ぴかの独り言 GooBLOG vol.1

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再入院も長くなりそうです。

2024-06-29 11:45:06 | 病気

こんにちは。

もう6月も終わろうとしていますね。

今のあたしは、日付も曜日も関係ないような生活になっていますので、まして室内で温度の変化も感じられないから、下界の肌感がありません。

3畳ほどのカーテンで区切っただけの部屋のベッドの上で日がな一日を過ごしますので、尚のこと変化がない。

だから暇で退屈と言えますが、そう言いたくないあたしもいますから、壊れない限り使える脳みそで思考することを楽しみます。

とは言え、こんな楽しみが来たりもする。



孫3号の誕生日の写真。

そして、



次男が、お母ちゃんと飲んで、あたしの応援にいい気分で塾歌を歌ってくれた。

(よく覚えたもんだ)

みんな、ありがとう。


さて、前回の続きにもなりますが、しばらく考えていたこと。

会ったその日の夜に,水を飲みたいと言いながらかなわず亡くなったおじいちゃん

彼が幸せだったかどうか?は、あたしが関知するところではないと思いますので、それはそれとして、さて、あたしだったらどうであろう?と考えた。

その末期の瞬間だけ、飲めぬ水に念を残して逝くのであろうか?

はたまた、しょうがねぇなぁ・・・と達観できたのか?

それもまた、その時のあたしの精神状態とかもあるであろうと思いますが、ただ一つたぶんそうであろうと思ったのは、あの場面を救うのは、死ぬこと以外なかったのではないか?ということ。

彼の不本意は、もしくは痛み辛さは、死ぬことで解放されたのではないか?ということ。

となれば、死は決して忌避するものではなくて、むしろ魂の解放への手段だったともいえるのではないか?


どちら様にも理解いただけると思いますが、何より辛いのは、病気であるという事よりも、痛い辛いという事実的な痛み。

それをまず取り除くことが、当人にとっては喫緊となる。

死んでもいいから痛いのを取ってくれ・・・とさえ思うの、わかっていただけるかな?

今回の場面で、それをあたしは実際に見たような気がします。

死にたいわけではないが、死んだほうがいいくらいの辛さもあるという事。

精神的な痛みも含めて、それはあるとあたしは思うのだな。

元に戻る。

あのおじいちゃんがあたしだったらという思考の結論。

あれはあれで、なるべくしてなったのだと思う。

だから、そうならないように、極力入院しないようにする。
(救命はしていただくが、延命は避けたい)

そうなっても納得いくように、今できること、やりたいことはやっておく。

家族の負担も考えれば、最後見取りの場所で死ぬということは、悪いことではないと思う。

・・・

というようなことを、つらつら考えておりました。


子供たちへ

父の取り扱いは、こんな風にしていただけたらありがたい。

よろしくお願いします。






此処にあっても、あたしは生きている。

2024-06-24 04:00:57 | 病気

こんばんは・・・というより、おはようございますの24日午前4時。

@病院7階の病棟応接室。

早すぎて誰もいないから、よくこの時間にここにきて朝明けの窓外を眺めるのが好きですが、さすがに今日は早すぎてまだ暗いや。

さて、思い立って今朝はこちらから初めてパソを持ち込んで、ブログを書いてみようと思います。

いざ。


閉鎖空間となっていますこの病院というところですが、かつて申しましたように、あたしが言うところのはないのですが(少ないと言い換えたほうがいいかもしれない)、それでもいろいろなところで気付きはある。

この頃目にした他人様の投稿で、「入院したけれど、医療の様子がひどい」というものがあった。

医療も一律ではないから、出来の良いところ悪いところ、得手のいいところ悪いところがあるのかもしれないとは理解できる。

ただ、あたしもそうであったけれど,急な入院とか対処できるのがソコしかないという場合もあって、これは選択の余地がない。

今回の投稿主もご主人が事故だそうで、救急に入られたところがそういう対応なのを嘆いておられた。


今は、ご快癒と早期の退院を念じておりますが、それはそれとして、比してあたしのこちらは十分に満足のいく体制だと思います。

それでもよく見ていると、その理由というものがわかってきたりもする。

一つ気付いたのは、ご本人たちがどう思っているかはわかりませんが、お医者や看護師さんたちの努力というのか献身というのか?そういうものの上でようやく成り立っているという事実。

つまり、患者の尊厳をどこまで理解して対処できるかの精神的技術的な高度なことを、ここの看護師さんたちなどは十分に合格点というところでやっていると思うのですが、ご本人たちの精神的体力的な負担はそれは多大なものであろうとも想像できます。

それゆえ、ここの看護師さん(特に女性)に、年配の人が大変少ない。

若い女性が多いのはおじいちゃんにはありがたいですが、そうでないと務まらないハードさがあると思うのでありました。

「だから、患者の相手がぞんざいになっても仕方がない」という理屈は当てはまりませんが、負担のなるべく少ない範囲で、長続きする程度のお務めの中で、この患者の満足度、医療の高度さを保っていただきたいと切に思うのでありました。

ちなみに、患者もいろいろで、ものすごくわがままを言う輩もいる。

それでも献身的に対処する彼女たちには頭が下がるのですが、そこまでせんでもええだろう?と思うところもあってたまに進言したりすると、彼女たちは黙ってしまう。

そこは、先輩というのが指導するといいなと思ったりしますが、先の通りに先輩があまりいないから、直近の若い先輩がお手本になっていて、その為に過剰かもなとも思える看護?をすることになっているのかもしれないと、理解しているところもあるのでした。


次。

入院が長かったから、いろいろなシーンに出くわしました。

楽しいこともありましたが、



心に深く残っているのは、こんな場面。


3カ月ほど前かな?

部屋の移動があって、個室から大部屋に移った。

それくらい、あたしの症状は改善してきたのだろうと思っていた。

その4人部屋に、一人おじいちゃんがいた。

およそ動ける様子もなく、御一緒したその時点から何やら念仏のようなものを寝たままでゴニョゴニョ口籠っていた。

で、相当のお年のようだし、半ボケのおじいちゃんが訳もわからぬことを一人口しているのかと思っていたら、たまに看護師さんが見回りにやって来た時にハッキリしゃべるのを聞いて、それがなんであるのか理解した。

このおじいちゃん、水が飲みたかったのだ。

ただ、病気のせいかお医者から止められているらしく、看護師さんも「飲ませてあげられないんです」と答えていた。

そして・・・その夜おじいちゃんは、亡くなった。

・・・

これは一体なんであるのか?

その時のあたしの、咄嗟の感情でしたね。


事の良し悪しを言うつもりはない。

それぞれの立場で、それぞれが良いと思った結果であった。

が、あたしは今一つ釈然としない何かがいまだに残っている。

人間の尊厳というものの扱い。

あのおじいちゃん、今生、幸せだったんかな?

そうでありますように。

それがずっと残っています。合掌。


さて、この頃も変わらず、あたしゃ入院生活が続いておりますが、下痢も相変わらずでその上に投薬のせいで浮腫みもすごい。



足首以下が象の足になりまちた。

足首が膨れすぎて曲がらないから、歩けないヨ。

これが結構つらいのよ。

でも、リハビリ頑張りまっす。

これも見せちゃおう。

ドン!




心電図みたいなの二つ付きの、サイボーグP。

どや、カッコエエだろ?


そして、とどめだ!




オムツだよ。

腸がGVHD(二つの免疫が体の中で軋轢を起こして調子の悪い状態になるのだ)で、それが下痢の原因らしいのですが、便の量を計るのにオムツで便を取ります。

もうすっかり慣れました(当初は大騒ぎ)・・・エヘッ!


絶食も10日を過ぎまして、固形物を10日間食べてないよ。

味覚障害もあるから美味しいものが食べられないとわかっていますが、おなかが頼りないのだな。

2日前から腸の練習にと言われて、飲み始めたのがコレ。



顆粒のこいつを、朝と昼、お湯で溶かして飲む。

甘いです。

一日、朝昼、100ccずつ飲みます。

それで腸を鳴らしているらしいです。

あぁ、ちょうですか?・・・はい、ちょうです。
(最近身内で、腸ネタが多いな)

・・・

あ、夜明けだ!


さて、今日もおじいちゃん頑張りまっす。

いつもながらの何の役にも立たぬブログですが、ご高覧いただき、ありがとうございました。

どうぞ、あまねく穏やかでありますように。


悲願の退院から、ひと月足らずで再入院のP・・・ガックシ!

2024-06-18 14:26:01 | 病気

こんにちは。

また前回ブログから10日ほども過ぎてしまった。

今回は、出来事大杉でのブログ遅延でした。

では・・・


6月7日の診察では、手の甲に発疹ができたことくらいの異常で、数値的には何ということもなく解放。

その後、前回の入院前にやり残した諸々をやっつける。

まずは、店の在庫処分

こういうのを残すと、次代の子供たちが困ると思って、あと5年ほどはやるつもりだった呉服屋をエイヤッ!と閉めて、在庫を処分したりました。

如何ほどにもなりませんでしたが、一つ仕事を終えた感覚はあります。



昭和29年から親が始めた豊坂屋ですが、ついにキレイになりました。

ありがたく商売させていただきました。

店も着物たちも、ありがとうございました。

林さんにも、ありがとうございました)


当日は同時に、次男の部屋のクーラー取り換え。

これは以前、退院の折に「カビには気を付けなければいけない」と、退院後の生活の指示みたいなところで言われましたので、早速にクーラーの掃除を頼んだら(この時は琴美ちゃん、ありがとうございました)、3階の次男のクーラーは古すぎて、掃除すると壊れるかもしれないということで買い替えることにした。

ついては、3階はバケット車でないと工事ができないということで、こんな。



お金はかかりましたが、背に腹は代えられぬ。

でも、すっかりピカピカのクーラーが入りました。

ちょうど次男は東北旅行にお母ちゃんと行っていまして、メールでそのお知らせもした。



大変楽しそうな画像が送られてきました。

同じころ、長女のところからも画像が来た。



孫5号の宮参りをしたらしい。

そういうところは、長男もやりましたが、呉服屋という血筋があったのかもしれない。

3人子持ちのお母さんとなりました長女ですが、貫禄が付いてよろしい。

あとは、家族みんなで、幸せへの道をズンドコと行っていただきたいと思います。

体だけは気を付けてね。


あたしはというと、まだまだリハビリ途中の体ながら70%ほどは回復したと思われ、ゴソゴソ動いておりました。



お目にかけるのが恥ずかしいですが、店の事務所にあったタイムドメインを2階に持ってきて、簡易シアターとして大音量下での料理も可としたりました。


そんな中、14日にまた定期の診察となり出かけましたら、なんと!・・・血液の数値に引っ掛かり即入院のご沙汰が下ってしまった。

この頃、下痢が続いていて嫌な予感はしていたのですが、やはりというかなんというか非情な通達を受けてしまうのでありました。

で、虫の知らせもあってか?来るときにトランクに簡易の入院の用意を付けて持ってきていたので、その日はそのまま即入院。

で、足らぬものもあるので翌日に持ってきてもらって準備を整えた。
(車も置いておけないから、義兄に乗って帰ってもらった…兄さん姉さんありがとう)

そんなして、不本位ながら前回退院一か月を待たずして再入院と相成ってしまいましたP。

大変ショックですが、こればかりはどうにもならぬ。

その後の検査等で、治療に当面ひと月くらいかかるらしいですが、その間また次男には一人暮らしを頑張ってもらい、姉たちの協力もまた得ながら治療に専念します。



あ~あ~・・・そうして振り返っても、娑婆は本当に光にあふれておりました。



前回の宮参りの画像に引き続き。長女が写真館でとったのであろう孫たちの晴れ姿。

こんなの見ちゃったら、おじいちゃん、もうちょっと生きたくなります。

がんばるべ。

いろいろお世話になりますが、どちら様にもよろしくお願いします。

ありがとうございます。

 


ちょっとご無沙汰でした。

2024-06-06 15:17:29 | 病気

こんにちは。

前回ブログから、10日以上経ってしまいました。

FBには載せているから何もなかったわけではないですが、とは言え、書くほどのこともないかと思って今日まで来てしまった。

いかん、いかん、、、このままでは、ばぶちゃん日記の二の舞だ!
(ばぶちゃん日記=http://blog.livedoor.jp/oum2010)

頑張ろう。


さて、おかげ様で体は順調で、毎日のように田んぼへあいさつに行きます。



先日、畦に咲く小さな花を見て、美しいと感動したり、地面を乗っ取るかのように群生するクローバーを見て、元気でよろしいと声をかけておりました。

それを見て、四葉はないかしらん?と探している途中で、ふと感じたこと。

「せっかく生きておるのに、摘んだら死んでしまうがな」

それは不思議な感覚でした。

昔、茶道にはまっている頃、そこの先生が、

「花は贄(にえ)なんじゃないかとボクは思う」

と、床の間の花を見つめながらおっしゃった。

それと同じ感覚なのか、今はそれが理解できる。

そう、きれいな花を捧げるのではなく、その花の命を捧げるのだな。

そんなことを思った田んぼでした。



(少ししっかりしてきました苗たちです)


昨日は、前日に姉たちがまたぞろ可愛い病人の弟のあたしの為に、お掃除おばさんとしてやって来て、汚いところを見つけてはお掃除してくれました。

その折、「藤井達吉美術館に岸田劉生がくるよ」と長姉が教えてくれたので、では早速行きましょうと勇んで碧南美術館へ行ったのですが、タダ券(1000円)を忘れたことに気が付いて、近いせいもありますがいったん戻ってきた。

で今日、捲土重来と行ってきました。

中は撮影禁止ですので、こちらだけ。


玄関を入るとすぐのところにおりまして、この人が藤井達吉さんらしい。

碧南が生んだ芸術家らしいですが、あたしは知らなんだ。

で、そのゆかりの春陽会という美術団体があるそうで、今回はそのメンバーたちの絵が飾られております。

中でも有名なのが岸田劉生の麗子像

そう、どこが可愛いのかわからん、幼女の絵。(違いますか?)

それももちろん見ましたが、他にも結構好きな絵があって良かったです。

こうして、あたしのゲイジツのひと時は終わりました。

その後まだお昼前なので、思い立って、名古屋の平和公園まで走ります。

母方の家系の先祖が眠る墓地に参禅。

お墓はありますが、唯一の家系を引き継ぐ母が亡くなって跡取りがいなくなったからと、随分前に合同墓に入れてもらった。



生きたおおばあちゃんをあたしは知りませんが(小さな写真が一枚だけ残っています)、墓前で手を合わせて心経を唱えていたら、「よく来てくれた」と語られたような気がしました。

家の仏のいる部屋で毎朝のお務めは欠かさずに、このおおばあちゃん(りょうさんと言います)にも挨拶しておりますが、あたしが来れるうちは、また来るからと約束してきました。

その後、近くにある、母の妹の墓もお参り。

ここで墓石に水をかけて、心経を唱えていたら、

「テルちゃん、まだ早い。まだ来なくていいからね」

と声を聴いた。

どうやら、おじさん(妹の旦那)とおばさん(妹)が、それぞれにあたしを見て話している。

う~む・・・不思議な感覚をまた覚えてしまった。

それでもそれはとても穏やかな気配で、あたしは二人に感謝したです。

おじさんもおばさんも、どうぞ仲良く穏やかでいてね。

(ちなみにおじさんは、ヘビースモーカーで大酒飲み。そんな彼は、87で亡くなった。おばさんが74で亡くなるまでアルツハイマーを7年くらい患い、このおじさんは家でほとんど意識のないおばさんの看病を続けていた。あたしが行ったとき、「痰を取るのがうまくなったよ」と話していたおじさんが、急に思い出された今回でした。)


そうそう・・・もう一つだけ、昨日のことを書いておこう。

昨日は、ゲイジツ的に過ごすのを断念した後、約束で二人の女性と会いました。

一人がこちら、




相変わらず元気な美子ちゃん・・・と思いきや、この頃お手々の手術をして、大丈夫と言いながらもその包帯が痛々しい。

でも、笑顔はさすがでした。

最近の美子ちゃん、人生の岐路の時期なのか?変化が連続しているらしい。

そんな話をちらほらとしながら、あたしの退院お礼と、ささやかですがお礼の品を渡しました。

美子ちゃん、幸せになれよ~!


その後もう一人、こちら。



後光が射すほどのエエ人、寿美ちゃん
(帽子をかぶっているから、あたしの頭のせいじゃないぞ)

この方にも、病気中お世話になりまして、お礼のお品を渡しました。

寿美ちゃん、その節はありがとうございました。


とまぁ、そんなこんなの最近でありました。

さて、明日はまた検査がありますので、朝6時に病院へ向けて出発です。

できれば、何事もないことを願っています。

どちら様か知りませんが、よろしくお願いします。

ありがとうございます。