ぴかの独り言 GooBLOG vol.1

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2016 大晦日

2016-12-31 09:02:00 | ノンジャンル
おはようございます。

2016年の大晦日です。

どちら様にも、大変お世話になりました。

本当に、ありがとうございました。


来たる年も、皆様に、佳きことが怒涛のごとく押し寄せますようにと祈っています。

どうぞ、よいお年をお迎えください。

そして、又よろしくお願い申し上げます。


かんながら たまち はえませ

かんながら たまち はえませ


ありがとうございます!


2016 営業最終日

2016-12-27 12:16:00 | ノンジャンル
こんにちは。

今年最終の営業日です。

来年3日まで、豊坂屋はお休みをいただきます。

よろしくお願いいたします。


昔は今年の10大出来事とか言って総括していましたが、この頃は全くしていない。

めんどくさいというより、今ここに意識が向いているからかもしれません。

何が大事で・・・という感覚は、気づきという言葉に似ていますが、しょっちゅうあります。

それでいいと思っています。


平安で穏やかな今となりますようにと祈りながらの生活は、悪くない。

ただ、何事かの時に対処できるは研いでおきたい。

それは、あたしの本能だとも思っています。

だから、心地よ~く緊張しながら、さて今日も、お父さん頑張りまっす。


そばでももちゃんが応援してくれているような気もします。

もう14歳になるももちゃん。

まだまだ、元気です。

お互い、頑張ろうぜ。





よあけて であえて

2016-12-24 12:24:00 | ノンジャンル
こんにちは。

この頃、おばか仲間の殿さま

「う~さんに誘われて、急遽出演しました」

という、これはなんというのか?祈りの競演みたいなイベントがあった。

ご縁の方が何人か出ているものですから、あたしはぜひ見たいと思ったら、その時のDVDがあるから、ぴかさん買って見てください、と、殿さまからお知らせが来た。

で、早速買った。




精神世界(スピ系)という言葉はあまり好きではありません。

興味がないわけではないですが、心と魂を混同していて、心理学と呼んだ方がいいんぢゃないかと思われることが多いと思っているから、この頃はそういう系統はさっぱりです。

ただ、実体験としてあたしの仲間に、あちら様(どちらさま?)の声を聞く方がいる。

どう考えても、訳が分からんけど、あちら様の声が聞こえているとしか思えん人がいる。

そういう摩訶不思議な人たちの共通点は、祈りにあるとあたしは睨んでおりますの。
(このあたり、説明が難しい)

とは言え、祈りって、なんぞ?


先日のダライラマさんのお話で出ましたが、愛と慈悲は、宗教で言うところで、彼らが言うところの祈りに大変近いと思っています。


愛とは?

相手が愛に満たされていたらいいなあと思う気持ち。

慈悲とは?

相手が苦しみから解き放たれることを願い、祈る気持ち。


そんなことを、いろいろな場面を通じて、真剣にあまねく幸せでありますようにとしている方々のイベントが、「よあけて であえて」だと思っています。

ヘンな人たち。

ただ、その方たちの笑顔と言ったら、例えようもなく皆素敵なんです。

あたしの大好きな人たちです。


余談ですが、さとううさぶろうという中心人物がいまして、あたしはう~さんと呼んでいますが、例えばキリスト様とかお釈迦様とか、その人たちの神性が1000として、このう~さん、900越えらしい。
(そんなことを測る装置があるらしい・・・完全にあちらにイっている人たちの話ですね)


ついでにもう一つ余談ですが、10年ほど前にう~さんに会った時、おばか仲間の誰かが、あたしの印象を聞いたんだって。

そしたらう~さん、「何でもない人だよ」と言ったらしい。

あれから10年・・・

何でもなくていいけど、ちょっとだけでも、命が活かせたら良いと思っています。

これもまた、祈り。


昨日届いたこのDVD。

ヒマを見て、楽しみたいと思います。

画面を通じて、みんなに会えるのも楽しみです。





アロエの花

2016-12-22 13:49:00 | ノンジャンル
こんにちは。

今年も残すところ、9日となりました。

ありがたくも今日という日は変わらずに訪れますが、時というのは面白くて、一瞬たりとも同じではない。

だから、同じ12月22日も、かつて迎えた12月22日ではありません。(当たり前)

それが当たり前と思うのは、時という概念があたしにあるからであって、改めて今ここは、やはり一時も同じではないですが、だからと言って比べてもしょうがないこの一瞬だと感じています。

そういう意味においては、比べるものがないのだから、今ここは、永遠に変わらずに存在しています。

その中で、あたしは幸せに向かって生きたいと祈っております。

(しょっぱなから、おかしなことをあたしは言っているのかもしれません)


なんでそんなことを思ったかというとね・・・

今朝、これを次男が見つけたんだ。



2階のベランダに放置していたアロエに、がついていた。

それも、5つも一斉についていた。

サボテン系の花は、なかなかに咲くことがありません。

リュウゼツランだったか?100年に一度とか言われて、それを目にするのは珍しいらしい。

アロエの花がどの程度で咲くのかはよく知りませんが、あたしゃ初めて見たですよ。

このご縁、なんでしょう?


そんな珍しい光景に出合って、あたしが何を思ったかというとね・・・

今年は2月にじいちゃんが亡くなりまして、小さなお葬式を家族で慎ましくあげたんだ。

97歳のじいちゃんは、多分大往生と言っていいとあたしは思っております。

ただ、送るあたしに悔いがないかと思えば、ああしてやればよかった、こうしてやればよかった・・・と思うこともあるのです。

すでにかなわぬこの思いは、位牌となりましたに、毎朝の勤行として祈り続けております。

そんな今年の今日に出会った、アロエの花

このアロエ。

実は、どうだろう?あたしの物心がつく前からあったと思いますが、が、ヤケドなんかするとこれが効くからと言って、庭に植えていたものを、17年ほど前に家を新築するにあたり、あたしがこれだけをベランダにもってきたんだな。

だから、もう何十年にはなると思いますが、花なんぞ見たこともない。

それが今年咲いて、あたしはとっさに「贄」(にえ)という言葉を思い浮かべた。

・・・神様への捧げものとか、お礼のモノとか、そんな意味です。

かつてあたしがお茶を習っていたころ、師匠が、

「床の花は、贄だとあたしは思います」

と言われたのが、ずっと頭に残っている。

贄・・・それが誰のためかは、捧げる側の意識に依るんだと思いますが、今回の花は、あたしと関係なく咲いた。

だから、それはあたしが捧げたものではない。

ただ、それを見たあたしがそう思ったとたん、これは何かしらんどちら様かの意志とあたしの意識が含まれた父への贄となったと、あたしは感じてしまったんだな。


手折って仏前に供えようかと思わないではなかったですが、父のことですから、

「それには及ばん。生かしてやれ。」

という言葉も想像は出来まして、そのままきれいに咲いていただきたいと思います。


偶然と言えば偶然。

でもね、そこに生まれた物語は、あたしには意味がありました。

そんああたしを、じいちゃん、はて?なんと思っているでしょう?

笑っていただけたら、それで良い。


今日は神棚掃除をしました。

つつがなく、今年を終えられますように。

来たる年も、どうぞどうぞ、あまねく穏やかでありますように。


ありがとうございます。