現段階で見えてきたこと
新型コロナウイルスの変異株が、英国や南アフリカなどから世界各地に広がっている。公開されたデータから判断すると、このウイルスは想像以上に「動く」標的なのかもしれない。
変異はなぜ起きるのか、変異にブレーキをかけるためにできることはあるのか──。答えを導き出す上で、ウイルスに感染した免疫不全患者が鍵を握る可能性が浮上している。
パンデミック(世界的大流行)を引き起こすウイルスが1年前に出現したとき、科学者が繰り返すある言葉が人々に安心感を与えていた。ウイルスはそれほど速く変異していない、病原体は安定しているようだ──という説明である。
ところが新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は、わたしたちが考えていた以上に「動く」標的なのかもしれない。オンラインで公開されている論文(正式に科学誌に発表される前の段階)に記載されている英国からのシーケンシングデータによると、短い期間に17個もの新しい変異を蓄積した変異ウイルスが広範に出現していることが示唆されている。
これらの変異がウイルスの感染力を高める方向に働くのかどうか、いまウイルス学者たちは確認作業に追われている。一連のニュースを受け、40カ国がすでに英国からの入国制限を設けるまでになった。
免疫不全の患者との関連性
この憂慮すべき変異株が登場したのは、パンデミックが重要な転換期を迎えたタイミングでもある。公衆衛生当局は、いままさに米国で使用許可が下りた最初の新型コロナウイルスワクチンの接種順位を決めようとしているところなのだ。
新型コロナウイルスに突然これほど多くの変異が生じた(しかも、これらの変異は疫学的影響を及ぼす可能性がある)という報告によって、重要でありながら、これまで正しく評価されていなかった検討事項が優先順位の議論に加わることになる。
このウイルスは、ほかの一般的な感染者よりも免疫不全患者の体内で変異を起こす可能性が高いようだ。このため、新しいより危険な新型コロナウイルス変異株の出現を防ぐには、(新型コロナウイルスに罹患した際の死亡率も高い)免疫不全患者の接種順位を上げることを検討する必要がある。
英国の変異株で一連の変異がどのように起きたのかについて、科学者は依然として頭を悩ませている。人から人への感染が広がるなか、段階的に変化が蓄積されていたことで、ウイルス追跡の際にたまたま見逃されてしまったのかもしれない。
しかし、一連の新たな変異が突然発見されたことから、科学者はこれらの変化のすべてまたは大部分が、ひとりの患者の体内で起きたのではないかと懸念している。
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患者の体内で活動性の感染が長引くと、ウイルスと免疫系の間で激しいせめぎ合いが生じる可能性がある。そうするうちに、抗体などの一連の防御反応を回避できるような変異をウイルスが蓄積していくのかもしれない。ひとりの患者の体内で感染が長引くほど、こうした変異株が生まれる機会が増加するのである。
医師はパンデミックの初期から、免疫不全患者は特にこのように症状が長期化しやすいのではないかと考えていた。
新型コロナウイルス感染症の患者は感染したときから約10日後には、ほかの人に感染する能力がなくなると考えられている。しかし、これには多くの例外的症例が観察されており、免疫機能が低下した人が関連している傾向がある。
ワシントン州の老人ホームで2020年2月に新型コロナウイルスに感染した71歳の女性は、抗体産生が抑制されるタイプのがんを患っていたが、少なくとも105日間はコロナウイルスを体内に保持し、少なくとも70日間は感染力を保っていた。
患者の体内で「加速」していた変異
新型コロナウイルスは、そのような状況で急速に変異する可能性があるのだろうか?
確かに通常の短い感染では、ウイルスはかなり安定している。オンラインで公開された研究(正式な査読や学術誌での発表の前段階の論文)によると、感染者を1,000人以上の一般的なサンプリングで検査した結果、ウイルスの突然変異はほとんど確認されていない。
一方、免疫不全患者を綿密に追跡した研究の結果は、それほど安心できるものではない。ミシガン州の研究者は、抗体を産生する機能を担う免疫系B細胞を抑制する薬で治療中の60歳のがん患者を追跡した。4
カ月の追跡期間中、ワクチンの主な標的である新型コロナウイルスのスパイクたんぱく質には変化がなかった。しかし、スパイクたんぱく質と関係ないウイルスのほかの場所では、いくつかの変異が観察されたのである。
ワシントン州の老人ホームの免疫不全の女性に関する研究では、「優生ウイルス変異体の継続的な代謝回転を伴う宿主内での著しいゲノム進化が観察された」という。つまり、ウイルスはこの女性に感染する過程において、スパイクたんぱく質に対する変化を含め、間違いなく変異株をつくり出し、進化していたのだ。
12月初めに『The New England Journal of Medicine』に発表された別のグループの論文では、自己免疫疾患で免疫抑制剤の投与を受けていた45歳の男性に感染したウイルスの変化が詳述されている。この症例では、患者の体内でウイルスの進化が「加速」され、しかも突然変異の多くがスパイクたんぱく質で生じたことが確認されている。
免疫不全患者のほとんどは、大きな合併症なく新型コロナウイルス感染症から回復する。だが、「この症例は、免疫不全患者では感染症状が長引き、ウイルスの進化が加速される可能性があることを浮き彫りにする」と論文では記載されている。
同様の現象は、免疫系が抑制されているほかの患者の症例でも確認されている。HIV(ヒト免疫不全ウイルス)は免疫機能を攻撃し、驚くほど高い比率で進化する。このため、ウイルスに結合して中和する抗体を人間が体内で産生し続けることが、より困難になる。
HIV患者の場合は同様のメカニズムによって、ほかのウイルスも体内に長く潜伏し、変異することができる。例えば単純ヘルペスウイルスは、HIV患者に感染すると普通とは異なる薬物耐性を獲得することができる。
免疫不全患者へのワクチン接種が鍵?
とはいえ、新型コロナウイルスに感染した場合、どのような免疫不全患者で最も症状が長期化する傾向があるのか。この点を、よりきちんと理解する必要がある。
「免疫不全」の範疇は広範囲にわたり、さまざまな状態が含まれる。このため、それらすべてが同様に症状の長期化リスクを抱えているわけではない。
「免疫不全患者」の定義には、病原体と戦う能力を低下させるまれな先天性疾患を抱える人だけでなく、移植や自己免疫疾患の緩和のために免疫抑制剤を服用している人なども含まれる可能性があると、コーネル大学のウイルス学者ブライアン・ワシクは言う。
免疫不全患者と新型コロナウイルス感染症の症状の長期化、そして症状の長期化とウイルスの進化との間の関連性を示す証拠は、ワクチン接種順位を巡る議論において検討を促すだけの十分な説得力がある。
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米疾病管理予防センター(CDC)の委員会は12月20日(米国時間)、免疫不全患者には3番目の「フェーズ1c」の順位でのワクチン接種を推奨すると発表した。つまり、がん患者や動脈性心疾患患者、肥満患者などと同時に接種を受けることになる。
この決定は、免疫不全患者が抱える独自のリスクに対処することを目的としたものだった。しかし、これらの患者にワクチンを接種することにより、パンデミックをさらに悪化させる変異株の台頭を防げるかもしれないという点は検討されていない。このため、直接関連する症例の報告は少ないものの、公衆衛生当局は免疫不全患者をもうひとつ早い「1b」グループにするほうが賢明かどうか、ウイルス学者と相談すべきだろう。
ウイルスの変化を監視することの重要性
そして少なくとも、新型コロナウイルスの潜在的な変化をもっとしっかり監視する必要がある。米国政府はウイルスシーケンシングの取り組みを組織化することに、より注力すべきだろう。
米国のCDCには、パンデミック中のシーケンスデータを取得する試みである「Spheres」と呼ばれるプログラムがあるが、十分に機能していない。英国は新型コロナウイルス感染症の症例の推定10%のエネルギーを配列決定しているが、対する米国は0.3%にすぎない。
「これではちょっと少なすぎます」と、ミシガン大学医学部のアダム・ローリングは指摘する。そして、自分のチームは米国の配列変化データの約2%をアップロードしたという。
「米国の大部分の場所では、こうした作業に多くの時間や労力を割いている人がいません。ウイルスの進化をもっとしっかり監視することによって、どこで(どのような患者の体内で)ウイルスにこれらの変化が蓄積する可能性が高いのか、明らかになるかもしれません」
新型コロナウイルスの変異を監視するにあたり、それらの変異の疫学的および臨床学的重要性を理解するには、さらなる研究が必要であると認めざるをえない。
一方、ウイルスは依然として猛威をふるっており、人から人へと感染しながら変異する機会はさらに増えている。免疫不全患者で感染の症状が長期化する傾向と、それに伴ってウイルスが進化する可能性については注目しておく必要があるだろう。
欧米で始まったワクチン接種と「変異種」の出現:新型コロナウイルスと世界のいま(2020年12月)
特集・新型コロナウイルスと「世界」の闘い
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