ぴかの独り言 GooBLOG vol.1

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この頃、ヤギのメイとユキがあたしを呼ぶんです・・・?

2020-02-26 15:03:00 | ノンジャンル
こんにちは。

どちら様も、どうぞコロナに負けんようにご自愛ください。


さて、定休日なんだ。

その初日の昨日は、お仕事で常滑市の仕立て屋さんに向かいまして、毎度ついでながら、ヤギに会いに行きました。

・・・いた。



飼い主の美子ちゃんも、たまさかいた。

この美子ちゃん、ヤギの飼い主にして、地元の竹林整備に心を砕いておられます。

あたしゃ、大したことが出来んですが、応援しておりますの。

で、可愛いヤギに会いに来るたびに、竹林整備の一助として、ここにきた折、無駄な竹を一本切る!というのを自分のノルマにしています。

意味はわからんでよろしいが、放置された竹林では、竹がやりたい放題に茂ってしまいまして、無駄な竹は切らんとイカンのだな。


で、どの竹を切ったらよいか?というのを、先週の竹林整備の講習で聞いたから、それにそって、適当な竹を切ってやろうと思います。

あたしも前回はじめて聞いたんだが、「理想的な竹林は、傘を差しても歩ける程度の竹の間隔がよろしい」・・・らしい。

目下の竹林は、両手を伸ばすと、へたをすれば10本くらい茂っています。

ただ、それにも切るか切らぬかの順序はあるらしい。

う~む・・・とりあえず、枯れた竹は切ってもよさそうなので、葉の枯れたやつを見つけて、切ります。(葉が枯れた竹は、朽ちるだけの竹なのだな・・・ちなみに、竹の寿命は、5年らしいです。)


そんなして、カーマかどっかで買った680円くらいのノコギリで、1本切ったりました。

それはそれで良い。

が、それを見て、美子ちゃんが言った。

「ぴかさんの・・・小さいね(失笑)」

・・・

ガビーン!

そこまでいわれては、あたしの股間、いや、沽券に関わる。


明けて翌日の本日も定休日。

朝一番で、コメリにノコギリ買いに行きました。

そして、筆下ろし。



ヤギのユキとメイも、あたしのが大きくなったことを喜んでいるようです。(あほ)


丁度先週お世話になりました神谷さんもいまして、ご挨拶できてよかったところで、不要そうな竹を一本切ってやった。



さすがに、新しいノコギリは、680円のこれまでのとは違いました。
(今回のは、1380円・・・それでも、やっす!)


竹林を整備することの意味・・・あたしゃよくわからんのよ。

今度、美子ちゃんに聞いてみよう。

ただ、そこに一生懸命な彼女の熱意は、ハンパないとわかる。

熱のある美子ちゃん・・・応援したいと思います。


3月になったら、ここでキャンプしたいとも思っています。


眼前のセントレアから発着する飛行機を眺めながら、飲んでみたいと思います。



おじいちゃんはお留守番

2020-02-18 15:09:00 | ノンジャンル
こんにちは。

いつもは事務所に据え置きのパソで書いていますが、今日は珍しく、以前、丸ちゃんに使えるようにしてもらったノートパソコンで、書いています。

丸ちゃんのおかげで、2階の食卓でも、こうして使うことができるようになりました。

丸ちゃん、ありがとう。

(何もお礼をしていない・・・そのうちにネ。テヘペロ。)


昨日から3日間、次男お母ちゃんと岡山へ遊びに出かけています。

おじいちゃんは、ももちゃんとお留守番なのだ。

そして、丁度定休日となりました本日は、昼からすることがなくなりまして、ちょっとサブいですが、散歩に出かけてみました。

毎日の散歩は、近くの氏神様までのせいぜい2㎞。

今回は、海のほうに向かって歩いてみます。


2kmほども歩くと、もう海なのだ。

そこから、海底トンネルのあるほうに向かって、のんびり歩いていくのだよ。

途中、でっかいクレーンみたいなやつが、轟音を上げて動いておりました。



海をしゅんせつする機械かな?

高さだけでも、40mほどありそうです。

あまりにでかいものとかきれいなものを見ると、それだけで感動します。

今回のこれは、圧巻でした。

しばらく見ておりました。

(見ているだけで、楽しめる)


その後、海底トンネルのほうに向かって、いっそのこと碧南まで行ってみようかと思いましたが、急に曇ってきて雨まで振り出した。

これは急いで帰らんといかんのですが、歩きだから、半ば濡れるのを覚悟しましたね。

それでも何とか雨は免れて、無事帰宅。

歩数計を見れば、



2時間ほどで、なかなか歩いておりました。


次男の初日の様子が、FBで送られてきます。

楽しんでいるようです。

お母ちゃんに、ちゃんとお礼は言うのだよ。(業務連絡)

そうして、しっかり楽しんできてください。






隊長 まさかの河和口で撃沈

2020-02-12 14:16:00 | ノンジャンル
こんにちは。

今日は、田んぼ同好会での切り込み隊長のお話をします。

その名を、磯貝くんと言う。

切り込み隊長だから隊長と呼んでいるのではなくて、ボーイスカウトを長いことやってきて、あたしが知り合った頃・・・20年以上前だと思いますが、当時、ボーイの隊長をやっていたから、田んぼ同好会ではいまだに隊長と呼ばれています。
(たぶん、今ではもっと上のランクのお方だと思っています・・・知らんけど)

とてもいい男。

そんな彼が、この頃の出来事をメールで送ってきてくれた。



そして、



父子3人の幸せそうな画像を送ってくれた。


なんだろうね?

とても嬉しかったんです。


そんな話を次男にしたら、

「河和まで、もうすぐだったのに・・・」

と、我がことのようにつぶやいておりました。

(以前、名鉄沿線を、行ける所まで歩いてみるということをしたのですが、ここからあと3KMほど行くと、河和駅という名鉄河和線の終着駅になるのです。そこに、あたしも次男も完遂していたのでした。)


あたしはそれとなく思うのですが、隊長の下の息子はまだ小学生で、その様子を見ながら、お父ちゃんは敢えてギブアップと言ったのだろう。

そうかどうかは知りませんが、田んぼでバリバリ動く隊長を知っているあたしですよ。

学生時代、ラグビーで鍛え上げた隊長ですよ。

そして、家族思いの、とても優しい隊長です。


機会があったら、あたしと次男も参戦して、一緒に歩いてみたいと思います。

一番先に脱落するのが悔しいですが、おじいちゃん、頑張ってみたいと思います。
(死んでもギブアップしないという覚悟で臨みたいと思います・・・62歳の決死の覚悟


この頃の素敵なお話でした。

ありがとうございます。

98歳の命・・・ほとばしっておりました。しょの2

2020-02-06 09:48:00 | ノンジャンル
おはよ。

今日はつべたい。

風邪引かんようにしましょう。


さて、昨日の続き。

そんなふうにお世話になりましたオジサンとオバサンですが、10年ほど前にオジサン他界。

実はオバサン、オジサンより7歳年上で、現在98歳

そのオバサンが、突然長姉に電話をかけてきたというわけだ。

オジサン没後、あたしも姉たちもずっとご無沙汰でしたが、もしかしたら亡くなっているのではないかとさえ思っていた。

およそ10年ぶりにかかってきた電話で、「テルトは元気か?」と尋ねてくれたらしい。

そして、皆で一度来い と姉に言ったらしい。

生きていることに驚いたですが、98歳のオバサンは、電話の先でかくしゃくと話をしたと言う。

これは行かねばなるまい・・・

姉たちと早速に相談しまして、4日の1時集合で、あたしだけが知っているオバサンの自宅へと向かったのだ。


車で15分ほどのところ・・・近くて遠いオバサンのうちがあります。

いくら電話で元気そうだからといって、ほとんどヘルパーさんに助けられての様子だと全員が思っていた。

開いている玄関を開けて、大声で呼んでみた。

「オバサ~ン、来たよ~」

が・・・返事がない。

しばらく呼んでも反応がない・・・死んでいるんぢゃないか?

で、勝手に上がってやった。

すると・・・彼女はいた。



耳が遠くて、聴こえなかったらしい。

とりあえず安心して、久しぶりの挨拶を交わした。


行くと伝えてあったから、オバサンは昔のアルバムなんぞをたくさん用意して、首を長くして待っていたようだ。

それらを見せながら、60年前からの思い出話を、それはそれはいとおしそうに楽しそうに話してくれた。

その話は、あたしたち姉弟の大切な思い出でもありました。


今の暮らしぶりを尋ねてみると、体こそ弱ったものの、料理、洗濯は自分ですると言う。

聞けば、半年前に腸の手術もしたと言う。

何人もの医者に、歳もあるからと断られたと言っていたが、それでも彼女は生きる覚悟を決めていたから、やると言う医者を見つけ出したらしい。

言葉の端々に、「一人で生きる」と何度も言った。

そして、「一人で生まれて、一人で死ぬんだよ」とも言った。

この人、生きることをまったくあきらめていない。

生きられるだけ生きることに、信念を持っていた。

オバサン・・・スゲェわ!

姉たちともに、感激しまくりの邂逅でした。


1時間強の滞在で、そろそろおいとましますというところで、オバサンはひょこっとピアノの前に座り、「校歌を覚えているか?」と言って、小学校の校歌を演奏しだしたんだ。

あたしは大声で歌ってやりましたよ。

オバサンへのエールのつもりでした。


帰り間際、洗濯物がベランダに干してあったから、「これ、入れるかい?」と言えば、「やってくれると助かるわぁ」と喜んでいた。

そして、「また手伝いに来てね」と言った。

また来なくてはならなくなった、あたしたちでした。


98歳の小さな体のオバサンは、一人で見事に生きておりました。

いやぁ・・・久しぶりに感動したわ。


あなたの生き様、見届けたいと思いました。

そんなお話でした。

98歳の命・・・ほとばしっておりました。

2020-02-05 16:06:00 | ノンジャンル
こんにちは。

昨日は朝一で、歯医者で定期健診。

3ヶ月に一度、あたしの口の中を診てもらいます。

歯並びが悪いからね、インプラントが3本も入っている。

その上に、歯磨きとか気にするようにと、若くて可愛い歯科衛生士さん毎度言われますが、あんまり手をかけていない。

それでもプロの呉服屋のあたしだから、歳をとったこの頃は、口が臭いんぢゃないか?と、接客前には口臭剤を使うようにもなった。

(実際に臭いかどうかはわからないのだけれど=自分では臭くないつもりなんだけれど、出会うオヤジ・・・オバサンも実はいる・・・で、平気で臭い息をしている場面があって、わが身を振り返るわけですの。)

今回も、25歳 独身 ここに勤めて3年ですが、可愛いからといって、患者さんに容赦はしませんからね!ウッフン!・・・という雰囲気の歯科衛生士さんに、しっかり歯の面倒を見てもらいました。

大変すっきりいたしました。

ありがとうございます。


その後、昼一で、姉たちと合流。

実は、70になる長姉のところに、この頃電話があったそうな。

その電話の主が、かつてあたしたち3人姉弟が大変お世話になった学校の先生の奥さま

話せばものすごく長くなるのだが、昭和25年生まれの長姉が小学生に上がり、1年から6年まで連続6年担任を請け負ったと言うのが、今回電話の主のご主人だったS先生

でね、このS先生、自宅で子どもたちにも勉強を教えていた。

それがまた今で思えば不思議なんだが、みんな商売人の子どもたちで、忙しい親にほったらかしにされている子どもたちの面倒をみるという、今で言うところのフリースクールみたいなことをやっていた。

実はこのご夫婦には子がいなかった。

だから出来たのかもしれないと、後年になって思いました。

そんなS先生、長姉から始まって姉弟3人、全員が学校が終わるとここの家に通って、お勉強をする。

が、そのお勉強・・・多少市販のドリルみたいなのをしますが、その後は自由。

ある日の思い出・・・

画用紙に、未来の様子を描けという。

当時の小学生(3年生くらい)らしく、鉄腕アトムに出てきそうな絵を描いたあたし。

そこに、今あるように、4輪で走る車を描いたんだな。

それを見てこのS先生(当時は、男先生をオジサン、奥さんをオバサンと呼んでいた。オバサンは、そこでピアノも教えていた。)、

「テルト。未来の車には、車輪がないかもしれないな。」

と言った。

今でもよく覚えていますが、子供心にそれは衝撃的でした。

あとね、その家にはでっかい秋田犬がいた。

名を、リキといった。

こいつがいつも、家の中でウロウロしている。

そいつの散歩にも、よくつき合わされた。

小学生3年生のあたしに、おじさんがリードを持たせて、近くの幼稚園の園庭に行くんだな。

秋田犬だから、小学3年生のあたしにはとてもでかい。

そんな犬が、時として走ろうとする。

・・・すっころんで、ベソかいたです。

それを見て、オジサン、嬉しそうに眺めておられました。

まだまだある。

このオジサン、酒が大好きで、ここに行くといつも飲んでました。

(オジサンは、小学校の教師だった。昔のことだからと思いますが、5時ごろには、もう家にいて、飲んでいた。そんなオジサンのもとに、あたしたちは通っていた。・・・とてもエエ時代)

そんなオジサンは、いつもコタツに座って酒を飲みながら、おばさんの手料理が運ばれていた。

そしてオバサンは、あたしたちにも、食え飲めと、勧めてくれた。

こうなると、フリースクールと言うよりも、延長保育みたいなもんだな。

今だから言いますが、このオジサン、のんだくれでした。

でもね、気持ちよく飲みながら、さっきみたいに、ハッとすることを教えてくれました。

とっても楽しい先輩(二つ上の大好きな人で、その後も随分可愛がってもらいました。早くに死んじゃったんだけれどね)が、あんまり勉強が出来ないから=つ~か、この人、やれと言われたドリルもやらないで平気な人だった)がいてね、業を煮やしたおじさんが言ったのが、「お前はタイヤを洗っとけ」だった。

当時、オジサンはスバルに乗っていた。

あんまり見ない車だなぁと子供心に思いながら、「スバルが好きだ」とオジサンは終生スバリストだった。
(あたしが通い始めの頃は、スバル360=天道虫でした・・・あぁ、懐かしい。)

そんなオジサンの愛車を、このT先輩(当時小学5年生)は、バケツにタオルで、文句も言わずタイヤ洗ってました。

いつも生徒が、7~8人いたかなぁ?

それぞれに、それぞれの家庭の方でした。

そんな子どもたちを、オジサンとオバサンが面倒見てくれてました。


あんまり書くことが多過ぎて、今日はこれまで。

タイトル・・・さて、なんでしょう?

請う、ご期待。