ぴかの独り言 GooBLOG vol.1

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デジタル音痴

2017-03-28 13:05:00 | ノンジャンル
こんにちは。

次男が持っていたauタブレットがあります。

当初使っていましたが、とある事件をきっかけに、強制的にスマホともども解約してやりました。

だから、タブレット本体だけがある。

で、この頃のことに画面がでかいから、陽ちゃんの動画などをお嫁ちゃんが送ってくれるから、それを取り込んでばあちゃんに見せていた。

(あたしのスマホだとそのまま見えますが、画面が小さいからよく見えないと思っています)

そんな今朝もまた、お嫁ちゃんから動画が来て、さて取り込もうと思ったのだが、どうしてもそれができない。

こうなると、デジタル音痴のお父さん、全くのお手上げとなります。


こんな時、長男がいてくれたらと思いますが、それは叶わぬことで、前回通りにやっても出来ない動画の取り込みが、あたしはとても情けない。


ばあちゃん・・・ごめん。



孫ネタ うひひ

2017-03-24 09:31:00 | ノンジャンル
おはよ。

今朝も散歩。

歳のせいか、腰が本当に弱くなって、ちょっとした負荷がかかると「イテテ」とすぐなる。

事務所に座ってばかりが一番いかんのだろうなぁと思いつつ、平生は事務所にいるしかないのです。

ということで、せめて散歩だけでもと思っておりますの。

亀太郎にも、あと何年乗れるのやら?

不安はありますが、世間様にご迷惑をかけぬよう、楽しみたいと思っています。


さて、一昨日は、春彼岸に合わせて、お墓参り

名古屋の平和公園にあります、母方のご先祖様をお参り。

昔からの墓はあったんだが、数年前から考えていて、墓守の心配がない方が良いと親とも相談して、ご先祖様ご一堂に菩提寺の共同墓に入っていただくことにした。

亡きあとは、あたしが母方のご先祖をまつりますが、それは出来るとして、その後のことを考えて、こんな形になりました。

責任を取って、あたしもそこに入ります。

アチラで怒られても仕方がないかもしれませんが、ご先祖の仏心に期待しております。

よろしくお願いいたします。




そんな春の墓前で、来し方のこれまでなんぞをつらつらと考えながら、ちょうど家に帰りましたら、お嫁ちゃんから陽ちゃんの映像が送られていた。



(ここでは動画は取り込めんかもしれない)

未熟児で生まれたからかもしれないが、この頃ようやく笑うようになったとお嫁ちゃんが送ってくれた。

もうね、可愛さ1万倍!!!

100回くらい繰り返しで見て、喜ぶあたしでございました。

おじいちゃんになれて、幸せでしたのよ。

ニヤニヤしながら、「これもまた、ご先祖様のお陰だよなぁ・・・」と、妙な感慨に浸っておりました。


死という言葉に付きまとう何かがあるとして、生を満足している時は、その何かはとても少なくなっているんぢゃないかな?

陽ちゃんがママを見ながら、ニコニコしている様子を眺めて、おじいちゃん、もう大満足だったです。

ありがとうございます。



陽ちゃん その後

2017-03-18 10:15:00 | ノンジャンル
おはよ。

連日の卒業式の着付けです。

だいたい6:30くらいにご来店が多いです。

あたしは店を開けさえすれば用がないですが、そんなあたしよりも着付けの先生が大変ですの。

地元の着付けの先生とは言え、他にも掛け持ちで名古屋の大学で、着付けをしたりしておられます。

毎日だから、大変だろうと思いますが、あと少し、よろしくお願いします。


さて、昨日はお嫁ちゃんから、FBで陽ちゃんの様子が送られていた。

随分と大きくなって、オムツがワンランク大きなものになったらしい。

そんな些細なことが、嬉しいおじいちゃんですのよ。

お陰さまで、家族3人で元気らしい。

それが何よりでした。




ちなみに、息子にはまだなつかないらしい。

・・・

段々と親子になってください。



ばあちゃん 元気です

2017-03-16 12:22:00 | ノンジャンル
こんにちは。

昨日は次男ばあちゃんの見舞いへ。

次男を見ると、ベッドの中から手を差し出すばあちゃん。

次男は恐る恐るその手を握ります。

「お ぉ  つ め た い ね」

と次男の手を握り続けておりました。


言葉が出るくらいの時は、大変調子が良いのです。

こういう時は、ちょっとした冗談も通じます。

先日も、長崎の陽ちゃんの画像を見せて、

「もうすぐ孫に会えるから、ご飯をちゃんと食べるんだよ」

というと、

「ま ご の こ だ ろ ?」
(ばあちゃんからすると、孫ではなくて孫の子=ひ孫だというのでした)

と、あたしよりしっかりしたことをのたもうた。

「ばあちゃん、さすが、県一だねぇ」

と返したら、大きな口をあけて笑いました。

県一とは、戦時中、愛知県第一高等女学校=今の明和高校 というのがあって、母はそこの卒業生でした。 当時には珍しく、ちょっとしたステータスだったようです)


終の棲家になるであろうこの施設で、ほとんど寝ているばあちゃんですが、どうぞ穏やかでありますように。

ひ孫の成長を、楽しんでもらいたいと思います。



卒業式

2017-03-13 13:35:00 | ノンジャンル
こんにちは。

卒業式の季節です。

呉服屋ですので、3月に入りまして、朝から袴の着付けを承っております。

見目麗しいお嬢様たちの袴姿を拝見するのも、実は呉服屋の特権です。

晴れやかなお姿を拝見しつつ、ご卒業を祝いながら、なお素晴らしい人生を過ごされますようにと祈るあたしでございます。


ピッチピチのそんなお嬢様を眺めながら、ふと、あたしが22歳で大学を卒業するときのことを思い出した。

1980年3月、東京、三田校舎。

母が出たいというものだから、訪問着を来た母と一緒に上京。

細かいところは、実はあまり覚えていないです。

ただ、謝恩会がありまして、余興に大橋純子さんが出てきた。

あたしも好きな方で、素敵なお歌を披露してくださいましたが、えらく人が多くて、背の低い母がステージを観えないものだから、うしろから母の脇に手を入れて、思いっきり持ち上げた。

・・・ビリッ!

訪問着の脇が、破れますた。

それでも、嬉しそうにしていた母でございました。

その後・・・

二人で銀座の、どこだろう?適当にあった地下のお寿司屋さんで、お寿司食べました。

「好きなものを食べなさい」

と言われ、カウンターの向かいの人に、

「右から順番にください」

と、ケースの中のものを右から順番に、腹が膨れるまで食べた記憶があります。

今だからと思いますが、いくらだったんだ?


早朝の着付けには、お母さんも付き添ってお越しになります。

「よくここまで、お育てになられましたね?」

とねぎらいますと、お母さんは一様に、

「一つ肩の荷がおりました」

とおっしゃいます。

・・・子を育てるということは、そういうことなんだと、改めて感じる瞬間でした。


育てたのではない。

よくぞ無事に育ってくれた。

今のあたしはそう思う。

だが、当時のあの時のあたしを振り返れば、

よく育ててくれました。

ありがとうございます。

・・・と、遅ればせながら、今になって思います。


どうぞ、皆さま。

穏やかで幸せでありますように。

心から、おめでとうございます!