松江城 国宝に昇格した天守の魅力と松江のシンボル

2019年04月30日 11時12分03秒 | 社会・文化・政治・経済

年間100万人が訪れるようになった松江市のシンボルです。

国宝・松江城

松江城(まつえじょう)は別名を千鳥城とも言う、宍道湖からすぐ近くの輪郭連郭複合式平山城です。

日本さくら名所100選、都市景観100選の他、日本100名城、日本の歴史公園100選、国の史跡、そして標高29メートルの亀田山に建つ松江城の現存天守は国宝です。

松江城がある場所は、もともと末次城でしたが、そんな松江城の歴史と関わりある戦国武将をご紹介しつつ、松江城の楽しみ方も入れてみたいと存じます。

豊臣秀吉の死後、徳川家康に接近した堀尾吉晴の子である浜松城主・堀尾忠氏が、関ケ原の戦いの論功行賞で、出雲・富田24万石に加増移封となったのが、松江城の始まりになります。

ケ原の前哨戦での戦功を評価された堀尾忠氏は、月山富田城24万石と大幅な加増となります。
そして月山富田城に入りますが、城下町を拡大させるのが難しい地勢であったことから、徳川幕府の許可を得て、1607年(慶長12年)から末次城跡に築城開始しました。

松江城

縄張り(設計)は、太閤記の作者としても知られる小瀬甫庵(おぜ-ほあん)と言う儒学者・軍学者や、土木職人の稲葉覚之丞らであるとの事です。
ただし、堀尾吉晴も加藤清正とともに築城の名手とされていますので、当然、意見は反映されているかと存じますが、堀尾吉晴は荒隈山に築城した方が良いと言い、24万石では荒隈山は広すぎて維持でないと言う、子の堀尾忠氏とは意見が合わなかったようです。

なお、堀尾忠氏は、1604年7月下旬に、大庭大宮(神魂神社)を参拝した際に、神主の静止を聞かず、禁足地である小成池を見学したそうです。
一人で行って戻ってきた堀尾忠氏の顔色は青ざめていたと言い、月山富田城に戻ると病床につき、1604年8月4日に父よりも早く亡くなりました。享年27。
一説にはマムシに噛まれたのではないか?とも言いますが、松江城の完成は、幼くして藩主となった堀尾忠晴のときとなります。

石垣は、松江市の東にある嵩山(だけさん)から切り出した「大海崎石」(おおみざきいし)で、ごぼう積み・野面積になっています。

隠居していた堀尾吉晴か亡くなったあとの1611年冬に、松江城が完成し、松江藩の本拠となりました。

しかし、2代藩主・堀尾忠晴が1633年に死去すると、男子がいなかったため、堀尾家は断絶します。

松江城

そのため、1634年に、若狭・小浜藩から京極忠高が、26万石で入封し、三の丸が追加されています。
その京極忠高も男子に恵まれず、1637年に断絶し、1638年からは、信濃・松本藩から松平直政が18万6千石で入り幕末まで続きました。




最終的に大切なのは教養と人間的魅力だ

2019年04月30日 10時28分54秒 | 社会・文化・政治・経済

たった一つの優れた文学を読むことで、志を持ったり、生きる支えを得たりすることがある。
私は高校1年の時、若くして亡くなった妹を悼む宮沢賢治の「永訣の朝」を読んで、「自分も何が何でも真っすぐに生きていこう」と心に誓った。
異次元のインパクトを読む者に与える文学の可能性を、今回の改定(文部科学省の新学習指導要領2020年度から適用)は損ねかねない。
「改定」の背景には経済界の要望がある。
グローバリズムの先兵、世界水準に当てはまる人材、大学を出てすぐに役立つ人材がほしいのだ。
プレゼンテーション能力をしきりと言いつのる財界人だ。
財界に甘い政府はそうした人材育成の要望に教育で応えようとしている。
だが、教育は人間をつくるためであり、経済のためにあるのではないのだ。
国際社会で話し方のうまいよりも、何を話すかが圧倒的に大切だ。
内容のないことを流ちょうな英語でプレゼンしたらバカにされるだけだ。
海外で活躍していた外交官や商社マンは「最終的に大切なのは教養と人間的魅力だ」と言う。
いずれも文学をはじめとする読書こそ身につく。
私のような数学者でも、若いころに読んだ日本や海外の文学作品が外国人と密接な関係を築く上で大いに役立った。
高校で論理的、実用的な文章を学ぶのはいいが、それまでの国語教育がしっかりできることが前提になる。
現状は、高校生、大学生の半数は1日の読書時間が「ゼロ分」なのだ。
読書習慣をつける上で最も大切なのは小学校の国語だ。
小中に読書の習慣が身につけば、放っておいても名著を読む。

藤原正彦 お茶の水女子大学名誉教授


言葉と言葉を的確につなぐ力

2019年04月30日 10時01分06秒 | 社会・文化・政治・経済

詩歌や小説、エッセー、評論などの文学作品の重要性は疑うべきもない。
しかし、それはいわば「ステージ衣装」を身にまとって高度な芸の世界である。
それに対して、日常生活や仕事でのコミュニケーションから学術論文に至るまで、「普段着」の言語能力が求められる場面はいくらでもある。
凝った言い回しではなく、率直で正確な、聞き手・読み手にすっと伝わる言葉遣い―。
ツイッターなどに見られるように、短い言葉が脈絡から切り離されて流通することが増えている。
言葉が断片化している。
これが、きちんとした議論なしに印象だけで共感したり非難したりするという危険な現象を引き起こしている。
ここでも、求められているのは、論理的な国語力、すなわち、言葉と言葉を的確につなぐ力である。

野矢茂樹 立正大学文学部哲学科教授


「逃げ場所に図書館を思い出してね。」

2019年04月30日 06時23分40秒 | 社会・文化・政治・経済

コンゴ民主共和国の性暴力

「休まない美学」を一蹴 高校生の私を救った鎌倉市図書館の名言が忘れられない
4/30(火) 文春オンライン
 文春オンラインでは、「 あなたが書きたい『平成の名言』と『平成の事件』は? 」と題して、広く原稿を募集しました。
今回は、その中から佳作に入選した作品を掲載します。

◆ ◆ ◆

「逃げ場所に図書館を思い出してね。」
 平成27年8月26日。鎌倉市図書館の公式ツイッターが投稿した名言が忘れられない。

「もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね。」(原文ママ)

もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね。

― 鎌倉市図書館 (@kamakura_tosyok) 2015年8月26日

 この投稿の8日前、内閣府が平成27年度版「 自殺対策白書 」にて、夏休み明けの9月1日、子どもの自殺が急増するというデータを発表した。それまで年別に調査していたものを日別に統計したことで明らかとなった。

「休まない美学」を一蹴 高校生の私を救った鎌倉市図書館の名言が忘れられない
©iStock.com
「学校が子どもたちの一つの社会である」が子どもたちを苦しめる
 日本全体における自殺者数はピーク時の平成15年から年々減少傾向にあるものの、小中高生の自殺者数は例年300人前後と横ばいだ。
平成18年に自殺対策基本法が制定されてから、文部科学省は「児童生徒の自殺予防に関する調査研究協力者会議」を定期的に開催し、子どもの自殺に危機感を抱いている。

ではなぜ子どもたちは、死を選んでしまうのか。

 まず小中学生の自殺の原因として最も多いのは「学業不振」である。次いで「家族の𠮟責」「親子関係不和」「友人との不和」などと続いていくため、必ずしも学校だけが要因ではなく、家庭にもその一因があるといえる(警察庁『 平成22年度中における自殺の概要資料 』より)。

 しかし、高校生では「進路の悩み」が最も多く、「学業不振」「うつ病」と続き、「親子関係の不和」と「友人との不和」がほぼ同等の件数で多くなっている(前同)。
年齢が上がり、学校生活を長く送っていくにつれて「学校が子どもたちの一つの社会である」という観念は大きくなり、いつしか拘束力、支配力となって子どもたちを苦しめる。

「休まない美学」を否定し、新しい居場所を与えた一声

 そんな中、学校と同様に公共の教育機関である図書館が「学校を休んで」と呼びかけたことは青天の霹靂であっただろう。

これまで学校、とりわけ義務教育に関しては皆勤賞を表彰したり、進学時に必要な調査書の加点項目としたりする風潮が根強かった。だからこのツイートは長年日本の教育が称賛してきた「休まない美学」を否定する、極めて革新的な一声なのだ。

 家庭、学校に代わる新しい居場所を与えること。

そしてそこへ「逃げる」ことを肯定すること。子どもの自殺を防ぐ一つの方法として極めて新しい視点が、教育機関から飛び出したのである。

 インターネット掲示板やSNSでは不特定多数の見知らぬ人々と知り合うなど、子どもたちが心の隙間につけ込む人間たちによって、事件に巻き込まれるリスクも高い。

また、新たないじめの温床となるケースも増えてきている。

一方、図書館は先述の通り公共の場所だ。必ず職員ら大人がいて、子どもたちを見守る空間としての性格が強い。

静かに本を読んだり、ぼーっとしたり、気が向いたら図書館の職員と話したり、安全で自由なひとときを過ごすにはうってつけだ。

 また、ツイートの文中に「マンガもライトノベルもあるよ」とある通り、近年ティーンエイジャー向けの書籍を集めた「YA(ヤングアダルト)コーナー」と呼ばれる棚を設置している図書館も多い。

堅い勉強の本や難しい小説だけではない。ファッション誌や男性アイドル誌を毎月揃えてあることだってある。

そのため子どもたちにとって非常に敷居の低い場所へと進化しているのだ。

高校生の私を救ったのは、宮崎駿の物語の世界だった

 私自身、高校3年生のときにいじめに遭い、不登校だった経験がある。

「学校に行かないのはおかしいことだ」と言う両親、そして自らが抱いていた偏見と、生き地獄のような学校との間で板挟みになり、自殺を考えたこともあった。

特に一番つらかったのは春休み前の卒業式。私は欠席し、郵送で卒業証明書という白黒でA41枚の紙きれを受け取った。

その紙きれを見ていると「学校に行けなかった」という惨めさが可視化させられたような気持ちになり、強烈な敗北感を覚えた。

 しかし、そんなとき支えとなったのは一人の友人と読んだ物語の世界だった。

私は友人の家で、まるで幼い頃に戻ったかのように絵本を読み聞かせし合ったり、好きな物語について語り合ったりした。そのなかで、今でも友人がくれた本で印象的なのは宮崎駿さんの『シュナの旅』だ。

当時の私が置かれた状況にリンクする部分がありながらも、主人公の自ら広い世界へ冒険に出て、決して塞ぎ込まず、愛情に触れて絶望から抜け出す姿を見て勇気をもらった。

「社会」はしょせん教室という一つの箱の中だけだった

 自分の知らない世界や誰かが思い描いた夢の世界は広く、私のいた「社会」とはなんだったのだろうとすら思えた。宮崎駿さんの描く自然や動物を通して、人間以外の世界に目を向け「世界は広い」と実感できたのだ。

高校生の私がこれまで見てきた「社会」はしょせん教室という一つの箱の中だけだった。

この世はもっと広く、多様なものである。物語を通じて、ゆっくり時間をかけて自分の不登校経験を肯定することができた。

 その本のカバー裏に「今度は君の声で読んで聞かせておくれ」と友人が書き残していたことに気づいたのは、大学生になってからだった。(その友人とは高校卒業以来一度も連絡を取っていない。連絡先も知らないのだ。)

学校に行かないという選択が肯定される時代へ

「不登校を助長している」として鎌倉市教育委員会がこのツイートの削除を検討したと明らかになったのは、投稿のわずか1日後だった。しかし市図書館側はこれを拒否。

「一人でも多くの子どもの命を守りたいという真意からの投稿だった」と説明したことや、ツイッター上に好意的な反響が多数寄せられたことなどから、平成という時代がもう少しで終焉を迎える平成31年4月26日現在も、この投稿は削除されずにいる。

 学校に行かないという選択は自分の命を守るため、子どもたちが皆持っている究極の生命維持装置だ。

それを大人たちが否定し、敷かれたレールの上を強制的に走らせることは間接的な殺人とすら思える。鎌倉市図書館が発したこのツイートは積年の「休まない美学」を一蹴し、平成という時代を苦しむ子どもたちが「学校に行きたくない」と発言できる時代、そしてそれを大人たちが肯定できる時代へと変えるため、一石を投じた名言だと言える。

柏木 臨


折れない心を育む ~「レジリエンス」の視点から~

2019年04月30日 06時11分54秒 | 投稿欄

京都大学大学院教授 藤井聡さん

思春期学 Vol.36 No.1(投稿中)

心のレジリエンス・強靱性は、成人への過渡期である思春期において涵養されるべき最も重要な資質といって過言ではない。

なぜなら、成人になるということは、家庭や社会の庇護が無い中で、つまり様々な危機に直面し続ける環境の中で生きていくことを意味するからである。

したがって成人になるためには、そうした危機に対する対処能力が十分に高いものであることが求められる。

その対処能力こそ、レジリエンスある「折れない心」なのである。
一般に、「レジリエンス」とは、「対ショック性」(致命傷回避および被害最小化)と「迅速回復性」の二要素で構成される(藤井、2013)。本稿では、発達段階においてこの二要素を如何にして涵養できるのかを、それぞれについて考えてみることとしよう。

「死」に対する想像力が、折れない心をつくる

第一に、対ショック性を確保するためには、生きていけば、様々な危機があり得るのだという当たり前の真実を肌で理解しておく必要がある。

全く想定していない危機が生じた際には、一定想定していた危機が生じたときに比して格段に大きな「ショック」を受けることになるからだ。
言うまでも無く、様々な危機がありうる事をあらかじめ認識しておくために必要な力は「想像力」である。
例えば、「この幸福は、実に容易く脆くも崩れ去るものなのだ」という理解があれば、そうならないための努力を最大限に図らんとする意志が生まれる。同時にそうなったとしても、「想定外」だとして狼狽えることが無くなる。

さらには、この幸福の状況に対して「有り難い」(difficult to exist)と自然に認識することが可能となり、「感謝」する力を身につけることができる。
そして、そうした様々な「想像力」における最も重大なものが、「死」に対する想像力である。

死」こそ、我々の生にとっての最大の危機だからである。
したがって、ハイデガー(1960)が「存在と時間」の中で論じたように、自分自身は死すべき存在なのだということを、あるいは、こういう死に方もあれば、ああいう死に方もある、ということを十分に想像(あるいは先駆的に覚悟)できている人物は、大きな「対ショック性」を身につけることが可能となるのである(c.f. 藤井、2012)。
逆に言うなら、現代の思春期の青少年達の精神が「折れやすく」なっているのは、現代社会において、彼らが触れる空間から「死」というものが徹底的に排除され続けてきたことの必然的帰結なのである。

かつての「たくましい子供たち」は、身近な空間に墓や仏壇から物語や映画に至るまで、様々な形の「死」の影を胚胎した生活空間で育てられた。

だからこそ、「折れない心をつくる」ためには、大人達が「死」を忌避せず、当たり前のことなのだと受け止め、当たり前の様に身近に「死」がある生活空間を、子供達のために作り上げることが必要なのである。
さらにこの点を詳しく考えてみよう。
そもそも私達の「伝統」の中には、当たり前の様に「死」が埋め込まれていた。
盆や正月のお墓参りはもちろんのこと、多くの家の中に当たり前の様に「仏壇」があり「死者」である先祖達が祭られ、日々死者達と共に家の中で日常を過ごすことが当たり前のこととなっていた。

「山」や「海」は危険な恐ろしいものとして子供達に立ちはだかり、関わり方を誤れば容易く命を奪い去ってしまうということを陰に陽に理解しながら子供達は山や海で戯れていた。

物語の世界の中においてすら、かつては単なるゲームのキャラに過ぎない生き物在らざる「ポケモン」や幾度命を失っても「神竜」に頼めば何度でも何度でも生き返らせてくれる設定の「ドラゴンボール」の様な物語は一切無く、あらゆる人間や動物は一度失えば二度と取り戻すことことが出来ない一つ限りの「命」を持つものとして描かれていた。

そしてなにより、あらゆる物語で様々な「死」が描かれ、子供達はそんな物語に当たり前のように親しんでいた。
ところが現代は、「死」を隠蔽することが正しきものであるかのような風潮に支配され、過程でも学家でも地域でも、そしてさらには物語の世界からも「死」が隠蔽され、排除され続けている状況にある。

結果、子供達から「死」に触れるあらゆる機会が失われ、「死」そのものが持っている恐ろしさを感ずることすら無くなったのが現代だ。
そうなれば子供達は、ある日唐突に訪れるリアルな「死」、さらには、「死」に繋がるあらゆる「危機」に対するレジリエンス=強靭性の一切を失い、意図も容易く「折れて」しまうこととなるのも当然の帰結だったのである。
そして誠に遺憾ながら、「死を遠ざけたが故」に意図も容易く心が折れ、「意図も容易く自ら死を選ぶ」ことすら厭わない程に精神が、脆弱化してしまったのである―――無論、彼らが脆弱化したが故に容易く選択してしまう「死」には、自らの生物学的生命の「死」のみならず、みずからの精神的生命における「死」や、そして、友人や隣人達との関係性の「死」、共同体の「死」も含まれる。

かくして、我々の社会は「死」をあらゆる側面に於いて遠ざけたが故に、皮肉にも、子供達はありとあらゆる側面における「死」を意図も容易く選択するようになったのである。

そして交友関係も家族も共同体も希薄化し、挙げ句に、いじめや自殺等、現代社会の病理的現象が噴出するようになったわけである。
こうした状況に対する「処方箋」を実践的具体的に(例えば上記のハイデガーの実存哲学に基づいて)構想するにあたってまず第一に求められているのは、伝統的な社会が当たり前の様に保持し続けていたあらゆる側面に「死」が陰に陽に潜む社会状況を、今一度、復権させることの他に無いのではないかと,筆者は思う。

絶望的な状況下で「希望」を語る姿勢が、折れない心をつくる

折れない心、レジリエンスある精神を涵養する上で必要不可欠な、精神における「迅速回復性」は、「希望」の喪失、つまり「絶望」によって失われる。
例えばキルケゴール(1849)が指摘したように、「絶望」は精神の躍動を停止させ、その精神を死に至らしめる。だからこそ、一定のショックを被った精神の回復には「希望」が必要不可欠なのである。

そこに「希望」があれば、その精神の躍動は継続され、精神の傷は癒えていく。
もちろん「希望」を確保するためには、各人の「望み」の実現可能性が重要な要素である。

しかしそれ以上に深刻な問題は、何が望ましいものなのかという「価値観」が失われ、それを通して「望み」それ自身が喪失してしまうという事態だ。
価値多様化ともいわれる現代社会は、その実、価値そのものが失われたニヒリズム(虚無主義)が濃厚に存在する時代だ。

そんなニヒリズムの時代では、目先の損得や刺激や快楽、さらには気分にその身を任せる傾向が極大化していく。

価値観が無ければ、価値観以外の損得や刺激、気分以外に行動の指針が全て喪失してしまうからだ。
だからニヒリズムは必ず享楽主義や日和見主義を導き、「こうありたい」「こうすべきだ」というあらゆる「意志」というものそれ自身を人々の精神から奪い取っていく。そして言うまでも無く、意志が不在となるということは、自分自身の「将来」、さらには自分が属する家族や共同体や国家の「将来」において「実現せんとするもの」(望み)が全て消滅するということである。
かくしてあらゆる価値観が失われたニヒリズムの境地においては、子供達の間で打算的な人間関係や実力主義が横行し、必然的に、何の望みも無いいじめや自殺や少女売春がはびこることとなる。

いじめられっ子に価値を認めずその場の空気に全てを委ねる振る舞いこそがいじめであり、自らの生命や精神や誇りに何ら価値を認めずその場の気分や打算に全てを委ねる振る舞いこそが自殺であり少女売春だからだ。

さらに言うなら知的好奇心や自己研鑽の精神の伴わない単なる(中長期的な)打算に裏打ちされた受験勉強やスポーツへの過剰な献身が社会に蔓延するのもまた、ニヒリズムの必然的帰結なのである。
しかし、どれだけ彼らがニヒリズムに浸っていたとしても、彼らの精神が打算や気分や空気で満たされることはない。精神はあくまで精神であり、打算や気分とは無縁の世界で躍動し続ける「形而上的」な存在であり、それを満たすためにはニヒリストでは絶対に価値を見いだすことができない「形而上的な養分」(例えば、家族との平凡な暮らし、芸術や美しい自然との接触等)を必要とするのである。
だからどれだけ彼らがニヒリズムに浸っていたとしても、そして彼らがどれだけ打算や空気の世界における成功者であったとしても、例えば親や友人の心ない一言や振る舞いで子供達の精神は深く傷つくことになる。

そして、彼らが打算や空気だけを追い求めるニヒリストである限り、彼はその傷を癒やすための「形而上的な養分」を手に入れることに失敗し続け、したがってその傷が癒えることはなくなってしまうのである。

そして彼の精神は永遠に満たされることがなくなってしまうのである。
そして誠に悲惨なことに、ニヒリスト達は自らの精神が癒やされていないこと、満たされていないことに、意識的ないしは無意識的に「気付いて」しまうのである。

しかし彼らはニヒリストであるが故に、彼の精神の養分である形而上的なあらゆる美徳を認識する術を持っていない。かくして彼らは致し方無く、束の間の満足を満たすために打算や気分や空気をさらに過激に追求する羽目になってしまうのである。

しかしもちろん打算や気分や空気で追い求めるものは、きりが無い。

カネも名誉も地位も、求め出せば限りなく、果てしないものだからだ。

だから彼は結局、(仏教で言うところの)「餓鬼」のごとく、あらゆるものを喰らい尽くすにもかかわらず、永遠に満たされることがなくなってしまうのである。

ニヒリズムに陥るということは、地獄への扉を開くことそのものなのである。
そしてこうした事態こそ、レジリエンスの論理でいわれる「迅速回復性」が喪失されてしまった状態をそのものなのである。
一方でニヒリストあらざる、形状上的養分の重要性を意識的無意識的に認識している人々は、自らの精神の傷を癒やすための養分(繰り返すが例えば、平凡な家族との時間や良質な芸術や自然との接)を容易く手に入れることができ、したがって如何に精神が傷ついたとしても、その傷を遅かれ早かれ回復することに成功するのである。
子供達から望みや希望を奪い去り、彼らが受けたあらゆる精神の傷が癒える機会を永遠に奪い去り、最悪のケース、彼らを意図も容易く売春や自殺に追いやってしまう、あらゆる「絶望」の根幹に位置する「虚無主義=ニヒリズム」を可能な限り排除していくためにいかに成すべきなのかと言えば―――まず第一に、一人ひとり大人達の精神からニヒリズムを排除していくことの他に無い。
昨今の大人達は「価値観の多様化」という言葉にあぐらをかき、単なる打算や気分と、良質な芸術や精神の交流とが「比較不可能な等価なものだ」ということにしてしまい、単なる打算や気分をひたすらに追い求めるニヒリズムに強大な権力を与えてしまった。
この世には美しきものと醜きものがあり、正しきことと邪なことがあり、善きことと悪しきことがおり、そして真と偽がある―――その当たり前の事を主張することを、「価値観の多様化」や「民主主義」という美名の下でやめてしまい、結果、ニヒリズムが強大な勢力を誇るに至ってしまっている。
その必然的帰結として子供達の精神は「絶望」の淵に追いやられているのであり、それを通して、精神の躍動が停止し、精神の回復力が喪失されてしまっている。これこそ、現代の青少年の精神の「たくましさ」が失われている根源的原因なのである。
この悪夢のような時代を終わらせるには、一人ひとりの大人が、美しきもの、正しきもの、善きことや真実を理解する理性や美意識を持ち続けるとともに、それらに対する敬意を持ち続ける努力を重ねねばならない。

それと同時に、醜きものを醜いと断じ、邪なものや悪しきものや偽なるものを、邪なもの、悪しきもの、偽なるものと批難し、時にそれらと戦い続ける「勇気」を持たねばならない。
一人ひとりの大人達がそうした実践を過程や職場、学校やメディア等の社会のあらゆる局面で展開することができてはじめて、ニヒリズムの勢力は少しずつ衰えることとなるのであり、それができて初めて、子供達の精神をニヒリズムの淵から救い出すことが可能となるのである。
だからこそ、それができない様な社会の国の子供達は――今の日本のように――ニヒリズムに憑依され続け、絶望の淵へと一人ひとり突き落とされていく他なくなってしまうのである。
いずれにせよ―――誰一人として例外なく我々は死すべき存在なのであるという認識の下、当たり前の伝統の保守と復権,さらには、真善美を愛し、保守せんとすると同時に、偽悪醜を憎み闘う勇気と実践を、この国の大人達が実現出来たときにはじめて、子供達においてたくましき精神が、当たり前の様に涵養されることとなるのである。

しかしそれができないとするなら―――子供達の精神はこれからも満たされることの無い無限の地獄へと一人ずつたたき落とされ続けることとなる他、ないのである。


折れない心を育む

2019年04月30日 06時02分33秒 | 社会・文化・政治・経済

レジリエンス実践ユニット

成人への過渡期である思春期に涵養されるべき最も重要な資質こそが、レジリエンス。
つまり、強靭な回復力、「折れない心」。
災害に直面した時などの、死に対する想像力が、「折れない心」を育む。

京都大学藤井聡(工学研究科・教授)

ユニットの趣旨・概要

  東日本大震災やリーマンショックによる経済危機を経験した今、わたし たちの社会に最も求められているものは、巨大自然災害や世界的経済金融 危機などの様々な「危機」に対する「レジリエンス」(resilience、強靱さ) を如何にして確保するのか、という一点である。
この「レジリエンス」と は、社会を一個の有機体と見なした時に、その有機体が如何なる危機に直 面しても維持し続けられる、弾力性ある「しなやかさ」を言うものである。
すなわち、様々な外力が加わっても、致命傷を受けることなく、被害を最 小化し、迅速な回復を果たす、その社会の力こそが、レジリエンスである。
この力なくして我が国は、首都直下型地震や東海・南海・東南海地震、富 士山の噴火、あるいは、新たな世界恐慌やパンデミック、各種のテロ攻撃 を被った時に、その存続そのものが危ぶまれる事態となってしまう。
こうした認識から、2011 年度からの五か年、「レジリエンス研究ユニッ ト」を設置し、多面的な研究を推進してきた。そしてその研究成果として、 シンポジウム開催、学術論文、書籍(和書・洋書)のみならず、それを踏 まえた政策提言によって内閣にレジリエンスに関する推進室と大臣が設 置されると同時に、国会ではそれを推進する基本法が設置されるなど、学 術的な成果を中心として様々な実務的成果がもたらされた。

ただし、レジリエンスの普及推進という次元においては、未だ様々な課 題が残されており、学からの政府・自治体支援、産学連携の推進など、基 礎研究から、実践を軸とした実務的展開研究が重要な局面を迎えている。

ついては、これまでの五か年のレジリエンス「研究」ユニットの成果を、 より国政と地方政府、国家全体と地域社会、行政と社会といったあらゆる 領域に敷衍するための「レジリエンス『実践』ユニット」をここに設置した次第である。

 なお、こうした実践研究の展開にあたっては、防災インフラというハー ドな側面を考える工学的要素と、レジリエンスある社会のあり方を考える 人文社会科学的要素の融合が不可欠である。ついては、ハード的側面を検 討してきた工学研究科と、文理融合研究を進めてきた人間・環境学研究科 との連携を図る。

そして、防災研究を推進してきた防災研究所との連携は、 レジリエンスの実践的展開において必要不可欠である。

 本研究ユニットは、巨大地震や世界恐慌などの様々な危機をも乗り越え うる「強靱な社会」をつくりあげるための基礎研究を踏まえ、実際にそう した「強靭な社会」を作り上げる実践研究を執り行うものである。

 

ユニット構成員リスト 


教養が身につく最強の読書

2019年04月30日 05時50分35秒 | 社会・文化・政治・経済
[出口 治明]の教養が身につく最強の読書 (PHP文庫)
 出口 治明  (著)

本の虫」出口流読書のススメ。人生に必要な教養は、読書でこそ磨かれる。
読書家として知られる著者が、思わず夢中になった、人生を豊かにしてくれた、本当におすすめしたい良書135冊を紹介。 
人間が社会で生きていくために最も必要とされる自分の頭で考える能力、すなわち思考力を高めるためには、優れた古典を丁寧に読み込んで、著者の思考のプロセスを追体験することが一番の早道だと思っています。(本文より抜粋)「ビジネスに効く教養のつくり方」「歴史から叡智を学ぶ」「日本と世界の現在を知る」をテーマに、歴史、宗教、戦争、政治……などさまざまなジャンルの本を取り上げ、その歴史や背景についても解説。
『ビジネスに効く最強の「読書」』を再編集し改題。 
【本書より】●リーダーシップはクビライに学べ 
●『君主論』は権謀術数の書にあらず ●歴史上の偉人も同じように悩んでいた!
 ●優れた古典は心の栄養になる 
●そもそも宗教とは何か ●本当の歴史は市民の生活の中にある 
●第2次世界大戦の枠組みを知る ●ハイドリヒという怪物
●教祖はいつも思想の変革者 ●三大一神教のルーツは全部アブラハムにいきつく 
●やおよろずの神が日本に居続けるワケ ●人口問題を見誤らないために ●戦後の政治システムの変貌 
●「右翼」と「左翼」はフランス革命が生み出した 
●世界は「中心」と「辺境」から成り立っている ●日本は戦前から「経済大国」だった

<iframe id="bookDesc_iframe" class="ap_never_hide" frameborder="0" scrolling="no" width="100%"></iframe>
<iframe id="bookDesc_iframe" class="ap_never_hide" frameborder="0" scrolling="no" width="100%"></iframe>

 

 
 


人生を面白くする 本物の教養

2019年04月30日 05時46分53秒 | 社会・文化・政治・経済
[出口治明]の人生を面白くする 本物の教養 (幻冬舎新書)
 
出口治明  (著)

教養とは人生における面白いことを増やすためのツールであるとともに、グローバル化したビジネス社会を生き抜くための最強の武器である。
その核になるのは、「広く、ある程度深い知識」と、腑に落ちるまで考え抜く力。
そのような本物の教養はどうしたら身につけられるのか。
六十歳にして戦後初の独立系生保を開業した起業家であり、ビジネス界きっての教養人でもある著者が、読書・人との出会い・旅・語学・情報収集・思考法等々、知的生産の方法のすべてを明かす!

 

 

教養は児童書で学べ

2019年04月30日 05時33分35秒 | 社会・文化・政治・経済

教養は児童書で学べ

 
 社会のルール、ファクトの重要性、大人の本音と建前、ビジネスに必要な教養、世の中の渡り方まで――大切なことは、すべて児童書が教えてくれた。『はらぺこあおむし』『西遊記』
『アラビアン・ナイト』『アンデルセン童話』『さかさ町』『エルマーのぼうけん』『せいめいのれきし』『ギルガメシュ王ものがたり』『モモ』『ナルニア国物語』。これら珠玉の児童書10冊をじっくり読み解く出口流読書論の集大成。

裁判官に知ってほしい 私が父の性暴力に抵抗できなかった理由

2019年04月30日 03時44分11秒 | 社会・文化・政治・経済

2019年4月26日 NHK

「今の生活も、これからの人生も、全部壊れちゃうのかな」

長年、実の父親から性的虐待を受けていた女性が、なぜ抵抗できなかったのか、その時の心情を語ってくれました。取材に応じてくれたのは、先月、別の親子の事案で、裁判所が父親に無罪判決を言い渡したことに衝撃を受けたからです。

「ちょっと乱暴な判断」 女性はそう感じました。

親が嫌がる子どもに性的暴行をしても罪に問われない場合がある。実は、ずっと前から懸念の声が上がっていました。(名古屋放送局記者 白井綾乃/社会部記者 馬渕安代)

父親に無罪判決父親に無罪判決
名古屋地方裁判所岡崎支部
先月26日。名古屋地方裁判所岡崎支部は、当時19歳の実の娘に性的暴行をした罪に問われた父親に、無罪を言い渡しました。

父親は、「娘は行為に同意していたし、抵抗できない状態ではなかった」と主張していました。裁判所は、2人の間のやり取りなどから、娘は同意していなかったと認定しました。

一方で、「強い支配による従属関係にあったとは言い難く、心理的に著しく抵抗できない状態だったとは認められない」として無罪と判断したのです。
判決に大きな波紋判決に大きな波紋
この判決に、大きな波紋が広がっています。

ツイッターには、「これが法律家とふつうの国民との『感覚のかい離』だ」などといった批判の声が相次いで投稿されています。

一方で、「どんなに悪い事をしても証拠がなければ無罪」などと判決に理解を示す投稿もありました。判決から1か月がたった今も、投稿が後を絶ちません。
無罪の背景に“厳格な要件”無罪の背景に“厳格な要件”
なぜ、無罪という判断になったのでしょうか。

日本の刑事裁判では、性行為を犯罪として処罰するには、「相手が同意していない」ということだけでなく、「暴行や脅迫を用いた」または「相手が抵抗できない状態になっていて、それにつけ込んだ」ことが立証されなければなりません。

刑罰を科す対象が広がりすぎないように、要件を厳格に定め、特に悪質なケースを処罰するという趣旨です。

一方で、被害者からは「他人から見れば抵抗できたように思える状況でも、実際は違う」という批判が上がっています。
“抵抗することはできなかった”“抵抗することはできなかった”
今回のケースと同じように、長年にわたり父親から性的虐待を受けたという女性がNHKのインタビューに応じてくれました。

愛知県に住む28歳の女性。小学生から高校生までのおよそ10年にわたって、実の父親から性的虐待を受けました。小学校低学年の頃、一緒に寝ていた父親が、自分の下着の中に手を入れてきたのが最初でした。

「親からどうしてこういうことをされるんだろう」

強い違和感と嫌悪感があったといいます。その後、一緒に寝るのをやめましたが、父親は毎晩のように寝室に来たということです。

勇気を出して母親に打ち明けましたが、それ以降も続きました。部屋の扉の前にバリケードのように棚を置き、自分なりの対策もしましたが、それでも止まらない行為に、次第に抵抗する気力を失っていったということです。諦めに似た絶望感とともに、父親の機嫌を損ねると進学などがかなわなくなるのではないかという葛藤。自分の将来のことを考えると、強く出ることはできませんでした。

「親に抵抗すると学校に通えなくなるんじゃないのかって。そうなったら自分の人生はどうなってしまうんだろう。今の生活も、これからの人生も、全部壊れちゃうのかなと思うと、強く抵抗することはできなかったです」

葛藤は、そればかりではありませんでした。家族のことを考えると児童相談所に訴え出ることもできませんでした。

「衣食住を失うんじゃないか。母親やきょうだいの人生はどうなるんだろう。お父さん、刑務所に入るんじゃないかなとか。そうなったら家族みんなが悲しむのかなと考え出したら、わからなくなってしまって」

女性は、“実際は逆らうことができない”という、親から性的虐待を受けた被害者特有の心理を明かしてくれました。

虐待は、女性が高校生になり、父親と離れて暮らすようになるまで続きました。しかし、うつ病と、つらい記憶がフラッシュバックする症状に悩まされるようになり、「親から正しく愛されなかった自分は生きる価値がない」と数年前まで苦しみ続けてきたということです。

女性は、今回の判決について、“抵抗できないわけではなかったから無罪”というのは、被害者の視点が抜け落ちていると訴えています。

「性的虐待に及ぶ父親は、加害者であると同時に親でもあるんです。その関係を考えた時に、『頑張れば抵抗できたんじゃないの』みたいな判断を他人が下すのは、ちょっと乱暴じゃないのかなって思います。被害の実態をもっと知ってもらいたい」

今回の判決でも、娘が、父親に学費を負担させた負い目を感じていたことや、被害を訴え出ると弟たちに影響が及ぶと心配していたことは認定しています。家庭内での性的虐待をめぐる問題の難しさは、子どもが被害を言いだしにくい点にあります。このため、被害者が1人で問題を抱え込むことになってしまうのです。

児童相談所の所長を務めたこともあり、虐待を訴える子どもの支援を続けている名古屋市のNPO「CAPNA」の理事長、萬屋育子さんは、表面化している性的虐待の被害は氷山の一角にすぎないと指摘しています。

「傷やあざとなって現れる身体的虐待や、ごはんを食べさせないなどのネグレクトに比べ、性的虐待は外からではわからない。特に小さな子どもは性的虐待を受けていることに初めは気付かない。性的虐待は、家庭内で、しかも近親者との間で起こるので子どもは訴えにくく、表面化してこない被害の方が多い。勇気を持って訴えても、裁判の結果無罪になるのは、子どもにとっては二重三重の大人からの裏切りになるのではないか」
見送られた要件の見直し
こうした指摘を受けて、おととし刑法が改正され、被害者が18歳未満の子どもであれば、親などの「監護者」がその影響力を行使して暴行した場合は処罰できるようになりました。しかし、要件そのものの見直しは行われませんでした。

性的暴力の被害者を長年支援してきた村田智子弁護士は、数年前に見直しの機会があったにもかかわらず、議論が不十分だったと考えています。

5年前、法務省は、有識者による検討会を設置し、刑法の性犯罪に関する規定の見直しについて議論を始めました。背景には、性犯罪が処罰されにくく、刑も軽すぎるという被害者の声がありました。この検討会では、性犯罪を罪に問うための要件を緩和するかどうかも議題になりました。平成27年2月。6回目の会合の会場でした。
議事録によりますと委員の1人で、女性への暴力に関する問題を扱ってきた弁護士から、「抵抗できない状態につけ込んだ」という要件が厳しすぎるために、本来なら処罰されるべきケースが無罪になっているという指摘が出ました。この委員は、要件の撤廃や緩和が必要だと訴えました。

これに対して、ほかの委員からは、相次いで反対意見が出ました。

「(要件をなくせば)被害者の意思に反していると確信できないような事例まで有罪とすることになる」といった「えん罪を生みかねない」という意見。

「(要件が『同意の有無』だけになると)外形的な証拠がない場合に被害者の主観を証明するのはかなり難しい」「むしろ弊害があるのではないか」といった「有罪を立証するのが困難になる」という意見。

さらに、「(裁判の運用上)要件はかなり緩和されている」といった「今の要件でも裁判官が適切に判断している」という意見。

委員の多くは要件の見直しに反対し、次回以降、このテーマについてはほとんど議論が行われませんでした。法改正を具体化するための法制審議会の場でも、要件の見直しは論点になりませんでした。

村田弁護士は「この時に議論が尽くされず、問題が放置された。今回の判決によって、当時の懸念がまた繰り返されている」と指摘しています。
判決から浮かび上がる課題判決から浮かび上がる課題
今回の判決を読んだ伊藤和子弁護士は、無罪という結論は「裁判官が要件を厳格に適用した結果」だと見ています。

名古屋地裁岡崎支部は、被害者が抵抗できない状態だったかどうかを判断するために、▼精神的なショックで「強い離人状態(解離と呼ばれる状態)」にまで陥っていたかどうか、▼「生命や身体などに危害を加えられるおそれがある」という恐怖心から抵抗することができなかったかどうか、▼性交に応じるほかには選択肢が一切ないと思い込まされたかどうか、という観点から検討していました。

そして今回のケースは、いずれにも当てはまらないという理由で、無罪としました。

伊藤弁護士は「裁判官の判断には非常に幅があって、中には要件を緩やかに判断するケースもあるが、今のままでは『ばらつき』が出る余地があり、救われない被害者が出てしまう」と話しています。
海外の要件は?
伊藤弁護士は、人権問題に取り組むNGO、「ヒューマンライツ・ナウ」の事務局長も務めています。この団体が行った調査では、韓国では、日本のように暴行や脅迫の要件はある一方で、相手が未成年者の場合などは、より程度の軽い「偽計」や「威力」を用いた場合にも罪に問えるという要件にしているということです。

さらに、イギリスやカナダなど、同意がなければ罪に問える国もあるということです。日本と同じような要件があったドイツやスウェーデンでも2016年と2018年にそれぞれ法改正が行われ、同意がなければ罪に問えるようになったということです。
“改めて議論を”“改めて議論を”
おととし、日本で刑法が改正された際、「3年後に必要があれば見直しを検討する」ことも盛り込まれました。

伊藤弁護士は、今回の判決に疑問の声が上がっていることを踏まえて、改めて要件の見直しも含めて議論すべきだと話しています。
「海外では『#MeToo運動』のような被害者の声の高まりを背景に法改正が行われている。外国のさまざまな制度も参考にしながら議論を進めていくべきではないか」
1件の無罪判決に対して、これだけ大きな波紋が広がったケースは、あまり例がありません。その理由を考えると、社会の規範である法律が、本当に今の社会にふさわしいものになっているのか、改めて議論すべきなのではないでしょうか。

 

 

 


「紛争下の性暴力は加害者の処罰を」

2019年04月30日 03時39分21秒 | 社会・文化・政治・経済

国連安保理が決議採択

国連の安全保障理事会は、紛争下での女性や子どもへの性暴力について、当事国の政府に対し調査を行うとともに加害者を処罰する責任を負わせる決議を採択しました。

国連の安保理では、23日、議長国ドイツが提案した、紛争下での女性や子どもへの性暴力について、当事国の政府に対し調査を行うとともに加害者を処罰する責任を負わせる決議について採決が行われました。

この中で、ロシアと中国は「調査や処罰は当事国の主権が尊重されなければならない」と主張して棄権しましたが、決議は賛成多数で採択され、今後、性暴力を許さない国際世論が高まることが期待されます。

これに先立って安保理では、紛争下の性暴力をテーマにした公開討論が開かれ、去年、ノーベル平和賞を受賞した2人が演説しました。

このうち、アフリカ中部のコンゴ民主共和国で性暴力を受けた女性の治療に当たっているデニ・ムクウェゲ医師は、性暴力は人道に対する罪だと厳しく非難したうえで「加害者を裁かなければならない」と訴えました。

また、過激派組織IS=イスラミックステートによる性暴力被害を訴え続けている、イラクの少数派ヤジディ教徒の人権活動家、ナディア・ムラドさんは「ヤジディ教徒の地域社会は破壊されたままで国際社会の支援が必要だ」と訴えました。


戦国時代100の大ウソ

2019年04月30日 03時02分48秒 | 社会・文化・政治・経済
 
富永 商太 (イラスト), 川和 二十六 (著)

商品の説明

内容紹介

冷酷な作戦で他国を席捲する天才・織田信長。
その信長を震え上がらせた甲斐の虎・武田信玄。
ライバルの上杉謙信は毘沙門天として恐れられ、
後に家臣の直江兼続は、真田幸村や石田三成など
と智謀を巡らし、天下人・徳川家康と覇権を争っ
ていく――。

 

軍師・黒田官兵衛の真実の姿とは ?
有名武将や合戦の常識を、ひっくり返す !

我が国の歴史において、戦国時代ほどドラマチック

な世界はないだろう。

が、ちょっと待ってもらいたい。

皆さんが知っている戦国時代の武勇伝。
たとえば、桶狭間の奇襲作戦とか、信玄と謙信の
川中島一騎打ちとか、真田幸村が引き連れていた
十勇士とか。

これ、ぜ~んぶ正式な史実に記された、“真実”だと
お思いか ?

テレビや漫画で描かれる戦国はいつも劇的だが、
そのストーリーは大半がデタラメばかり。
後世(主に江戸時代)に作られた軍記物語などが広がり、
現代まで延々と続いてきたのである。

本書は、そんな間違った常識を訂正しつつ、リアルな
センゴクに迫ろうというものである。
たとえ織田信長が天才じゃなくたって、本当は情けなく
たってイイじゃない !

[CONTENTS]

第一章 武将だって人間だもの
→有名大名の逸話や伝説を解く
織田信長
伊達政宗
真田幸村
武田信玄
上杉謙信
徳川家康
豊臣秀吉
前田利家

第二章 みんな戦国が好きなのさ
→脇を固める有名武将、戦国社会の仕組み
直江兼続
竹中半兵衛
北条早雲
古田織部
仙石秀久
毛利元就
蒲生氏郷
鍋島直茂
ザビエル
今川義元
百姓という名の一向宗
落ち武者狩りの農民

第三章 知られざる合戦のリアル
→戦国時代の戦争の真実とは ?
川中島の戦い
桶狭間の戦い
関が原の戦い
島津の退き口
鉄砲より竹槍の方が強い
戦争の秘訣は給食
直江状とは
手紙を制す者が戦争を制す
小早川秀秋は最初から東軍

内容(「BOOK」データベースより)

冷酷な作戦で他国を席捲する天才、織田信長。その信長を震え上がらせた甲斐の虎、武田信玄。ライバルの上杉謙信に、直江兼続、真田幸村、石田三成、天下人となる徳川家康―。我が国の歴史において、戦国時代ほどドラマチックな世界はない。が、ちょっと待ってもらいたい。皆さんが知ってる戦国時代のドラマチックな武勇伝は、史実に記された“真実”だろうか?

 

 
 

光格天皇、幕府へ物申す!

2019年04月30日 02時53分20秒 | 社会・文化・政治・経済

 知られざる名帝の頑張りが明治維新へ繋がった

江戸時代の天皇といえば、やはり幕末関連で出てくる孝明天皇。
むしろ、それ以外の方についてはほとんど知らない人が多いですよね。

孝明天皇ももちろんなのですが、現在の皇室の直接的なご先祖様は江戸時代中期にいらっしゃいました。
しかも幕府の権勢著しい中、勇気ある行動を起こしています。
今日はそんな「影の名君」とも呼べる方が主役です。

天保十一年(1840年)の11月18日、光格天皇が崩御されました。
先代の後桃園天皇に男子がなかったため、血筋は離れていましたが天皇として選ばれました。
他にも候補者はいたのですが、後桃園天皇の娘である内親王と結婚することも条件の一つだったので、年の近い光格天皇に決定したんだそうです。
身分の高い人にはよくある話ですが、出世と同時に奥さんが決まってしまうって庶民から考えるとスゴい話ですね。
即位早々、飢饉が起きる

まあそれはさておき、この方は即位早々不運に見舞われます。
江戸四代飢饉の一つ・天明の大飢饉にぶち当たってしまったのです。
江戸時代が災害のオンパレードだったというお話を前にチラッとしましたが、この飢饉はその中でも最大規模のものでした。
冷夏だけでも飢饉になりうる時代だというのに、各地の火山が噴火して日が差さなくなり、全国的な冷害になってしまったのです。
あまりにも死者が多かったため、どこの藩でも正確な数を計りかねる有様で、米屋への打ちこわしも頻発しました。

特に酷かったのは東北地方でしたが、当然京都を始めとした西日本でも影響は免れません。
人々は「上様に何とかしてって伝えてよ!」と京都所司代(京都にあった幕府の出張所みたいなところ)に訴えますが、この頃には所司代の権力が大幅に低下していたため、具体的な対策をすることができませんでした。
なぜかというと、ほとんどの仕事が江戸にいる老中の管轄になってしまっていたため、ほとんど名ばかりの役職になってしまっていたからです。
現代からすればそれで仕事が滞ってたら意味ないだろとも言いたくなるのですが、当時は誰もそんなことを気にしていなかったのでした。
幕末に京都守護職(松平容保とかがやってたアレ)が作られたのは、所司代が有名無実になっていたからでもあります。

無理やり例えるとすれば、融資の相談をしたくて地元の銀行窓口に行ったのに「私には権力がないので、本社のお偉いさんに言ってください」と門前払いを食らったようなものでしょうか。
そんな扱いされたら、本社じゃなくて別の銀行に行きますよね。
当時の市民も同じように考えて、幕府ではなく別のところにお願いに行ったのです。

天皇に助けを求める民衆(○○年ぶり○回目)

それが天皇のおわす御所でした。
もちろん中には入れませんから、門のあたりで天皇の御座所の方角へ向かってお祈りをし、賽銭を投げるという人々が出始めたのです。
当初は数人だったのでしょうが、始まってから10日後には7万人を超える民衆が集まったとか。
京都だけではなく、大坂や近江など近隣諸国から天皇にお祈りをしにくる人が来ていたのです。
来る人が日に日に増えたということは、門番も無碍に追い返したりはしなかったのでしょうね。

京都の町はこれらの人々で溢れかえり、光格天皇の耳にも達しました。
真っ先に行動を起こしたのは後桜町上皇。
この方は2代前の天皇でした。現時点で最後の女帝で、上皇になってからは幼かった光格天皇の指導にあたるなど、後見役を果たしていました。(親子や兄弟関係ではなく、曽祖父が一緒という親戚)
何せ、光格天皇はこのとき10歳を過ぎたばかり。
当然市民もそれを知っていたでしょうから、いかに幕府が頼りなく思われていたかということがわかります。
ちなみに当時の将軍は10代めの徳川家治で、ちょうど40歳。
不惑を過ぎた将軍より、天皇とはいえ10歳の子供を信じたってどういうことなの。

女帝の配ったリンゴが歴史を動かす

後桜町上皇はまず手元にあったリンゴ3万個を民衆に配るよう命じ、他の貴族達もそれに倣って握り飯やお茶を配り始めたそうです。
人が集まれば商人も集まり、どこからか菓子や酒を売る露天商もやってきたとか。商魂たくましいというかなんというか……。
これを見た光格天皇は幼いながらに知恵を絞り、勇気を出して幕府に直接「民を助けてください」と要請します。
が、これら皇室や貴族が民衆に何かをすること、そして幕府に指示を出すことは禁中並公家諸法度という法律に違反する行動でした。
もしお咎めを受ければ、光格天皇も後桜町上皇も、周辺の貴族もただでは済みません。

しかしこのときは幕府のほうが後ろ暗かったからか、「いやあすっかり対応が遅れてしまって申し訳ございませんすぐに米をお送り致しますんでハハハハハハ」とスルーしてくれました。
幕府としては例外はこれ一回きりのつもりだったのでしょうが、「朝廷が幕府を動かした」という事実は語り継がれていくことになります。
そして約100年後、維新の柱の一つ・尊王論となって倒幕の流れができていくのでした。

この一連の事件を「御所千度参り」というのですが、光格天皇はこれを忘れず、自分の立場でできることは何かということを主軸に行動していくようになります。
例えば、ずっと途絶えていた祭や儀式を復活させたり、当時こじれていたロシア帝国との交渉について報告を求めたりと、積極的に政治へ関わっていました。
そしてその姿勢は、次代以降の天皇にも引き継がれ、これまた明治維新に繋がっていくことになります。

維新間際というと孝明天皇を連想しますが、その源流はもっと昔にあったんですね。
もし幕府が朝廷からせっつかれる前に米の供出をしていたら、尊王派の力はもっと弱かったのかも?

長月 七紀さん・記

 

長月 七紀さん ライター

著書 「戦国時代の100の大ウソ 烈風伝」(武将ジャパン編の共著)

「その日、歴史が動いた」を毎日連載中。歴史でワクワクを体現しているライター。千葉に生息しているため千葉の歴史ネタも時々書く。

 

 


 


光格天皇(こうかくてんのう)

2019年04月30日 02時29分20秒 | 社会・文化・政治・経済

光格天皇(こうかくてんのう、1771年9月23日(明和8年8月15日) - 1840年12月11日(天保11年11月18日))は、江戸時代の第119代天皇(在位:1780年1月1日(安永8年11月25日) - 1817年5月7日(文化14年3月22日))。幼名を祐宮(さちのみや)という。
諱は初め師仁(もろひと)としたが、
死人(しにん)に音が通じるのを忌み、践祚と同時に兼仁(ともひと)に改めた。
傍系の閑院宮家から即位したためか、中世以来絶えていた朝儀の再興、朝権の回復に熱心であり、朝廷が近代天皇制へ移行する下地を作ったと評価されている。
実父閑院宮典仁親王と同じく歌道の達人でもあった。
2019年(平成31年)現在、譲位し太上天皇になった最後の天皇であり、また父母共に天皇ではなく先代(後桃園天皇)とは2親等以上離れて傍系継承した最後の天皇でもあり、以降今上天皇まで全て直系の男系男子で皇位が継承されている。

 閑院宮典仁親王(慶光天皇)の第六皇子。

母は大江磐代(鳥取藩倉吉出身の医師岩室宗賢の娘)。曽祖父に東山天皇(第113代)。桃園天皇(先代・後桃園天皇の父)とその姉(先代・後桃園天皇の伯母)で先々代の後桜町天皇は再従姉弟である。
践祚前の1779年12月15日(安永8年11月8日)に危篤の後桃園天皇の養子となり、儲君に治定される(実際には天皇は前月中既に崩御しており、空位を避けるために公表されていなかった)。
また、江戸幕府将軍徳川家治の御台所倫子女王は実の叔母(実父の妹)に当たる。つまり、光格天皇は家治の義理の甥でもある。

 退位した天皇の退位理由一覧(PDF / 264KB)

(Adobe PDF) - htmlで見る

 www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu.../dai2/sankou4.pdf

のを機会に、皇位を弟の軽皇子(孝徳天皇)に譲る。」(『歴. 代天皇・年号事典』、以下『 事典』と略称). 第41代. 持統天皇. 645~ ..... 第119代. 光格天皇. 1771~1840 1779 ~1817. 「在位三十九年にして、文化十四年(1817)三月二十二日皇太. 子恵仁親王(



阪神矢野監督9回迷いも「青柳に任せたい」一問一答

2019年04月30日 02時22分20秒 | 投稿欄

4/29(月) 日刊スポーツ
-青柳には開幕前に2桁勝利の太鼓判を押した

矢野監督 全体的なことを言うと、ずっと成長している。2桁も十分勝てる内容の投球。安定感、信頼度はどんどん上がっている。任せようという思いになっているので頼もしい。

-マルテが昇格即安打

矢野監督 ああいうところでマルテがいるのは相手にとっても気持ち悪い部分もあると思う。チーム全体のポイントゲッターとして打ってくれると助かる。全体的にはいい形になりつつあるかな。

-マルテの足の状態は

矢野監督 100%じゃないけど、プレーするなかでの制限はあるわけではない。大丈夫だと思います。

-青柳自身も最後まで投げる方が良かったのか

矢野監督 (最終回の)内野安打からごちゃごちゃになって悪い結果になったら、俺の完全な采配ミス、判断ミスになる。俺も「青柳に任せた」と腹はくくっているけど状況って動くからね。

-9回に満塁で打席を迎えたところは迷ったか

矢野監督 迷ったね。ただ俺のなかで「青柳に任せたい」という気持ちの方が強かった。(代打で)鳥谷出して点を取って、後ろの投手に任せる方がいい選択肢も、もちろんある。結果から振り返った俺の反省としては、それはある。でも、青柳に任せてやりたいっていう気持ちとのてんびんなのよ。