《茨城一家殺傷事件》逮捕された「第二の酒鬼薔薇聖斗」、母親が取材で語っていた息子のこと

2021年05月10日 22時32分50秒 | 事件・事故

水谷竹秀(ノンフィクションライター)

2019年9月、茨城県境町の住宅で会社員の小林光則さん(当時48)と妻・美和さん(同50)が殺害され、子供2人が重軽傷を負った事件で、茨城県警は埼玉県三郷市在住の岡庭由征容疑者(26・無職)を夫妻に対する殺人容疑で逮捕した。

 岡庭容疑者は自宅で就寝中だった夫妻を包丁のようなもので切りつけ、殺害した疑いがある。

 昨年11月、埼玉県警は三郷市火災予防条例違反の疑いで岡庭容疑者を逮捕。続けて今年2月には茨城県警が、警察手帳を偽造販売したとして公記号偽造の容疑で逮捕していた。

「週刊女性」が当時報じた事件の一報を再公開する。(2021年2月16日公開。年齢・肩書き等は当時のまま)

* * *
「第二の酒鬼薔薇聖斗」と呼ばれて

 その男A(20代)の危険な行動については、近隣住民の間でも知れ渡っていた。

「彼が少年時代、猫の首を切り、その死骸を家の周りに埋めていたそうですね。警察犬を連れた捜査員が、捜索に当たっていたと聞きます」

「最近では、爆弾の材料を持っていたと近所の人が言っていました」

 そんな悪い噂は広まる一方、Aの人となりについては、「本人を見かけたことがないからわからないんです」

 とみな、一様に口にし、謎に包まれたままだ。

 埼玉県三郷市の川沿いに立つAの家は、周囲がブロック塀で囲われ、敷地の中は二世帯住宅になっている。

 ここからサバイバルナイフや鉈など計71本の刃物が埼玉県警に押収されたのは、今から10年近く前のこと。Aは当時、通信制高校の2年生で、2011年11月、同市の路上で中学3年の女子生徒のあごを刃物で刺してケガを負わせ、さらにその2週間後には、隣接する松戸市の路上で小学2年の女児の脇腹など数か所を刺し、殺人未遂の疑いで逮捕された。

 この連続通り魔事件に加え、Aは猫の首を切断したり、放火を繰り返したりした。その行動の奇異性からネット上では、1997年に神戸市で起きた連続殺傷事件の犯人になぞらえて、「第二の酒鬼薔薇聖斗」とも呼ばれている。

昨年11月に元少年は逮捕された

 そんなAの家に昨年11月、再び埼玉県警の捜査の手が入った。隣の茨城県警から「殺人のために使えるものを所持している」との情報提供を受け、家宅捜索したところ、硫黄約45キロが見つかったのだ。危険物貯蔵取り扱いの基準に反したとして、埼玉県警は三郷市火災予防条例違反の疑いで、無職のAを逮捕した。

 現場には早朝から大勢の報道陣が詰めかけ、「通行止めになるほどだった」(近隣住民)という。

 その理由は、Aがある未解決事件の捜査線上に浮上したためである。


亡くなった小林光則さん・美和さん夫妻。美和さんは、死の直前に110番通報していた
 その事件は、Aの家から北に約40キロ離れた、茨城県境町の民家で2019年9月に起きた。会社員の小林光則さん(当時48)と妻のパート従業員、美和さん(同50)が何者かに刃物で刺されて死亡し、中学生の長男(同13)と小学6年生の次女(同12)が重軽傷を負った。

 茨城県警などによると、犯行時間は午前0時38分ごろ。美和さんが「助けて」と110番通報して事件が発覚。犯人は小林さん宅に侵入し、2階の寝室に直行。光則さんの胸や美和さんの首に刃物を突きつけて殺害した後、子ども2人の部屋に押し入り、足や腕などを切りつけた。

 子ども2人の証言などから、犯人は帽子とマスク姿の知らない男で、ベッドで寝ていた子ども2人に「降りろ」と指示し、次女には催涙スプレーのようなものをかけたという。1階の部屋にいた大学3年生の長女(同21)は無傷だった。

 現場からは、犯行に使われた刃物は見つかっておらず、部屋が荒らされた形跡もない。この状況から茨城県警は、怨恨による犯行の可能性が高いとみて捜査を続けてきた。地元の有志も、有力な情報提供者に懸賞金100万円をかけたが、犯人は特定されていない。

 事件は迷宮入りしたかにみえたが、昨年11月に逮捕されたAが突如として捜査線上に浮かび上がり、一部週刊誌がそれを報じた。

 

 


大きな目標が、大きな希望となる

2021年05月10日 22時32分50秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽目標を持つ

夢を抱く

それは、喜びを見い出すことに通じる。

人生に目標があれば、希望の一歩を踏み出す力となる。

大きな目標が、大きな希望となる。

▽自分と他人を比べるのではなく、自分の過去・現在・未来を比べることである。

▽自分の歴史は、新しい一歩一歩の積み重ねである。

遠い未来も「今」の一歩からから始まる。

常に「今」を勝つことだ。

▽熱意は幸福と健康の秘訣-哲学者・バートランド・ラッセル

第一次大戦中、ラッセルは徹底的な非戦論を主張し、ケンブリッジの教授職を追われ、投獄されている。

最悪のシナリオを回避するため、核兵器廃絶の運動に身を投じる。

1955年7月9日、「ラッセル=アインシュタイン宣言」を発表。この宣言は、ラッセルが起草し、アルベルト・アインシュタインが署名を行ったものである。アインシュタインがその署名を行ったのは、彼の死の1週間前のことであった。

このラッセル・アインシュタイン宣言は、パグウォッシュ会議(第1回開催1957年7月6日 - 7月10日)につながる。

▽政治は<幸福の条件をつくり出すことは>できても、<人々を直接、幸福にすること>はできない。

▽全ては「何のために生きるのか」ということから始まる。

この世界を生きる上で、私たちは今まで以上に「対話」を重要視しなければならない。

対話には、相手を深く尊敬し、粘り強く耳を傾け、共感していくこが不可欠である。

共感は愛と慈悲の表われであり、それなくしては一人一人の人生も家族の生活も成り立たず、そして社会に生きることもできない。

こうした普遍的な価値観を広める必要がある。

歴史を顧みれば、争いは常に自国優先の動きから引き起こされてきた。

とりわけ、若い世代の交流が重要だ。

▽対話によって、偏見が取り除かれ信頼が生まれる。

普遍的価値観は、一人の人間のが、日々前進しながら生涯を懸けて実現していく労作業だ。

人の不幸の上に自分の幸福を築くことなどできない-EU初代大統領・ヘルマン・ファンロンパイさんの言葉


努力して「夢をかなえる」

2021年05月10日 19時26分24秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

不利な条件でも、創意工夫を重ね、自身を飛躍させるバネとしていく。
人生の勝利に導くのも、その人間として強さである。
苦渋や忍耐を強いられる時ほど、「いよいよ」の志を貫くことだ。
いかなる逆境をも打ち返す根幹の力が、誰にも具わっているかずだ。
褒める、褒められるのは、認め合う関係性をつくる上でとても大切なことだ。
心理学では、自分を褒めてくれる人に好感を抱きやすくなることを説明する「好意の返報性」という言葉がある。
好意の返報性:人から好意、「好き」「愛している」という気持ちを与えられると、自分も同じように好意、「好き」「愛している」を返したくなる法則です。

当たり前のことを実行するのは、意外に難しい。
それには、明確な目的意識を持たなければならない。
危機管理においては、目的を明確にすることが大切だ。
一番の目的が安全だ。
安全のためには、あらゆるリスクをイメージする。
トラブルや最悪の事態といった悲観的な想定をし、本番では準備してきたことに自信をもって、楽観的に対応する。
悲観的に準備しると無駄になることも多いが、その無駄が大きな目的を果たすために重要となる。
危機管理における目的は、人生では夢と置き変えられる。
夢を持つことは非常に大切であり、夢で
目の色が変わるだろう。
夢は途中で終わってもいい、いろいろな道を通っていい、無駄な経験は一つもない。
努力して「夢をかなえる」とう自分自身の約束を果たせる人になってほしい-日本航空元機長・危機管理専門家の小林宏之さん

 


紀州のドン・ファン「遺産13億円」に感じる強烈な違和感

2021年05月10日 18時28分23秒 | 事件・事故

5/10(月) 16:32配信

FRIDAY

<2018年5月24日に亡くなった紀州のドン・ファンこと野崎幸助氏と生前から交流があり、彼を取材し続けたジャーナリスト・吉田隆氏による「深層レポート」。今回は、「13億円」と言われている遺産の謎について深掘りする。>
13億では少なすぎる…?

ドン・ファンが亡くなった事件について、毎日のように報道が流れているが、そのなかで私が違和感を持っているのが、「ドン・ファンの遺産額」についての報道である。

一般的には遺産の額は「約13億円」と報道されているが、私の計算とは大きく食い違っているのだ。

実はドン・ファンの地元である田辺市の家庭裁判所には、ドン・ファンの遺産の「リスト」が保管されている。2019年1月に裁判所が任命した、和歌山市の遺産相続管理人の弁護士がまとめたものだ。

私はこのリストにも目を通しているが、ドン・ファンの所有していたルノワールやシャガールの絵の鑑定が1万円と書いてあったのには驚いた。あの絵はニセモノだったのか…?と混乱したが、絵画の鑑定はまだなされておらず、額縁の値段が「一万円」ということらしい。

ドン・ファン宅の廊下の壁には、親交があったデヴィ夫人が描いた女性の横顔の絵が飾ってある。これは7~8年前にドン・ファンが夫人のオークションに行った際に、100万円で購入したものだ。しかし、遺産のリストを見る限り、この絵は評価の対象にさえなっていなかった。この事実を知ったら夫人はどう思うだろうか…。

このリストをみると、他にもドン・ファンが所有していたウン百万円もする高級時計やダイヤなどの貴金属類が入っていなかった。あえて先に言うが、盗まれたわけではない。もともとこのリスト自体が不十分なもの、なのだ。

なぜなら、ここに載っている「資産」は、ドン・ファンが経営していた会社の顧問会計士の話をもとに作られたものだからだ。彼がドン・ファンの資産すべてを把握しているわけではない…ということも影響している。

いわば不完全なリストなのだが、これをまとめた総額が「約13億円」となっているため、こぞって「遺産13億円」と報じられているわけだ。実際の遺産額は、もっと多い可能性があるのだ。

◆遺産争い

さて、この遺産を巡って、いざこざが起きているのはご承知の通り。その筆頭が、ドン・ファンが生前に書いたという「田辺市に遺産をキフする」という「遺言書」の真偽だ。筆跡がドン・ファンのものではない可能性が高いうえに、奇妙な点が多々ある。私はこの問題をずっと追ってきた。

2018年9月12日。田辺市の裁判所でドン・ファンが書いたとされる遺言の紙切れの検認が行われた。「田辺市にキフする」という赤いペンで書かれていた「遺言書」が、ドン・ファンの会社の元役員のもとに送られていた…として裁判所に提出されたものである。

検認というのは、遺言の形式が整っているのかを調べるものであって、真偽を審査するものではない。遺産を巡る重大な事案であるため、この日はドン・ファンの会社の元役員の弁護士や遺族の弁護士も顔を見せた。

しかし、なぜかその場に早貴容疑者やその代理人は誰も来なかったのだ。

その後「遺言書は偽物である」として、ドン・ファンの遺族が「遺言無効」の訴えを起こしたが、これに対して、早貴容疑者側は意義を申し立てなかったのである。

この遺言が認められなければ、法律上、早貴容疑者はドン・ファンの遺産の4分の3を受け取り、残りの4分の1を複数の遺族で分ける事になる。反対に遺言が本物と認められれば田辺市に遺産を受け取る権利が認められるが、妻が「遺留分請求」をすれば遺産額の半分を受け取る権利を有することになる。

ここからは仮定の話になるが、ドン・ファンの遺産総額が30億円だった場合、もしも遺言が「偽物」となれば、早貴容疑者は22億円を受け取れたことになる。反対に、遺言が有効と認められた場合、15億円が田辺市に流れ、早貴容疑者が受け取る額は15億円になってしまうワケだ。単純計算で約7億円も受取額が減るにもかかわらず、早貴容疑者側は「遺言書の真偽に関する話し合いには参加しない」という立場をとっている。

現在、この遺言書を巡り、田辺市とドン・ファン遺族が「有効か無効かの裁判」を争っている。しかし、この裁判にも早貴容疑者側は参加していないのだ。

ここが、なんとも奇妙なのである。

早貴容疑者側はなぜこの遺言無効裁判に参加しなかったのか?私はここにドン・ファンをめぐる「謎の遺言書」のカラクリがあると思っている。彼女は現状、黙秘を貫いているようだが、語られていない謎はまだまだ残っているのだろうか――。

取材・文:吉田隆
ジャーナリスト

FRIDAYデジタル

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最終更新:
FRIDAY

《茨城一家殺傷》岡庭容疑者(26)は10年前に「連続通り魔」を起こした“猫殺し少年”だった

2021年05月10日 18時11分34秒 | 事件・事故

16歳だった時に、凶悪事件の犯人として逮捕された過去

5/7(金) 17:12配信

文春オンライン

茨城県境町の住宅で2019年9月23日未明、小林光則さん(当時48)と妻の美和(同50)さんが何者かに刃物で刺されて殺害され、長男(同13)と次女(同11)が重軽傷を負った一家殺傷事件。茨城県警は5月7日、これまで別件で逮捕されていた埼玉県三郷市に住む無職・岡庭由征容疑者(26)を殺人容疑で逮捕した。

岡庭容疑者は約10年前の2011年12月、当時未成年の16歳だった時に、凶悪事件の犯人として逮捕された過去があった。

逮捕まで約半年。毒ガスや爆弾製造の疑いも
 今回、殺人容疑での逮捕までは約半年の時間がかかり、捜査は慎重に進められていた。

「警察はまず岡庭の身柄の確保を最優先にしたかった。岡庭は毒ガスや爆弾を作っている疑いもあり、埼玉県警が昨年11月に突入。硫黄45キロを貯蔵し、危険物取り扱い基準に反していたとして、三郷市迷惑防止条例違反で逮捕しました。

 その後、身柄を茨城県警に移し、2月15日に警察手帳につける記章を偽造したことから公記号偽造容疑で逮捕。そして今回の逮捕へ繋がりました。昨年11月に逮捕した際のガサ入れは入念に行われました」(社会部記者)

 2020年11月19日の早朝4時半ごろ、4台ほどの護送車が岡庭容疑者の自宅周辺に停まった。うち1台には「高圧ガス」と書かれていた。午前5時47分ごろ、夜明け前の暗がりの中、30人以上の捜査員や機動隊、特殊部隊が容疑者宅前に集結し、約10分後に突入。中にはガスマスクを装着した部隊もいた。

 その5分後、上下青のチェック柄パジャマを着た岡庭容疑者が捜査員に付き添われながら自宅から出てきた。そのまま車に乗り込み、埼玉県警吉川署に向かった。

2011年には通り魔事件で逮捕「性的興奮を感じていた」

「県警は、2020年5月から内定を進め、24時間体制で容疑者の動きを監視し続けていました。凶悪事件を起こした前歴がある岡庭は、いつ暴走するかわからない。刃物だけでなく、爆薬や毒物も所持しているという情報もあり、テロを想定した人員で早朝の確保に望んだ。現場には爆発物処理班も待機させていた」(捜査関係者)

 岡庭容疑者が約10年前に起こした凶悪事件とは「連続少女通り魔事件」だ。

当時、通信制高校に通っていた16歳の岡庭容疑者は、2011年11月18日、三郷市内で下校中の中学3年生の女子生徒に自転車で背後から近づいたのち、無言であごを包丁で突き刺した。

さらに翌月1日には隣町の千葉県松戸市内にて小学2年生の女児のわき腹を複数回刺す凶行に及んだ。どちらの被害者も重傷で、岡庭容疑者との面識はなかったという。

 別の社会部記者が説明する。

「2011年の逮捕の際、岡庭は『歩いている人を殺そうと思った』と供述。

家宅捜索では20本以上の刃物が押収されました。さらに裁判では『当初は殺害し、首を持ち帰ろうと思った』『女性を襲うのに性的興奮を感じていた』など常軌を逸したような証言を繰り返していました。

医療少年院を退院後、2年ほど前から名前を変えて実家暮らし
 また岡庭容疑者は、事件を起こす前には近所の簡易トイレや車に放火をしたり、猫を殺害し、生首を学校に持ち込むなどしたこともわかっています。

逮捕後の精神鑑定では社会性の発達やコミュニケーションが困難な『広汎性発達障害』と診断されました。

厳しい刑事処分を求める声もありましたが、さいたま家裁はこの点に注目し、刑事罰を与えるのではなく、医療少年院送致で更生を促すという判断をしました。

なお、当時は岡庭容疑者の父親も、刃物などの有害玩具を息子に持たせていたことから、青少年健全育成条例違反容疑で書類送検されています」

 岡庭容疑者は医療少年院を退院した後、2年ほど前から名前を変えて、両親と共に三郷市の実家で生活していた。祖父は地元では資産家として知られており、自宅周辺には多くの親戚たちが暮らしている。

 近隣住民が語る。

祖父は地元の名士。定職につかず、ひきこもりがちな毎日
「岡庭容疑者の祖父は、事件前までは町内会の役員を務めた地元の名士だったが、事件後、役員を降りて、近所とも疎遠になりました。

岡庭容疑者の自宅近くに複数の土地を持っていたが、自宅裏に所有していた広大な土地は事件後に裁判費用や賠償金の支払いのため売ってしまったようです。祖母は近所に頭を下げてまわり、以来、帽子にマスクをつけて隠れるように生活しています。

 父親は建築関係の仕事をしていましたが、今は辞めてしまいました。母親も一時期ノイローゼになるほど体調を崩していました。あれから10年が経ち、やっと事件のことも忘れることができたのに、またあの息子が問題を起こした。どこまで皆に迷惑をかけるのでしょうか」

 定職につかず、ひきこもりがちな毎日を送っていたという岡庭容疑者。近隣住民の多くは「(岡庭容疑者が)あの家に戻り、住んでいることも知らなかったし、名前を変えたことも知らなかった」「あの息子、また何かやったのか!!」などと話した。

岡庭の父親は「警察が騒ぎすぎだ」と話していた
 2020年11月19日午前6時35分、岡庭容疑者は待ち構えた報道陣に驚いた表情を見せ、埼玉県警吉川警察署へと入った。岡庭容疑者の捜査は長時間に及び、家宅捜索は翌日20日も行われた。家宅捜索では硫黄の他に、複数の刃物やフラスコ、ビーカーなどの器具も確認されている。

 11月末、岡庭の祖父は文春オンライン特集班の取材に「わからない、わからない」を繰り返し、父親は「(逮捕は)大した容疑ではないし、殺人事件なんかやったわけではない。警察が騒ぎすぎだ」と話していた。息子からは何も聞かされていなかったのだろうか――。

 裁判で明らかになった少年時代の岡庭容疑者の凶行については、 #2 で詳報する。

 「また何か起こすと思った」茨城一家殺傷の岡庭容疑者(26)が「金属製ワイヤー」を隠し持っていた理由  へ続く

「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班)

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【新型コロナ速報】千葉県内172人感染、1人死亡 月曜では宣言後最多

2021年05月10日 18時11分34秒 | 社会・文化・政治・経済

5/10(月) 16:52配信

千葉日報オンライン

千葉日報社

 千葉県内で10日、新型コロナウイルスに感染した1人の死亡と、172人の感染が新たに判明した。緊急事態宣言解除後の月曜日としては最多の感染者数。県内での累計感染者は3万4574人に増えた。
 
 感染判明を発表した自治体別では、県が123人、千葉市が31人、船橋市が13人、柏市が5人。

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【速報】新型コロナ 茨城県が「感染拡大」3市町追加へ 4市町延長、8市町解除

2021年05月10日 16時43分51秒 | 社会・文化・政治・経済

5/10(月) 15:27配信

茨城新聞クロスアイ

茨城県の大井川和彦知事は10日午後、臨時会見し、人口1万人当たりの新型コロナウイルス感染症患者が直近の1週間で1.5人を超えた市町村を対象に独自に指定している「感染拡大市町村」に、常陸太田市、取手市、境町の3市町を追加し、不要不急の外出の自粛や飲食店の営業時間短縮を要請すると発表した。

期間は13日から26日までの2週間。さらに4月22日に指定した水戸市、古河市、大洗町と、26日に指定した茨城町の計4市町の指定期間を延長して5月19日までとし、土浦市、石岡市、下妻市、常総市、潮来市、守谷市、筑西市、五霞町の8市町の指定を13日で解除すると明らかにした。これにより13日以降の指定は計12市町となる。

大井川知事は「陽性者数に改善がみられるが、入院患者数などは若干悪化している」と指摘し、県民への協力を呼び掛けた。

●茨城県指定の感染拡大市町村  
【追加】3市町  
常陸太田市、取手市、境町(13~26日)

【延長】4市町  
水戸市、古河市、茨城町、大洗町(~19日)

【継続】5市町  
結城市、龍ケ崎市、つくば市、八千代町、利根町(6~19日)

【解除】8市町  
土浦市、石岡市、下妻市、常総市、潮来市、守谷市、筑西市、五霞町(12日)

【要請内容】  
■不要不急の外出自粛  
■営業時間短縮(全ての飲食店、午後8時から午前5時までの営業自粛、酒類提供は午後7時まで)  
■会食を開催する場合、同居家族以外はいつも近くにいる4人まで  
■出勤者数の削減(テレワークの積極的活用・時差出勤の活用)  
■イベント等の開催制限(上限5000人かつ収容率50%以下)

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斉藤コミッショナー、無観客試合について「やる意味がない」 再度の延期も選択肢

2021年05月10日 14時12分50秒 | 社会・文化・政治・経済

5/10(月) 12:52配信

サンケイスポーツ
 プロ野球とJリーグが設立した「新型コロナウイルス対策連絡会議」の第31回が10日に開催され、斉藤惇コミッショナーがプロ野球の無観客開催について「やる意味がない」と改めて強い憤りを示した。

 4月27日-5月11日まで緊急事態宣言の対象地域では無観客試合となり、セ・リーグでは計5試合の試合日程を延期。12日からは上限5000人に緩和される中、同コミッショナーは「私たちにとって、プロ野球の無観客というのは例外中の例外。単なる試合数の消化で、やる意味があまりない。12球団のオーナーさんもそうおっしゃっている。(各球場の収容人数の)50%ぐらいではやりたいという気持ちはずっと持っている」と言及した。

 今後も感染状況次第で再び無観客試合を要請される可能性も否定できない。同コミッショナーは「5月31日でアンダー・ザ・コントロールというか、この問題が年内抑え込まれれば、スケジュールも立てやすいが、どうも(専門家の)先生方のお話だと第4波、第5波の可能性は確率的にある。非常に悩ましい問題であり、同じようなテーマに何回もぶつかりながら、そのたびに政府と自治体と交渉しながら条件を決めていかなければならない。好ましいこととは思えない」とした上で、「(シーズン)中止というのはかなり最終的な決断。感染率が下がってきたところに試合を持ってくる、延期という形が一番可能性がある」との見解を示した。

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「開かれた心」が大切

2021年05月10日 12時17分06秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽「戦う勇気」の中に人生の幸福もある。
▽私たちが手にできる未来を照らすための唯一の光は、これまでの経験したことの中にある-歴史家・アーノルド・J・トインビー
▽コロナ感染症は、現在の状況に至る医療システムの弱い部分を浮き彫りにしている。
今回の新型コロナは、多くの人々、特に社会的な弱者に著しい不利益が及んでいる。
より親身になって問題の深さ、命の重みを考える態度が必要だ。
現在ほど<見知らぬ大勢の人たちを守るための気遣い>が必要とされる時代はない。
九州産業大学・浅川哲郎教授
▽困難は当人の問題だけでなく、取り巻く環境や周囲との関係性も影響している。
▽自分の考えを押し付けるのではなく、<私はこう思うけど、あなたの考えはどう?>との問い掛けるが大切だ。
▽対話で答えを導くことよりも、対話することそれ自体に意味がある。
▽自分と異なるものからも学ぼうとする「開かれた心」が大切だ。
▽詩とは音読されることによって幾度も生命を得る芸術でもある。
「朗読」は「演奏」でもある。

 


非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎

2021年05月10日 12時03分14秒 | 社会・文化・政治・経済

この作品のあらすじ・みどころ

 
  • The Unreal Kingdom of Henry Darger's Mystery Deluxe Edition (DVD)

1973年にひっそりと81年の生涯を閉じ、その後に多数の作品が発見され急速に評価を得た孤高のアウトサイダー・アーティスト、ヘンリー・ダーガーの謎に包まれた人生とその特異な作品世界に迫るアート・ドキュメンタリー。

監督は96年のアカデミー短編ドキュメンタリー賞受賞のジェシカ・ユー。親類も友人もなく、生涯にわたって孤独の世界に身を置いたダーガーの人物像を入念なリサーチで明らかにしていくドキュメントと併行して、彼が遺した15,000ページを越える小説『非現実の王国で』に描かれた挿絵をアニメーション化し、ダーガーが生きる拠り所とした奔放な妄想世界を描き出していく。

製作年: 2004年
製作国: アメリカ
原題: IN THE REALMS OF THE UNREAL/IN THE REALMS OF THE U
メーカー: NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
出演者: ヘンリー・ダーガー
監督: ジェシカ・ユー
脚本: ジェシカ・ユー
音楽: ジェフ・ビール
声の出演: ラリー・パインダコタ・ファニング


【ストーリー】
ダーガーの死後、40年間暮らしたアパートからは、「非現実の王国で」と題した15,000ページを超える小説の原稿と、数百枚に及ぶ挿絵が発見された。その小説を紐解く本作品での圧巻は、挿絵をもとに2年をかけて新たに制作されたアニメーション。邪悪な大人の男達から子供達を救うべく壮絶な闘いを繰り広げる7人の無垢な少女ヴィヴィアン・ガールズ。裸で男性器を付けた(!)彼女たちの動く姿が、特異な美意識による無限の妄想の世界へと観る者を誘う。

【劇場公開情報】
2008年3月 シネマライズほか全国公開

内容(「キネマ旬報社」データベースより)

"アメリカを代表する美術作家ヘンリー・ダーガーが残した15,000ページにわたる小説の原稿と数百枚に及ぶ挿絵を元に、ドキュメンタリー映画の巨匠、ジェシカ・ユーがヘンリー・ダーガーの生涯と世界観に迫る。ナレーションはダコタ・ファニング。"

内容(「Oricon」データベースより)

孤独なパラレルワールドに生きる孤高のアーティスト、ヘンリー・ダーガーのミステリアスな生涯と創作の謎に迫る異色のドキュメンタリー。

 

多分、世界で最も有名なアウトサイダーアーティストとなった、ヘンリー・ダーガーの実態に迫るドキュメンタリー映画です。関係者へのインタビューが主ですが、時折出てくるダーガーのキャラクターが動くシーンは、良くできているなぁと思いました。
あれだけで、「ゴッホ 最後の手紙」みたいな感じで非現実の王国の映画を誰か作ってくれないかなぁとか空想してました笑

名前すらもダージャーなのかダーガーなのかはっきりしない、謎に満ちた画家の数々のエピソードに触れることができる貴重な映画ですが、まぁダーガーをまったく知らない人が見ても何なのかよく分からないと思いますので、万人受けはしない作品です。

 

今回、ヘンリー・ダーガーの作品について深く知りたかったこと、挿絵がアニメーションになっているので予約購入しました。

残された作品とダーガー像を交える内容にするには、相当苦労があったのではないでしょうか。

見終わった後、ダーガーをいとおしく思いました。たぶん、アウトサイダーアートとはジャンルが違いますが、なんとなくゴッホを連想してしまいます。きっと両者の作品に人格の「純粋」さを感じるからかもしれません。

今回観たアニメーションは、ダーガーの残した物語や挿絵と同じく相当良かったです。

もし希望を書くなら、ダーガーが残した作品をドキュメンタリーではない、純粋なアニメーションで観たいと思いました。

何かを目指し作ろうとして自信や勇気が必要な方には、何かしら感じる作品だと思います。私はこの作品から、続けることの厳しさ、楽しさを再確認させて貰いました。

 

正直言って私には芸術といったものがよくわかりません。それでも半分勉強のつもりでたまに絵を見に行ったりします。ヘンリーダーガーの絵を見たのは原美術館でした。
 作品も色々とすごかったのですが(専門的な教育等受けていないのに自分で技法を編み出していった点とかも)何よりこの人の人生に心動かされました。
 とても不幸な実人生を送った人だと思います。でもこの人は自分の王国に生きていました。雑役夫としての労働に従事し、自分の生活だけは自分でなんとかしながら。
 今も私を含めて「王国」に暮らしている人がいると思います。そのことを肯定はできませんが、日々の労働に押しつぶされそうになる時、ヘンリーダーガーのことを思い出してしまうのも事実です。(もちろんあんな天才と自分を一緒にするつもりはありませんが。)

 

著名なアウトサイダーアーチストであるヘンリー・ダーガーの作品を取り上げたドキュメンタリー。

 画力に自信が無かったダーガーが編み出したのは原画をトレース、撮影した写真を引き伸ばしたり縮小して必要なサイズに変えては自身の絵巻物に取り込んでいく手法であった。
 現在なら画像加工ソフトで楽に出来るが、当時は大変で、現像に掛かる費用は彼のつましい家計を圧迫する程であった。

 これらの作品を彼は誰に見せるためでもなく、自分自身の為に数十年も作り続けたその執念が凄い。

 そして、現代のCGはダーガーがトレースして作った作品をいとも簡単に動かして見せる。

 ダーガーの絵巻物の主人公、ヴィヴィアン・ガールズが昔のシガコを紹介するニューズフィルムに平気で合成されたりするのである。

 このアニメを観るだけでも価値が有るし、天涯孤独で、資料が殆ど無いダーガー自身の生い立ちや内面世界よりも作品に重きを置いた編集にも好感を持った。

 しかし、人生の晩年にすんだアパートの大家が芸術に理解があり、ダーガーにも親切な画商夫妻で有った御陰で、ダーガーの作品が後世に残った偶然には本当に感謝したい。

 映画内で触れられたダーガーの絵は規格外のサイズなので、できれば実物を見たいと思った。

 

体制としてのアートの外に置かれるということでもなく、偏見でも差別でもないことは理解できたとしても。
 アール・ブリュトの代表といわれるヘンリー・ダーガーは、犬一匹飼えない貧しい雑役夫をしながら、15、000枚を超える小説と、数百枚の挿画を残した。これは、その彼の作品と、彼の生前を知る数少ない人達の証言とから描いた映画。
 人間が孤立していく時代、彼の生き方を学んでおくことは大切な事だと思う。彼に対する隣人たちの愛情も優しい。

 

アウトサイダーアートの巨匠
ヘンリーダガーの幸福とは言えない生い立ちの
ドキュメンタリー風映画。

ダガーに部屋を貸してた大家のインタビューが多く
彼自身の生涯は決して幸福では無い。
想像を絶する孤独に全体的に重い。

清掃員の仕事のわずかな給料で一人孤独にアパートに住み
生涯自身の写真は4枚しかなかったのと
寂しさのあまり養子縁組をしようとするが収入の関係で断られ、
人間が駄目なら犬を飼おうとするが餌代が出せれない、、。
そんな彼が唯一楽しみにしていたのが「非現実の王国で」という
タイトルの作品を制作する事。
誰にも発表せずただただ一人でこの世界の制作に没頭していた彼は
1万ページに及ぶ、他者が読んで理解出切る様な話では無い
作品を黙々と作りあげる。
ダガーが病院に入院する際、部屋の様子を見に行った大家によって
この作品は発見されます。

この映画は映画館で自分自身非常に悩んでいた時期(少々鬱っけがあった時)
に見ました。
結果余計落ち込みました、、、、。
落ち込んでる時に見るとすごく沈みます!

唯一の救いはダガーが描いた非現実の王国の住人
ヴィヴィアンガール達がかわいいのとアニメーションで動くところです。
この絵をどうやってアニメにしたのかその技術には驚きました。

 

誰に見せるためでもない、あくまで自分の内側からの必然性に迫られて吹き出した『もの』。
そのパワーはすさまじく、異形で、どこか後ろめたいものだった。
それは紛れもなく人間の『負』の部分から吹き出してくるものだった。
私がまがりなりにも物書きとなって当惑するのはその点だった。
どうしても小説を書くという行為の後ろめたさから逃れることができないのである。



私がヘンリー・ダーガーという男の存在を知ったのは中学生の頃だった
恩田陸の小説、「三月は深き紅の淵を」の第四章『回転木馬』
脳内に浮かぶ様々なイメージと現実の景色が交錯する中で、彼のことがほんの2ページほど紹介されていた
恩田陸をしてここまで言わしめるほどのダーガーって、どんな人だろう
14歳だった私は、教室の片隅でぼんやりと午後の校庭を眺めながらそう思ったものだ

それから7年後
私は彼のドキュメンタリー・「非現実の王国で」を見に行った
アニメ化された原画を交えながら、彼の孤独な生涯をつぶさに追う
映画としてはそんなに面白いものではない
彼の作品を「代替人生」「個人的妄想」「現実世界では獲得し得ない愛や交流の表現」「孤独の昇華」、と言及されていた
違う
彼の作品に対する姿勢に、目的も理由も動機もない
描きたいから描いた
描かざるを得ないから描いた
描いても描いても止まらないから描いた
ただそれだけのことを、どうしてこんなに大げさにいう必要があるんだろう
彼の作品は現実逃避なんかじゃない、それは絶対にない
彼は作品を作ることで自分を現実につなぎとめ続けていたのだ
彼にとってこの「非現実の王国で」というあまりにも長い物語は、自分が対峙する対象だった
生のエネルギーが放出するその先には、いつも自分がいた
人間は、想像力で生きることができる
自分のためだけに生きることもできる
何も珍しいことではない
彼のような孤独な生涯を送らなくても、人間であれば誰しも心の中に彼を持ち合わせている
自分から逃げない人間は、私もあなたも恩田陸も、みんなみんなヘンリー・ダーガーなのだ。

 

ヘンリー・ジョセフ・ダーガー・ジュニア(Henry Joseph Darger, Jr. , 1892年4月12日 - 1973年4月13日)はアメリカ合衆国の作家、画家、芸術家、掃除夫。
『非現実の王国で』の作者。誰に見せることもなく半世紀以上もの間、たった一人で1万5000ページもの作品を描き続けた。
死後、アウトサイダー・アートの代表的な作家として評価されるようになった。

概要
たった一人で誰にも知られることもなく作品を約60年間作り続け、1万5000ページ以上のテキストと300枚の挿絵から物語が生み出された。
極端に自閉的な生き方から生まれたこの創作は、死後40年を経て、美術館への収蔵が進んでいる。
2001年には全著作と挿絵26点の収蔵に伴い、アメリカン・フォークアート美術館に「ヘンリー・ダーガー・スタディー・センター」が開設され、研究が本格化した。2012年にはニューヨーク近代美術館とパリ市立近代美術館にまとまった数の作品が所蔵された。
ダーガーは今日、アウトサイダー・アートの歴史の中で最も有名な人物の一人になっている。 毎年1月にニューヨーク市で開催されるアウトサイダーアートフェアでは、オークションで、独学のアーティストの中で最高の作品の1つとなった。 彼の作品は現在750,000ドル以上に上っている。
彼の作品(物語・自伝・絵画)に関しては、ジェシカ・ユー(英語版)監督の映画『非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎(英語版)』(2004年公開)で一部を確認することができる。


自伝
1968年、ダーガーはフラストレーションの一部を幼少期までさかのぼることに興味を持ち、自分の人生の歴史を書き始めた。 
8巻にまたがるこの本は、おそらく1908年に目撃した竜巻の記憶に基づいた「スウィーティーパイ(Sweetie Pie)」と呼ばれる巨大なツイスター(竜巻)に関する4,672ページのフィクションに移る前に、ダーガーの初期の生活を詳述する206ページのみを費やしている。
評価
『ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる』編著の小出由紀子は「ダーガーが、はからずも成し遂げてしまった偉業(異業というべきか)を看過することもできない。
人が生きて表現することをアートと呼ぶなら、アメリカ社会の底辺で雑役夫として生涯を終えた男が、アートの先端どころか、前人未到の域、アートの「最果て」に到達してしまったのだ。」と語る。

建築家の坂口恭平は「ヘンリー・ダーガーは、物語を書いたのではなく、もうひとつの世界をせっせと紡いでいたのである。」と語る。『豊かさの基準が一定で、お金がないだけで虐げたれてしまう世界で埋め尽くされていると思われている今、ヘンリー・ダーガーはアウトサイダー・アートというよりもアートの語源そのものである「生きのびるための技術」を示しているというように思う。』

 

 


競輪人間学 結果は結果として受け止めた

2021年05月10日 10時05分13秒 | 未来予測研究会の掲示板
京王閣競輪 GⅠ日本選手権競輪
 
第75回「日本選手権競輪」が京王閣競輪場で5月4日~9日までの6日間、開催された。
 
競輪祭、全日本選抜とG1連覇中の郡司浩平や直前の武雄記念で快勝した松浦悠士などSS7名(五輪内定者の新田祐大、脇本雄太は不出場)が顔を揃え競輪界のGⅠ最高峰レースと称されるに値する豪華メンバーが集結。前半戦の最大のヤマ場となるだけに熱い戦いが繰り広げられた。
 また6日にはトライアルを勝ち上がった7名によるガールズコレクションも行われ、こちらも注目された。
11レース決勝戦
 
並び 7-3 8-1-4 5(単騎)6(単騎)
 
レース評
無欲の真杉を使う平原に絶好機到来。シビアに出てダービー初制覇。抜群の郡司や清水−松浦が軸でもいいし、浅井も復調急だ。
 
1番を軸2-3-4-5の3連単を買う。
 
押さえは235から1番を3着に買う。
さらに2-1 3-1 5-1の2車単も追加する。
 
1番平原康多は1、2、3着以外がないと思い込む。
つまり、購入した車券は必ず的中すると考えた。
 
1-2(13.4倍)
1-3(12.6倍)
1-4(13.9倍
1-5(22.3倍)
 
2-1(14.9倍)
3-1(14.1倍)
5-1(32.9倍)
 
2-3-1(43.6倍)
3-2-1(35.8倍)
2-5-1(166.9倍)
 
1-2-3(39.9倍)
1-2-4(68.2倍)
1-2-5(81.8倍
1-2-9(47.4倍)
 
1-3-2(40.5倍)
1-3-4(59.9倍)
1-3-5(59.5倍
1-4-2(66.9倍)
1-4-3(60.0倍)
1-4-5(70.5倍)
1-5-2(128.4倍)
1-5-3(101.0倍)
1-5-4(108.2倍)
 
1番平原康多選手をあくまで軸にしたのだから仕方ないが、8番眞杉匠選手が2番郡司 浩平に勝負どころで外から並走する中で内側に押さえ込まれて万事休す状態になる。
万事休す:もはや施す手段がなく、万策尽きる。
もはやおしまいで、何をしてもだめだという場合。
今の選手の力状態なら2番郡司浩平選手と3番松浦悠士選手の一騎打ちだったのだ。
まさに一対一の勝負だった。
平原選手は眞杉選手に見切りをつけ、2-9ラインに素早く切り替えたら3着はあったかもしれないと想われたのだが・・・

10レース
3-4 6,770円(28番人気)の2車単を1000円ゲット。
その大半を11レースで勝負して負ける。

ファンの一人である平原選手に賭けたのだから仕方ない。
結果は結果として受け止めた。

 
11レース 結果
 
3-2 1,260円(1番人気)
 
3-2-9 3,880円(2番人気)
 

戦い終わって

戦い終わって写真

 真杉匠は後方で郡司浩平にフタをされ不発。

前受けの清水裕友がそのまま先行へ。番手絶好の松浦悠士、3番手に追い上げていた郡司浩平、郡司に乗り内を突いた佐藤慎太郎の3車で並んでゴール。

長い写判の末に松浦の優勝。「真杉君がいつ来るか分からなかったけど、裕友が良いタイミングで駆けていってくれて良かった。それにしてもゴールが遠かった(苦笑)。一番調子の良い郡司君が後ろだったのは怖かった。むしろ早めに仕掛けてきてくれればブロックできましたけど。慎太郎さんに肘を引っかけて内を気にし過ぎて、最後は外を行かれたかと思ったくらい。目標と言っていたダービーという割に、良かった3月の広島に比べるとそこまで調子がピークではなかった。この後はスイーツをたらふく食べたいですね(笑)」。
 2着となった郡司は「真杉君も引かなかったので、叩きに行こうと思ったけどタイミング的にもう清水君も駆けていましたからね。ただ、あのまま5番手併走ではうま味がないなと。詰まった勢いで3番手の良いところに入れました。ただ松浦君に見られてしまって、自分でも構えてしまったのが…」。
 3着は郡司との連係から最後は内に切れ込んだ佐藤。「最後は松浦の肘がかかったのは分かったけど、もうゴール前だったし抜くようなことはできなかったな。俺のイメージより松浦が外に膨れて、また戻ってきて肘をかける余裕があったとは」。




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
× 1 3 松浦 悠士   11.4 S  
2 2 郡司 浩平 微差 11.3    
3 9 佐藤 慎太郎 微差 11.2      
4 5 浅井 康太 3/4車輪 11.1      
  5 4 武藤 龍生 1車身 10.9      
6 1 平原 康多 1/2車身 11.1      
7 7 清水 裕友 1/2車身 11.8   B  
  8 8 眞杉 匠 1車身 11.4      
  9 6 松岡 健介 2車身 11.6

民間の空襲被害「今国会で救済を」 東京・永田町、はためくのぼり

2021年05月10日 10時02分44秒 | 社会・文化・政治・経済

<文化の森 Bunka no mori>

毎日新聞 2021/5/9 

「こんにちは活動」を続ける河合節子さん(右)。
手にしているのは、東京大空襲で大やけどを負った父・繁一さんの遺影=東京・永田町の衆議院第2議員会館前で4月15日
「こんにちは活動」を続ける河合節子さん(右)。手にしているのは、東京大空襲で大やけどを負った父・繁一さんの遺影=東京・永田町の衆議院第2議員会館前で4月15日

今年4月22日、国会議事堂に臨む衆議院第2議員会館前で、のぼりがはためいていた。「空襲被害者に人権はないのか」。かたわらで、河合節子さん(82)らが民間人空襲被害者らの救済を訴えるリーフレットを通りかかる人に差し出していた。

遺族ら訴え

 河合さんの発案で2019年4月に始まったこの「こんにちは活動」は、60回近く続いてきた。原則として国会会期中の毎週木曜日、正午から1時間。通りかかる国会議員や秘書らに実情を知ってもらう狙いだ。

 1945年3月10日の東京大空襲など、戦時下に米軍の爆撃によっておよそ50万人が殺された。52年に独立を回復した日本政府は、元軍人・軍属や遺族らに補償や援護を行い累計は60兆円に及ぶ。しかし民間人の多くには補償を拒んできた。各地の空襲被害者が国に賠償を求めて提訴したがすべて敗訴。東京大空襲は13年に敗訴が確定している。河合さんはその原告団の一人だった。東京大空襲で母親と弟2人を殺された。自分は5歳だった。

 


言葉になっていないこと、探して 総合誌へ転換して1年余 『群像』編集長 戸井武史さん

2021年05月10日 09時29分57秒 | 社会・文化・政治・経済

語る

 <文化の森 Bunka no mori>

毎日新聞 2021/5/9 

 今年で創刊75周年を迎える文芸誌『群像』(講談社)。同誌の新人賞から作家の村上春樹さんや多和田葉子さんらがデビューしたことでも知られる純文学の老舗だが、2020年1月号から「文×論」をテーマに大きくリニューアルし、創作だけでなく、評論やノンフィクション作品の掲載にも積極的に取り組んでいる。純文学の雑誌から「総合誌」への転換を進める狙いは何か。戸井武史編集長に聞いた。

「趣味」を重視する編集方針。

雑誌(活字)は立ち止って考え、書く、読む。
その特殊性、場を意識的に守っていかなくてはならないと思います。

ある領域をいかに面白く見せるか。純文学は、皆がもやもやしていることについて考える過程を見せる。
そこを志向するのが「純文学」なのかなと思うんです。明確な言葉にできたら最高だけど、できなくても何かを共有できる。

創作に限らず、まだ言葉になっていないことを考えている人を見つけこようとしています。

 

 

 

 


『群像』編集長・戸井武史が語る、文芸誌と社会 「“時代”への問題意識を表現できる媒体に」

2021年05月10日 09時25分55秒 | 社会・文化・政治・経済

2020.09.08 11:00 realsound

文・取材=円堂都司昭

2020年1月号から大幅にリニューアルした「群像」が好評だ。「文×論」をコンセプトに掲げ、1946年創刊の伝統ある純文学の雑誌にかつての論壇誌の役割もとりこみ、新たな形の総合誌になろうとしている。

「週刊現代」で社会を取材し、「小説現代」でエンタテインメント小説を担当した経験を今どう活かしているのか。文学や批評への思いについて、昨年6月に就任した戸井武史編集長に訊いた。(円堂都司昭/8月11日取材)

伝統がつながる「群像」ブランド

――2004年に講談社へ入社した段階から「群像」志望だったそうですね。

戸井:学生時代は、私もそうですが、周囲にも文芸誌を読んでいる人はあまりいませんでした。お金もなかったですし。ただ私は昔から純文学が好きだったので、就職を意識してからちらちら見はじめました。

大江健三郎さんとお仕事がしたいと思ってました。就活は就職氷河期最後の世代で、結局2年やりました。氷河期といっても出版は他業界よりはマシだったと思いますが。1年目は、エントリーシートを眺めていても出版社ではあまり文芸が求められてない気がしてひとつも受けませんでした。

大学でメディア論を勉強していたし、興味もあったので、政治記者になろうとしてうまくいかなかった。後がなくなった2年目には、大手を中心に出版社を軒並み受験して、講談社だけ受かりました。第一志望は……当時出版社は試験や面接の日程をかぶらせてくることが多かった、ということを小さな声でささやいておきます(笑)。

――「文×論」の根っこがいきなりみえた感じですね。「文」の文芸誌、「論」の新聞。

戸井:入社した以上、「群像」に配属されたいという思いは強かったですが、「修行してこい」と、「週刊現代」に配属されました。「群像」は、ここのところの編集長をさかのぼっても、純文学畑ではない人ばかりです。入社当時は、自分の文学観を形成している大江健三郎、中上健次、古井由吉など、ゴリゴリの純文学をやりたい気持ちがにじみ出ていたのが、会社にもわかったんでしょう。「週刊誌に行って社会経験をつませる」となった。「群像」の編集長になってから、「あれでよかっただろう」と当時の人事担当から言われました。それは実際その通りで、週刊誌にいると社会のふだん見えない部分も見られますし、自分で取材をしたり記事を書くこともあります。何より、自分の世代とか興味範囲外のことを知ったり、人に会ったりということが、いま大いに役に立ってます。とてもキツかったですが(笑)。

 「週刊現代」編集部に5年、次に経済系ムック「セオリー」に1年いて、文芸の小説誌「小説現代」編集部に異動しました。「群像」だと思っていたんですが(笑)。ただ、同誌と単行本で10年間、エンタメ小説を担当し、「売る=届ける」ことの大事さを身にしみて感じて、実際に体験したことも、「群像」を作っていくうえで大きな影響を与えています。このままエンターテインメントの現場でやっていくと思っていたので、昨年の6月に「群像」に、しかも純文学の現場経験もないのに、編集長を、と言われたときには、驚愕しました。

――私は最初に知った純文学雑誌が、1970年代後半の「群像」でした。群像新人文学賞と芥川賞を受賞しベストセラーになった村上龍『限りなく透明に近いブルー』、栗本薫名義『ぼくらの時代』で江戸川乱歩賞をとった中島梓が群像新人文学賞の評論部門を受賞した『文学の輪郭』、これらが同時代文学の初体験でした。村上春樹が同賞を受賞した『風の歌を聴け』は「群像」掲載時に読みました。

戸井:錚々たる方々がこの雑誌からデビューされていますよね。掲載されてきた文章やとりわけデビューされたみなさんが形成してきた「歴史」がすごいので、いまの書き手のみなさんの「群像」に対する強い思いをひしひしと感じます。ぽっと出の私が編集長になっても、企画や原稿をお願いしたとき、多くの方に「もちろん」と言っていただける。書き手の恩師や憧れの人がかつて載っていたり、伝統がいまもつながっているブランドだと実感しています。

「群像」らしさとは何か

――戸井さんの入社前の90年代後半は、J文学の時代でしたが。

戸井:個人的な趣向になってしまいますが、同時代のものよりは、もっと前の作品を読んでいました。戦後派、第三の新人、三島・大江、内向の世代、中上健次、W村上――いかにも文学史的な、その本筋から派生する、言及される作品を読んでました。いま思えば、同時代の作品を読んでいる人は周りにあまりいなかったけれど、そうした文学史的な作品を読んでいる仲間はけっこういて話もできたし、それにまつわる批評もたくさんあった、というのが大きかったと思います。お金はなかったけど時間だけはあったので、タワーレコードやHMVで学校帰りにずっと視聴したり、サンプラーやフリーペーパーをもらっていたことのほうが、私にとって同時代のカルチャー受容の大部分でした。

――入社後は自分の仕事をしつつ、文芸のほうも気にはしていたんですか。

戸井:週刊誌配属当時は、私の机には文芸誌が毎月、嫌味のように積んである。週刊誌の仲間はそれを覚えていたから、異動の際、夢がかなってよかったねとメールがいっぱい来ました(笑)。それも目次を眺めることをしてたかしていなかったかぐらいで、目の前のことに追われ、徐々にその習慣も消えていきました。

――1990年代から2000年代の講談社は、新本格ミステリから西尾維新など「ファウスト」誌の新青春エンタ・新伝綺へという流れに活気がある時代でした。

戸井:当時の文芸編集志望者は、講談社ではまずエンタメ系を考えたと思います。東野圭吾さんや池井戸潤さんが出た江戸川乱歩賞は健在だし、新本格から西尾維新さんへの流れ、インパクトは強烈でした。でも、私はよく「逆張り」ということを考えることにしていて、たとえば、政治記者になるなら自分の思想傾向とは真逆に見えるところで自分らしさを出すほうがやれる気がした。エンタメ中心の会社で純文学をやったほうが、特性を出せると思いました。

――講談社内に文芸関係の部署は複数ありますけど、横の連携はどうなっているんですか。

戸井:10年前くらいまではある意味セクト主義というか、誰がどの担当かもわからない独立独歩状態(苦笑)。しっかり売れていた時代の名残だったと思います。でもその後、売り方や表現の仕方の工夫がかなり問われるようになってきて、部署を横断して協働で何かをしたり、部署間や文芸以外からの人材交流も増えたことで、効果的に連携をとれるようになっています。

――ゼロ年代には「ファウスト」から舞城王太郎や佐藤友哉が純文学に参入し、講談社BOXで催されたゼロアカ道場で新しい批評家が見出されました。エンタメ系媒体発で純文学が刺激を受ける状況があり、新本格を担当した唐木厚さんが「群像」編集長になりました。

戸井:純文学外からの起用というのは、純文学とそれ以外でかけ算せよということだと思います。たとえば、現代新書を経験していた佐藤とし子編集長の時代には社会的なテーマを扱う萌芽があったり、女性作家を中心的に掲載していた。さて自分は、と考えたときに、これまで見たり経験してきた「論」をかけ算して、総合誌を目指せばいいのではと考えました。

罪の声――戸井さんはエンタメで単行本も担当した。グリコ・森永事件を扱った塩田武士『罪の声』とか。

戸井:歴史も好きだったので、歴史時代ものが担当の半分くらいで、あと警察小説など社会にかかわる小説や作家の担当が多かったです。それまで雑誌しかやっていなかったので、「決戦シリーズ」という時代もののアンソロジーを企画したり、雑誌的な感性を活かせないかと思っていました。『罪の声』は、楽しかったですし、売れて読まれましたし、編集者としての自分を大きく変えた本です。新聞記者出身で同世代の塩田さんの力作に、それまで培ってきた自分の経験をすべて注ぎました。「社会」ということを強烈に意識した『罪の声』という作品といまだに続いているその関連事象にかかわったことで、「届いた/届く」という感覚を味わったのは大きいですね。

――東山彰良さんが『群像』リニューアル最初の1月号に短編を、塩田武士さんは9月号に石戸諭『ルポ百田尚樹現象』の書評を寄せています。

戸井:9月号には米澤穂信さんの掌編が載りましたが、ジャンルを越えた書き手に出ていただきたいと思っています。他部署の若手編集者にプランを出してもらうことも増えてきました。逆に「群像」よりも「小説現代」という媒体を使っていただいたほうが効果的ではないかとか、他部署との連携で発想と雑誌(表現)の回路がつながりやすくなりました。リニューアル後の「群像」で意識しているのは、他誌より項目もジャンルも多くすること。読み手にひっかかるタグを増やしたいんです。やみくもに頼むのではなく、「文章ありき」という自分たちの基準は編集部で共有できていると思います。たとえば、文芸誌ではあまり見ない「占い」で圧倒的な支持を受けている石井ゆかりさんに連載をお願いしたのもそうで、文芸誌の特性に合わせた文章を毎月いただいて、その反響は大きいです。従来の表面的な「群像」らしさみたいなものは意識しないようにしています。

――「群像」らしさの核とは。

戸井:実験できるところではないでしょうか。純文学の正統は歴史的にも他誌にあると思います。それに対し、たとえば高橋源一郎さんや多和田葉子さん、笙野頼子さんなど「群像」の新人賞出身作家の実験作が、それを明らかにしていると思います。歴代の編集長のもとで編集部がやってきたこともそうです。あとは、批評の重視だと思います。

 

「定期刊行物だけどルーティンにしない」

――「群像」の批評で一番イメージが強いのは、柄谷行人ですよね。

戸井:柄谷さんという巨人はこの雑誌の新人賞の出身です。「群像」が評論賞も続けていくなかで、多くの批評家が生まれてきました。7月号で批評特集をやることはすぐに決めました。リニューアル後に一番売れたのは、実はこの号です。

小説現代 2020年3月号――戸井さんの異動後、「小説現代」も一時休刊を経てリニューアルされました。

戸井:本当は、私はそちらのリニューアルを一緒にやるはずでしたが、「群像」に異動になったんです。「文藝」が思い切ってリニューアルしたのを見ていたので、「群像」もあれくらい変えなければダメだと社内で話しました。手にとってもらうにはデザインの力は大きいですし、雑誌の考えを体現するものでもあります。

――本文の書体もひらがなは「群像」オリジナルだとか。「ファウスト」編集長を経て星海社に移った太田克史さんが過去に書体に関するイベントを催しましたが、講談社のエンタメでみられたデザインへのこだわりがついに「群像」に及んだかと驚きがありました。

戸井:デザイナーの川名潤さんとは、それまでもエンタメで単行本を一緒にやってきた仲で、装幀の打ち合わせをするときに、「紙の本」や「紙の雑誌」の現状やこの先についてよく話していましたし、異動の電話をしたとき同時に「やりたいです/やってほしいです」となったんです。出版やメディアの状況が劇的に変化していくなかで、千数百円の紙の雑誌をやれるのは最後になるかもしれないという危機感がお互いにあります。そしてそれは避けたいし、次の世代につなげたい。定期刊行物だけどルーティンにしない、というのをお題目のように言っています。小説は読み切りを中心に、連載も1号で読めるものを多くしています。デザイン面も、川名さんがキュレーターとなって、表紙の顔を毎号ギャラリーのように替えていく。ロゴも変えたり書体を作ったりする若いチームも作ってくれました。

――コロナ禍で読者の反応は変わりましたか。

戸井:5月号の発売が緊急事態宣言の当日で、書店がほとんど営業しなくなった。これはヤバいなあと思いましたが、売上げはリニューアル前より15%くらい伸びていました。月刊誌である以上よほどのことがないかぎり重版はしないので、5月号以降実質的な完売が続いています。批評特集号が売れたのもそうですが、危機的状況に直面して、本当に必要なものはなにかという、読み手の希求のようなものがあるのではないかと感じています。

――批評が求められる一方、直近の評論賞は該当作なしでした。批評の今後の見通しは。

戸井:「論点」というページなどを始めて思ったのですが、あるテーマの研究者はいて、面白い文章もたくさんあります。でも、論文を書いても外には届かない。なぜ「群像」の一方の極として「論」を掲げたかというと、いまの多くのネットメディアでは書けるスペースがすくないからです。読み手を意識してわかりやすさも当然求められるし、原稿用紙なら10枚(4,000字)が限度で、そのぶん中身が薄くなったり、書き足りないことで誤解を受けたりする。紙の雑誌なら、20枚、30枚はしっかり載せられる。「論」の書き手と読者の回路を雑誌が作れる。「群像」の読み手の中から、新しい批評・評論の書き手が出てきてほしいです。

――講談社にも以前、「現代」という論壇誌がありました。

戸井:「週刊現代」にいて、ノンフィクション作家やライターと長いものをやりたければ、「現代」にという時代がありました。でも、同誌も後継誌「g2」も休刊になりました。なくなったとき寂しかったですが、いまになると、ノンフィクションだけではそれが好きな人しか読まないのではないかという思いがあります。「群像」リニューアルのときに頭にあったのはこの「現代」のことです。いま、ジェンダーやマイノリティといった社会的問題を考えずに雑誌は作れませんが、そのことを考えたり表現する媒体は少ない。でも「論」だけの雑誌を読み続けるかというと疑問です。その答えが「文」×「論」、文芸誌の総合誌化でした。「論」を増やしていくときに気をつけているのは、批評となると男性ばかりになってしまうことですね。

ーーかなり女性を意識した人選ですよね。研究者や翻訳家などからも。

戸井:テーマの幅を拡げたり、従来のテーマを深掘りしたり新しい面を出してもらったり、という意味でも女性の書き手にどんどんお願いしています。制度的にも、社会状況的にも大きな変化があって、いまはとくに自分の研究だけでなく別ジャンルや社会的なものと横断的に取り組む女性の書き手が増えています。そこをキャッチしたい。男性として不勉強なところも多いので、自分も学ぶという気持ちでお願いしたり読んでいます。

文芸誌は変わろうとしている

――戸井さんが『群像』へ移動する少し前、文芸誌周辺でいろいろ騒動がありました。『新潮45』掲載の杉田水脈のLGBT差別発言をめぐり、同じ新潮社発行の『新潮』で差別批判の特集が組まれたり、早稲田大学の渡部直己教授(当時)のセクシャルハラスメント問題で同氏と関係の深い『早稲田文学』の姿勢が問われたり。そうしたことは意識されましたか。

戸井:これは文芸誌に限らず、出版という業界全体の問題でもあるのではないかと思います。古いシステムや慣習がけっこう残っていて、ここ数年急激に問題として表面に出てきた。このコロナ禍での「働き方」もそうですが、いま全体が変わろうとしています。純文学も何十年も前に完成されたシステムで、外から来てみるといいところもあるけど、ムラみたいで外側の知見が入りづらいな、と思ったことも事実です。でも、「文藝」など他誌を読んでいても、変わろうとしている最中だと思います。注意したいと思っているのは、セーフかアウトか論に終始してしまうと厳しいなということです。ページに「論点」と題したのは、主義主張をするのではなくてなにがどう問題か教えてくださいということ。8月号で小川公代さんにケアの倫理について依頼したのも、男性がジェンダーやフェミニズムの問題にどうかかわればいいか、素朴な疑問としてあったことから。話をうかがったり、雑談の中からヒントを得ています。

――東日本大震災を今年も扱っていますが、来年で10年目です。

戸井:あそこでなにかが変わったと思います。程度はあっても、誰もが「非当事者」ではありえない。ただ、「10年」というのはひと区切りとして、忘却につながってしまう危険性もあると思います。それもあって4月号では「年」をとって、「震災後の世界9」としました。数字はただのカウントで、毎年何か考え続けていきたい。一方で、特集を読んだ人に、2011年からのこの数え方で阪神・淡路大震災が忘れられていると思う人もいる、その後には熊本の地震もあったと言われました。そうかというこうした気づきが雑誌の場合、すぐにあります。9月号の戦争特集もそうだし、来年「震災後の世界10」もやるつもりですが、この季節だから戦争を、震災のことをではある種アリバイ的に終わってしまう。いろんな葛藤はありますが、話を毎年すること自体がまず大事と考えています。忘却が怖い。

 文芸誌は、真面目なことをしてもいい。面白くやったほうがいいですけど、真面目にやれる、やってもいいというのは、商業誌の中では貴重です。そうした部分で、メディアとして文芸誌は生き残れるかもしれないと思っています。これから入社する若い人は、この国を豊かな国と思っていないだろうし、新しい問題意識を持っている。そういう新しい世代と従来の世代の「時代」への問題意識を表現できる媒体になれればと。

――「群像」で今後やりたいことは。

戸井:文芸誌単体の売り上げということを考えるのは限度があります。だからその先を考えなければ。たとえば、5月号の佐野元春さんインタビューは単体で電子化しました。好評ですぐなくなったんですが、緊急事態宣言もあって、手に入れることができなくなったのです。個別の事象にスピード感をもって対応できる電子化はありだと思います。佐野さんへの2万5,000字インタビューは「ロッキング・オン」への憧憬があって(笑)、聞き手の石戸諭さんとやりたいねと話していたんです。

――本家の2万字より長い(笑)。掲載作の単行本化についてはどうですか。

戸井:「論点」などをベースにしたスピード感をもった成果物ができないかとざっくり考えています。「群像」については、これを批評でやろう、誰の周年をこの頃に、短編特集は年2回、アンケートは年2・3回などと、背骨を1年後の号くらいまでなんとなく決めています。いまは「論」のほうが目立っていますが、第三の新人特集とか「群像」のもつ「文」の歴史、重層性を出したい。文学史を1から読んでいく人はあまりいないでしょうから、こちらからピックアップしてさかのぼる文学史を作れたらと考えています。先人たちがつくってきた財産をもっと活かしたいです。

――掲載作の単行本化では最近、古川日出男『おおきな森』、多和田葉子『星に仄めかされて』がありましたが。

戸井: これからもその時その時代の重要作品を載せていけたらと思います。3月号の崔実さんの「pray human」が三島賞の候補になっていますが、9月に本になります。すごいパワーに圧倒されると思うので、小説を好きな方にはぜひ読んでもらいたいです。多くの予算かけて、この規模でできる紙の雑誌は、なくなってしまったらもうできないと思います。伝統を途切れさせないようにしたい。でも、「文化」だからという言い訳は絶対やめようと編集部では言っています。やはり、実際にどれだけ読まれているかで勝負したい。私は社内の人がどれだけ読んでいるかをひとつのバロメーターにしています。常に最新や最先端のおもしろいことに目を配るのも編集者の仕事なわけで、社内の人が読んでなくて社外の人が読むわけありません。すれ違うときに、あれ読んだよと声をかけてくる人がちょっとずつ増えてきました。

ーーコロナ禍で講談社もリモート勤務を増やしましたか。

戸井:緊急事態宣言で大幅に増え、オールドスタイルでやっていた「群像」も、全部PDF化して外からでもできるようにしました。実際にはまだ集まって紙でやっていますが。この状態が非常時なのか日常になっていくのか、それもまだわかりませんね。

――それこそ「論点」ですね。

戸井: 8月号の「論点」、海猫沢めろんさんの「コロナと子供」もそうでしたが、生活と密着したところから考えると面白い文章をいただけたりします。従来の文芸誌にはあまり載らなかったかもしれません。でも、文芸誌を読む人だって日々生活をしているんですから(笑)。批評と小説を読むだけでは暮らせない。だから、占いも載せたい。石井ゆかりさんの星占いは、やっぱりエンパワーしてくれるんですよ!(笑)。

――力強いですね(笑)。

戸井:雑誌は、やっぱりどこから読んでもいいのが魅力。占いから読むか、くどうれいんさんや松田青子さんのエッセイから読むか。あるいは川名潤さんのデザイン論から読むか。巻頭小説から読む人も、批評から読む人もいる。入り口をたくさん作りたいんです。「群像」にはとにかくいろんな人にかかわっていただきたいと思っています。