
マイケル・ローゼン (著), 内尾 太一 (翻訳), 峯 陽一 (翻訳)
「尊厳」は人権言説の中心にある哲学的な難問だ。概念分析の導入として西洋古典の歴史に分け入り、カント哲学やカトリック思想などの規範的な考察の中に、実際に尊厳が問われた独仏や米国の判決などの事実を招き入れる。
なぜ捕虜を辱めてはいけないのか。なぜ死者を敬うのか。尊厳と義務をめぐる現代の啓蒙書が示す道とは。
現代社会に求められる「尊厳」の内実とは。
「尊厳」とはなにか。
「尊厳ある生活」に関しては、研究者の中で議論があまり進んでいない。
全ての人間は平等に「本質としての尊厳」を有しているとカントは考えた。
「態度としての尊厳」、この考えを代表する思想家は、18世紀にカントと同じく活躍したフリードリヒ・シラーだ。
シラーは尊厳を、人間の振る舞いの中に見いだそうとした。
シラーは、<平凡な人間の中に英雄を見る>という形で、平等な人間の尊厳を構想した。
<他者に「敬意」を払うという関係性が最も「尊厳」に値する人間の行為にほかならない>との視点だった。
その思いを互いに強め合う関係性を育む社会が、「尊厳」に満ちた社会ではないか、と。
「自身の尊厳のかけがえのなさを心の底から実感した人が、一人また一人と続く中で、他の人々の尊厳の重みに気づき、<自他共の尊厳に輝く世界>を築いていく決意を互いに深めあっていく」ことが重要だ。
人間の「尊厳」は究極的には宗教に行き着くのではないか。
「人間として生まれたものは、誰しも交換できない、絶対的な価値がある」とカントは主張した。
その尊厳の根拠になるのは「自律」であると述べている。
マイケル・ローゼンというハーバード大学政治学科の政治哲学の教授によるDIGNITY(2012年)の訳本である。
〇著者の日本語版への序文によると、「尊厳が持つそれぞれの異なる意味の背後には、西洋の歴史的伝統に位置づけられる需要で異なる源泉があることを示そうとした」とある。第1章には、「本書の三つの章すべてにまたがるテーマは、どうすればカントの尊厳観を最もよく理解できるだろうか、というものである」とある。
〇訳者あとがきでは、大震災時の死者の尊厳、被災者の尊厳、自然の尊厳について触れ、コロナ禍での死者の尊厳、取り残され人々の尊厳について触れる。さらに、多くの領域で尊厳という言葉が使われるが、・・・公共的な議論を促すような柔軟な概念としては、必ずしも十分に機能していないようにも見える。それで、良質の、グローバル水準の尊厳の入門書を探していて本書に出会ったと書かれている。
内容
全体
〇大ざっぱに書くと、
第一章は尊厳の哲学史または政治学史+カント哲学の尊厳とカトリック教会の尊厳、第二章は尊厳の法制化、第三章は遺体、胎児等の尊厳+カント再び+著者の見解である。
〇尊厳死、セクハラ関連の尊厳の話題はあまり多くない。胎児の尊厳(人工妊娠中絶)のついては記述が多い。自殺は最後に出てくる。
第一章
〇十七、八世紀には、尊厳には三つの構成要素があった。①人間だけに限定されない価値ある特徴としての尊厳(本質としての尊厳)、②高い社会的地位としての尊厳(地位としての尊厳)、③敬いに値する特定の性格を帯びた振る舞いとしての尊厳(態度としての尊厳)である。
☆②の社会的地位としての尊厳は、フランス革命以後、下へ拡大され、人間としての地位により平等に尊厳を持つと変化していく。カトリック教会も徐々に変化に順応していくが、19世紀に至っても、社会的地位により異なる尊厳を持つという思想が支配的であった。
☆①の本質としての尊厳は、カントにおいて、道徳性(道徳法に従って生きること)と結び付き、人間以外のものは、内部に道徳法を持たないので、尊厳から除外された。一方、尊厳はすべての人間が共通して有するものとされた。
☆③の威厳ある態度を示すものとしての尊厳は、シラーによると、「苦しみの中の静けさ」であり、尊厳を持って苦しみに耐える姿である。
〇著者は、第四の要素として、③から派生した④敬意をもって扱われる尊厳、適切な敬意の表現を求める尊厳を追加する。この第四の要素が2章、3章の重要論点となる。
第二章
〇ドイツにおける尊厳の法制度はカソリック思想とカント主義の融合の上に成立しており、実践において様々な難問が生じている。その事例等。
第三章
私たちは尊厳をもって死者を取り扱う義務がある、という難問についての議論など。
私的感想
〇第二章の事例が一番興味深かった。
☆ディスコで開催予定の「小人投げ」興行を「人間の尊厳を侵害する」として禁止した自治体の決定に対し、当事者が、自分で選んだ仕事に就くのを妨害され、尊厳を侵害されたと訴えた件
☆中絶に比較的寛容だった東ドイツとの統一後も、ドイツ法廷は、世論に反し、中絶に厳格な姿勢を崩さなかった。しかし、運用で妥協した。
☆誘拐犯を脅して子供の居場所を白状させた副署長は基本法の尊厳条項に反するか。
☆ハイジャックされた飛行機がテロ手段として使われ、さらに多大な犠牲者を出すことが確実な場合、その撃墜を認める法律は基本法の尊厳条項(短時間後に死ぬことが確実な)乗客の尊厳に反するか。
〇本書はたぶん、第三章がメインだろう。なかなか難解だが、論理の流れは大体理解できたように思う。
〇第三章の前半は死者(死胎児含む)の尊厳の保護、最後は拷問等による尊厳の侵害の否定で、妥当な流れと思うが、後半のカント再登場が悩ましい。ここでは、カントは自殺禁止論者として登場し、その自殺禁止論が丁寧に解説されていくが、最後で、カント自身が自殺(尊厳死?)を容認しているように思える場合のほうに抜けていくのである。うーん、カントを現代的に救済したのだろうか。
訳者によると、グローバル水準の尊厳の入門書だということだが、著者はハーバードの政治哲学のイギリス人教授である。入門書にしてはかなり難解だが、訳者あとがきに全体の要約があるので、そこから全体像を掴んで読み始めるのがよいのかも知れない。
尊厳はいくつかの規範が結びついた複合的なもので、3ないし4の構成要素がある。尊厳は、ホロコーストを経た1940年代のドイツ基本法(憲法)と国連の世界人間宣言において、重要な役割を果たしている。
その淵源は、カトリック思想とカント哲学であるということだが、著者はカント主義を批判しつつ、どうすればカントの尊厳観をもっともよく理解できるかを追及している。訳者によれば、著者はこれらの中にある、おそらく宗教的な始源である何ものかを懸命に救い出そうとしている。
本書は、ドイツの判例に関する興味深い議論に表れているように哲学の実践であって、議論の過程が重要であるともいえよう。翻訳は原文に忠実でもとの文章が再現できそうな感じだが、哲学はこのようなスタイルしかないのだろう。ともあれ、このような専門書を気軽に日本語で入手できることを喜びたい。
第1級の人間学、政治哲学。日本の政治家に欠落しているもの、それが人確的尊厳である。