帚木 蓬生 (著)
信じる心が噓と虚像に翻弄され起きてしまった平成最悪の事件の全貌。医師であり小説家である著者にしか描きえない書き下ろし巨編。
未曾有のテロ発生直後も、医療従事者たちは闘った――。医師でもある著者、入魂のレクイエム。
信じる心が、嘘と虚像に翻弄され起こった平成最悪の事件(テロ)。判断を誤ればさらに人が死ぬ――。
あの日、未知の毒物と闘ったのは医療従事者たちだった。医師であり作家である著者が、膨大な資料と知識を土台に、想像力と熱意を注ぎ込み、「オウム」の全貌を描いた書き下ろし巨編。小説にしか到達できない深い鎮魂が、あなたを包み込む。
沙林(サリン)偽りの王国」
<解脱>という思考停止と、その中で起こったさまざまの事件の過程について、克明に描かれいる。
この世はら離れたところに安寧の世界を見いだすという<解脱>など、ありえない。
本作で描いた教団の姿も、自分以外は悪という、両極端な二分の世界だった。
この作品を書いて、改めて思った。
重要なのは、土着の日常生活から得られる、「生活者としての常識感覚」なのだと。
現実の日常は、割り切れないことばかりだ。
明日は雨が降ってくれと思っても、なかなか降らない。
思い通りにいかない。
それが世の中だという感覚が大事なのだ。
それが見に付いている人は、あまりに端的でハッキリしたものを、どこか「うさん臭い」感じるのではないだろうか。
そうした常識感覚があれば、安易な<解脱>などに飛び付くこともないと思う。
そういう意味で、「うさん臭さ」を捉える感覚は奥深い感覚だ。
しかし、初めから終わりまで全部おかしかったはずなのに、多くの若い人が極端な思想に飛び付いたわけだ。
きちんとした現実に向き合うためには、さりげなく続ける毎日の実生活に、全力を注ぐことが大事なのかもしれない。
著者のデビュー時の3作品(「白い夏の墓標」、「十二年目の映像」、「カシスの舞い」)は、それぞれが鮮烈なサスペンス小説でした。その後、或る目的があって読んだ「やめられない―ギャンブル地獄からの生還」以来になりますが、「沙林 偽りの王国」(帚木蓬生 新潮社)を読み終えました。
主人公は、九州大学医学部、衛生学の教授・沢井。彼が、1994年6月に発生した松本サリン事件についてマスコミからコメントを求められたことをきっかけに、否が応にも一連の事件に巻き込まれていきます。その事件とは、勿論、坂本弁護士一家拉致・殺害事件、地下鉄サリン事件、他を引き起こした「オウム真理教」の一連の犯罪であり、私のような<平成>の時代を生き抜いた人間たちにとっては、ディティールはともかく、多くは連日の報道によって知り抜いたと思い込んでいた事件にあたります。著者はその「犯罪」について、ほぼ時系列に沿って、架空の存在である医師の視点から世界を俯瞰し、用いられた多くの「化学兵器」、その歴史、臨床についてのインテリジェンスを駆使して大事件を再構築しています。また、米国の<911>を語るのと等しいほどのインパクトある「犯罪」について、医師としての透徹した視点から、今までにないパースぺクティブを与えることにも成功していると言っていいでしょう。歴史的な事件である以上、そして現実には今尚この事件の後遺症によって苦しむ多くの人々がいることは知った上で相応しい表現とは言えないのかもしれませんが、一つの<フィクション>としてその筆致はスリリングであり、完成された小説は優れたページ・ターナーだったと言っていいと思います。そのことは、第十五章・「教祖出廷」から始まり第十八章・「証人召還」までの法廷場面において、沢井対オウムの弁護人たちによる丁々発止のやり取りによってそのピークに達します。
犯罪を糊塗せんがためにより大きな犯罪を繰り返す「オウム真理教」の教祖は、巨大なエゴを持ちながら、0/100で思考することを得意とする"悪しきもの"たちを駆り集め、あたかも<合体ロボ>のような超巨大なエゴによる王国を作り上げ、まるで依存性者がその進行性の病に気づかないまま置き去りにされるように崩壊していきます。何故なら、彼らは心の中に機動隊の持つ鳥籠に入れられたカナリアを持つことができなかったから。
そして、1995/3/20について、村上春樹が多くの関係者、犠牲者をインタビューすることで再構築した「アンダーグラウンド」が持つ哀しみが、今回は、精神科の医師・帚木蓬生によってカメラ・アングルを変え、化学兵器に於ける毒性と治療という観点から事件が再検証されていくことで、その哀しみの深さが倍加しています。このコロナ禍の中、パオロ・ジョルダーノが「僕は忘れたくない」と言って与えてくれた提言のように、私たちもまた平成の時代のこの国に於いて、正に「偽りの王国」が造られようとしたことを忘れないように心に刻みたいと思います。
何故、その哀しみの深さがより深く私の心に浸透していくのでしょう?それは、繰り返される薬学についての名前、言葉が無機的である分、その哀しみを拒否しているように思えることにあるのでしょう。逆説の中にあるよきシンパシーを深く受け止めたいと思います。よって、これは犯罪としては一旦の解決をみた事件だとしても、「原罪」は今尚ここに存在しており、苦しみを抱える多くの犠牲者、その家族は深い哀しみを抱えたまま残されています。そして、この物語はただそのことについての"レクイエム"としてここにあります。
「やめられない・・・」によって多くの気づきを得た私は、再度作者からの新しいメッセージを受け取ったような気がしています。
一人の神経内科医の眼を通してオウム真理教による前代未聞な犯罪を、今この時代に、改めて展望するドキュメントである。地下鉄サリンを知らない人にも伝えたいという作家の想いが伝わる力作。
敢えて帚木蓬生が、自分の医師として作家としての所見を、モデルとなる医師の研究(巻末の参考文献リストが圧巻!)に重ね合わせ、現代史に黒い爪痕を残したオウム真理教の様々な事件を纏めたものである。
全体に記録としての執筆の意図か感じられるため、小説というエンターテインメント性からは遠のいたイメージで、かつ医学者・科学者としての分析が加えられたページは普通の小説読者としては腰が引ける。難解な記述は飛ばし読みしても構わないと思う。他に、当時の新聞報道や、裁判記録などにも触れる部分など、今、改めて全貌を多角的に振り返る興味が読者を駆り立てることで、意外に本作はスピーディに読み進んでしまう。
およそ四半世紀前、日本ばかりか世界をも騒然とさせた地下鉄サリン事件。まるで全容の見えなかった松本サリンと併せて、あの事件は、当時を知る者の個人史にすら影を落とすようなショッキングな出来事であったと思う。未解決の国松警察庁長官狙撃事件を含め、ほとんどの教団関係者の死刑を急いでしまったことで、事件の一部が意図的に闇に葬られた疑いも強く残る。政治や日本の構図に現在も眠る闇、という地点にまで繋がる何ものかにすら、今、この時、このコロナ禍の時代にも、疑心を懐かざるを得なくなる。
実は松本&地下鉄サリン事件対策に、ぼくは実は仕事で関わったことがある。本書は改めて当時の世情や危機管理状況を振り返る良い機会となったため、夢中になって読んだ次第。
地下鉄サリン事件を扱った本としては、村上春樹の『アンダーグラウンド』と『アフター・ダーク』が忘れ難い。二冊とも、事件に巻き込まれた多数の人たちのインタビューで構成された本だったが、今回の帚木蓬生作品は、あくまで医学者としての眼で全体を俯瞰し、総体的・歴史的にオウム真理教がやったことの全体像を見直す形で、本書を綴っている。この事件は、関わった人の数や時間だけでも相当なボリュームを持つゆえに、両作家にとってのどの作品も相当の集中力と準備時間を窺わせる苦心の作となっているように思う。
村上春樹が人間のもたらした闇を、帚木蓬生は化学テロという歴史の汚点の解明者として、またどちらも最後には人間の命、という一点に焦点を絞っているからこそ、犠牲者たちの上に連ねられた文章の重みがあまりに痛々しく、そして凄まじい。この事件を知らない世代にも、語り継がれるべき「時代の記録」として、本書もまた重要な意味合いを、今後長年月に渡り、持してゆくことになるだろう。
この分野についてのドキュメンタリー映画を一本作ったのでこの分野の本には大体目を通した、裁判の傍聴もしたが、鳥瞰する力、ディテールへの踏み込み、科学的知識には舌を巻いた。非常に正確にフラットな視点で書かれている。そしてこの著者の脳みそ、特にRAMの機能はどうなっているのだろうと思った。洪水のような情報を捌く圧倒的な情報処理能力、それをわかりやすく伝える能力に圧倒的な力量が必要だがそれには常人離れした能力がいると思ったからだが、この著者はそれを成し遂げているからだ。オウム真理教を知りたい人はまずこの本から読むべきだと思う。ドキュメンタリーの制作前に読みたかった。