が作成に関与していたとみられる。国会議員による買収事件では秘書らが現金を配布するケースが多いが、夫妻は票の取りまとめを依頼するため、県議や市議、後援会関係者ら地元有力者に自ら現金を配っていた可能性が高い。
押収された複数のリストに記載された金額は、多くが被買収者側の供述と一致するが、一部は金額が食い違っているといい、特捜部は各リストの作成時期などについて、慎重に捜査を進めているとみられる。
克行容疑者ら夫妻は昨年3~8月、参院選で案里容疑者の票の取りまとめを依頼するなどし、報酬として計約2570万円を地元議員や後援会関係者ら94人に渡した疑いが持たれている。