ぴかの独り言 GooBLOG vol.1

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

生まれること、生きること

2020-07-08 12:28:00 | 己の記録
こんにちは。

なにやら大雨で、九州始め大変な被害が出ています。

今朝は東海地方にもやってきて、岐阜の山沿いでは被害が出たらしい。

コロナ禍がようやく落ち着いてきたこの頃、さて、これから頑張ろうというときに、追い討ちをかけるような大雨。

テレビのニュースでは、「天災だから、誰にも文句が言えない」とこぼしておられた方の言葉が印象的でした。

あまねく、穏やかでありますように。


そんな祈りをささげつつも、お陰さまで当地はひどいことにならずに済んでいます。

何であたしではなくてあなただったのか?

そんなことも思いつつも、ありがたく受け止めています。


そんな一昨日の夜半。

ももちゃんがこれまでにないほどに大泣きをした。

(鳴くではなくて、泣くに聴こえるお父さんでした)

オシッコでもなく、ウンチでもなく、おなかがすいたのでもなく、泣く。

(思わず韻を踏んでしまったよ)

歩行器に乗せたり、あやしたりを夜中の3時ごろに続けてみたが、どうにも泣き止まぬ。

そこで、ももちゃんをしばらく観察してみた。

たまさか次男お母ちゃんのところに泊まりに行っていたからできた芸当。
(翌日仕事の次男を、ももちゃんの鳴き声で寝不足にするには忍びないんだ)

後から思うと、これもご縁でした。


一月前ぐらいから、左の上唇が腫れて赤くなっていた。

前足でこすったり、体を動かしたりするときに擦って、皮がめくれそうになっているのだろうくらいに思っていた。

ところが今回、よく見てみると、大半の歯が抜けているももちゃんの下あごに唯一頑丈に残っている牙が、おのれの上唇を突き刺していた。

・・・これは痛いだろう。

原因が分かったので、とりあえず猿ぐつわとして、ダイソーで買った何でもまとめて縛りますマジックテープで、ももちゃんの口を縛ってやった。

これが犬の虐待だと言うならそうかもしれませんが、わが犬が自分の牙で自分の肉を刺しているという光景は、捨て置けん。

やってみて、窒息したらイカンからしばらく様子を見ていましたが、鼻呼吸でそんなに息も荒げていない。

そしてこのまま朝を迎えまして、10時を待って、お医者へと連れて行った。



現状を説明すると、お医者は、

「犬は、痛みでは鳴かないんです。

たぶん、高齢によるボケで、鳴いていると思われます。」


とおっしゃる。

はぁ・・・そういうものか・・・と思ったが、鳴く鳴かんは別にして、犬だって痛いのには変わりないだろう?

その旨をまた伝えると、

「では、歯を抜くか切るかという事になりますが、それでも麻酔をしなくてはいけません。

高齢(ももちゃん、17歳)だから、耐えられるかどうかのリスクが高いです。」


それを聞いて、あたしも考えた。

「何もしないと、死ぬまで、このまま自分の牙で自分をキズつけて痛いんですよね?」

そうだと言うお医者。

腹を決めて、やってくださいと言うあたし。

と・・・血液検査をします。

とおっしゃる。

血液検査で合格なら手術するし、そうでなければしないという。

あんた、それを早く言わんかい!


で、検査をしたら、

「ものすごく丈夫な犬ですね」

だって。

・・・ふっふっふ・・・

あたしと17年過ごした犬だもの、

そん所そこらの犬とは、ちがうんやで!(心の声)


そうして、手術決定。

それでもリスクの少ない歯を切ることにしました。


午後からの手術で、6時に迎えに来いというから、6時少し前に行った。

待合室には先客がいて、手術を終えたプードルが飼い主の元へと帰っていった。

元気になってね。


さて、呼ばれてももちゃんの引渡し。

まだ麻酔が効いているからと、眠ったままのももちゃんを受け取った。

オォ!お前生きておったか!

よく頑張った!


心の声で、思いっきり誉めたりました。


会計を済ませて、帰宅。

ももちゃん、無事生還。



この後、翌朝6時にオシッコに起きるまで、ずっと寝てました。

大量のオシッコしたももちゃんが、いとおしかったです。

おめでとうございます。


さて、ももちゃんが無事に生還しまして、定休日の本日は、初めて孫3号に会いに行く。

というのも、本来一宮という、車で1時間半かかるところに退院後住んでいたのだが、産後のお手伝いをお母ちゃんがしてくれると言うことで、お母ちゃんの実家にお世話になっております。

それが、ここから40分ほどのところ。

ももちゃんの心配もありましたが、急いで帰るくらいなら、ももちゃんも我慢できるでしょう。

で、いざ!


今日行くとは考えていなかったですが、いずれ渡してやろうと思っていました、すぐに食える食材を手にして、10時、お母ちゃんの実家に到着。

ちなみに、以前次男を連れて行ったことがあるので、なんとはなくでも覚えているだろうとでかけましたが、見事失念。

すっかり迷いまして、お母ちゃんにSOS出して、無事到着したです。


別れたお母ちゃんの実家ですから、こんなことでもないと来ることないですが、初めて来訪。

お母ちゃんのお母さんにも、穏やかに挨拶できて良かったです。
(ご心情、お察しします)


お母ちゃんに部屋に通されて、出産後の
長女と孫3号に初ごたいめ~ん!!!



名を 碧希(これで、あおきと読むそうです・・・こいつが青木さんに婿養子すると、アオキアオキになるんだな・・・それもおもろいなぁととっさにじいちゃんは思ったです・・・ついそんなことを考えるおじいちゃんなんだ)

まずは、長女の無事を寿ぐ。

そして、ねぎらう。

お前、コロナで面会も出来んところで、一人でよく頑張った。

お見事でした!


そして、3号。

元気良く出てきてくれました。

お前は偉い!

誉めたる!

おめでとうございます!




二重まぶたのイケメン君。

二重以外は、じぃじそっくりやん!(ばか)


そんな傍ら、この方は大変不機嫌でした。



わかるかな?

左下にある髪の毛。

孫2号、おじいちゃんの顔を見るなり泣き出しまして、顔を突っ伏しております。

こいつだけは、いまだになんともならん。



(あたしがいないところでは、こんな芸当もするらしい・・・くそ)

お年玉の威力が理解できるまで、おじいちゃんは辛抱しよう。


世話になっているお母ちゃんに、心からお礼を言いつつ、持参した食材を渡して、10分ほどで帰路につく。


いやぁ・・・みんな元気そうで何よりでした。

それ以上ないですの。

そして、改めて思う。

あたしは、本当に幸せである!


あまねく、穏やかでありますように。

本当に、ありがとうございます。





平成最後の忘年会は、あたしにとっても区切りだったのだ。

2018-12-06 16:13:00 | 己の記録
こんばんは。

12月にしては、驚くほどの暖かい日が続いたこの頃でした。

寒がりの年寄りのあたしにはありがたかったですが、普段どおりでないと困ることもあろうかと思います。

穏やかでありますように。


そんな本日は、名古屋でお仕事して、いつものスーパーで買い物していたら、ちょうど小さな鏡餅が並んでいたので、新年用に我が家の分ともう一つ、ばあちゃんの分を買って、早速施設に届けてやりました。

それを見せながら、「もうすぐお正月だよ」と言うと、ニヤッと笑ったばあちゃんでした。

そばのテーブルに置いてきました。

・・・

良い年を迎えますように。


さて、回想。

一昨日の夜は、お仕事仲間と名古屋で忘年会

18:00 伏見のリリーバンケットというところに集合。

17:00そこそこの電車で、向かいました。


定時に到着、そして、早速、宴会開始。

ここから、相も変わらず、怒涛の飲み放題の海へとあたしはダイブいたします。


このお仲間たちのグループは、実は、今でこそあたしは言いたいことを言っておりますところの直木さんという方が、10数年前に「どうしたら、呉服屋が生き残れるか?」ということを真剣に考えてくださって、出来た組織です。

発足当初あたしはそこにいなかったのですが、たまたま修行先が一緒だった永野ちゃんという呉服屋さんが「にーみちゃん、入ったら?」と誘ってくれて、ご縁となりました。

当時、子どもたちを抱えていて、そのお仕事の会合(名古屋)に出ている最中に、

「お父さん、学校に来てください」

と電話がかかってきて、申し訳ないと思いながら中座を許していただいたことも覚えています。

(その後、あたしの実情がご理解いただけるようになりまして、あたしもほとんど末席を汚しながらのメンバーを続けさせていただきました。)


そんなご縁のおかげで、あたしも商売が順調にまいりました。

それから、10年は過ぎたと思います・・・

子らはそれぞれ、無事に育ちまして、あたしも還暦を迎えました。

大好きな呉服屋という商いでここまでやれたのは、直木さんが立ち上げたこのグループと、メンバーの皆さまのおかげだと、改めて感謝しています。

そんな中、少し前から、鏡でわが身を見る度に感じていたことがありました。


鏡の中に映る自分は、ハゲ頭のシミだらけの皮膚の緩んだ顔のおじいちゃんでした。

気力はある。

体力も、衰えたとは言えそこそこある。(はずだ)

ただ、そんなこのあたしが、20歳そこそこの若いお嬢さんのお相手をしている・・・というのが、我ながらどうにも気持ちが悪いと思うのでした。
(それでもお越しくださるお客様が、本当にありがたいのです。ありがとうございます。)

まぁ、自分でそう思っちゃったんだから、これはごまかしようがないですの。

・・・

改めて、自分に尋ねてみた。

・・・

「良い潮時である」と、あたしがあたしに答えます。


ということで、今期を最後に、長らくお世話になりましたこのグループからさようならをいたします。


少し前にそんなことを現会長に申しましたら、「忘年会には出るように」と告げられましたので、ひっそりと抜けるつもりでしたが、厚顔で出席いたしました。

そして、宴会開始の乾杯の後に、お礼を言わせていただく機会も作ってくださいました。

皆さま、お世話になりっぱなしでしたが、本当にありがとうございました。

・・・

涙が出そうでした。(うそです)


とまぁ、そんないきさつがありましたこのたびの忘年会。

それでも、あたしがしおらしくするわけもなく、今回設営をしてくださいました芸達者の浅野さんのおかげで、ガンガン飲んで楽しみました。

以下、その時の画像。




あたしをこのグループに誘ってくれた恩人の永野ちゃん

この世に、悪いことなんてあるのだろうか?・・・と、あなたを見ていつも思っています。

お世話になりまして、ありがとうございます。




次期会長の今ちゃん

修行先の後輩ながら、先輩らしいことを一つもせずのあたしでした。(ごめんね)

グループのアイドルのあなたに、たまさかご縁が巡りまして、あたしの進退に関わっていただきました。

いろいろご迷惑をかけますが、どうぞよろしくお願いします。

ありがとうございます。




そねさん

グループの、重石みたいな方です。

芯があるというのか、まっすぐな人です。

直木さんと同じニホヒがしています。

印刷機、お世話になりました。

ありがとうございます。




豊田の兄さん

豊田市のえらいさんのはずなのですが、そんなそぶりを見せず、影に日向に、あたしに声をかけて心配りをいただきました。

直近の兄さんからのメール。

「世界文化遺産記念。秋田名物 きりタンポン挿入、生ハゲごっこ」

(奥様がご覧になっていないことを祈りつつ)

・・・

これには最後までついていけなかったあたしですが、どうぞいつまでもお元気で。

あたしはあなたが大好きです。

ありがとうございます。




丸ちゃん

本当は森さんなんだが、心も体も本当におだやかなまん丸な方で、あたしが勝手に丸ちゃんと呼んでいます。

頭が良くて、気配りが利いて、やさしくて・・・

こんな人、そうはおらんです。

(ついでに、料理も上手い!)

公私にわたり、大変お世話になりました。

ありがとうございます。




タダスさん

グループで、一番近い場所のお仲間です。

その風貌が、どうにもあたしには「高校の社会の先生」に見えてしまっていて、ついブログでもそう紹介してしまいました。

失礼しました。

でも、あたしの印象は、今日まで結局変わりませんでした。

良い意味で受け取っていただければ幸いです。

ありがとうございました。




紅二点。

きいこさんとすみださん

すみださんと何かあるかと期待しながら、なにもなかった事が悔やまれます。

お二人にも、大変お世話になりました。

ありがとうございます。




浅野さん

今回幹事をしていただきまして、楽しく過ごさせていただきました。

さすが、ロータリーで鍛えられていますね。

お見事でした。

お世話になりました。

ありがとうございます。




直木さん(左。右は天野のおじいちゃん・・・いつまでもお元気で)

そもそものご縁は、あなたでした。

心から、お礼申します。

ミズちゃんから

「毎日毎日、どうしたら皆がうまく出来るのかな?って、丸いグラフを作って一生懸命考えていた」

と聞いた時のことを、今でも忘れません。

その後、あなたたちご夫婦には、格別にお世話になりました。

改めて、本当にありがとうございます。

(写真がこれしかなかった・・・すまん)


写真でご紹介できるのがこれだけですが、本当にメンバー全員の方々に、ご迷惑をおかけしつつ、お世話になりました。

心から、心から、お礼を申し上げます、

ありがとうございました。

グループとメンバーの皆さまのますますのご多幸を、心から念じています。

長い間、本当にお世話になりました。

ありがとうございました。(合掌)





(最後は綺麗に終わりたい)


追伸

あとお一人、当日お目にかかれませんでしたが、どうしてもお礼を言いたい方がいます。

土田やさん

その節は、本当にありがとうございました。

お詫びを含めて、心からお礼申し上げます。

ありがとうございます。






悼む

2015-02-17 14:04:00 | 己の記録
突然の知らせでした・・・

同級生のお寺の坊主が、足袋を買いに来た。

昨年ご成人を迎えられた彼の御息女が、この度入用で、とのことだった。

男親の彼が娘の24.5cmの足袋を買いに来て、何気の会話で、

「お母ちゃん、死んじゃったんだ」

と言った。

・・・なぬっ?


彼の奥様がお嬢さんとうちに振袖を買いに来てくださったのが、昨年10月の末。

朗らかに穏やかに、お二人で仲良くご吟味いただいてご用命くださった。

ニュージーランドに留学をするというお嬢様でしたので、成人式にはご出席がありませんでしたが、その後、無事に納めて、素敵な写真が撮れたと喜んでくださっていた。

あれから4か月・・・

そのお母様が逝かれた。


書いていいものかどうか迷いつつ、書く・・・


彼女は、かつてあたしがお茶のお稽古をしていた先のお仲間でした。

当時も変わらず、朗らかで穏やかな人でした。

素敵なその人に、思い余って言ったことがある。

「結婚を前提に、お付き合いいただけませんか?」

その時、彼女が答えた。

「もう、嫁ぎ先が決まっているんです」

・・・それが、あたしの同級生の坊主だった。


彼の突然の話で、涙がふきだしたあたし。

彼もまたつられて涙をこぼしながら、後日譚を聞いた。

「あの時、すでに永くはないことをわかっていた彼女は、遺言のつもりで娘に振袖を作ろうと思ったんだ。」

骨髄の病気で、当時すでに彼女たちはそれが治らないことを知っていたらしい。

そして、それがそんなに遠くないこともわかっていたらしい。

ただ、それがこれほど急なこととは思っていなかったと彼は言った。


坊主の彼を前に、「坊主は結婚してはいかんのだ」となじるあたし。

それを、涙を流しながら笑って応えてくれた彼でした。

そして、そんなそぶりは微塵も見せず、お嬢様の着物をご覧に、豊坂屋に来てくださったあの日の彼女を想う。

・・・

Tえちゃん。

どうぞ、穏やかでありますように。

心から心から、お祈り申します。

ありがとうございました。












Life with dignity and Death with dignity.

2014-11-28 16:11:00 | 己の記録
こんにちは。

来週月曜日から寒波のせいで、いよいよ寒くなるそうです。

どちら様も、どうぞお体お大切に。


さて、一昨日に久しぶりに長女登場。

元気そうで安心したお父さんです。



学生の身分ながら、たくましく生きております。

困ったことがあれば言うのだよ、とだけ伝えております。

・・・

幸せになりなさい。

それだけが父の祈りです。


昨日のこと。

(じいちゃん)が初めて介護施設の下見に行くことになっていた。

さすがに弱ってきたじいちゃんですので、今のうちはまだあたしも風呂に入れてあげられますが、いよいよ足腰立たなくなっての入浴はじめ様々な介護は、いずれどちら様かに頼まないと無理なことと理解しております。

ただ、人見知りというのか人嫌いというのか、知らぬ人には慇懃無礼な態度をとりますじいちゃんで、プライドだけは高いのね。(さすが大正生まれ)

それを承知していますので、いきなりはまずいと思いまして、まずは介護施設の見学にヘルパーさんと行ってもらおうと試みた。

直前まで、「わかった、わかった」と言っていたのですが、いざその時間が近づくと、「絶対に行かぬ」とへそを曲げたらしい。

たまさか営業日の昨日の昼の出来事で、あたしは同道出来なかったのだ。

あたしが言うことには、その時は「はいはい」と言うのだけれど、母やヘルパーさんには態度を硬化させております。

お世話になっておりますケアマネさんによれば、アルツの人は(特に男性)こういうのが多いらしい。

とは言え、それがアルツであろうが老齢に寄るものであろうが、彼は嫌なものを嫌と言っているだけなんだな。

じいちゃん、それも面白いじゃないか!

今回の試みは失敗しましたが、今朝じいちゃんには素直に伝えておきました。

「おじいちゃん、あたしに行くと言ってくれたのに、行ってもらえなかったのが悲しかったよ」

それを聞いて、じいちゃんは何を思う?


生と死の境目があるのかないのかもわかりませんが、間違いなく間もなく死のうとしている人間がいます。

人間らしく生きることと人間らしく死に行くこと。

それの意味は、死に行く者にとってもさりながら、彼ら彼女らの死を看取ろうとする者にも大きな設問を与えている気がします。

じいちゃんの存在は、めんどくさいんだけれど、仏教の公案に向き合っているような面白さもあります。

「下座に生きる」

そんな言葉を思い出したりもしました。


まぁ、いずれあたしも死ぬんだよ。

・・・今が教えとなれば幸いと思います。

尊厳のある生き方、死に方を学びたいと思います。

・・・

あたしの人生、ますます面白くなってきております。


一光を給わず 沙羅の 寒夜かな
(いっこうを たまわず さらの かんよかな)

寒暁も 現の闇や 父の夢
(かんぎょうも うつつのやみや ちちのゆめ)

士に 一光を引け 寒の朝
(さむらいに いっこうをひけ かんのあさ)








2014年11月1日・・・これもまた記念日なのだと思う本日。

2014-11-01 14:49:00 | 己の記録
こんにちは。

11月1日、雨です。

今日は今日として、暦の上では昨日の続きの今日でもあり、人によってはかけがえのない今日であるものとも思います。


いろいろあったけど、生きていて良かったと思える今日。

それをかけがえのないと思える今日。

親としてありがたく祈る今日。


キミたちの幸せを、心から祈る。


by 父さん