【速報】新型コロナ 茨城で新たに49人感染、患者の100歳代女性死亡

2021年05月22日 20時00分59秒 | 社会・文化・政治・経済

5/22(土) 19:00配信

茨城新聞クロスアイ

茨城県と水戸市は22日、新型コロナウイルス感染者が県内で新たに計49人確認され、患者1人が21日に死亡したと発表した。県内累計の感染者は9348人、死者は142人となった。

県によると、亡くなったのは県内の医療機関に入院していたコロナ患者の100歳代女性。

県と市によると49人のうち、陽性者との濃厚接触で感染したとみられるのが31人、感染経路が分かっていないのが18人。

市町村別の感染者数は、水戸市8人、つくば市6人、龍ケ崎市5人、土浦市5人、取手市3人、潮来市3人、ひたちなか市3人、常総市3人、坂東市2人、笠間市2人、鉾田市2人、稲敷市1人、古河市1人、守谷市1人、鹿嶋市1人、小美玉市1人、大洗町1人、茨城町1人。

新たに計76人が退院、退所、自宅療養終了し、回復者は累計8502人となった。

居住地別の新規感染者49人は以下の通り。

◇水戸市(8人)  
▽90代無職女性  
▽50代会社員男性  
▽50代パート女性  
▽20代会社員女性  
▽40代無職女性  
▽40代会社員男性  
▽80代自営業女性  
▽70代無職男性

◇つくば市(6人)  
▽30代自営業女性  
▽10歳未満女子児童  
▽未就学女児  
▽10代女子児童  
▽50代無職女性  
▽20代会社員女性

◇龍ケ崎市(5人)  
▽60代無職女性  
▽90代無職女性  
▽70代無職男性  
▽70代無職男性  
▽60代無職女性

◇土浦市(5人)  
▽30代公務員男性  
▽30代自営業男性  
▽30代会社員女性  
▽20代会社員男性  
▽20代会社員女性

◇取手市(3人)  
▽50代パート女性  
▽10代アルバイト女性  
▽20代会社員男性

◇潮来市(3人)  
▽30代団体職員女性  
▽20代アルバイト女性  
▽30代会社員男性

◇ひたちなか市(3人)  
▽20代会社員男性  
▽40代会社員女性  
▽40代男性(職業非公表)

◇常総市(3人)  
▽20代会社員女性  
▽30代会社員女性  
▽20代会社員女性

◇坂東市(2人)  
▽60代パート女性  
▽40代自営業女性

◇笠間市(2人)  
▽20代団体職員男性  
▽80代無職男性

◇鉾田市(2人)  
▽20代会社員男性  
▽20代会社員男性

◇稲敷市(1人)  
▽20代会社員男性

◇古河市(1人)  
▽10代無職女性

◇守谷市(1人)  
▽40代会社員男性

◇鹿嶋市(1人)  
▽10代会社員男性

◇小美玉市(1人)  
▽30代公務員男性

◇大洗町(1人)  
▽40代会社員女性

◇茨城町(1人)  
▽90代無職女性

■県内の感染状況  
新規 49人  
累計 9348人  
うち死者 142人  
退院・退所等 8502人  
(県・水戸市発表、22日午後7時現在)

茨城新聞社

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感染症の日本史

2021年05月22日 11時45分12秒 | 社会・文化・政治・経済

磯田 道史 (著)

一級の歴史家が、平安の史書、江戸の随筆、百年前の政治家や文豪の日記などから、新たな視点で、感染症と対峙してきた日本人の知恵に光をあてる。
新型ウイルスに対するワクチン、治療薬も確立していない今だからこそ、歴史を見つめ直す必要がある。

「給付金」も「出社制限」も「ソーシャル・ディスタンス」もすでにあった! 今こそ歴史の知恵が必要だ!

【目次より】
第一章人類史上最大の脅威 牧畜の開始とコロナウイルス/ペリー艦隊が運んできた感染症/スペイン風邪は波状的に襲ってきた ほか

第二章 日本史のなかの感染症――世界一の「衛生観念」のルーツ
「最初の天皇」と疫病/奈良の大仏は天然痘対策?/疫神を歓待する日本人/江戸の医学者の隔離予防論 ほか


第三章江戸のパンデミックを読み解く
すでにあった給付金/薬をただで配った大坂の商人たち/上杉鷹山の患者支援策 ほか

第四章はしかが歴史を動かした
「横綱級」のウイルスに備えるには/都市化とパンデミック/麻疹が海を渡る ほか

第五章感染の波は何度も襲来する ――スペイン風邪百年目の教訓
高まった致死率/百年前と変わらない自粛文化/「「感染者叩き」は百害あって一利なし ほか

第六章患者史のすすめ――京都女学生の「感染日記」
日記が伝える「生きた歴史」/ついに学校が休校に ほか

第七章皇室も宰相も襲われた
原敬、インフルエンザに倒れる/昭和天皇はどこで感染したか?/重篤だった秩父宮 ほか

第八章文学者たちのスペイン風邪
志賀直哉のインフルエンザ小説/〝宮沢賢治の〝完璧な予防策〟/荷風は二度かかった? ほか

第九章歴史人口学は「命」の学問 ――わが師・速水融のことども
数字の向こう側に/晩年に取り組んだ感染症研究 ほか

内容(「BOOK」データベースより)

歴史上、最も多くの命を奪ってきた脅威がパンデミックだ。新型コロナウイルスのワクチン、治療薬も確立していない今、歴史を見つめ直す必要がある。一級の歴史家が、平安の史書、江戸の随筆、百年前の政治家や文豪の日記などから、新たな視点で日本人の知恵に光をあてる。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

磯田/道史
1970年岡山県生まれ。国際日本文化研究センター准教授。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 

今回のコロナ禍も、ほとんどの人にとって<道の事態>だったために、さまざまな混乱が生じた。

正確な情報がゼロに等しい状況下で、対処法を選択するためには、過去の事例から類推するしかない。

その時、長い時間軸をもって物事を捉える歴史学の視点が役に立つわけだ。

今回のコロナ禍を考える上でも、20世紀前半に発生したスペイン風邪の事例が<参考例>となった。

1918年から20年にかけて流行したスペイン風邪は、世界で4000万人以上もの命が奪われたとされている。

日本では、3、4回の感染があり、約45万人が亡くなった。

「感染=悪」という異様な雰囲気が強まれば、感染の隠ぺいを促し、さらなる感染を助長する恐れもる。

まさに「百害あって一利まし」だ。

不思議なことに、日本ではその後、人々は忘れさられてしまった。

スペイン風邪が収束後の1923年に発生した関東大震災によって、日本の風景は一変した。

そのインパクトがあまりに大きく、スペイン風邪は人々の記憶から消え去ってしまったのだ。

ゆえに、残念ながら、日本は感染症の教訓を十分に学ぶことができなかった。

そのこと自体が、一つの教訓といえる。

わたしは、歴史学者tおして、「誰から見た歴史なのか」を大切にしてきた。

一般に「歴史」と聞くと、政治史や外交といった為政者や権力者の歴史を連想しがちだが、私は、それらの歴史から抜け落ちた「庶民」に光を当ててきた。

<歴史は細部に宿る>といわれるが、当時の一庶民が何を考え、どのような生活を送っていたかを探求するなかで、その時代の普遍的な本質を見いだせる場合があるからだ。

今回のコロナ禍で、今日のグローバル社会には「他人事」は存在しないtおうことが分かったと思う。

感染症の場合、一部の地域に、医療の空白が生じれば、その分、抑制が難航する。

世界各国が、自国優先主義にだけに傾かず、コロナ禍とう共通の課題に連帯できるかどうかで、パンデミックを克服する上で鍵になる。

人は価値観が揺らぐと、どうしても極端な考えに傾く。

集団の運用や指導も荒くなり、丁寧な説明や対話を省いて、物事を強引に進めようとする。

そこに陥らず、バランスを保って進むためには、平和と人権に対する「尊敬心」と、他者を思いやる「共感性」が社会の根底にあることが求められる。

 

磯田先生の本は毎回さすがの一言です。
誰にでも読める形で、まとめられている本です。歴史好きな方、またそうでない方も楽しめる一冊だと思います。タイムリーな話題なので、読んで、改めて「なるほどなぁ」と、思えます。

 

要するに、

(1)乾燥、
(2)寒さ(風に吹かれる)、
(3)疲労、
(4)寝不足、
(5)混雑(会合、宴会、雑踏、学校の教室など)、
…という、おおむね5点の条件が重なれば、
必ずと言ってもよいほど、感染してしまうことを、
庶民(例えば、遠方の孫娘に会いに来た祖父)
から著名人(政治家、文学者、皇族など)までの
様々な実例から確認できるのが、本書の特長です。
(6)さらに、その人に持病がある場合は、とりわけ要注意。

著者の磯田さんご自身は、髪の毛にウィルス等が
付着するのを防ぐために、大きめの帽子を目深(まぶか)に
かぶってから外出しているそうです。いわば、頭にも
マスクを掛けているのでしょう。

海外諸国での極めて深刻なコロナ禍のニュースも参考に
なりますが、やはり、日本人にとっては、日本史上の
症例を知りたいものです。

そうしたニーズに応(こた)えてくれる優れた歴史感覚の
持ち主として、磯田さんは、まさに適役。
「好きこそものの上手なれ」を体現したような人物が
著わしたものは、読者をも堪能させてくれます。

コロナ禍をネタにひと儲けしようとする類書(玉石混交!)
に混じりながらも、キラッと光る、ひと粒の天然石みたいな
一冊です。

 

気になったので購入、読了しましたが個人的内容が残念でした。
なので、良かった点悪かった点を踏まえてレビューを書かせていただきます。

○良かった点
・日本における感染症の歴史が知れたこと。
タイトル通りの内容ではありますがこの本においては
日本における集団としての流行の歴史(中世・明治・大正時代の感染症の流行歴)と
個人としての感染歴(明治・大正時代の天皇、総理大臣、作家など)を大きく取り上げています。
その時の統治機構がどんな対策を打ったのか、庶民・個人の間でどんな情報が出回っていたかなどが
詳細に記載されており、日本人の感染症に対する対応の歴史を学ぶことができます。

○悪かった点
・リファレンス不足
本書の中には古今の感染症に対する対応に対して賛辞や批判が述べられていますが
歴史学者である著者に判断できることなのでしょうか。
本書には医療に関する知識についてどなたかに相談して執筆した、
知識に関して本を参照した等のリファレンスがほぼありません。
感染症への対応について医学者もしくは感染症専門医等に査読等を行ってもらったのでしょうか。
特に現在のコロナウイルス対応に関してもかなり詳しく意見が記載されております(P.132)が
これに関してもリファレンスがほぼなく、情報の信頼性について著者を信じるしかない状態となっています。
また、文中に一次資料の名前は記載がありますが巻末に参考文献の記載はありません。

・考察不足
本書では数多くの例を挙げる代わりに考察不足なのか著者の説明不足なのか、よくわからない箇所が多々存在します。
例を挙げると「上杉鷹山の対応に対する著者の考え(P.90~)」、「天皇への感染対策の方法や感染症が攘夷を加速させたなど(P123~)」など
前者に関しては一次資料、先行書に対してエビデンスが示されない状態で筆者独自の考えを述べています。
後者に関しては「(天皇への感染対策は)社会的距離を最大にとる方法で~感染防止がなされていた。」
とありますがその具体的方法こそ説明していただきたい所なのですが罹患者の出仕停止以外特に記載がありません。
また、攘夷に関する記載に関しても結び付けの根拠が弱いと思われます。
これでは歴史学ではなく歴史小説と思います。

・主張過多
主に政府に対する批判や速水融先生の書の引用・思い出話が多いです。
著者にも政治に関する主張する権利はありますが現状では評価の分かれるコロナ対応について、
もしくは関係のない防衛関係の施策に対してたびたび一方的な主張があり、
その文章を記載するなら上記のエビデンスの部分を補強しべきだと思います。
また、たびたび登場する速水先生の本の引用や最後の一章を割いて行う速水先生との思い出話は蛇足かと思います。

まとめると知識としては得るものがあったため☆2としましたが
基本的には歴史学者?の真偽不明な蘊蓄話といった感じで読んでいて面白さは感じませんでした。

 

いつもお世話になっております。
未だ読んでいる途中ですが、面白いです!!磯田道史先生の著書はやはり外れがありませんね。感謝して読んでおります。テレビに著書に大忙しですが、感染症だけは(私も)心配しております。
兎に角、歴史は面白い!!有難うございました。

 

この本を読んで、これまでの長い歴史に何度も未知のウイルスが海外よりもたらされ、薬も科学的知識もない当時の人たちが、試行錯誤しながら善処した事柄は、現在科学的知見のもと行われていることと、それほどずれてはいないことにまずは驚きました。そのような事柄が文献から読み取れるということ、今世の中で起こっていることを記録しておくことの重要性を感じました。今後必ず現実となるであろうコロナの再燃、さらには新しい未知なるウイルスの上陸に備え、子孫のためにも「記録と検証」の大切さを痛感しました。すばらしい本です。でも、このままコロナは終息しないということを歴史は語っているようで怖くなりました。

 

 

 

 

 

 


次の災害・感染症は来る-という視点に立つ時だ

2021年05月22日 10時31分09秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽地方自治は民主主義の最良の学校、成功の最良の保証人-英国の政治家・ジェームズ・ブライス
▽新型コロナの制御において「信頼」がカギとなる。
政府や他の人々への信頼が高いほど、感染予防行動をとる傾向が強い。
▽身体と心は一体だから、従来の生活様式の変化は変化は、私たちの内面に影響を及ぼす。
▽どこまでも一人を大切にし、誰も置き去りにしない。
▽心を開いて、苦境にある人の声に真摯に耳を傾けたい。
▽励ましの連帯を広げる草の根の運動こそ、温かな社会を築く根幹となる。
▽人は被害者にもなり、加害者にもなる存在。
▽希望と活力を如何に社会へ送くるかだ。
▽災害と災害の「間」を生きるゆえに「準備」を常に怠らないことことだ。コロナ禍は、次の疫病の「間」であり、アフター(後)ではない。
つまり、「次の感染症は来る」という視点に立つ時、必然的に「準備」という考え方が生じます-歴史学者・磯田道史(みちふみ)さん

 

 


英議員「韓国、ベトナム戦争での“性暴力”疑惑を認める時」

2021年05月22日 10時20分58秒 | 社会・文化・政治・経済

3/2(火) 12:08配信 WoW!Korea

英国労働党のウェイン・デイビッド議員(画像提供:wowkorea)

「韓国が、ベトナム戦争での性暴力疑惑を認める時だ」

英国労働党のウェイン・デイビッド議員は、韓国政府が慰安婦問題解決のために乗り出しているように、ベトナム戦争での韓国軍による性暴力疑惑も認めるべきだという主張を、英国の日刊紙“インディペンデント”に寄稿した。


英国議会のベトナムに関する超党的議会の集まり“APPGベトナム”の議長でもあるデイビッド議員は、先月28日(現地時間)に掲載された寄稿文を通して「韓国が慰安婦問題に関して謝罪を受けようと数十年間 努力し、日本政府が言い逃れをしている間に、被害者の相当数はすでに死亡した」とし「韓国政府がこのように慰安婦問題に対して努力しているが、ベトナム戦争での韓国軍による性暴力疑惑に関しては、相反する態度を示している」と主張した。

また「ベトナム戦争で韓国軍などから性暴力を受けた女性が数万人に達し、その中には12・13歳の少女もいるという主張もある」とし「このような行為を通して生まれてきた子供たちである“ライダイハン”たちは、出生に関する汚名により 一生 苦しめられている」と指摘した。

つづけて「APPGベトナム議長としてライダイハンに会ったが、この人たちは周辺から追い出され 低所得層の農村で暮らし、社会から排斥され 教育なども受けられずにいる場合が多い」とし「ライダイハンたちは韓国政府に、認定・調査・謝罪などを要求している。被害女性たちは金銭ではなく道徳的補償を望み、謝罪を受ければ傷を癒やすことができるだろう」と主張した。

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戦争と性

2021年05月22日 10時14分31秒 | 社会・文化・政治・経済

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『慰安婦問題』に一石を投ずる注目の書! 宮台真司渾身の解説を付す! 軍隊から性病と暴力的攻撃性を取り除くために管理売春を通じて兵站(へいたん)としての性を提供することが必要だ――という考え方はヨーロッパ標準である。本著を通じて僕たちが学べるのは、まずヨーロッパ標準の売買春についてです。戦時、非戦時にかかわらず売買春管理政策がどのような理念に基づくものかがよくわかります。
 
 
 
本書を編纂したヒルシュフェルトの本心を伝えた言葉が第三篇「戦争中の性生活」169ページに書かれている。「軍隊式に組織された売淫が世界戦争のいちばん暗い一章であることは、確かである。売淫によって性愛も、美も、人間の純粋感情も、いっさい嘲り飛ばしてしまうもっとも低級な欲求に突き落とされてしまったのである」

人間が人間らしい社会生活を営むためにはコントロールが不可欠な性欲と、戦争という環境下での影響を克明に考察しているところが秀逸。ここには口当たりの良い綺麗ごとは書かれていない。それは歴史が示している事実から冷徹に統計を取ろうとする姿勢と、将来に向けて問題の解決策を見出すべくヒルシュフェルト研究班の聡明な意志によって記述されたものだ。それゆえ第一篇「女について」を女性が読み通すことは辛いだろうし、侮辱されていると感じるかも知れないが、ここに採り上げられているデータは決して稀なサンプルではなく、歴然とした全体の傾向を示していることも認めざるを得ない。

ひとたび戦争という事態になれば、生と死の狭間で極限状態に曝され、禁欲を強いられる兵士達は必然的に精神的、肉体的な代償行為への強い欲求に駆り立てられる。第一次世界大戦中、軍隊内での性病蔓延による戦力低下や、規律を逸脱した戦場周辺でのレイプ等を未然に防止するために娼家を軍によって管理させ、マニュアル化して兵士を統制した国は当時のヨーロッパではドイツだけだったようだ。掲載されたデータでは軍隊内での性病の罹患率は、それを放置した他の列強国を大きく引き離して最低限に抑えられている。皮肉にもさすが管理の国ドイツの面目躍如たるものがある。

そのマニュアルは兵士が娼家に行くと 1)軍隊手帳の提示と衛生兵による局部の検査、もし罹患が発覚すれば所属部隊への通報、入室は許されない。それ以外の正常者はプルタルゴール及びワセリン塗布の予防処置 2)順番待ち、呼び出しに応じて指定の部屋に入室 3)行為と料金の支払い 4)別室に移動して衛生兵による消毒と放尿検査 というプロセスが避けられない。勿論この方法以外の闇の売買春は禁じられていたが、将校クラスには別棟が用意され、彼らが一切の検査から免れていたことがこのシステムの盲点として指摘されている。

しかし一方で娼家で働く女性達の待遇となると悲惨を極めている。何故なら需要に対する供給の極端なアンバランス、つまり娼婦の絶対数が少なすぎたことと、軍の目的があくまでも性病予防であって営業による利潤獲得ではなかったからだ。一人の娼婦が一週間で一大隊の全兵士を相手にしたという報告もあるし、別の一人は営業時間五時間内に32人の兵士を処理したとも書かれていて、およそ人間業とは思えない仕事を半ば強制されていたことになる。読んでいて思わず苦笑してしまったが、卑近な計算をすれば一名につき10分足らずの所要時間だ。こうした女性は彼女達の自由意志に基いているとは言え、多くは戦争で夫や一家の働き手を失い、子供達を抱えて日々の糊口を凌ぐために罹患の危険を冒しても働かざるを得なかったことは紛れもない事実だ。

本書は1956年に初めて日本語訳が出版され、社会学者宮台真司氏の希望で今年復刊になった。現在の従軍慰安婦に関する論点の核心は、軍が管理したか民間の手に委ねたかではなく、それに従事した女性達の最低限の人権が守られたか否かが問われるのであり、感情に煽られて問題の本質を逸らせてしまう泥仕合の論戦に加わる前に、私達が最低限知っておかなければならない事実がここに総て記されている。
 
 
 
1930年にドイツ語で出版された「戦争と性」の全4巻のうちの1巻にあたるという。日本語訳は1956年である。

総力戦は悲惨なものである。国を挙げて死力をつくすため国家規模の統制の試みが行われ、様々な混乱がもたらされ、国土は荒廃し、物資や食料は不足し、経済は混乱し、男は出征して場合によっては戦死もしくは負傷し、平和な時代に維持されていた道徳はしばしば期待できなくなり、女子供にも被害が及ぶ。問題は人の本能と密接に結びつく性においても生じる。本書では第一次世界大戦を中心に、戦争と性のかかわりについて振り返り、その本質について著者の見解を慎重に述べたものだ。兵士や軍だけでなく、平和な現代からはわかりにくい当時のヨーロッパの女性側の事情についても言及されている。

若い兵隊たち。管理○春。将兵看護。長期塹壕戦でのはけ口。食べていかなければならない貧しい女性たち。性病の蔓延と荒っぽい対策。長期不在の夫を待つ妻に生じること。捕虜収容所内のこと。女スパイと性。戦後の困窮と混乱における性。娯楽施設。戦争が生んだ私生児。疾病兵。心の傷。特に当時の各国の軍隊の性病疾患率の高さには驚かされる。

通常、本の解説は最後に置かれるが、本書の解説は冒頭部分にあり、第一次大戦のドイツを中心とした[管理○春x自由意志]が、その後の戦争におけるひとつのモデルになったことが示されている。ただし、日本の場合は[非管理○春x自由意志尊重]の形をとり、アメリカ軍は慰安のために必要な場所を公設せずに周辺に売○のための施設を集結させる方法をとったという。また、このような問題については、大衆の「道徳的座視」と治世者の「統治論的座視」の間で大きな乖離が生じがちなことについても指摘されている。

原著及び翻訳共にかなり昔のものであり、本文の文章はそれほど読みやすいものではない。ところどころ持って回った書きぶりで、表現にも古さを感じる。また、おそらく第一次大戦の記憶が残る時代 に書かれていることと関係があるのではないかと推測するが、女スパイのマタハリなどの例を除いて特定の人名や部隊や特定の地域がわかる書き方は控え気味と なっている。加えて、対象となっているのはあくまで第一次世界大戦のヨーロッパであり、第二次世界大戦ではない。
 
 
 
 
 

 


兵士とセックス――第二次世界大戦下のフランスで米兵は何をしたのか?

2021年05月22日 10時06分13秒 | 社会・文化・政治・経済

メアリー・ルイーズ・ロバーツ (著), & 2 more

1944年夏、フランス・ノルマンディーにアメリカ軍がさっそうと乗り込んだ。連合国軍の一員としてフランスを解放するために。しかし、彼らが行ったのはそれだけではなかった。売買春、レイプ、人種差別……。いま明かされる驚愕の真実とは!

出版社からのコメント

上野千鶴子氏推薦!
占領地で兵士は必ずセックスした。恋愛、売買春、強姦...。それは偶然の随伴物ではなく、不可避の支配―被支配構造の一部だった。フランスの体験は、日本軍「慰安婦」と、そして占領軍「慰安婦」と、どこが同じでどこが違っていたのか? 戦争と性暴力の比較史にとって欠かすことのできない里程標となる労作。

<書評等>
図書新聞(2016年1月1日)/「本が好き! コラボ企画」(allblue300氏)
『週刊文春』(2015年12月3日号)/「私の読書日記」(鹿島茂氏・フランス文学者)
北海道新聞(2015年11月1日)/書評(上野千鶴子氏・東大名誉教授)
朝日新聞(2015年10月11日)/書評(荻上チキ氏・「シノドス」編集長・評論家)

著者について

メアリー・ルイーズ・ロバーツ(Mary Louise Roberts)
ウィスコンシン大学マディソン校歴史学教授。ウェズリアン大学卒業、サラ・ローレンス 大学で修士号、ブラウン大学で博士号を取得。専門はフランス史およびジェンダー史。
主な著作には、 ジョアン・ケリー記念賞を受賞したCivilization without Sexes: Reconstructing Gender in Postwar France, 1917–1927 (Chicago: University of Chicago Press, 1994)、Disruptive Acts: The New Woman in Fin de Siècle France (Chicago: University of Chicago Press, 2002) などがある。

佐藤文香 (さとう ふみか) [監訳および解題担当]
慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程修了。博士(学術)。現在、一橋大学 大学院社会学研究科教授。専門は、ジェンダー研究、軍事・戦争とジェンダーの社会学。
主な業績に、『軍事組織とジェンダー ――自衛隊の女性たち』(慶應義塾大学出版会、2004 年)、“A Camouaged Military: Japan's Self-Defense Forces and Globalized Gender Mainstreaming", The Asia-Pacific Journal, 10-36-3 (September 2012)、「ジェンダーの視点から見る戦争・軍隊の社会 学」福間良明・野上元・蘭信三・石原俊編『戦争社会学の構想 ――制度・体験・メディ ア』(勉誠出版、2013 年)、翻訳に、シンシア・エンロー著・上野千鶴子監訳『策略 ―― 女性を軍事化する国際政治』(岩波書店、2006 年)などがある。

西川美樹 (にしかわ みき)
東京女子大学文理学部英米文学科卒業。外資系製薬会社(現グラクソ・スミスクライン) の社内翻訳者を経て、フリーランスの実務・出版翻訳者となる。訳書に『フィンランド の歴史』(2008 年、共訳)、『若者問題の社会学――視線と射程』(2013 年)、『アメリカの ろう者の歴史――写真でみる〈ろうコミュニティ〉の200 年』(2014 年)(以上、明石書 店)、『愛のための100 の名前――脳卒中の夫に奇跡の回復をさせた記録』(2015 年、亜紀 書房)などがある。
 
 
 
第一次世界大戦後、世界の中心は歴史あるヨーロッパから、新興国アメリカになった。
第二次大戦時のヨーロッパ戦線では、外部者であるアメリカが「裕福で強い覇国」として
ヨーロッパの解放者となり、戦後の世界の舵取りの正位を決定づけた(裏はソ連)。
この本では、ナチスドイツからの解放者アメリカ兵とフランス女性の性関係を軸に推測していきます。
作者はアメリカ人女性・監訳者は日本人女性で共にジェンダー系、「外側」からの視点分析。
描かれるフランス女性が全般的に逞しく「次の異国の男」に積極的な印象なのに反して、
フランス男性は世界における自分たちの立場が弱まっていることを否が応でも認めざるを得なかった、と。

第二次世界大戦時のヨーロッパ戦線を舞台に「この当時のフランス男性」の
他国の男に支配され、他国の男の力で解放され「自分達の所有物であるはずの女達を奪われ続けた」、
「自国の力で解放・独立できなかった」自分達の無力を思い知らされた国の男達の、
屈折した男のコンプレックスを、実は語っているんじゃないかと思いました。

支配下で被側の女を所有することは、同時に男のプライドを去勢しコントロールする一石二鳥の効果がある。
この本の示す影響力を「日本・某県」や「他の国々」にも当てはめると、実は女だけの問題じゃない。
現在政治的発言権を持つ男の根底に「未だに行き場のない性的なふがいなさ・メンツ」があるのではと配慮すると、
今までとは違う切り口が見えてくるのかも。
女じゃないのに被側の男「切り口」として、征服側だった男の力づくの性的恥部として論破の壇上に置くこと、
女の痛みがわかるとばかりに美味しく乗っかるのは、男が未だに性的な抑圧支配下にある証拠!と指摘したら
「男のメンツを潰された」と男が激怒するか?男の恥辱も認めるのが男らしいのか(認めた方が論破しやすい)?
「男の出方」のみにかかっていると気付いた私は「中途半端なジェンダー系」より意地悪かもしれない。
監訳者さんは『解題』から、そのカラクリがわかっていない、女という連帯意識責任だけで振り回されている印象。
著作内容と監訳者さんのそれぞれの主張が、実は噛み合っていないことが「隠されていない」本書。
ちなみに人権ありきの法律における性犯罪は「また別の話」です。
追記:某国、国内の政治派閥間で歪みまくって迷走?どこに正当にぶつけていいのかわからなくなった?
 
 
教えられるところの多い本だった。米兵によるフランス人女性の性的支配のありようが、政治レベルでの仏米関係をも規定したとする指摘は、単なる性的陵辱の物語にはとどまらない、問題の奥行を感じさせる。
第7章と第8章では、レイプというある種の女性蔑視の発露に黒人差別が交錯して、重層的に不幸が積み上がる構図が示される。監訳者解題でこれらの章は、「「セカンドレイプ」に該当するような記述が多く、読んでいてつらかった」との留保も付されているが、ほかの歴史本にはなかなか現れない歴史事実であり、個人的には大変勉強になった。
細かい話では、ドイツ人と性的関係をもったフランス人女性が丸刈りにされて、市中を引き回され、周囲のフランス人が嘲笑を浴びせる光景を撮影したロバートキャパの有名な写真について、フランス人男性の無力さを中傷する写真として絵解きをするあたりが印象的だった。どう見ても女性が侮辱されている写真から男性への中傷を読み取るのは、ジェンダー研究者の面目躍如といったところか。
女性史として戦争を綴るのは、当時の女性の地位ゆえに、記録が残りにくく難しい。特に戦争は、そもそも「男性の論理」が先鋭化したものだからなおさらだ。それだけに、本書のような戦争の女性史は、戦後文明国のスタンダードになった女性の社会的地位を逆照射することにもなって意義深い。こういう本が日本語で読めるのは大変ありがたいことだ。
監訳者解題も、本書の単なる礼賛にとどまらず、きちんと欠落や問題点の指摘もなされており、読む価値アリだと思う。特に日本の慰安婦問題で、安直なナショナリズムに踊らされないようにする上でも、解題を含め必読の本である。
 
 
想像を絶するカオスが生んだ男性性のイニシアティブの奪い合い。結果として庇護を求めて媚びる女。裏「バンド・オブ・ブラザーズ」。重層性ゆえに橋下の慰安婦正当化には全く援用不能だし、人種差別に絞りレイプだけで一冊にまとめて欲しい。
 
 
ある50代半ばの女性と慰安婦問題の話になった。「慰安婦についてだけど…やっぱ橋下発言は許せないよね」と言われた。自分は「橋下氏のものの言い方とかは悪かったかもしれないけど、物理的、論理的には真理を突いているんじゃ?」と反論したら、「いや、これは典型的な女性への偏見、侮辱だよ。絶対に正当化させてはいけない」と強く返された。
慰安婦問題で、日本人なのに慰安婦問題では被害者(と必ずしも言い切れるのか?)側の立場に立とうとする人が多くいる。主に女性である。例外は国防女子とか右翼女子が中心のようだが、なぜか被害者(といえるかは置いておいて)の肩を持つ人たちが多い。
よくよく話していくと日本人なのに日本より韓国の方が好き、というわけではないらしい。
要は「日本vs.韓国」というモノのとらえ方というより「戦場のオスたちvs.罪もない一般女性」…突き詰めれば「男性vs.女性」ということのようだ。つまり「日本人」より「女性」という意識が優ってしまうことらしい。

厳密に言うと韓国は勝手に慰安婦側の立場を強調しているだけなのだが…。そしてその証言の数々も洗脳の末に発言している(その割には発言が揺れまくっている)のがミエミエなのだが…。

ある席で、たまたま左翼らしい男性二人と会話になったときのことだった。ひとりは「慰安婦問題はやはりあったこと、謝るべきだ」と言った。しかしもうひとりは「自分は右翼じゃないけど、慰安婦問題については韓国側の主張は違うと思う。完全な政治利用だ」と言っていた。その後自分が旧ドイツ軍にも同列の慰安婦問題があり、それはホロコーストや安楽死、捕虜の大量虐待死などに隠れて、ほぼ放置されている状態だと言ったら二人とも納得してくれたようだった。

右翼であっても左翼であっても、男性は責任論から問題を見るものなのかもしれない。右翼の発言も、個々の女性の身柄拘束は誰に責任があるのかという責任論や、どのマスコミに問題があるのかという責任論で語られることが多い。

ジェンダー論でとらえられる世界は、男性一般が感じる世界と違うのかもしれない。だから「慰安婦問題」のとらえ方に男性側からはどうしても理解できない思考が生じるのかもしれない。

監訳者はかなりの葛藤を抱えながらこの本を訳したようだ。慰安婦問題に関してはジェンダー論の立場から「慰安婦被害者応援側」であり、旧日本軍の売買春管理システムと性暴力は世界に比類するものなき酷いものであったという主張は降ろせないようだ。これまで「ジェンダー」の立場からの共闘意識のようなものが残っているからだろう。

しかし、旧日本軍の性暴力が比類なき酷さであるという定義は決めつけである。戦争の数だけ、戦場の数だけ、そしてそこに関与した女性の個々人の数だけ状況や結果、運命もあったのだろうし、旧日本軍だろうと旧ドイツ軍だろうと、そして本書のアメリカ軍だろうと戦線や個人によってさまざまな程度差もあったはずだ。物理的に比較的できないものを勝手に比較しても無意味である。

しかし、戦場と性暴力の関係は、その軍隊の性質ともからみ、人間の本質を問う研究としては今後も重要だと思う。そのためには日本が直接関与していない戦場、戦線での例をもまた、数多く拾い出していくことは大切である。そこから日本人がどう見えるかどうかではなく、人間がどう見えるかどうかである。

こういうと反発されることもあると思うが、橋下氏の言うことは本質的に正解だと思う。それによって日本軍の行為を相対化させてはならないと監訳者さんは言う。それはそうかもしれない。しかし、日本軍だけがやったことにしたいから他国の軍の性暴力検証・研究には蓋をしろなどと言いたいのなら、それもまた暴論である。特に韓国のバイアス女性人権団体なんたら協についてはそうだ。彼女たちは世界の女性たちの人権のために活動しているのではない。もしそういう気持ちがあって活動しているのなら、もっと早くヨーロッパでの戦時性暴力の被害者たちともアクセスを取り、多くの情報を収集していたはずだ。取らなかったということは、その活動は偽物だったのだ。ただ単に日本軍だけがやったことにしたいだけで、話を膨らますことばかりに終始したに過ぎない。

大いなる葛藤を抱えながらも翻訳陣は本書の訳出に踏み出した。巻末では橋下発言に大きく反発しながらも、結局はこの本を訳出してしまったことを悔しがっているのか大きな成果として誇っているのか葛藤しながら語っているところに大きな関心を惹かれた。

自分はガチ右翼でも、日本軍無謬論者でもない。だから韓国の阿呆論者どもが割り込んで来さえしなければ、もっとためらいなく日本軍の暗部を暴き出すことは興味を持てると思う。それは世界各国軍にも通じることだ。自分はドイツの戦後処理を一定評価するが、かなり偏りがあるとも思っている。だから旧ドイツ軍検証の「穴」でもある戦時性暴力問題についてももっと掘り下げてもらいたいものだと思っている。

さて、本編を読んで感じるのはアメリカ男性の無駄なまでのエネルギーと金持ちぶりである。また戦争ドラマ『コンバット』などで印象づけられた「フランスの解放者アメリカ軍」というイメージを破壊してくれたことも興味を感じた。優劣とか善悪の程度問題とは関係ない、アメリカ軍らしい性暴力のありかたは男性目線では興味深いが、女性にとってはまた、辛いものかもしれない。

また、人種差別が性暴力とその司法処理の問題にも影響したというところは、アメリカ軍の特異な事例のひとつのようだ。

戦時性暴力は戦争ごとに起こる。その形もさまざまなはずだ。イスラム教系の国同士の戦いなどはどういう世界なのだろうか? いずれにせよ、戦時性暴力の研究フィールドは「日本軍」関係から「地球上の戦争全般」に及ぶことが望ましい。これは旧日本軍による性暴力を相対化、卑小化しようということではなく、人類全体への警告として、この方が有意義だと思うからだ。
 
 
ノルマンディー上陸作戦後のフランスの内情・社会変化を、アメリカ兵とフランス女性のセックスに焦点をあてて、そのセックスの影響は小さくなかったですよ、と指摘している本。

いきなり言わせてもらえれば、なぜジェンダー系の学者は総じて、客観的に分析できないのかと改めて感じた。

ジェンダーという問題に落とし込むために、物事の一部分を強調しすぎる。事実をクローズアップするのはいいが、客観性を失った事実の分析は、筆者が熱をおびるほどに、こちら側は冷めてしまう。

例えば、ノルマンディー上陸作戦は、アメリカ兵がフランス女性とセックスしたい動機が大きかった、という筆者の主張が全ての前提になっているようだが、それはそういう側面もあるが、やはり強調しすぎであると感じる。

訳者の解説も同じ傾向にあり、橋下氏の発言をジェンダー問題にとらわれすぎて、その発言の対外的な必要性を過小評価しすぎている。

本書は、筆者の主観はさておき、たくさんの文献が引用されているので、情報を仕入れるためにザッと読むぶんにはけっこう楽しめると思うし、実際楽しめた。
 
 
 
 
 
 
 
 

戦争と性暴力の比較史へ向けて

2021年05月22日 09時59分56秒 | 社会・文化・政治・経済

 上野 千鶴子 (編集), 蘭 信三 (編集), & 1 more

戦争における性暴力を当然視・許容する語りに抗しつつ、また、生存戦略として行使される女性のエイジェンシー(行為主体性)を否定せずに、戦争と性暴力を問題化することはいかに可能か。性暴力当事者間の関係性のグラデーション(敵味方/同盟国/占領地/植民地、強姦/売買春/取引/恋愛/結婚)に注目し、さまざまな時代背景のなかでどのような加害・被害の語りが社会的に許容されるか、また、時期によって語りと聞き取りがいかに変遷するかを、さまざまな事例を比較して分析する。

内容(「BOOK」データベースより)

本書は、戦時性暴力における当事者間の関係の連続性(「敵味方・同盟国・占領地・植民地」「強姦・売買春・取引・恋愛・(結婚)・出産」)に注目し、歴史的な文脈のなかでどのような加害・被害の語りが社会的に許容されるか、そして文脈の変化によって語りがいかに変容するかを、比較史の視座から分析する。「戦争に性暴力はつきもの」という普遍主義に陥ることなく、また女性のエイジェンシー(行為主体性)を否定することなく、戦争と性暴力を問題化することはいかに可能か。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

上野/千鶴子
1948年生。東京大学名誉教授、認定NPO法人ウィメンズ・アクション・ネットワーク(WAN)理事長。専門:社会学、ジェンダー研究

蘭/信三
1954年生。上智大学総合グローバル学部教授。専門:歴史社会学、戦争社会学

平井/和子
1955年生。一橋大学社会学研究科非常勤講師。専門:近現代女性史、ジェンダー史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
正直、「一冊の本を読むとはこのようなことであったか」と久々の感慨をもたらされた。

 戦争と性暴力の比較史という、多くの人が「重苦しい」と思いがちなテーマの書でありながら、かつ実際に、それぞれの論者が研究の成果をきわめて堅牢に(この点について「実証を疎かにしている」「概念のお遊び」といった先入観に満ちたレビューは笑止千万だった……自ら恥じて削除したようだが)述べていながら、それでいてなお、この本にはそれだけには留まらない重層性がある。

 上野千鶴子はこの本について「2年間にわたって準備してきた」「社会学、歴史学、オーラルヒストリーのクロスオーバー」「この分野でのマイルストーンになればよい」と呟いている(https://twitter.com/ueno_wan/status/966688770278899712)。
 実際、同テーマをめぐるここ三十年の内外の動向について語る上野「序論」は熱気に満ちている。さまざまな研究者(我々は読書レベルに応じて、そのなかの幾人かを知っていたり、まったく知らなかったりするわけだが)の成果が理路に沿って紹介されるのだが、むろんただの網羅であるはずもなく、その手さばきは辣腕、かつどこか華麗さもある。

 こうして、序論では①戦争と性暴力、②比較史、③女性のエイジェンシー、④オーラルヒストリーといった論点が示される。いずれも一筋縄ではいかないが、とりわけ「語りを阻害するものと語りを可能にするもの」「歴史の一部でもある自らの体験を語るとはどのような行為であるか」「その時エイジェンシーはどのように生成し行為遂行するのか」といった問題は、私見ではきわめて重要な、いわば歴史とアカデミズムと人間理解の結び目である。重層性と述べたのは、歴史書でありながらこのような思想の書でもあるという本書の特徴ゆえだ。戦時性暴力被害者「ではない」私たちにとっても、この本によって得られるものが多いとすれば、そのためである。

 各論者は、自らの取材と研究の成果を述べると同時に、このような全体のテーマへの応答を要求される(それは必ずしもスムーズに接続されるようなものではなく、なかには悪戦苦闘もあったに違いない)。また例えば蘭論文(「戦時性暴力被害を聞き取るということ」)は、桜井厚の「モデル・ストーリ」と「マスター・ナラティヴ」概念を用いて、語りを阻害するものについて検討するなかで上野の「モデル被害者」論に触れ、「このようなモデル被害者像が日本軍慰安婦問題/日本軍性暴力に関する言説空間において具体的にどのように構築されていったのか」を真正面から論じたのはほとんど山下英愛のみであると指摘しているが(p.288)、その山下による2016年のシンポジウム報告というのは、他でもない本書に収録された山下論文(「韓国「慰安婦」証言聞き取り作業の歴史」)の下敷きとなったものである。このように序論との関係だけではなく、本書内外の研究者間での相互参照が活発に行われており、たんに「論文集としては統一感がある」といった具合ではなく、独特な知の練成の場といった感がある。

 各論文を読みつつ註を参照し、ときに「序論」や他の論文を読みかえし、別の本の関連箇所を確認し……と読書としてはかなり能動性を要求されたが(そうしなければ理解出来ないというわけではない。念のため)、そうするうちにふと、「一冊の本を読むとはこのようなことであったか」という、冒頭の感慨に至ったのだった。
 
 
本書は、歴史学や社会学など広範囲な研究者12人が戦時性暴力を分析検討したものである。政治的・国際的にデリケートな本問題に対して真摯に研究を続けている研究者の皆さんに敬意を表したい。戦時性暴力は線引きが曖昧である。本書は、加害者・被害者双方の視点から比較する有益な試みであり、「政府や軍部による強制性の有無」という非常に狭い視点に囚われがちの「従軍慰安婦」問題にも、新たな視点と今後への示唆を提供している。

本書のバックボーンをなすのは上野千鶴子氏による社会学的な視点である。それは「強姦・売買春・取引・恋愛・結婚・出産」という当事者間の性的関係の連続性と、「敵味方・同盟国・占領地・植民地」という国家間の関係の連続性に着目し、加害者・被害者がどのように語り証言してきたか、を多くの事例をもとに分析するものである。本書の編著者らは何回も研究会を重ねて論考を執筆しているので、各論考の視点には一貫性がある。

本書によれば、戦時性暴力の研究はアジア発で、1991年の元「慰安婦」金学順さんの名乗りがスタートだったという。これをきっかけに日本や韓国などのアジア諸国はもちろん、欧米でも戦時性暴力の本格的な研究が開始された。日本や韓国などにおける研究は膨大な成果を生み出した。一方、欧米でも、ナチ・ドイツ、旧ソ連、ドイツ占領時のフランスなどにおける戦時性暴力の研究が始まり、多くの著作が刊行され始めた。また戦後だけ取り上げても、戦争や内戦時の性暴力は跡を絶たず、普遍的で現在進行中の問題であることが明らかである。

本書では序章で戦時性暴力の視座がまとめられた後、第I部では「慰安婦」の証言聞き取りと兵士側の証言、第II部では従来タブー視されてきた戦時・占領時の性暴力(アメリカ軍の占領時「慰安所」、満洲引揚時のソ連兵による性暴力、ナチ・ドイツ時代の強制収容所内性暴力など)、第III部では歴史学からのアプローチ(歴史学が性暴力を対象とするまで、歴史家による中国での戦時性暴力聞き取りなど)に関する論考がまとめられている。

本書を読み、戦争と性暴力との深い関係について改めて考えさせられた。同時にこの問題は、一見平和な現代社会における、家庭内暴力や社会におけるセクハラ・パワハラとも同根の(連続している)問題であることを痛感させられた。「従軍慰安婦」問題を広い視野から、また現代社会にも通ずる問題として分析している本として本書をお奨めする。
 
 
現在に至るまで、「戦争と性暴力」の「比較史」研究としては、秦郁彦氏が「慰安婦と戦場の性」の中で、一章を割いて簡単に各国の軍隊の「慰安婦」事情なるものを紹介している例があるのみであった。

この「比較研究」の部分は、その内容が他国を刺激するとして、「慰安婦と戦場の性」の政府肝いりの英訳プロジェクトがオジャンになったと言う、みっともないいわくつきのものなのだが、いまでもそれなりに影響力がある。産経新聞が「歴史戦」で展開している、戦争時はどこの国も似たようなことやってるのよと言う例のヤツである。韓国軍のベトナム戦争下の韓国軍「慰安所」例が、週刊文春と山口敬之によるでっち上げであったことが発覚しているが、もともとは、秦氏が論文の中で、ベトナム戦争でのアメリカ軍の「慰安所」の例(これもマユツバ)を紹介したことに端を発している。

なぜ、秦氏の「研究」くらいしか例がなかったのかと言う問題なのだが、戦時性暴力の研究の中で、日本軍の慰安所研究の蓄積が突出しており、他国には「比較」をするだけの研究の蓄積がなかったからである。例えば、ナチス・ドイツは、日本軍の慰安所と類似の施設を作った秦氏に主張されるのだが、それがどれだけの規模で、どのような命令系統によって作られたかと言うことになると、ほとんど明らかになっていない。日本軍の慰安所と同様の施設をナチが作ったことの論拠として、秦氏が使用しているのは、秦氏自身が日本に紹介したフランツ・ザイトラーの著作なのだが、いまだに邦訳すら出ていない。

だから、「戦争と性暴力の比較史」の研究が深められるというならば、何のモンクもない。どんどんやってくだはれと思うだけなのだが、ことはそう単純でもない。版元の岩波の内容紹介を読めば分かるように、大風呂敷の題名と裏腹に、至って地味な論文が並んでいるのである。

編者の一人、上野千鶴子氏は、朴裕河を擁護するために編まれた『対話のために 「帝国の慰安婦」という問いをひらく(2016)』の中で、以下のように書いている。
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歴史家にとっては、この「語りの複数性」という概念が気に入らないらしい。そもそも、「歴史」が「語り」と等値されること自体が、許しがたいもののようだ。なぜなら「真実」はたったひとつであり、それは「立場性」の如何を問わず、万人に認められるべきであり、その真実の真実性を裁定する審判者は、訓練を受けた歴史家であるべきだからだ。歴史家は、歴史の法廷の裁判官であるという特権的な地位を、手放したがらないように見える。

歴史学は大きく転換を迫られた「はずだった」と書くのは、期待に反して、歴史学が変化したようにはいっこうに見えないからである。九〇年代後半に「慰安婦」問題をめぐって構築主義vs.実証史学のあいだで「上野・吉見論争」が起きたことになっているが、そして一部の歴史家のあいだでは、「上野は反省した」ということになっているらしいが、わたしは少しも反省などしていない。それどころか、朴裕河の『帝国の慰安婦』『朴、二〇一四」をめぐる論争において、二〇年近く前の論争があたかもデジャビュのごとく繰り返される事態を見て、歴史家たちは何も学んでいないのか、と暗澹たる思いにとらわれる。

『帝国の慰安婦』が歴史書として読むに値しない、という批判は、主として「実証史学」の水準(事実の認否)で行われている。だが私の目からみれば、『帝国の慰安婦』がもたらした学問的なインパクトは、「実証」の水準にではなく、「語り」と「記憶の水準」にある。そしてそのことを見逃す『帝国の慰安婦』評価は、すべて的外れだといってもよい。『帝国の慰安婦』は、それと言上げしていないが、ポストコロニアリズム-「脱植民地化」と訳される-の課題をつきつけた。

出典:対話のために 「帝国の慰安婦」という問いをひらく
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本書の編者には蘭信三氏と平井和子氏が名を連ねているが、「はじめに」には、上野氏の考えが大きく反映されているのが分かる。似たようなことが書かれているからだ。

周知のように、上野氏は朴裕河氏の「帝国の慰安婦」に対する、傍目には奇妙としか言いようのない肩入れぶりをめぐって、いろいろと非難されている。『非難されている』という言い方が悪ければ、意味のないゴタゴタの発信源になっていると言うべきかもしれない。上記の文章を読んで、彼女が何を言わんとしているのか、説明できる人は本人以外にいないだろう。言語明瞭意味不明と言うやつである。

本書を読んでも、上野氏が自分で説明すりゃ済む話を、他人に説明させる形でゴマカしてしまおうとしてると言う疑念を拭えなかった。もちろん、彼女の「歴史学」への異様な「対抗意識」には、過去に吉見義明氏にワケのワカラン難癖をつけた末に自爆した逆恨みもあるのかと思う。プライドが許さないんでしょうな。

そういう人が編者の一人なのだから、収録されている論文もヒドイかと言うと、それほどでもない。上野氏の自己正当化の臭みに鼻をつまんで我慢すればの話ではあるが、各人、よくも悪くもマイペースで、上野氏の劣化ぶりとは無関係に、手堅くまとめられている。

山下英愛氏は『韓国の「慰安婦」証言聞き取り作業の歴史』で、元「慰安婦」女性の証言の聞き取りを巡る、安秉直と挺対協の間の「論争」について整理している。それなりに興味深いが、具体的な「証言」の中身については、ほとんど触れられない。私は彼女らの証言は実証的歴史学と補完しあうことによって、日本軍「慰安所」制度の例をみない過酷さを証明した極めて貴重なものだと考えている。「被害者女性の証言」については、本書の中でも繰り返して、その意義が強調されるのだが、関連論文はこの一本だけである。クチではどう言っていようと、いかに「被害者女性の証言」と「慰安婦問題」を編者(たぶん一人)が軽視しているかの表れであろう。戦地からの日本人「引き揚げ」女性のレイプの問題は、二本の論文で論じられているが、正直、新味があるわけではなかった。

岡田泰平氏の論文『日本軍「慰安婦」制度-強制性と合法性をめぐる葛藤』は、際立って奇妙な論文である。永井和氏の論文を引き合いに出して、「合法性」とやらを論じているのだが、何と何が「葛藤」しているのかすら分からない。吉見義明氏と永井和氏の論文が「葛藤」しているかのように、読めないこともないのだが、これでは本書がぶち上げる「歴史学への挑戦」など、夢のまた夢だろう。なんで本人がこの論文を書こうと思ったのか、なんで編者が岡田氏に書かせようと考えたのかも疑問であった。

編者の一人でもある平井和子氏の論文『兵士と男性性』は、予想に反してというか、非常に面白かった。日本軍「慰安所」制度に対する極めてオーソドックスな分析であるが、曽根一夫へのインタビューなど内容は非常に示唆に富む。私は本書を読む前に、曽根の本を集中的に読み返していたので、頷けるところが多かった。

姫岡とし子『ナチ・ドイツの性暴力はいかに不可視化されたか-強制収容所内売春施設を中心として』は、「ナチ・ドイツの性暴力」を扱っているのだが、あくまでも「強制収容所内売春施設」のことが中心である。姫岡氏はレギーナ・ミュールホイザー「戦場の性――独ソ戦下のドイツ兵と女性たち 」の訳者でもあり、ドイツの戦時性暴力に関する代表的研究者なのだが、ナチ・ドイツに、日本軍の慰安所と類似した、一般兵士用の施設があったか、どの程度の規模であったのかについては、詳しくは説明されていない。ナチは変態の集まりだから、慰安所くらいあっただろうと言うのは勝手な思い込みで、国防軍、SS、武装SSといった性格の違う組織が、どのように兵士の「性欲処理」、「性病予防」措置をとっていたかと言うのは、当たり前の話だが、調べなきゃ分からないのだ。

そのあたりが曖昧なのはもちろん残念なのだが、ベルリンのソ連兵による強姦についての指摘は興味深い。ソ連兵による強姦被害が、戦後すぐの段階で知れ渡った事情を、姫岡氏はナチスによる反ソ宣伝に求める。(ナチスからすれば)劣等民族の集まりであるソ連軍はそもそもが強姦をなんとも思わないようなやつらなのだから、集団強姦があっても不思議ではない。だから、ベルリンの女性たちは、一方的な性暴力被害者として、証言することができたのだということのようだ。原爆や大規模な空爆と同様の「災厄」として考えられたというわけである。ドイツの場合は、ナチの強制収容所での虐殺に、一般民衆が知らんぷりしていたことが、平行して暴露されているいるので、もちろん、このこととも関連があるのだろう。ソ連兵の日本人集団強姦の例や、南京事件の時の集団強姦の例もあるので、これは遠いドイツだけの話ではない。今まで以上に客観的に語られるべき問題と思う。

佐藤文香氏の『戦争と性暴力-語りの正統性をめぐって』も面白かった。佐藤文香氏は第二次大戦時のアメリカ軍のフランスでの「蛮行」を記述した「兵士とセックス」の監訳者である。題名の「語りの正統性」と言うと、上野先生の意味不明の屁理屈が思い浮かぶのだが、内容は穏当で至ってマトモである。私の現在の関心が「理屈」の部分にはないので、ここでは言及しないが、これなら納得という水準であった。橋下元大阪市長が「兵士とセックス」の日本への紹介に一役買ったという話は本書でも触れられているが、「兵士とセックス」の監訳者解題の方に詳細が書かれている。興味のある方は参照されたい。

なんだか、上野先生と他の執筆者との仲違いを煽っているような気持ちになってきたが、そういうつもりもありません。悪しからず。

点数は論文の平均点と言うところです。
 
 
 

ALSにiPS細胞創薬

2021年05月22日 09時45分14秒 | 医科・歯科・介護

神経難病におけるiPS 細胞創薬に基づいた医師主導治験を完了-筋萎縮性側索硬化症(ALS)治療の世界に新たな扉を開く-
2021/05/20
慶應義塾大学病院
慶應義塾大学医学部
株式会社ケイファーマ
慶應義塾大学病院神経内科診療科部長の中原仁教授および同医学部生理学教室の岡野栄之教授、髙橋愼一特任教授、森本悟特任講師らの研究グループは、筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者にロピニロール塩酸塩を投与する医師主導治験を行い、その安全性と有効性を明らかにしました。

同グループは 2016年に、京都大学の山中伸弥教授が発明した iPS 細胞を用いて、パーキンソン病の薬であるロピニロール塩酸塩がALSの病態に有効であることを見出しました。今回の臨床試験により、その薬の安全性と効果がALS患者でも確認され、iPS 細胞創薬によって、既存薬以上の臨床的疾患進行抑制効果をもたらしうる薬剤の同定に世界で初めて成功しました。

具体的には、ロピニロール塩酸塩を最終的に16mg内服することで、1年間の試験期間で、病気の進行を27.9週間(約7か月)遅らせる可能性があることがわかりました。

今回の研究結果により、有効な治療法に乏しいALSという非常に重い病に、新たな治療の選択肢がもたらされる可能性が示されました。

プレスリリース全文


高須院長の女性秘書も不正に関与か 愛知県知事リコール署名偽造

2021年05月22日 09時17分27秒 | 社会・文化・政治・経済

5/20(木) 12:05配信

愛知県知事リコール署名偽造容疑で事務局長ら4人が逮捕された事件で、運動を主導した高須クリニックの高須克弥院長の女性秘書が署名に指印を押す不正に関与した疑いのあることが新たにわかりました。

 事務局長の田中孝博容疑者(59)ら4人は、去年10月、大村秀章知事のリコール運動で広告関連会社に依頼し、アルバイトを動員して署名を偽造した疑いで20日朝、送検されました。

 署名偽造をめぐっては、リコール運動の複数の参加者が不正に指印をしたことがわかっていて、関係者によると高須院長の女性秘書も田中容疑者の指示を受けて指印を押す不正に関わっていたとみられているということです。

 高須院長は「(秘書は)大勢が(指印を)やっていたから手伝ってくれと言われて手伝った」と話しています。

 田中容疑者は逮捕前、「署名集めを依頼しただけ」と偽造への関与は否定していて、警察は20日午前、依頼先の広告関連会社(名古屋市昭和区)を家宅捜索するなどして偽造に至った経緯を調べています。

 

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