こんにちは。
昨日の強い風が収まりまして、穏やかな本日となりました。
気持ちが良いので、氏神様の階段を10往復したよ。
(75段くらいあるから、750段を登った計算にはなりますね)
夏の予定の御嶽山は、これの50倍くらいはあるでしょう。
目標が定まれば、あたしに限らず、そこを目指そうと頑張れる。
魂がそこに向かうか向かわないか?
それが大切。
あなたも頑張ってください。(だれ?)
さて、散歩から帰ってきた午前7時半、突然電話が鳴りました。
コール2回でとってみる。(3回以上は営業マンとしては失格・・・と、若い頃習いました)
すると、受話器の先は、ばぁちゃんの声。
「しりもちをついて、立ち上がることができません・・・」
ばぁちゃんからのSOSだったのね。
取る物とり合えず、早速にばぁちゃん宅へ。
普段寝ているベッドのそばで、床の上に腰を落ち着けておりました。
「・・・立ち上がり方を忘れました」
幸か不幸か、これまではこういうことになったことがない。
そのせいかはわからないけれど、ばぁちゃんは、リハビリで立ち上がる訓練をこの頃していないようでした。
うっかりと足を滑らせて地面に着地したものの、立ち上がれず、どうにもならないばぁちゃん。
ひっくり返った亀ですね。
でも、亀はひっくり返すと、首を思い切り伸ばして、ものの見事に反転する。
ばぁちゃんは、亀よりも動きが悪いです。
70キロはあるばぁちゃんを50キロに満たぬじいちゃん(まして94歳)が起こせるはずもなく、SOSがきたということですよ。
転がっているばぁちゃんを見て、「あんた、ひっくり返った亀だねぇ・・・」と言いますと、そばで見ていたじいちゃんともどもゲラゲラと笑うご両人。
大事がなくて、良かったですね。
転がっているばぁちゃんを両の腕で抱きかかえて、フンッと持ち上げて、無事ベッドに座らせました。(ばぁちゃん、重いよ~)
まだまだ元気な二人ですから、あたしは今のところ、親の面倒を見ることに苦はありません。
でも、こんなことは、これから何度もあるのでしょうね。
大した意味はありませんが、あたしの存在に何かしらの意義があるとすれば、そのひとつは、この人たちを最後まで看取ることだとは思っています。
ただ、こんな言葉もあたしの中に存在します。
「仏に会いては仏を殺し、父母に会いては父母をも殺す」
仏も父母も殺しても、それでも極めたいというものを見つけることができたとしたら・・・
・・・
その時はきっと、父も母も、仏様も、「そうか・・・」とわかってくれるような気がします。
これは、父としても、子供たちに理解してもらいたいと思う。
キミたちが幸せになるのに、何の遠慮も要らないのだ!
・・・
とは言え・・・まだまだ、死ねんなぁ・・・と思った今朝のPでした。
昨日の強い風が収まりまして、穏やかな本日となりました。
気持ちが良いので、氏神様の階段を10往復したよ。
(75段くらいあるから、750段を登った計算にはなりますね)
夏の予定の御嶽山は、これの50倍くらいはあるでしょう。
目標が定まれば、あたしに限らず、そこを目指そうと頑張れる。
魂がそこに向かうか向かわないか?
それが大切。
あなたも頑張ってください。(だれ?)
さて、散歩から帰ってきた午前7時半、突然電話が鳴りました。
コール2回でとってみる。(3回以上は営業マンとしては失格・・・と、若い頃習いました)
すると、受話器の先は、ばぁちゃんの声。
「しりもちをついて、立ち上がることができません・・・」
ばぁちゃんからのSOSだったのね。
取る物とり合えず、早速にばぁちゃん宅へ。
普段寝ているベッドのそばで、床の上に腰を落ち着けておりました。
「・・・立ち上がり方を忘れました」
幸か不幸か、これまではこういうことになったことがない。
そのせいかはわからないけれど、ばぁちゃんは、リハビリで立ち上がる訓練をこの頃していないようでした。
うっかりと足を滑らせて地面に着地したものの、立ち上がれず、どうにもならないばぁちゃん。
ひっくり返った亀ですね。
でも、亀はひっくり返すと、首を思い切り伸ばして、ものの見事に反転する。
ばぁちゃんは、亀よりも動きが悪いです。
70キロはあるばぁちゃんを50キロに満たぬじいちゃん(まして94歳)が起こせるはずもなく、SOSがきたということですよ。
転がっているばぁちゃんを見て、「あんた、ひっくり返った亀だねぇ・・・」と言いますと、そばで見ていたじいちゃんともどもゲラゲラと笑うご両人。
大事がなくて、良かったですね。
転がっているばぁちゃんを両の腕で抱きかかえて、フンッと持ち上げて、無事ベッドに座らせました。(ばぁちゃん、重いよ~)
まだまだ元気な二人ですから、あたしは今のところ、親の面倒を見ることに苦はありません。
でも、こんなことは、これから何度もあるのでしょうね。
大した意味はありませんが、あたしの存在に何かしらの意義があるとすれば、そのひとつは、この人たちを最後まで看取ることだとは思っています。
ただ、こんな言葉もあたしの中に存在します。
「仏に会いては仏を殺し、父母に会いては父母をも殺す」
仏も父母も殺しても、それでも極めたいというものを見つけることができたとしたら・・・
・・・
その時はきっと、父も母も、仏様も、「そうか・・・」とわかってくれるような気がします。
これは、父としても、子供たちに理解してもらいたいと思う。
キミたちが幸せになるのに、何の遠慮も要らないのだ!
・・・
とは言え・・・まだまだ、死ねんなぁ・・・と思った今朝のPでした。