2020/2/21 ehope-med.
人間の性本能は、生殖本能が進化した「新しい本能」
これまでのコラムで、本能の働きに習慣や環境が大きく影響することを述べてきましたが、それには脳の「大脳辺縁系」という部分が大きくかかわっています。大脳辺縁系というのは、記憶を蓄積する海馬、好き嫌いや怒りといった感情にかかわる扁桃体、快や不快にもとづいて行動につなげる帯状回などからできています。
なかでも扁桃体は「情動の中枢」と呼ばれているくらいで、好き嫌いや快不快などの原始的な感情を生み出す役割を果たしています。この扁桃体から発せられた快不快の情報を帯状回が受け取り、その情報を大脳へ伝え、行動に結びつけていくという仕組みになっているのです。
つまり大脳辺縁系は、記憶など高度な機能の一部を担っていますが、総じて好き嫌い、快不快といった単純な感情、いわゆる情動をつかさどる「情動脳」といえます。
ちなみに情動とは、好き嫌い、快不快、恐怖や怒り、喜び、悲しみなどの単純だけれど強い感情のこと。また、その〝動物的〟な感情から引き起こされる身体反応(恐怖感から顔や体がこわばったり、緊張したときに汗をかくなど)のことをいいます。
そして、人間のもつ本能のうち食欲や性欲、運動欲といった本能はこの情動脳である大脳辺縁系の支配を受けているのです。食欲や性欲は人間にとって基本的な欲望であり、生存するために必要な低レベルの原始的本能ですが、それと同時に、好きか嫌いか、快か不快かといった情動反応にもとづくところが大きい、中レベルの情動本能でもあります。同じ空腹を満たすのなら、自分の好きなものやおいしいものを食べたほうが満足度は高いし、脳のよろこびも大きいのです。
とりわけ人間の場合、もはや性欲に生殖本能が占める割合は低く、それよりも現代の人間は生殖とは無関係に「発情」することが可能になっています。好きな女性をイメージするといった抽象的な想像や思考によっても、情動が刺激されて性欲が高まる――これは人間のもつかなり高度な情動的(習性的)本能の働きによるものといえるでしょう。
その点で、人間の性本能は生殖本能を進化させた新しい本能でもあり、他の動物がもたない人間独自の本能ともいえます。
男性は「空腹のとき」に欲情しやすい!?
性本能ほど理性のコントロール下に置きにくい欲望はないようで、人間の性的欲求を脳レベルで解析してみるとおもしろいことがわかります。脳で性欲をつかさどっているのは間脳にある視床下部、その中の第一性欲中枢と第二性欲中枢と呼ばれる2つの器官です。
第一性欲中枢はセックスを欲する機能を受け持ち、第二性欲中枢はセックスを行うための機能を担当しているといわれています。
このうち第一性欲中枢については、その大きさは男性が女性のほぼ2倍あるのです。このことから「男は女の2倍性欲が強い」と指摘する人もいますが、みなさんはどう思われるでしょう。大いに納得する人もいれば、首をかしげる人もいるかもしれません。2倍かどうかは別にしても、一般に男性のほうが女性より性への欲求も期待も大きい傾向にあるのは事実のようです。
また、セックスを行う機能を受け持つ第二性欲中枢についてですが、その場所は男性の場合、摂食中枢(食欲をうながす神経細胞)のそばにあるのに対して、女性のそれは満腹中枢(食欲を抑える神経細胞)の近くにあります。これも、とてもおもしろい男と女のちがいです。
つまり、男は空腹のときに〝欲情〟しやすいのです。「食べたい」ときは「したいとき」でもあって、男は食も性も一緒くたになっている側面がある。
それに対して、女性はお腹が満たされて精神的にも落ち着いたときにセックスに意識が向く〝優雅な〟傾向があると考えられます。どっちにしても食欲と性欲は非常に近い関係にあるのです。
失恋したときに「メシが喉を通らない」ほど食欲が低下することがあるのも、そのことに関係しているのかもしれません。失恋によって性本能の情動が鈍る。すると隣人である食本能も低下してしまうというわけです。また逆に、女性がしばしば失恋のストレスを食べることで解消する場合があるのは、食欲に性欲の代行をさせているのかもしれません。
「草食系男子」「肉食系女子」の誕生は、豊かな現代に適応した結果
そう考えると、世の中に「草食系男子」や「肉食系女子」が増えているのもうなずけます。男性の場合は、食欲が満たされれば摂食中枢の働きは鈍くなり、それにつれて性欲も減退します。すなわち食にも性にもガツガツしない、淡白な草食系男子の誕生です。逆に、豊かな社会では女性は満腹中枢が満たされますから、男とは反対に性欲が高まる傾向にある。今、男性より女性のほうが何かと元気なのはそのせいかもしれません(肉食系女子も増えているようです)。
草食系男子も肉食系女子も、変化する環境に適応しようとしている結果であり、その点では当然の成り行きともいえます。ただ、その結果、生殖能力の衰えが顕著になっていくのは国の活力維持のためにも、人類の存続のためにも(?)困ったものです。
たとえば男性の精子の数はあきらかに減少傾向にあることが確かめられていますし、元気なはずの女性にも不妊症が増えています。女性の不妊症はダイエットの行きすぎなどが引き金になるケースが多いようですが、拒食症にまで至るような無茶で過剰なダイエットが摂食中枢やら満腹中枢やら食本能の正常な作動を狂わせ、その狂いが「隣人」である性本能にも影響してくるのは十分に考えられることです。
豊かで食うに困らない。晩婚化の進展や独身者の増加で子孫を後世に残す機会が減っている。おまけに異性獲得のための競争も減っている。そんな社会環境のもとでは、人間の生殖能力が低下し、性本能も衰える傾向にあるのは致し方ないことなのかもしれません。
※本コラムは、『健康はあなたの体が知っている』(サンマーク出版)を一部抜粋・編集したものです。
この記事の執筆者
院長
永野 正史
三井記念病院内科腎センター勤務、敬愛病院副院長を経て2003年 練馬桜台クリニック開業。